第九十四話
僕達はまた旅を再開した。再開した……うむ。再開したんだが……どういうわけかな。僕らの後方には、まだまだ大きくボルツの門が見える。正直に言えば、僕は心臓が痛いくらいドキドキハラハラしているし、オックスも良い顔をしていない。ミラは……うん、早くなんとかしなければ。“彼ら”がどうにかなってしまう前に。
「…………もう一度話を伺いましょう。貴方がたは、私達に、何を要求したいのです」
「へへへ……気丈な嬢ちゃんだなぁ。昨日見た時からタダモンじゃぁねえとは思ってたけどよ。後ろのデカブツだって、コレに撃たれちゃあタダじゃすまねえ。大人しく身包み剥がれてくれやぁ」
そうか……やはり昨日食事中に感じた視線は悪漢の……なんて言っている場合では無い。二人組の目付きの悪い強盗の手には、ボルツで散々目にした単発式銃が握られていた。ミラが今更銃で武装した程度の野盗に遅れをとるとは……とるのか? だって……銃……鉄砲……
「黙ってちゃわかんねえよなぁ嬢ちゃん! おい後ろでガタガタ震えてる兄ちゃん! だらしねえな、こんな娘っ子に庇われてよぅ! おめえが率先して脱いでやれば、この子も気が楽になるんじゃあねえのかぁ!」
あわわわわ……それ以上は……それ以上はいけない。ミラをそれ以上刺激すると、本当にどうなるか分からない。この世界の銃の性能がどの程度か分からないが、彼女だって無傷で制圧出来るか分からない。彼女の身の安全も保障されない上に、二人分の重体患者が確定してしまうのだけは……非常にマズイから避けたいところだが……っ。
「……わかった。金目のものは置いて行く。だからそこを通して——」
視界が百八十度回転した。一歩だ。たった一歩前に踏み出しただけで僕の体は宙を舞って……って。そんなこと出来るのは……
「——アンタは退がってなさい。何回言わせんのよ」
「りょ……了解であります……」
僕を投げ倒して、彼女はまた何事も無かったかの様に二人組と向かい合った。一体僕をなんだと思っているんだ、お前は。
「その要求は受け入れ難いものです。“それ”が貴方達の脅しだと言うのなら、私達も武力行使を避けられません。望むところでは無いでしょう? 退きなさい」
見覚えのある大きな背中で、ミラは毅然と二人を説得しようと試みる。だが、それは無駄な事だと彼女が理解出来ないとは思えない。向こうは武装した大人の男二人。こちらは丸腰の子供が三人。いえ、表面上の話でして。自分の事をわざわざ……分かってますよ! 見た目は子供、素顔はおっさん! あと、僕は一応銃を携帯してるんで丸腰じゃ無かったですね! 関係あるか! ともかく……
「武力行使ぃ⁉︎ お嬢ちゃん怖い言葉知ってるねえ、誰に聞いたの。でもね、後ろのお兄ちゃん達もコレには敵わな——」
ギ——ッ⁈ という音と共に、二人組の片割れの顎に強烈な飛び膝が入った。いかん、恐れていた事が現実に!
「あっ⁉︎ アニキィ⁉︎ なんて事しやがん——」
「——だぁーーーーーーーれがッ‼︎ 妹よーーーーッ‼︎」
着地とともに繰り出される回し蹴りにもう片割れも宙を舞った。まだ引きずってたのかお前は。などと突っ込む余裕など無い、隙の無い二連撃でミラは窮地を窮地とも思わずに解決した。さっきの僕の心配はなんだったんだ。
「ふしゃーーーっ! アギト! コイツらから金目の物かっぱいでくわよ! アンタも手伝いなさい!」
「お、落ち着けミラ……その一線は超えちゃいけない……」
獰猛な野生動物でも相手しているかの様に、僕は非常に繊細に彼女をなだめ続ける。それはダメだ、ダメ過ぎる。犯罪がどうのこうのというより、その絵面は非常に良くない。せっかく可愛い顔しているんだから、もうちょっとおしとやかにしてなさい。
「……二人とも、ちょっといいっスか?」
「どうしたオックス…………おいおい……頼むからお前までそんな事……」
違うっス! と、オックスは野党の腰巾着から何かを取り出しながら必死に首を横に振る。だがその姿はまごう事なく……と、説得しようとした僕の目の前に現れたのは、奇妙な形の小さな卵だった。鶏卵にしてはいびつで、それはまるで空気が抜けてベコベコに凹んでしまったサッカーボールのようだった。
「……やっぱり。コイツら最近噂になってる密売人っスよ! きっとこの卵も街の養鶏場から盗んできたに違いないっス!」
「いやいや……こんな卵、鶏から産まれないでしょ……え? 産まれるの? 砂鶏の卵ってこんななの……?」
言われてみれば……と、オックスは不思議そうな顔でそれを巾着の中へ戻した。言われんでも気付いてくれ。オックスはもしかしたらアホの子なのかもしれないな。と、そんな認識を強めて、僕はようやく落ち着いたミラの方へ顔をやっ……
「おっ……おおおおおオックス! 今の……っ! いいいい今のちょっと貸しなさい⁉︎」
「へ? ミラさん……ダメっすよこんな得体の知れない卵食べちゃあ。お腹壊すっス」
そう言いながら、オックスはまたそのゴツゴツした卵を巾着ごとミラへと渡した。なんだろう、珍しい種類の生き物の卵なのかな? それこそ魔獣の卵だったりして……しないよね?
「……やっぱり。これは人工魔獣の卵よ」
「人工……?」
「魔獣……っスか?」
僕とオックスは向かい合って首を傾げた。人工魔獣ということは……そのまま人工の魔獣なんだろうが……僕にとっては、そもそも魔獣が自然発生している事が自然では無いので、イマイチピンとこない。
「コイツら叩き起こすわよ! 話を聞き出さないと!」
そう言ってミラは、伸びている二人組の片方を今にも首がちぎれてしまいそうな程激しく揺すり起こした。死んじゃう……その人本当に死んじゃうから……
「起きなさい! 起きなさいって……ああもう! さっさと起きろっての! この三流術師‼︎」
「うっ——うう……なんだ……なにが……」
意識を取り戻し、眼を開けたアニキと呼ばれていた方の胸ぐらを掴み上げて、ミラはキッと睨みつけて巾着のことを詰問する。
「どこでこんな……いえ、誰にこんなもん貰ったのよ! 白状なさい! 喋らないと……酷いわよ!」
「ひっ……わかった! わかったから離してくれ! 話すよ!」
そう怯えながら答える男からミラは降りて、足下に転がっていた拳銃を僕の方へ蹴っ飛ばした。そしてまたすぐに男に詰め寄る。
「も、貰ったんだ! 北西にある港で、長身で帽子被った男から! もう悪い事はしねえからよ! 見逃してくれよ! これ取られちまったらもう今晩食うもんも無えんだ!」
そうか……彼らも食に困窮してあんな事を。そう考えると少しだけ同情の余地が……うん。あの地雷の踏み抜き方は不運以外の何物でも無かったし、必要以上にやられているとは思う。
「アンタも術師の端くれならコレが……ああ、もう!」
ミラは髪を掻き乱して、自分のポーチから巾着——路銀が入った、僕達の財布を取り出した。そして、中から数枚の銀貨を取り出して男に押し付ける。
「コレで私が買い取るわ! バカなもんに手ぇ出してんじゃ無いわよ! 良い⁉︎ 二度とあんな物買ったり貰ったりするんじゃ無いわよ‼︎」
「へ、へいっ! い……でも、こんな。いいんですかい……?」
良くないけどしょうがないじゃない! と、ミラは怒っているのか嘆いているのか分からない顔で男に背を向けた。そして僕らに出発を促す。呆然とへたり込んだままの男の動向に気を配りながら、僕らは今度こそ旅を再開した。したのだが……
「……ミラ? おい、ミラってば。大丈夫か? 顔色悪いぞ……?」
「…………アギト。アンタから見てこの卵、何に見える?」
何に……って、さっき自分で人工の魔獣のって。僕もオックスもミラの青ざめる一方な顔色を心配して早足で進む彼女について行く。
「……コレは間違いなく鶏の卵だったのよ。それに後から属性を無理に付与する事で在り方を捻じ曲げられて、孵った時には自分が何なのかも忘れ去った獣が産まれるの」
だから……だからそれが人工の魔獣なんだろう? 確かに人道的とは言い難い酷い行為だと思うが、一体お前は何を言おうとして……?
「ミラ? それがどうしたってんだよ。むしろあんな不自然な生き物、自然に進化して生まれたって方がおかしい……」
そうじゃないわよ! と、彼女は言葉を荒げた。そして涙を浮かべながら、巾着の口を握りしめて細い声を絞り出す。
「——これが意図的に作られたって事は……っ! 意図的に人里を襲わせた術師が世界中にいるって事じゃない……っ」
不意に以前立ち寄った、飛行型に占拠されてしまった村を思い出す。あの悲劇を意図的に……? ミラは何も答えず、頷くこともせずしゃがみこんで卵を地面に並べた。そして、それらを泣きながら焼き払った。