第二百九十二話【穴ぼこだらけ】
ゴートマンの変死事件について、ミラが証人として議会に呼ばれるだろう。
そのことをマーリンさんから聞かされた翌日、王都よりの正式な命令がミラの元に届いた。
二日後に開かれる議会の場において、ゴートマンの逮捕の瞬間について詳しく説明して欲しい……と。
その言葉は丁寧なものだったし、使者としてやって来た騎士も凄く申し訳なさそうな顔をしていた。
そして、その二日というのはあっという間だった。
他の特別な目的も無く、仲間が離れて行く喪失感と、議会への出席という初めての出来事への不安から寝付けない夜が続いたくせに、一日一日は本当に一瞬で過ぎてしまった。
けれど、本当に早かったのはそこからで……
「——契約術式——これについては、私からも証言させて頂きます。
それ自体は確実に存在する——と。かの男——ゴートマンは間違いなくこの特別な魔術式を用い、或いは強制され、人並外れた能力を有していました。
ここにいるミラ=ハークスも身体強化の魔術を行使しますが、しかしそれとは段階の違うものだったと言えるでしょう」
議会の進行はスムーズだった。
そして、やはりと言うか……ゴートマンを捕らえる際、ミラがやり過ぎてしまったんじゃないかという議題が上がった。
けれど、ミラはそれに対して感情的にならず、淡々と説明を繰り返した。
その中で出た契約術式について、マーリンさんも加わって詳しい解説が……始まったらしいんだけどさ。
「……お、俺は本当にここに居て良いんだろうか……?」
僕は相変わらず蚊帳の外だった。
いや、まあ……求められても役には立てないんだけどさ。
別に、周りの誰もミラを責めようとする意図を見せなかった。
ただ冷静に、そういう可能性もあるんじゃないか……って、そう言ってるだけに見える。
僕が呑気だからそう見えるだけで、実は腹の中では……とかだったら知らない。
「ここより遥か東、遠い異国——或いは大陸よりも外の魔術式だという伝承もあります。
少なくとも、この国においては修めるもののいない伝説上の魔術でしょう。
しかし、その男に掛けられていた契約は事実です。
一日にひとりを殺める。恐らくはその不履行が引き起こした死であると考えられます」
「ふむ……この巫女の意見について、同じく術師家系の出身であるイェルド議員の意見を聞きたい」
議会を取り仕切っているのは王様で、ミラと一緒に発言してくれるのはマーリンさん。文字通り頼もしい味方がふたりも付いてる。
そりゃあ、こういう場でどちらかに肩入れするってことも無いだろうけど、理不尽な判定は下され難いだろう。
そんな安心感を感じられるくらい、僕はぼけーっと外から……いえ、すぐそばからミラの背中を眺めていた。
「ごほん。ご指名頂きましたので発言いたします。
契約術式とは、確かに言い伝えとして存在します。
術師五家であるハークス家、その当主たるミラ=ハークス氏。そして星見の巫女であるマーリン様。
両名であれば、僅かしか知らされていないその式に精通していても不自然ではないかと。
しかし、それが術式の証明とはならず、式の反作用による死であるとは、些か不自然な解釈であると言わざるを得ません」
「周知されていなければ、当然都合の良い解釈を加えられる。成る程納得の弁である。
これに対して、天の勇者、及び巫女からの意見を求める」
王様の取り仕切りによって、マーリンさんと反対側に座ってる細身の議員とが交互に立ち上がっては発言を繰り返す。
証明しようの無い因果であり、その可能性を覆すことは難しい。
しかし、ミラ=ハークスに過失が無かったことは容易に証明出来る。
収監の際には必ず身体検査、調査が行われ、罪人の健康状態は優良であると判断が下っている筈。
そんなマーリンさんの答弁に、議員はまた別の疑問をぶつける。ふむ……信じる為に疑う……か。
「遅効性の毒を盛る、時限式の術式を仕掛ける。確かに、彼女の腕前であればそれも可能でしょう。
しかし、彼女にはそれをする理由が無い。
ご存知の通り、かつての道のりにて彼女はあの男と因縁があります。
当然、その際の恨みがあるとも思われてしまうでしょう。
ですが、彼女の精神性が、そういった怨恨による愚を選ばないことは、皆様も既に知っておられましょう。
天の勇者は、その在り方が故に救国の徒と成り得た。
唾棄すべき悪にも赦しを与えてきた彼女に、殺人の謂れはありません」
「然り。然りである。天の勇者、ミラ=ハークスの人間性については、誰もが認めるところであろう。
かの戦いより以前にも国の為に尽力し、その後もその膂力を以て故郷アーヴィン近郊で魔獣を撃退し続けた。
勇者の人間性、精神性については、疑う余地無しとしたい。意見のある者は挙手を」
右から左、左から右へと意見と反対意見を素通しし続けた王様の言葉が変わった。
それは、この議論の終了を意味していた。
さっきまでミラやマーリンさんを疑う発言ばかりを繰り返していた反対側の議員も皆、一様に安堵の表情で両手を膝の上に収めている。
じゃあ……うん。これでもう全部が終わって……
「——デポット議員、発言を」
やっと帰れる……と、思った矢先、ゆっくりと天井に向けて伸びた手に王様は議会の続行を宣告した。
手を挙げたのは特に背の高い、けれど細身の若い議員だった。
その表情はどこか自信無さげと言うか、オドオドしてて……もしかしたら、まだ議員になりたてなのかもしれないと思わせるものだった。
「……発言させて頂きます。ミラ=ハークス様の人格について、私も疑う余地無しと判断いたします。
いたしますが……しかし、この議会の場において、ハークス様と巫女様に絶対の信頼があると断言することは出来ません」
「ほう。信頼し、信用し、しかしそれでも疑う余地がある——この場においてのみ疑わしいと。して、その理由は」
デポット議員はまだ少し怯えた顔をしていて、それでもピンと背筋を伸ばしてこちらをじっと見つめて…………? ん? あ、あれ……? 目が合った……気がする……?
「こ、この場において不必要な人物を招き、議会の進行を妨げようとした意図が全く無いと断言するのは難しいかと思われます。
議論に加わるでも資料を準備するでも、また両名の補佐をするでもなく座っている少年の存在が、この場を撹乱させる意図を孕んでいないという証明をお願いしたく思います」
「…………然り。また、それも然りである。
巫女よりの事前申告により、ハークスの補佐、及び発言権を得ての同席となったアギトではあるが、しかし今日の議会においてその役割の全てに関与しておらず。
これについて、巫女及び当人からの意見を求める」
うげ——っ⁈ ぼ、ぼぼぼ僕か⁉︎ 僕が黙って見てただけの一般人だったから疑われてんのか⁈
大慌てでバタつく僕に、議員のみんなも次第に不審な目を向け始めてしまう。
い、いかん! 僕の所為で! 僕の所為で僕が早く帰れない!
「落ち着いて、アギト。大丈夫だから、しゃんとしてて。
ごほん。では、発言させて頂きます。
この者の名はアギト。私の弟子であり、またもうひとりの勇者です。
同席を許可頂いたのは、ミラ=ハークスの精神状態を鑑みて——まだ幼い少女の精神衛生を守る為であり、同時に私では知り得ない事情への質疑応答に備えてのことです。
発言が無かった、不参加のように感じられたのは、彼が必要とされる事態に陥らなかったからです」
「此度の議会、十分な議論が交わされたと判断する。然るに、少年に発言の余地が無かったと。
それでは、ハークス及び星見の巫女は、過剰な備えをなんらかの対策として許可させたということか」
う、うう……っ。ま、まずい展開なのでは……?
すこしざわつきだした議員の顔は、段々と疑念の色に染まって僕へと冷たい目を向け始める。
ミラは……どうしてか凛とした態度を貫いているが、マーリンさんには少し焦りが見える。
そして…………僕のことを思い出している、僕がなんなのか知っている、ミラとの関係を——その事情を、勇者の片割れであることを知っている王様は、早くなんとかせいと言わんばかりの視線を時たま僕に送っていた。
む、無茶! それは僕に出来ることではないです‼︎
「——彼の同席をマーリン様に申し出たのは私です。それがこのような誤解を生んでしまったことをお詫びします。それと同時に、彼についての説明も私から」
「み、ミラちゃん……? 大丈夫? で、出来る……?」
任せてください。と、ミラは小さく頷いて、そして王様からの許可を待った。
では、ミラ=ハークスに発言を求める。王様のそのひと言に、みんなの視線は僕からミラへと移された。
「……皆様の中にも、大小の差はあれど、確かに存在するものがある筈です。
それは、かつての戦い——魔王の討伐作戦における、記憶の欠落。
意識、思い出の欠如とも言い換えることが出来るでしょう。
特に私を——まだ勇者として認められる前の私をご存知の方ほど、その穴は大きなものだと思います」
彼はその穴を補完する者です。ミラはそう言って、そして議会には短い沈黙が訪れた。
説明としては不十分で、それで何かが解決するものでもなかった。
けれど、ミラはそれだけ言ってゆっくり席に着いてしまったのだ。
こ、ここへ来てもなお説明の足りない術師脳が……
「……ミラ=ハークスよりの追加の説明を求める。
記憶の欠落、欠如。確かにそれは余の中にもあった。
ここにいる皆にも——いいや、かつてその偉業を見届けたこの国の誰の中にも存在するのだろう。それは良い。
しかし、それとその少年とを結び付けるのであれば、その解を説明する義務がある。もう一度発言を」
ええ、今のじゃダメなの。と、そう言いたげな悪ガキはゆっくりと立ち上がり、どうしたものかと頭を抱え始めてしまった。
ちょっ、お前まじでさっきのでオッケーだと思って任せろなんて言ったのかよ。な、なんてやつだ。
でも、ミラはちょっと悩んだ末にすぐ前を向いて、そして……取り繕った笑顔で説明を付け加えた。
「……彼は過去の私を知る者です。マーリン様のお弟子様であり、そして私の旅を見ていた者でもある。
彼に求めたのは、私自身の中にある欠如への恐怖の克服と、そして欠如の奥にある疑問が出てきた時の為の備え。
初めてのことで不慣れでしたので、十分だと思える準備の線引きが出来ず混乱させてしまいました。申し訳ありません」
ミラは何かを噛み殺して、そしていつもの下手くそな嘘とは違う、誤魔化した言葉で納得のいく答えを提出した。
きっとみんなも彼女の違和感には気付いただろうが、しかし実際に内側に存在する欠如への不安や返答の自然さに、反論しようとまではしなかった。
これにて議会を終了する。そんな王様の言葉で、広い部屋の中の重苦しい空気は取り払われた。
これで良かったのかな……と、どこからか湧いてきた不安を抱えて、僕はふたりと一緒に帰途に就いた。




