第三百一話【勇者の世界の勇者】
目の前には小さな女の子がいる。小さな小さな……ミラよりも幼い女の子だ。
でも……他の誰よりも頼もしい援軍だ。
星見の巫女、マーリン。魔術は失われ、魔王を討った時の力は何も残っていない。
それでも、僕を甦らせ、ミラの記憶を取り戻し、そしてこうしてこの世界にまで駆け付けてくれた。
頼もしくて仕方がない、最強の師匠だ。
「さて、ちょっとだけ状況の確認だ。僕もこっちには今朝戻ってきたばかりでね。魔獣の姿はちらりと確認したけど、まだ何も分かっちゃいない。
向こうで得た情報を君にも渡すから、君もこっちの情報を教えてくれ」
「はい、分かりました。分かったんですけど……その前に。色々……そう、色々。マーリンさんについて聞きたいことが……」
僕は変わらずただのマーリンさんだよ? と、目の前の少女は首を傾げる。うん、少女。
何度も何度も実年齢と見た目が合致しないと、エルゥさんと変わらないくらいの女の子だと、そう声を大にして言い続けてきた。
口に出したのは数回ですけど、ええ。
しかし、だ。目の前のこの子は……
「……その……見た目って自由に変えられるんですね。だとしたら……マーリンさん……それはもう若造りとかいうレベルを超えて……」
「よし、叩く。思いっきり叩いてやる。立て! 立ちなさい! この不敬者!」
いえ、叩かれてもね。
だってそうじゃないか。もしも見た目を自由自在に変えられるのだとしたら、それは……もう、ねえ。
あれかな? フリードさんにボロクソ言われてたの、実は結構気にしてたのかな?
「これについては……いや、そうだね。僕の理想や願望が含まれてないとも言い切れない。でもそれを気にしても仕方がないだろう。ほら、早く本題に入るよ」
「は、はあ……いえいえ、まだ聞きたいことが……」
後にしなさい! と、ちびっ子マーリンさんに怒鳴られてしまった。
どうしてだろう。いつもより小さいのに……いつもより言葉に威厳がある気がする……っ。
これは……あれだね。いつものマーリンさんがだらだらごろごろし過ぎてる所為だろうね。
「まず前提の話、僕がどうしてこっちに来たか、だ。どうやって……というのは割愛するよ。占い師として君の前に現れた通り、無茶をすればなんとでも出来るってだけだ。
問題は工程や方法ではなく動機——いいや、理由だ。
君の様子を……本来の君とアギトとの融和を確認する為に、僕は並行してもうひとつの召喚術式を起動してたんだ」
「僕と……アギトの……? 融和ってのは……えっと……」
向こうで散々聞かされた話だ。
最も顕著だったのは二度目の召喚の後、獣の肉体に僕の精神が馴染み過ぎていた時だろうか。
確かにあの時、僕も不安に思ったのだ。
アギトの身体に慣れ切ってたら、この秋人のポンコツボディにはかなり苦戦しそうだなぁ……と。
蓋を開けてみれば……馴染んでる云々関係無く、物理的に弱り切っててお話になってないんだけど……
「それについては……まあ、もう理解したよ。
君の頭と心はまだアギトのまま、この世界への適応を済ませていないままだ。
僕との会話だけで簡単に自分を見失う、どうしてもアギトとしての世界にいる気分になる。
けど……それはしょうがないことだし、時間を掛けて矯正するつもりだった。問題なのは、ここへ来る時に見たものだ」
この世界のことはあまり分かってない。でも、魔獣なんてものが場違いなのはよく知ってる。マーリンさんはそう言って爪を噛んだ。
悔しいって感情をいつもよりダイレクトに感じられるのは、彼女がまだ未熟な少女の外見だからだろうか。
「まったくもって理解出来ない、状況が飲み込めていない。成る程、君達はいつもこんなところからスタートして世界を救って来たんだね。
悔しいな、すっかり僕だけ足手纏いな気分だ」
「い、いえいえ! マーリンさんにはいつも助けて貰って……」
マーリンさんは僕のフォローなんて右から左で、すぐに真面目な顔であれこれ説明を始めてくれた。
マーリンさんは僕が寝た後……あの日の晩、少し遅い時間に入眠したらしい。
そして、こっちにやって来たのは今朝。
しかしそれはおかしいと僕は話に割り込んだ。
つまりは二日ほどのズレがあるわけだから、それだとちょっと計算が合わない。
こっちでの二日はつまり向こうでのひと晩——明朝に寝付いたのでなければ、もっと早くにこっちへ来てる筈だ、と。
「そうだ、そうだった。マーリンさん、これもこれで一大事です。せっかく再召喚して貰ったのに、切り替わってくれないんです。
今日が三日目……本当なら朝を迎える前にあっちに帰る筈だったのに……っ」
「ふむ……それについては、僕が原因だろう。
いや、術式を失敗したとかじゃないよ? 僕がこうしてここにいるから、君も向こうに戻れなくなってるんだ」
え? どゆこと?
こほん。と、まあ可愛らしい咳払いをすると、マーリンさんはぺちぺちと手を叩いて召喚術式についての——世界の渡航についての解説を始めてくれた。
「簡単な話だ。もしも君が切り替わりを終えて、向こうに戻ったとする。すると僕はどうなる? ここにこの姿で存在する以上、向こうの僕は眠ったままだろう。
君が向こうにいる間の二日——ここでのひと晩に僕がいるとしたら、同じ世界を行き来する者の間で経過時間に差が生まれてしまうだろう?」
「えっと……? そう……そうか! 俺が向こうで二日間過ごしてる間、向こうのマーリンさんは眠ったまま。そしてこっちに戻って来ると俺もマーリンさんもまだひと晩しか過ごしてない。
そうなったら、マーリンさんが向こうに戻った時、一晩しか経ってない筈が知らない間に二日が過ぎてしまってる……と」
そうなったら大変だ、なんかこう……た、大変だ!
具体的に何が悪いのかとかは浮かばないけど、なんかこう……時空が! 世界の法則が乱れる!
「僕達は特に強く縁が結ばれてるからね、絶対にそういう不具合が起きないようになってるんだろう。
召喚の主体が僕だったから、僕の時間軸に君が強制的に巻き込まれたのかも。
さて……この疑問は解決として、次に行っても良いかな?」
「あ、はい。ご、ごめんなさい……また話の腰を……」
仕方がないよ。君にとっては一大事、苦い経験だってあるわけだしね。と、マーリンさんはそう言って優しく笑う。
うん……これは本当に大事なことだった。
それを再実感したのは、彼女の説明の後に驚くほど息が楽になったからだ。
息が詰まってたことにも気付かなかった……が、より正しいのかな。
「もう一度確認するまでもない。この世界に魔獣なんてものは存在しない。それは普段の君を——アギトを見ていれば分かる。
そして、この世界に生きる人達を見ていれば、街の様子を見ていればよーく分かる。魔獣はおろか、野生の獣すら希少だろう。
遠くに山は見えているからね、そこに行けばいるんだろうが。
しかし……はてさて、どう言ったものか」
「……? どう……って、何をですか? え、もしかして、マーリンさんが見た魔獣はそんなにやばいやつだったんですか……?」
魔獣よりやばいものを沢山見たよ。マーリンさんは頭を抱えてそう言った。
ま、マジで……? 魔獣よりってことは……魔人とか、魔王とか、魔女とか……っ。そ、そんなのまでこっちに……
「……触れてもいないのに開く扉。馬車よりもずっと速い、そして頑丈そうな鉄の車。かと思えば小さくて原始的な仕組みの二輪車。
道に記された文字、そこら中に生えてる看板。つまりは法だろう、あの速くて重たい車の為のものかな。
それに、僕がこうして身に纏ってる衣服。
あり得ない……と、そう言ったら笑うかい……?
僕は……僕にはここまでの未来は予想出来なかった。
こんなにも先の文明が君の周りにあるだなんて、これっぽっちも考えられなかったよ」
「えっと……? 未来の……っ! そ、そうか……そうだった……」
マーリンさんが驚いていたのは、魔獣でもそれ以上の脅威でもない。この世界そのもの——僕にとっての当たり前にだった。
自動ドア……うん、王宮にだって存在しない現代の技術。それも、一般に普及してもうどれだけ経ったかも忘れたもの。
自動車に自転車かな、それと道路標識。それをひと目見ただけで何か理解したマーリンさんの方がやばい気もするけど……それはやばい個人というだけの話。
そして当然あるわけない化学繊維。
僕がポストロイドに抱いた感想を、マーリンさんはこの世界のあらゆるものに抱いているんだ。
いったいどれだけ先に行けば辿り着くものなんだ——と。
「——同時に少し後悔もした。君をこんな優れた世界から呼び戻して、過酷も過酷な戦いにまた放り込んでしまったことを。
でも……君はきっと、それを苦にはしなかったんだろう。
そうだと嬉しいって僕の願望も込みだけどさ、君はあっちの世界も十分に楽しんでくれている気がするから」
「それはもちろんですよ! ミラがいて、マーリンさんもいて、大勢の凄い人がいて。
こっちじゃ一般人も一般人、それも最下層の一般人ですからね。
あっちでも勇者って名前だけ貰った一般人ですけど……」
頼って貰える、助けになれる。小さなことでも、それは凄く励みになるし楽しいと感じる。
だったら、どっちの生活も楽しいに決まってる。
勇者アギトも、パン屋秋人も、今は充実してるんだ。うん……今、は。
「っとと、感傷に浸って脱線してたら、君を叱る資格も無くなっちゃうね。
発展に発展を重ねたこの世界に、魔獣という異物が紛れ込んだ。君もこの認識で間違いないかな?
としたときに、僕からの提案はひとつ。専門家を——君の半身、天の勇者をこの世界に召喚したい」
「専門家……まあ、魔獣退治で路銀稼いでましたからね。専門家と言えば専門家とも……えっ?」
ミラを……こっちに召喚したい……?
そ、そりゃあこれ以上無い適材だろう。
魔獣が出たってことは、魔術なり魔力なりが絡んだ問題な筈だし。
そうなったら、戦えないし魔術も使えない今のマーリンさんは半分役立たずだ。
僕も……論外。
弱い方からふたりってマーリンさんの言葉通り、ちょっとこのメンツじゃ難しいものがある。
ある……けど……っ。
「どうかな? 魔力については……幸いと言うべきかな、この世界のマナとも繋がれる、問題無く確保出来る。縁に関しては、これっぽっちも問題無い。
躓くとしたら情報だけど……何かアテは無いかな?」
「ちょっ——ちょっと待ってください! それは……それには……俺は同意出来ません。反対です」
それはダメだ、絶対にダメだ。それだけは——っ。
手に力が入って、爪が食い込んで、手のひらが痛くなって。でも……硬く固まった身体は、拳を緩めることすら出来ない。
緊張……そう、緊張。始めてアイツに出会った時にも、同じことが起こったんだっけ。
「反対って……ど、どうしてだい? そりゃあ……召喚術式だ、危険も伴う。でも、君達を何度も何度も送り出してきたのは他でもない僕だよ?
大丈夫、絶対に失敗しないよ! それとも……もしかして、僕の心配をしてくれてるの……?
その……追加で対価を払い続けてるんじゃないか……って。
それについても大丈夫、些細なものだ。だから……? アギト……?」
違う……違うんだ、そうじゃない。
マーリンさんの心配もした、確かにした。
でも……心配したのは秋人じゃない……っ。
僕が不安になってるのは……
「……っ。部屋、見てください。それで……話もちょっとだけ聞いてください」
「え……? う、うん」
僕はマーリンさんを連れて自室へと戻る。
最近掃除をサボってて汚い部屋だからアイツを呼びたくない……わけじゃない。
いかがわしいサイトに登録したりもしてるPCがあるからそれを見せたくない……わけじゃない。
もっともっとシンプルで……根深くて、どうしようもないもの。
「……ここが君の部屋か……ふむ、もうちょっと整理整頓をしたまえよ。
しかし……立派な部屋だね、ここは。いや、この家が……この世界の家庭が、どこもこんな感じなんだろうか。この家だけが特別大きかったわけじゃない。
でも、僕の知る家庭と家屋、そして個人の部屋を思えば——」
「——そうです、立派な部屋です。でも、僕の部屋じゃない。
僕の部屋だけど、僕のじゃない。
これは——この場所は、両親に与えられたものです」
アギト……? と、マーリンさんは不思議そうな顔をして首を傾げた。
家長が建てた家に住んでいたら当然そうなるだろう。
しかし、だからといってそれが君のものじゃないとはならない。
生まれもまた君を形作る要素だし、それを否定するのは感心しないよ。
マーリンさんが続けたその言葉は凄く耳が痛かったけど、でも……そうじゃなくて。
「……っ。僕はずっと……子供の頃からずっと、この場所でだけ生きてきました。
比喩じゃなく、本当に。ずっと……ここから出ず、何も見ず、あらゆるものから逃げて生きてきました。
いいえ、生かして貰ってきました」
吐き出したのは……吐き出せたのは、かな。それは……マーリンさんが頼りになるから……だけだろうか。
——赦されたかった——
僕には消してしまいたい過去がある。
イジメを無かったことにしてやり直したいとか、それと戦ってもう一度立ち上がろうとか。そういうことを一切考えず、妄想もせず、諦めもせず——何もせず、考えず、目指さず、ただ……ただ時間が流れるのを無視し続けてしまったこと。
ミラのおかげで脱せられた、ミラのおかげで振り払えた、ミラのおかげで昔の話だと笑えるようにもなっていた。
でも……そのシミは消えない。
「——僕はアイツに誇れる兄貴じゃない……っ。名前を呼んで、そばにいて、護ると誓って、一緒に戦って……そして、世界を救った兄貴じゃない……っ。
アギトじゃないんです、僕は……っ。
それでも……アギトじゃない僕だけがアギトなんです。
僕はアギトに相応しくない、まだ僕はアギトに追い付けてない。
だから……こんな姿をアイツに見せたくない……っ。
僕は……アイツにだけは失望されたくないんです……」
ただの保身だった。
何も無い、本当に純粋な保身だった。
嫌われたくない。
ミラにだけは——僕をここから引っ張り上げてくれた恩人にだけは、呆れられたくない。
他の誰にどう思われても良い、でもアイツにだけは……って。ただそれだけだった。
マーリンさんに知られるのは平気、この人になら弱音を吐ける。そんなんじゃない。
ただ……この人にどう思われてでも、ミラにだけは……
「——え、思ったよりくだらない理由だった。アギト、ちょっとまっすぐ立ちなさい。叩くよ、思いっきり。流石にお説教の時間だ」
「え……? くだらないって——ぽ————ぇょご——ッ⁈」
ぺちーん! と、こう……前から。前から……股を叩かれた。
やめて————ッ⁉︎ なんで! なんで貴女はそう男を殺そうとするの!
それと……それと、ですよ。今の叩き方……ええ、クッションがあるので痛みはそこそこ程度……うぐっ、ってなる程度です。
でも……クッションが……ね……あるんです……けど……っ。
や、やめて……絶対ダメだよ……絶対に、小さいね。みたいな顔したらダメだからね……っ⁈
絶対だよ⁉︎ 釘刺したからね⁉︎ 絶対にそれだけは——
「さて……バカアギト。そうか、君は……君もまた、フリードと同じ。性異常者だったんだね。
悲しいよ、僕は。勇者と見込んだ筈の男が、まさかこんなに小さな女の子に欲情する変態だったなんてね」
「違————ッッ⁉︎ 違いますよ⁉︎ 違いますけど⁈ 突然何を言い——えっ……? ちょ、ちょっとタイム!」
も、もしかして……お、おっきくなってた……とか……っ⁈
ちがう! ちがうちがう! ノーカウント! それは……そ、それは……とにかく違うんです!
全速力でマーリンさんから遠退き、そして……そう……その……股間の具合をチェックする。
え? べ、別になんともなってないよ? う、疑われるようなことは起こって……はっ⁈
ま、まさかカマ掛けられた⁈ このリアクションこそを怪しいと疑われて——っ⁈
「違わないだろう。だって君、いつも僕にやらしい目を向けてたじゃないか。
ミラちゃんが僕の胸を揉んでる時、それはそれは熱のこもった視線を感じてたよ。
この間フリードのバカが僕のお尻を揉んでた時も、助けるそぶりも見せずにずーっと見つめてたよね」
「やっぱりいつもワザとやってんじゃねえかこの女狐ぇ——っっっ⁉︎」
ちくしょう——ッッッ‼︎ いつも! いつも僕の純情を弄びやがって!
返せ! 何を返すのかは僕も知らないけど、とにかく返せ!
うわぁん! やっぱりわざとだった! その上でそういう気が一切無いやつだ!
フラグは建てないくせに意識だけさせに来るのやめてください! 好きになっちゃったでしょうが!
「ほら、やっぱりそうだろう? あー、怖いなぁ。まさかこんな小さな女の子にまで盛るなんて、勇者と呼ばれる男には変態しかいないのかな。本当に呆れた話だよ」
「なっ、それは違うでしょう! そんなちびっ子に興奮するのは二次元だけ! イエスロリータ! ノータッチ! の精神はずっと持ってますし、そもそも僕は歳下の歳上お姉さんが……」
じゃあ、もう僕にやらしい目を向けない? と、おませなちびっ子は精一杯のセクシーポーズをとってそう言った。
いや……そりゃそうだよ。いくらなんでもちびっ子過ぎる。
そういう人もいるんだろうけど……僕は違う。
子供は護るもの、襲うものではない。
そもそも僕はムチムチしてる方が好きなんだ、こんな子供相手では……
「——もう二度と、だよ? 向こうに戻ってからも、僕が何しても、だ。
たとえば、いつもみたいに抱き締めたとして、君は本当に鼻の下を伸ばさずにいられるのかな?」
「なっ——それはずるい! って言うかやっぱり分かってて……じゃなくて! それは関係無いでしょう⁉︎ あっちのマーリンさんは……マーリンさんは……っ」
めちゃめちゃえっちなんだものーーーっっ!
無理だよ! 健全な青少年があんなくそえっちなお姉さんを前に興奮しないとか、絶対無理だよ!
え? お前はもう青少年じゃない……? そ、それはいいだろ! おっさんも容赦無くだよ!
「それは変な話だね。だって君は、自分で言ったじゃないか。ここの君を知られたら向こうの君が幻滅されるって。
じゃあ、向こうの僕に欲情するなら、こっちの僕を襲ってもおかしくないだろう?」
「だ、だから襲わな……じゃなくて。そうじゃなくて……」
何が違うの。マーリンさんのその言葉に返す答えが浮かばなかった。
違う——と、思う。だって、そういう話じゃない。
それは……そう、マーリンさんの話は見た目の話だ。
僕のは精神性——人間性、過去、経験、積み上げたものの話。
だから……でも……僕がマーリンさんを好きな理由って、見た目だけじゃない……よね……?
「————ほんっとうにくだらない。でも、この部屋に案内してくれたのは感謝しよう。幸い——これについては聞いた覚えがある————」
——契約——。彼女の口から溢れ出したのは魔術式だった。
そして——ぽこん——と、何かが抜け落ちた音がした。
実際に耳に届いた音じゃない、概念的な話。
彼女が目を向けた先——僕のパソコンからなんだか嫌な感じが……
「……え? え? えっ⁈ ちょ、ちょっと待っててください、マーリンさん。急にやらなきゃならないことが……え? あ、あれ? ちょっと……もしもーし? あ、あれれー?」
あれれ……あれれれ……? おかしい。電源ボタンを押してもパソコンが起動しない。
と言うか、起動音すら鳴らない。
って言うか! なんかボタンの手応えも無いんだけど⁉︎ えっ⁈
「それには膨大な情報が……いや、膨大な情報と繋がる力があるんだろう? だから、贄にさせて貰ったよ。
消費された結果、物理的な消滅ではなく、概念的な消滅を迎えたみたいだね。
まあ……中身がどうなってるのかは知らないけれど」
「概念的な————っ⁉︎ うそぉぉおっ⁈ パソコンちゃん! 動いてよパソコンちゃんっ! データ! 色んなデータ! 色んな秘蔵データっっっ‼︎」
んノォオオオオオっっっ⁈ 贄に——待って⁉︎ 魔術ってそんな電子的なデータでも良いの⁈ じゃなくて!
この人でなし! なんてことしてくれるんだ! って……え? 贄……って……
「——ふざけるなよ、このバカアギト。君が君としての在り方を歪めない限り、あの子が君を見限るなんてあるわけないだろう。
どれだけ惨めな、誰にも自慢出来ない、憐れまれるような生活を送っていたとしても。
君が君として——優しくて臆病で、誰よりも勇敢な者として在る限り、あの子が君を見下げるなんてありえるもんか」
「——っ。それは……」
それは……そうかもしれない。
ミラは絶対に他人を馬鹿にしない。いえ、僕は馬鹿にされまくってる気がするけど。
でも、それは行いに対してだ。
人の在り方を、生まれ、境遇を笑わない。
だってそれは、ミラが一番されて嫌だったことの筈だから。
だから……なら……
「——っ。そう……ですね。アイツならどんな僕でも笑わないでいてくれる……いや、もっと頑張れって励ましてくれるくらいだ。
よし……よし! 呼びましょう! アイツの力無しじゃ流石に無理です、どっちもなんの役にも立ちませんからね!」
「おい! 役立たずとは言ってくれるじゃないか! 事実だけど! そうとも、あの子は絶対に君を受け入れる。だから……あれ?」
あれ? あれって何? うん?
あっ、そうか。贄にした……ってことは、もう召喚術式は起動して……あれ?
「——失敗——っ⁈ ちょっと! 人のPCぶっ壊しといて失敗って、そりゃないでしょ⁉︎」
「ちがっ、失敗なんてするもんか! これは……えーと……っ!
そうか……ああもう! 君の時は上手くいったのに! 召喚される座標がズレたんだ! 彼の時と同じ——そんなとこまで受け継がなくて良いのに!
こうなったら……アギト! 迎えに行くよ! そう遠くない筈だ!」
座標が……遠くない……えっ? どっか全然違うとこに呼び出されちゃったの⁈
おばか! そんなことしたら……アイツ、寂しくなって泣いちゃうでしょうが!
いえ、絶対に泣きません。泣くどころか、全然知らないとこにいる! 面白いものいっぱいある! って目をキラキラさせて…………どっか行っちゃうぅぅぅううっっっ⁉︎
「急ぎましょう! 絶対どっか行く! ぜっっったいにどっか行っちゃって……通報されて……身元なんて分かんないから……事件の匂いが⁉︎」
「んもぉ! なんで彼の因子はこうも言うこと聞いてくれないんだ!
アギト、近くに広い場所は無い? 前提として、そこそこの広さの空間に飛ばされるようになってる。だから、空き地とか探せば……」
こんな住宅街にあるもんですかっ! あ、いや……公園がある!
僕達はそれはそれは大慌てで家を飛び出し…………鍵、ヨシ! 窓とかガスは母さんが締めてってくれた筈。すぐ帰って確認するから許して……っ。
色んな思いに後ろ髪をひかれながら、迷子筆頭候補の妹を迎えに走り出した。
走り……走……杖突いてちゃ走れないよ! 待って!




