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異世界転々  作者: 赤井天狐
第五章【金と鋼】
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第二百九十七話【もう一回のただいま】


 魔女の襲撃から三日後。

 僕とミラは、揃ってエルゥさんのお手伝いをして過ごしていた。

 マーリンさんは相変わらずだらだらごろごろしてて、フリードさんももうここへ遊びに来たりはしない。

 元通り——ベルベット君がいないことを除けば、ここへ来たばかりの頃と変わらない日常があっさりと帰って来ていた。

 そう、あっさりと。

「……結局、あの魔女は何しに来たんだろうな。マーリンさんに用があったっぽいけど、だったらもっと早く……いや、遅かろうと、何度でも来たら力尽くで解決出来るだろうに」

 灰色——と、あの魔女はマーリンさんをそう呼ぶ。それが蔑称であることは僕にも分かった。

 不完全な魔女、銀色ではなくくすんだ灰色の翼を持つマーリンさんへの当て付け。

 そんなマーリンさんを相手に、あの魔女は遊びに来たと言ったのだから……

「口ぶりからして、魔女にとってマーリン様は特別な存在なのかしらね。良い意味で……とは限らないけど。

 少なくとも、興味の対象はマーリン様ひとりに絞られてた。

 私もフリード様も、あくまでもマーリン様のそばにある変なものって扱いをしてたわ」

「変な……まあ、そうだな。お前もフリードさんも変わらず変なものだ。インチキ臭い力ばっかりで、これっぽっちもマトモじゃない」

 やっぱり……その、なんと言うか。あの魔女はマーリンさんをイジメに来たんだろう。

 あからさまな悪口を言って、明確な敵意を向けて、直接的な害を振りかざして。

 子供の頃にあったイジメとは比にならない、もっともっと簡単で簡潔で残酷な行為。

 ただ……どうしても気になるのは、なんで魔女はそんなことをしなきゃならないんだろうということ。

「魔女……ってさ、普段何してるんだろうな。マーリンさんは……その……随分俗世に塗れてしまってて……」

「こら、なんてこと言うんだ君は。人間味に溢れた優しいお姉さんと言いなさい」

 うげっ、いつの間に⁈

 陰口……とは違うけど、本人のいないとこでしか出来ない話を、いつの間にか背後でご本人様が聞いてらした。

 こ……こういう時ってどんな顔したら良いんだろうか。

「……ご、ごめんなさい。悪口言うつもりは無くて……いえ、ダラダラしてばかりのダメな大人だってのは本音ですけど。でも、こそこそバカにするようなつもりは……」

「……君は……はあ。分かってるよ、そもそも嘘なんてつけない子なんだし。そこについては気にしてないさ。

 ただ……また面白い話題を出したなぁ、と。そっちについては気になったからね、口を挟んだ次第だ」

 そっち? って……どっち?

 ぼけっとしてる僕を他所に、マーリンさんはミラに意見を求める。

 あの赤紫の眼をした魔女は、普段何をして生きているだろうか、と。

「……生活がある……筈ですよね。私は魔女についての知識を、マーリン様の在り方でしか知りません。一応……その、三度目の召喚の折に、ふたりの魔女とは交友がありましたが……」

「そうだね、それと全く同じだなんて道理は無い。アギトとミラちゃんがこの世界の魔女の在り方を知らなかった以上、それが反映された可能性は全く存在しないからね」

 じゃあ、少しだけ考えてみようか。マーリンさんはそう言うと、ピュイと指笛を吹いて何かを呼んだ。

 いや、呼ぶものはひとつしか……数自体は沢山なんだけど、大きく括ってひとつしかない。

「ザック! フィーネも! わっ、えへへ。キルケーっ! ヘカーテっ! えへへ」

「帰らないって言われちゃったからね。アーヴィンに遣わせてた部下に頼んで放して貰ったんだ。

 ザックには離れてても指示を出せるし、コイツらがいればフィーネにも言うことを聞かせられる。

 フィーネが僕の意図を理解してくれれば、当然この子達をここまで案内してあげられるってわけだ」

 窓や玄関、開いてる場所全てから飛び込んで来たのは、フクロウの大群だった。

 銀色の羽毛に包まれたフィーネ。灰色でちょっと毛が短いのがキルケー、翼が片方短いのがヘカーテ。そして、もこふわチビの大群がザック。

 合わせて四羽……五、六……ザックの数が数えられねえ……っ。とにかく、沢山のフクロウが建物の中に飛び込んで来て……

「……マーリンさん、せめて部屋で呼びましょうよ。こんな人通りのあるところで……」

「ご、ごめん。今なら割と暇だし、エルゥもいないから平気かな……って」

 家主の留守に好き勝手するんじゃない! あ、エルゥさんは買い出しに出てます。お昼ご飯の準備をしなくちゃだからね。

 僕とミラはその間の留守番とお客さんの相手、そして掃除を……じゃなくて。

「せっかくだ、魔女について……僕が知ってる範囲に限られるけど、もう少し掘り下げて教えてあげよう。やるべきこともやっちゃわないとだし、ちょうど良い」

「やるべきこと…………エルゥさんのお手伝いもやるべきことだと思うんですけど……」

 それは言わないでよ。と、マーリンさんは苦笑いを浮かべて……はて、それ以外でやるべきこととは?

 それについての問いを投げても、きっと答えは返って来ないのだろう。

 魔女についての話を先にしよう、ミラちゃんも興味津々だし。とかなんとか言われるのだ、どうせ。

「アギト、こら。君は本当に学ばない子だね。ま、その無礼も今は許してあげよう。動けない僕の代わりに、エルゥの手伝いをしてくれてるわけだしね」

「動けないって……体力も落ちてるんでしたっけ。まあ……騒ぎになると困るってのには納得してますし、代わりに俺達が……ってのは良いですけど」

 でも、サボったならサボったで裏方のことはやって欲しいな。っとと、それは置いといてだ。

 ふむ……魔女の普段について……か。

 生活が当然あるだろうとミラは言った。僕もやっぱりそう思う。

 けど……同時に、キルケーさんとヘカーテさんの顔も思い浮かんだ。

「あの世界の魔女は、食べるのも飲むのも少しだけで問題無いって言ってました。そういう特異性がこの世界の魔女にもやっぱりあって然るべきなのかな……って、俺は思います。

 マーリンさんは……うーん? 不完全だからって話を鵜呑みにして、そういう部分がほとんど人間と変わらない……とか」

「ふむふむ、なるほど。アギトの推論はとても理屈に沿ってる。

 そういうものを見たから……というのは理由として少々弱いが、しかし話の根っこのそばには目を付けてるだろう。

 魔女が特異な能力を身に付けているのだから、当然それに伴う性質の変化があるだろう……と」

 マーリンさんはそれから、魔女についてあれこれ説明してくれた。

 魔女とはマナを読むもの。

 長い年月を生きる、人間とは違うもの。

 魔術や錬金術を生み出したもの……かもしれない。

 或いは、魔術や錬金術によって生み出されたものかもしれない。

 そこは分からないけど、密接な関係にあるのは間違いない。

 翼を持つもの。

 空を飛ぶが、しかしそれが翼による飛翔かは定かではない。

 マーリンさんも飛んでたくせに、そこんとこは自分でも理解出来てなかった……なんてバカな話も聞かされる。

 ご飯は食べない。

 水も飲まない。

 マナを取り込み、それによって生物のような性質を保つ。

 本来の魔女とはそういうものだ……と、そこまで説明されたところで……

「魔術と錬金術から……空を飛んで……なのに飛び方は知らなくて……ご飯を食べなくて……?

 あの……マーリンさん? その……マーリンさんって本当に魔女なんですか?

 魔術使えなくなっちゃったし、空も飛べなくなっちゃったし、そのくせご飯は食べるし……」

「……まあ、そういうとこが出来損ないたる所以だからね。

 失ったから出来なくなった……なんて事態に陥ってるのもそう。

 真性の魔女なら、力を失ったりしないだろうし、もしも失えばそのまま消えて無くなってしまうだろう」

 え、怖い。なんかいきなり怖い話が挟まった。

 慄く僕をぐいと退けて、今度はミラが鼻息を荒げてマーリンさんを質問攻めにし始める。

 長い年月というのは、いったいどの程度なのか。

 術式の展開に陣や言霊を必要としないのはどうしてか。

 飲み食いもせずに生きていられる——肉体を形作れるのは何故か。

 いつも通りの術師らしい姿ではあるが……本当に遠慮も躊躇も無いのね、君……

「あはは……どうして、か。どうしてだろうね。

 人間が六十年ほどで死んでしまう理由も、魔術に言霊が必要な理由も、ご飯が身体を作ってくれる理由も、結局のところイマイチ説明出来ないだろう?

 それと同じ、魔女とはそういう仕組みで存在する……としか言いようが無い」

 ごめんね。と、マーリンさんはミラの頭を撫でて……どういうわけか僕の方をチラリと見て笑った。

 安堵……だろうか。ホッとしてつい頬が緩んだ……って感じの、のんびりした笑顔だ。

 それは……打ち明けて、気味悪がられたらどうしよう……と、まだ悩んでたから……?

「うん、大丈夫そうだ。アギト、君にはやっぱり特別変なことは起こってないみたいだ。

 今のは抜き打ちの最終確認……妙な出来事、存在との対面が、君の影響力をどう作用させるのかの確認だったんだよ。

 それも晴れてクリアとなれば、さて……そろそろだね」

「抜き打ちの……えっと、ストレスが影響力にどうこう……って、マグルさんと一緒に検査してた時の話ですか?」

 ミラは眼を丸くしてキョトンとしていて、それからすぐにハッとして僕の顔を見た。

 マーリンさんは僕の問いに小さく頷いて……それって……

「今晩、早速だけど再接続を試みようか。出来ればアーヴィンで——一番縁の強い場所でと思ったけど、この街も大概君の身体と馴染んでるだろう。

 ミラちゃんがいて、僕がいて。ハークスのものとは違うけど、僕の工房もまだ使える。条件は完璧に近いと言えるだろう」

 安心して身を任せておくれ。と、マーリンさんはそう言うと、僕の頭をぽんぽんと撫でた。

 再接続——アギトと秋人の切り替わりを再びオンにする。

 それが……い、いきなり今日なの⁈ ちょっ……ま、待って、心の準備が……

「というわけで、だ。明日の朝——いいや、君にとっては三日後の朝か。きちんと繋がってるかどうか報告してくれたまえ。それじゃあ今晩は早く寝ること、良いね?」

「……? あ、はい……分かりまし…………ッ⁈ えっ⁈ まさかもう——っ⁉︎」

 久しぶりのやつだこれ⁉︎

 ちょっ、ちょちょちょちょっと待って⁉︎ 早い早い、展開が早い!

 雑談だったじゃないか! さっきまで、完全に雑談タイムだったじゃないか!

 それを……ひ、久しぶりのやつだ……完全無詠唱の召喚術式……っ。

「あはは、変に身構えられてもやり難くなるからね。

 ミラちゃんという抜群の縁があって、もともとそのつもりで準備してた式が僕の中に残ってて、そして憂いのほとんどが取り除かれた。だったら、躊躇する必要も無いだろう?」

「相談する必要はあったと思います⁉︎ えっ? ほ、本当に……? 本当にいきなり今晩……」

 そもそもここへ来たのだっていきなりだっただろうに……なんてマーリンさんに呆れられてみれば……確かに。

 事前告知なんてあるわけもなく、僕はいきなりアーヴィンに呼び出されて…………ミラに水ぶっかけられたんだったわ。

 で、でも……ええっ⁈ そ、そういうのってもっと大掛かりなイベントと言うか……送別会……は必要無いか、こっちにも残るんだし。で、でも……

「嫌だった……わけないよね。

 難しく考えないで、アギト。君は日常に戻るんだ。

 それも、何か嫌な出来事から脱するわけじゃない。

 大病を完治させて退院するんじゃない、日常から日常へと帰るんだ。

 そこに劇的な出来事なんて必要無いだろう?」

「くっ……そ、そう言われると……そうですけど……っ」

 でも! もっとこう……いや、もう何言っても手遅れだ。

 やっちゃった。と、事後報告をいただいてる以上、僕はそれに逆らったり捻じ曲げたり取り消させたりなんて出来ない。受け入れて帰るしかないのだ。

 いや、なんで嫌々帰る風なんだ。喜んで帰るよ。

 喜んで……ああ、そう。喜ぶ必要も無いから日常なのね。

 ふーん。なんとも不服だけど、ちょっとだけ理屈は分かったわ。不服だけど。




————トプン————と、身体が沈んで行くのが分かった。

 気持ちいつもより水の抵抗が少ない……のは、きっとそれが元あるべき世界だからだ。

 世界にも異物を弾き出そうとする力みたいなのがあるんだろう、知らないけどさ。

「……本当にまたここへ……はあ」

 今までここへ来る時は、大体高いモチベーションと一緒だった。

 だっただけに……こう……やっぱり納得出来ねえ感が。

「いや、良いんだけどさ……ああもう、すっごい速さで……」

 身体は本当にみるみるうちに沈んで行く。

 今までに無い速さ……だけど、これ大丈夫? 急激に水圧が変わると……みたいな話無い? なんてボケを考えてると、水底でいつもの人影と対面した。

 小柄で、優しげで、そして大きな翼を片方だけ背負った影。

 多分……だけど、これが最後なんだろうな。日常に戻るという言い方を思えば……

「……じゃ、最後だし……な。うん」

 ありがとうございました。僕はそう言って頭を下げる。

 浮力の所為で上手いこと礼も出来なかったけど、それでも伝えたいことは伝わっただろう。

 と言うか……ここでのやり取り、本人に知られてるんだろうか。

 どっちでも良いけど……出来れば知られてない方が……

 身体はぐんぐん浮かび始めた。これもまた物凄い勢いで……あっ、ちょっ、もう明るい! ほんと、全然風情とか何も無いじゃ————




 知らない匂いがあった。

 木の匂いでも、草の匂いでも、土の匂いでもない。

 アーヴィンでも、王都でも、そして秋人の部屋でもない。

 アルコールの匂い——とにかく清潔なんだろうとだけ分かる匂い。

 うん……ああ、そうだろうな。そうだろうよ。

「————ぅ——っ————」

 声が上手く出ない。まあ……どれだけ時間が経ったんだって話だからね。

 眼をゆっくり開けたんだけど、白い天井が眩し過ぎてすぐに閉じてしまった。

 身体を動かそうと思っても……な、なんか……変な感じする。腕になんか付いて……点滴かな?

 とりあえず分かってることは……もう、軽くて丈夫なアギトの身体じゃないんだな、ってことだけ。

 なんか鞄のキャッチコピーみたいになった気がしたな?

「————アキトさん————? アキトさん————っ!」

 声が聞こえた。可愛らしい声、透き通ってて綺麗な女の子の声。

 凄く凄く聞き心地の良い、癒される声。

 そして、聞き覚えのある…………ここで聞くとは全く思ってなかった声じゃね?

「——っ⁈ は……な……」

「——アキトさん——っ! 起きた……アキトさん……起き————」

 ゆっくり、そーっと。もう一回慎重に眼を開ける。

 見えたのはやっぱり真っ白で眩しい天井……と、そして覗き込んで来る女の子の顔。

 涙を両目にいっぱい浮かべて、凄く凄く心配そうな……じゃない、か。

 嬉しそうな顔をしてくれている、花渕さんの綺麗な顔。

「——っ。アキ——っ——ぅ……ぅえぇぇえんっ! アキトさん……アキトさん……やっと——っ!」

 こぼれ落ちた涙が頬に触れて、その熱にやっと身体の感覚が戻ってくる。

 痺れて……る。重たい。全然良い気分じゃない、露骨に体調も悪い。

 でも……すぐに僕の中に生まれた感情が——言葉があった。

——ただいま——。ふざけたわけでもかっこつけたわけでもなかったけど、なんだかクサいセリフを口にした気がする。

 でも……うん。ただいま。

 秋人ぼくはやっと帰って来たよ。


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