第九十二話
僕達は朝から賑わうボルツの街並みを望みながら、優雅に朝食を食べていた。オックスの案内のもと、繁華街から少し離れた丘の上にあるレストランへとやってきたのだ。なんて……なんてセレブリティな朝!
「〜〜〜っ! っ‼︎」
「わかった……わかったから飲み込んでから喋れ? な?」
気品など何処かに置き忘れてきた様に口いっぱいにチキンサンドを頬張るミラに、僕はつい最近も言った様な事を言う。お願いだから人前ではちゃんとしてなさいよ……
「あー……ところで、お二人はこの後どうする予定で?」
オックスは今朝からなにやら様子が変だ。決して、決してやましいことは無かった。と、必死で説明はしたのだが……ううむ。普段と同じつもりでミラを背負って部屋を出たのが不味かったのか、丁度鉢合わせた彼が随分と余所余所しい。違うんですよ、決して。決していかがわしい事とか。ただちょっと寝具として。などとは説明出来るわけも無く、僕はこの後の事を打ち合わせていてミラがミラが寝落ちしたんだよ。と、それらしく嘘を吐いてみたのだが……信じて貰えていないのだろうな。
「もごもご……ごくん。このまま王都へ向かうわ。と言っても馬車には乗らない、徒歩の旅だけど」
「やっぱり乗らない。乗らないのね? 乗らないのですか?」
僕はせがむ用に彼女に質問する。当然。と、一笑に付された僕の淡い期待など、この少女は両手に持ったホットサンドごと丸呑みにしてしまうのだろう。お金に余裕が出来たのだから、馬車くらい乗ったら良いのに……
「そうっスか……お元気で。またアーヴィンに遊びに行きますんで、土産話期待してるっスよ」
「「えっ? 来ないの?」」
オックスは随分と不思議そうな顔をした。僕とミラは互いに全く同じ事を言い、全く同じタイミングで顔を付き合わせる。いや……考えてみれば……うん。
「……そ、そうだよな。ゲンさんの手紙…………伝言を伝えに来たんだったもんな。そりゃ……終われば帰るよ…………な」
「……そうよね……オックスにもやりたい事とやるべき事があるわけだし……」
勝手に彼もついて来るものだとばかり……いえ、彼がついて来る理由なんて何も無いし、何を根拠にそう思ったかと聞かれると…………ついて来てほしかっただけなんだけど……
「な……なんスか二人して。そりゃあ面白そうだとは思うっスけど……」
「いや……勝手にごめん。なんて言うか……そろそろ仲間が増えるチャプターかな、って……」
二人して僕の伝わらないボケに首を傾げた。だってそうじゃないか。そろそろもう一人……戦士兼魔法使い兼賢者みたいなミラと、荷物持ち兼寝具な僕。そろそろもう一人加わる頃だろう? 力自慢の剣士とか、癒し魔術が得意な僧侶とか。
「よ、よくわかんないっスけど……大体、オレが付いてって良いんスか? その……お邪魔虫だと思うんスけど……」
「違うんですって。オックスさん、ほんと違うんですってば」
不思議そうな顔をして次なる美味を貪り始める当事者を他所に、僕はオックスに弁明する。その誤解は本当に勘弁してくれ。僕の精神衛生上よろしくないんだ、本当の本当に。コレにその気は無いし、もう僕にもそういう気は無い。多分。あくまでコイツは妹ポジであってだな……
「でも……そうか……来ないか。来ないのか……はぁ。手のかかるミラの世話を手伝って貰えると思ったのに……」
「……いもうと……妹ぉ⁉︎ ちょっとアギト⁉︎ アンタまさか、それ私の事言ってないでしょうねぇ⁉︎」
言うよ言ったよ言いましたとも、なんなら貴女の名前に直接ルビを振りましたもの。自分でもう家族みたいなもんだって言い出したんじゃないですか。そしたら配役はどう考えてもお兄ちゃんと妹の二……えっ? もしかして……ミラ……? そんなっ……もしかして僕の事……っ⁉︎ 待って! まだ心の準備がっ⁉︎
「どう考えても私がお姉さんでしょうが! 世話の焼ける弟の面倒を! オックスに一緒に見て貰うのよ!」
「はぁーーーーっ⁉︎ どこの⁉︎ どいつが⁉︎ お姉さんですって⁉︎ もしかして⁉︎ この小さい小さいお寝坊さんの事かなぁ⁉︎」
おう上等だ表出ろぉう! 僕らは人目も憚らず胸ぐらを掴みあった。だーれが弟じゃい! いえ、実際末っ子なんで弟なんですけど。そうではなく。どうやらここは兄としての威厳を見せつけてやらねばならないようだな……?
「私の後ろに隠れてガッタガタ震えてんのは何処のどいつよ! いっつもいつもミラ、ミラ、って後について回ってんだから、アンタが弟よ!」
「いーーーーつ俺がお前の後について回ったよ⁉︎ お前が暴走するから、制御しようとわざわざ振り回されてまで付き合ってやってんだろうが! お? お金の管理すらままならず、考え無しに徒歩の旅なんて始めるお姉ちゃんが何処の世界に居ますかね⁉︎」
ミラは僕の耳を、僕はミラの鼻を摘んで互いに引っ張りあいながら子供みたいな喧嘩をした。いや、完全に子供の喧嘩だ。頭ではその不毛さが分かっているし、それの見苦しさも分かっているのだが……いかん! こんな所で煽り耐性ゼロのネット弁慶が足を引っ張る!
「私がいなかったらクリフィアで今頃のたれ死んでんのよ、アンタなんか! それにクリフィアからここまでの間! お金を稼いだのだって私! 宿をとったのも私! ぜーんぶ私が! やったんでしょうが!」
「お前がいなかったら今頃アーヴィンでゆったりスローライフじゃわい! 大体、俺が愛想つかして出てった時ぴーぴー泣いてたのは何処のどい……あっ、いや……」
ミラの顔が一気に熟れたトマトみたいな赤色になった。しまった、地雷踏み抜いた。後悔したのはその鉄拳が振り上げられた時のことだった……のだが…………
「…………? ミラ……?」
羞恥に顔を歪め、息を荒げたまま彼女は拳を抱え込む。どうした事だこれは。
「…………お姉さんだから。私はお姉さんだから。弟の、可愛い弟の妄言の一つや二つ位は。見逃してあげようじゃないのよ」
「……悪かったよ。お前がお姉さんだ」
立派になって。もうコレで何処に出しても恥ずかしくない、見栄っ張りな妹で確定だな。僕は心の中で頷いた。しかし……うん。僕の方もカッとなりすぎたと言うか大人気なかったと言うか。反省しよう。
「こうしよう。俺は弟、ミラも妹。公平な関係で手を打とうじゃないか」
「……良いわ。弟の要求も聞き入れましょう、お姉さんだもの」
こいつ! 僕らはまた取っ組み合う。反省とか考えた僕が馬鹿だった!
「やーーっ! 私がお姉さん!」
「駄々っ子! 我儘娘! 俺がお兄さん!」
ええい聞き分けのない! お前の何処がお姉さんだ! こんなモチモチしやがって! モチモチは無いくせに! ほっぺばっかりモチモチしやがって!
「……お、お二人さーん……? すっかり注目の的っスよー……?」
「「オックスはどっちの弟⁉︎」」
俺は一人っ子っス。と、オックスは力無く答えた。これでは拉致があかない……大体一人じゃ眠れないお前が妹なのは確定的に明らかだろ! という切り札はあまりにも諸刃の剣過ぎて使えない。どうやって分からせる……この、僕に備わったお兄さん力を。
「…………怖くて一人じゃ眠れないって泣きついて来たくせに」
「えっ……アギトさん……?」
不機嫌そうに呟いたミラの一言で、オックスは勿論、周りに集まって来ていた見ず知らずの野次馬達の軽蔑の視線を僕は一手に引き受けることとなった。ちっ、ちがう! 違うんで……それは卑怯だぞ! 人が使えない切り札を……おまえええ!
「おまっ…………おま……おまえええ! それはお前……ダメだろお! それっ……おまええええ!」
「それだけじゃないでしょ? 初めて会った時だって、不安で不安で泣き出しちゃったアンタを私が……」
やめろおおおお! 僕は雄叫びとともにミラの口を両手で塞ぎにかかる。やめ……違うんです! この子が……っ! この子は嘘を吐いているんです‼︎
「いい加減認めたらいいじゃない! 昨日の晩だって情けない顔で泣きついて——」
「——やめろおおお! 誤解を招くようなことばっか言うんじゃありません! おま……ちち違うんです! 皆さん違うんです! オックス⁉︎ そんな顔しないで⁉︎ 俺達友達だろ⁉︎」
半泣きの少女と僕とでは信頼度が違う。結局、僕はいらぬ汚名とオックスの不信を手に入れた。もう数時間も居る予定は無いのだが、今すぐにでもこの街を発ちたいと思う快晴の朝となった。