第三百六話【平穏に……平穏に……】
まだロクに電気インフラすら整っていない、携帯電話はおろか電報や電信すら存在しない世界。
そんな世界に生まれ、育ち、それが当たり前で生きて来たふたりにとって、その説明は少々残酷なものだったのかもしれない。
自分が生きている間には到底辿り着けない場所にある文明、技術。
それを知ったら……きっと僕なら嘆いて嘆いて、羨ましいって妬んで、そして自分の現実を悲観的に捉えただろう。でも……うん。
「……な……るほど……ね。ふむ……あはは……だってさ、ミラちゃん……」
「…………はあ。自分の世界が一番優れてる……なんて思ったことは無いけど……今まで散々出遅れてる世界ばかり目にして来てるから……でしょうね……」
ふたりは顔を見合わせて、大声で笑い始めた。
そしてすぐに、真面目な顔で僕のスマホをペタペタ触り始める。
あっ、ちょっ、カメラロールはやめて、ダメです。
でも……うん、そうだ。凄く楽しそうに、羨ましそうに……けれど、負けん気たっぷりな顔で。
指でなぞる度に動く画面に、つつく度に開かれるアプリケーションに、小さな穴から発せられる大きな音や、それに伴うバイブレーションに。
ふたりはこの小さな端末に現れるあらゆる反応に、どうしたらそれを超えられるかってばかり考えながら向き合っているらしい。
「……魔術……では再現出来ないだろうね。こんなにも細かな命令式を刻み込もうと思ったら、それこそバカ王の墓石くらい大きな楔が必要になる。
片手に収めるというのが最大の難所……いや、それ以前に、理解不能な技術の博覧会なんだけどさ」
「そう……ですね……じゃなかった。そうよ、そもそもなんで絵が動くのよ。アギト、もっと見せなさい。むむむ……」
こらこら、あんまりじーっと見てると目が悪くなるぞ。お前から視力取ったら何が残るんだ。嗅覚と聴力ですね、ええ。
ミラもマーリンさんも僕の手をグイッと押さえ付け、意地でも離さない姿勢を見せてスマホを睨み続ける。
まあ……興味を持って頂けたなら幸いですよ、この世界代表として。
いや……なんの代表……? しかし……ちょい待ってってば。
「ふたりとも……ほら、他の話もしなきゃなんだから。スマホは後でも見て良いから、僕の話聞いてってば」
「っとと、そうだったね。しかし……むむむ。君、一人称をどうして変えたんだい? 話の主導権を握られた上で名乗りまで被せられると、なんだか僕のお株が奪われた気分なんだけど」
いや、知らんて。
しかし……うん、自分でもちょっと思った。今のマーリンさんのセリフっぽかったな、って。
いかんいかん、話が脱線して……あれ? これも……マーリンさんの……
「ごほん。えっと……ですね。当然だけど、魔術なんてのも絶対に使ったらダメ。人が見てなければ……って考えも捨てて。
なんて言うのかな……うーん……結界魔術……みたいなものがあってさ。街中だと、大体どこも監視されてるんだよ。だから……」
「監視……? 魔獣もいないのに、かい? 不思議な話があったものだね」
いや、そう。それは本当にそう、どうしてこんなにも監視社会になってしまったんだろう。僕のキャラじゃないな……なんだその疑問提起は……
しかしネタでもなんでもなく、この町には監視の目がいーっつも光ってる。
防犯意識の高い家庭の玄関、コンビニ、駐車場。
いろんな場所に設置された監視カメラに、青白く輝くオレンジ頭の少女……なんてものが映ろうものなら……っ。
「えっと……魔獣はいないですけど、その分……じゃない、か。
うーんと……強盗とか空き巣とか、それに誘拐とか不審者とか……その……ふたりにはイマイチピンと来ないかもしれないけど……」
「ふむ……いや、ちょっとだけ理解したよ。
魔獣という特級の危険が無くとも、人はそれに代わる脅威、恐怖に備えるものだ。
魔獣がいなくとも野生の獣に、獣がいなくとも犯罪者に。
程度の問題ではなく、あるか無いかという時点での対策を講じるだろう」
本当に理解が早くて助かります。助かりますけど……お、教え甲斐無え……っ。
いや、こういう時はむしろ教え甲斐があると言う方がマーリンさんっぽいかな?
いや、僕は別にマーリンさんみたいになりたいわけじゃ……わけじゃ……銀髪ロリ巨乳魔女っ子になって女の子とイチャイチャしてえ……っ。
「戦闘行為は禁止、索敵も含めて魔術の行使も全面禁止。
さて、そうなるとどうやって魔獣を探そうか。っとと、そうだそうだ。そのことをまずミラちゃんに説明しないと」
「あ、っと。そうだったそうだった。ミラ、実はその……お前をここに呼び出した理由でもあるんだけどさ……」
この世界には魔獣なんていない。そういう前提でずーっと説明してたのに、ここへ来て突然の裏切り大発表である。
魔獣なんていない筈の世界に魔獣が現れた。
正直な話、まだ僕の中に確信が無い。本当に魔獣がこの世界にいるんだろうか。
あれがただの見間違いだった……となれば、それで話も丸く収まってくれる。いや、収まってくれ。
この世界に余計な不穏さはいらないんだ。みんな平和に生きてるし、生きて行きたいのだから。
あんな他所から紛れ込んだ厄介者なんて……
「…………魔獣……が……この世界にも現れて……現れたのは……?」
僕の——所為なのか————?
ぽつんと答えだけが頭の中に浮かんだ。
そしてそれを口に出して、やっとその根本——因果へと考えが及ぶ。
影響力——と、そう説明された力。
未来を変えられる力、変えてしまうかもしれない力。
黄金騎士に新たな力を与えたかもしれない存在になった……と。
同時に……親しい人物の周りに異変をもたらしてしまいかねない存在になってしまったかも……と。
だから、数少ない仲良しな花渕さんの近くに——
「————それは違うよ! このバカアギト!」
「————それは違うわ! この大バカアギト!」
目頭が熱くなって、つい俯いてしまった僕に、ふたりは揃って怒鳴り声を上げた。
全くと言って良いくらい同じタイミングで、同じ言葉を。
はっと顔を上げると、そこにはお互いに驚いた顔で顔を突き合わせてるふたりの姿があった。
「……ごほん。そうだね、これについては僕よりミラちゃんから……お説教して貰おうかな。僕にはその資格が無い、そう唆したのは僕だったからね」
「はい、任せてください……じゃなかった。任せて。このバカアギト、まだそんなくだらないことぐちぐち言ってんの。一発殴ってやるから、ちょっと背筋伸ばして歯ぁ食い縛りなさい」
ちょっ、予告顔面パンチやめて! せめてボディ!
顔にあざが残るとそれはそれで……別に今更心配されるような歳でもない筈なんだけど、平和の国日本では普通にただごとじゃない雰囲気出るからやめて!
大慌てで顔を覆った僕の両腕を、ミラはぺちぺちと叩き始めて……? あれ、なんか回数多い……回転速いな……? あっ、こらっ。マーリンさんまで殴ってやがった。
「何があったか知らないけど、悪い出来事の原因がアンタなわけないでしょ。ったく、自意識過剰も大概にしなさい。
アンタに出来るのは、精々私達の仕事を増やしたり、のろまさで微妙にストレスを与えたり、へなちょこさでひやひやさせたりするくらいよ。
こんな言い方は絶対したくなかったけど、魔獣を造るなんて馬鹿げたこと、そこいらの術師じゃ到底出来っこないんだから」
「……ミラ……。そう……か……そっか、そうだよな。僕が凄いわけな…………あれ? 今これ、バカにされてます……? バカにされてますよね? あれ? おい、こら。バカミラお前」
励まされてると一瞬だけ勘違いしたわ、ふざけろお前。
しかもお前……よりにもよってゴートマンまで引き合いに出してお前……そうまでしてお前……っ。
でも……ああもう、自分のよく分かんない安心ポイントが恨めしい。なんか……なんかホッとしてしまった!
「そうだね。僕が不安にさせた問題だからあんまり責めるような言い方は出来ないけど、そういう悲観は見過ごせないな。
むしろ、影響を及ぼしてしまったとしたら、僕の方かもしれない。
君を生き返らせる……なんて滅茶苦茶の最中にここへ辿り着いてるからね。
因果のひとつやふたつ、歪めてたっておかしくないとも」
「い、いや! マーリンさんの所為なんかじゃないですよ!
そりゃ……まあ……言われてみれば……とも思いますけど。でも、マーリンさんが原因で悪いことが起こったなんて……」
あり得ない。
だって、マーリンさんは僕の為に頑張って……無茶してくれたんだ。
その……やり方が非道なものだったとは聞いた。
でも、マーリンさんは僕とミラの為にそういう道すら突き進んでくれたんだ。
それが悪い因果なんて引き起こすわけない……と、そこまで力説したところで、ふたりがジトーっと冷たい視線を向けていることに気付いた。
えっ、今責められるようなこと言った⁈
どっちかって言ったら、ミラは同意してくれそうなもんだと思ったけど⁉︎
「……いやはや……はあ。自分に自信が無い子だ……と、ずーっとそう思ってたけどさ。しっかし……なんだってこうまで……」
「たった今アンタが言ったことを私達も言ってんのよ。はあ……なんていうか……思考が論理的なものからズレてんのよね、アンタは」
な、なんだよぅ……っ。
ふたりの言ってることは分かったし、渋々ながら納得もするけど……なんでちょっとディスるんだよぅ、ぐすん。
早くすまほ……? とやらを触らせなさいとせがむふたりを制しながら、僕は更なる禁止事項を説明し続ける。
ちょっ、興味持つのは良いけど僕にも構って。スマホばっかり弄るな、現代人。いや……現代人は僕だけだけどさ……




