第三百話【勇者のいない世界の勇者】
——夢に見た世界。それはきっと、いつも隣にあったもの。
近過ぎて見えない、けれど見失うことのない。幸せの形の、その続きのひとつ————
「————迎えに来たよ——アギト————っ!」
知らない声だった。
でも、一度は聞いた声だと思った。
知ってるセリフだった。
ずっと言って欲しかった——そしてやっと言って貰えたセリフだったと思う。
知らない世界だった——知ってる筈の世界だった。
秋人にとってその人は——その世界は——その出会いは————
「——開けておくれよ! いるんだろう! アギト! アギトってば!」
「っ! い、今開けます!」
がちゃがちゃと無闇にドアを開けようとする音が響いて、僕は大慌てで玄関の鍵を開けた。
ガチャ——と、重たい扉がゆっくり開くと、そこには……知らない女の子が立っていた。
一度だけ会ったことがある——けれど何も知りやしない、ミラよりも更に小柄な女の子が————
「——っ⁈ ひごぅ……ふぐ……お、思い出したら痛みが……っ」
そう。たった一度だけその少女とは出会っている。
今から三週間ちょっと前——あの戦いから半年ほど後。
そう……っ。閉店間際のお店にやって来て、大きな虫がいると嘘をついて……っ。
僕の……秋人の……リトル秋人を思いっきり傘でぶん殴ってった子……ッ。
忘れてたまるかあの恨み……じゃなくて。
「迎えに来たよ! アギト! 君だってとっくに見てるんだろう!」
「ちょっ、ちょっと待って! その……あのー……えっと……?」
で、よ。この子誰さ。
その……いえね、面識はあるんです。あれで面識と言って良いなら、だけど。
でもだよ。あの時から既に知らない子なわけで、そして自己紹介も何も無かったわけで。
そうなると必然……
「……ぼ、僕のこと誰に聞いたのかな……? お母さんかお父さんか、家族は一緒じゃ……」
「——子供扱いするんじゃないよ! って……お、おいおい……正気かこのバカアギト……っ⁉︎ ま、まさかとは思うけど君……僕が誰だか分かんないのかい……っ⁈」
え、そりゃあ……分かんない……よ?
子供扱いもクソも、ミラよりちっちゃい大人なんていないよ。
背丈的な意味でも、幼さ的な意味でも。
それが……いやいや、冷静に。
やっぱり、お店にお客さんとして来たことがあったんだろう。
それで、その時に……マスコットみたいなのがいる! と、そういう勘違いをされて……
「——こんの——バカアギト——っ! 僕だ! マーリンさんだ! 君の大好きなマーリンさんが迎えに来てやったんだよ——っ!」
「……はい? マーリンさん……えっと……うん、知り合いにそういう名前の人はいるけど……ど、どこで知ったの⁉︎ その人簡単には会えないって言うか、どうやっても会えないって言うか⁉︎」
むきーっ! と、女の子は地団駄を踏んで……ちょ、ちょいちょい。一旦ストップ、落ち着いて。
これ以上はまずい。ここは住宅街、時間は……めっちゃ寝てたんだな、もうすっかり昼前だわ。
幼女に大声で騒がれて? 僕はおっさんで? 完全に————
「なんだよ! 気付けよ! 僕だよ! 鈍い鈍いとはいつも言ってるけど、これについては隠してもないし気付くべきタイミングいっぱいあっただろ!
占い師だよ! あの時はちゃんと気付いたじゃないか! 男になっても気付くくせに、なんでこの格好だとダメなんだよ!」
「ちょっ、落ち着いて。一回あがって、どうどう。暑かったよね、ジュース出してあげるから」
占い師……?
マーリンの名を知ってたり、あの人が擬態(?)してた占い師を知ってたり……この子何者だ……っ⁈
まさかとは思うけど……昨日のあのすり抜けた魔獣と何か関係が……
「————契約————っ! 抱く大翼は東方に——————」
「————詠唱っ⁈ ちょっ、マーリンさんストップ! こんなとこでいったい何やらかすつもりで……あれ?」
今の……完全詠唱の……っ⁉︎ 嘘だろ……っ⁈
だって、魔術って個々人で組み上げるものだった筈だ。
言霊や式、陣。習うか組み上げるかして作るって話で……だから……っ。
じゃあ……今の式を知ってるってことは……
「それに……こんな住宅街のど真ん中でバカみたいな魔術を使おうとする非常識さ……っ。まさか……まさか、本当にマーリンさんなんですか……?」
「……君、一回王宮の議会に出席してみないかい。そうだね……さしあたって、星見の巫女を侮辱し続ける不届き者……として」
社会的死————っ⁈
ま、間違いない……こういうやり口は、疑う余地無くあのマーリンさんのものだ。
マーリンさんが……マーリンさんが……?
「——マーリンさん⁈ ど、どどどどうして⁈ どうしてこんなにちっちゃく……っ⁉︎」
「ああもう! ほんっとうに君といると話が進まないなぁ! 脱線し過ぎだろう! 火急の用で来たってのに、全然本題に入れないじゃないか!」
ご、ごめんなさーい⁈ えっ……い、今のやりとり的にも本物のマーリンさんで間違いない……らしい。
えっ、な、なんで⁈ 本題……いやいや! 何より先に事情を説明してよ⁉︎
そういうとこだぞ! 術師! そういう重大な前提を省いちゃうとこがお前らの悪いとこだぞ!
「——もう! そんな顔しないでよ! 分かった、分かったってば! 説明する! だからちゃんと聞いてなさい! ほら、そこに座る!」
「は、はい! あっ、ジュースはどうします? 暑かったでしょう? 普通のオレンジジュースですけど、冷えてて美味しいですよ?」
いただくよ! もう! と、マーリンさん(?)はプンスコ怒って、そしてドタドタと家に上がり込んで……ちょっ、靴! 土足厳禁!
もう、常識無いなぁ。って……向こうは土足が普通で……
「——あ……れ? マーリンさん……? なんで……なんでマーリンさんがこっちに……」
「っ。思ったより……いや、当然か。アギトの精神が馴染み過ぎてるね。
こればかりは徐々に慣らすしかないけど……うん。それの確認も勿論用事のひとつだ。でも、本題はそこじゃない」
マーリンさん……?
あれ……切り替わりが上手く起こらなくて、秋人の世界のままで……?
なのに……マーリンさんがいる?
ああ、そっか。じゃあ切り替わったのか。
なら……ええと? そうだ、そうだった。
相談しなくちゃいけないことが——勇者として、アイツの半身としてやらなくちゃならないことがあったんだ。
「——アギト、落ち着いて聞いて欲しい。この世界に異変を感知し————」
「——そうだ! マーリンさん! 魔獣が——こっちにはいるわけないのに、魔獣が出たんです! 俺でも何か、対処する方法は無いですか⁉︎」
昨日のはなんだかすり抜けてくれたけど、必ずそうなると決まったわけじゃない。
魔獣——マナだの魔力だの魔王だの、この世界には全く無関係のものが原因で発生した変な獣。
分かんないことだらけのくせに、とにかく危ないことだけは分かってる厄介者。
花渕さんが襲われかけた——秋人の世界の大切なものが傷付けられるかもしれないんだ。
だったら、魔獣なんてのを唯一知ってる僕が——アギトの精神を持つ僕がやらなくちゃ————っ!
「……ふふ。いや、危なっかしいから笑ってられないんだけどね。
そうか……混乱して、混線して、経験と記憶とがぐるぐるに混ざり合って尚、君はそういう生き方しか選ばないんだね。
凄く凄く危ない状態なのに……あははっ。やっぱり君を選んで良かった、君ともう一度会いたいと願って良かったよ」
「……? マーリンさん? あの……えっと……あれ? 笑いごとじゃないですよ!
そりゃマーリンさんにとっては無関係な……いえ、そういう理由で他人の不幸を軽視する人じゃないのは知ってますけど……」
アギト、ちょっとだけ目を瞑って。と、マーリンさんは僕にそう言って、そして優しく手を握ってくれた。
えっと……? 目を……手、こんなに小さかったっけ。
でも……うん。小さく感じてもおかしくないか。
ずっと張り詰めてた、それがやっと終わった。
僕が生き返って、ミラもフリードさんもオックスも記憶を取り戻して。
あの魔女も……一応追い払えて。
だから、萎んじゃうくらい力が抜けてても……
「——そのまま、目を瞑って話を聞きなさい。
いいかい、アギト。僕は君の元いた世界に異変を感知した。
だから仮の姿を作り上げて、もうひとりの君のそばへと駆け付ける。
だから、姿ではなく在り方——君の感じるままの僕に頼ってくれたまえ」
マーリンさんは、いくつか先に事情を話すよ。と、そう続けて、そしてにぎにぎと僕の指を揉み始める。
ちょっ……でへへ、くすぐったいですってば。
しかし……ふむ、ボケてる場合じゃなさそうだ。
やっぱり僕の——秋人の世界には何かが起こってる。
それを……どういうわけかマーリンさんが感知して、解決の手伝いに来てくれる……という話かな?
恐らく、僕は君の知るものよりも更に無力な姿になっているだろう。
知識や経験は持ち込むが、しかし君の世界でそれが通じる道理も無い。
頼りないかもしれないが、考え方を変えて有効に使ってみて欲しい。
君を勇者として導いた巫女は、果たして魔術の腕前以外に何も持っていなかったかな?
どうか、どうか冷静に。
「——アギト。目を開けて、ゆっくりと深呼吸だ。そして僕の名前を呼んでくれたまえ。
呼んだならば、君から手を取ってくれたまえ。
君が口にすべき言葉は、君自身が一番よく分かってるだろう?」
「——すぅ……はあ。えっと……初めまして……じゃないんですね、一応。ちょっとぶりです、マーリンさん。いきなりですみません、どうか僕に——」
——勿論だとも——。僕の言葉に、頭を下げた姿に、冷静に事情を把握した様子に、小さなマーリンさんはにこにこ笑って頷いてくれた。
ここは——秋人の世界、元の世界。
僕は——原口秋人、勇者アギトを“内”に持つ者。
彼女は——星見の巫女マーリンさん、僕達の最高の師。
最終的な目的は——これまでと変わらない、世界の救済——終焉に至る可能性の排除。
その為の方法は————
「うん、よし。落ち着いたね。さあ、やろうか。よりにもよって弱い方からふたりが揃ってしまったけど、それでも世界を救うのは得意分野だ」
「はい! じゃあ、早速…………よくも……っ。よくも男の子の大事なところを……っ!」
今そこを怒るのか君は! なんてマーリンさんは逆ギレ(?)するけど……一生怒るよ!
その……生物としての一生を棒に振ったらどうするつもりだ!
使えなくなったらどう責任を……え? 使い道なんてそもそも無い……? そ、それは……二十四日前にも……っ。
混乱は……まだ正直ある。
マーリンさんがいる。その存在感、空気。あらゆるものであの人を認識出来る。
その度に自身をアギトと誤認するし、目の前のちびっ子に違和感を覚える。
でも……前は向いた。
後は引っ張ってって貰えば、いつも通りになんとかしてみせる。
なんとかして……して……いつも通り……いつも僕は何もしてねえな……っ。




