第二百九十一話【遺】
「ふんむ……まあ、なんだな」
「これで絶対安心ってわけでもないけど……そうだね」
ふわぁ。と、可愛らしい欠伸が聞こえた気がする。
けれど僕はその主を探す余裕も無く、ぐったりと地面に転がっていた。
マグルさんとマーリンさんによる悪ノリ……もとい、検査はどうやら終わったらしい。らしいけど……
「……な、なんか……痛めつけられた甲斐の無い言葉が聞こえた気がするんですけど……」
「あはは……いやいや、でも結構色々試したと思うよ?
未来は何が起こるか分からない、とんでもないタイミングで何かが起こっちゃうかもしれないけど……そんなの、君に影響力があろうと無かろうと同じだしね。それに、分からないからこそ楽しいとも言えるさ」
いや、未来視が使えたマーリンさんに言われてもね?
お疲れ様と労ってはくれたものの……ものの……まあ、良いか。
頭を撫でられるとね、怒る気とか失せるよね。でへ。
「さて、それじゃあ……一応、マグルからもアギトの健康状態を確認してやって欲しい。魔術の使えない今の僕じゃ、見落としがあるかもしれないからね」
「承った。どれ、小僧っ子。そのまま力を抜いてみい。裏向きのままで構わん」
裏向きって……僕は魚の切り身じゃないんだぞ、まったく。
うつ伏せのままだらーっと力を抜いていると、何やらボソボソと言霊が……いや、詠唱か? その違いは未だにはっきり理解出来てないけど、何か魔術を行使しようとしていることだけは分かった。
「……むにゃ……? ん……マーリン様……? この魔力は……お爺さん……」
「おや、おはようミラちゃん。よく眠れたかい? 今朝はちょっとばかし早起きだったからね、眠たければもう少し寝てても良いよ?」
いえ。と、ミラは目を擦りながらもマーリンさんから離れ、やっとこさ僕の方へと近寄って来てくれた。
色々やったみたいだけど平気だった? 大丈夫? と、心配してくれているんだろうか。してくれているんだろう。だって我が愛しのマイシスターなのだから。
それはもう間違いなく……
「……わあ……お爺さん、それも結界魔術……なんですよね? ふむふむ……範囲内を詳しく調べる……私の結界とは少し目的が違うけど、やり方は近いのかしら。むむ……」
「ばっはっは! そうさな、娘っ子の探知結界とは確かに似ておるかもしれんの。これはだのぅ……」
……心配なんてしてくれてないと思ってました。
ええ、愛しのマイシスターですから、考えなんて手に取るように分かりますとも。
「……? アギト? なんでアンタがちょっと不満そうな顔してるのよ。マーリン様と先代の魔術翁が揃ってアンタひとりの為に検査してくれてるのよ? もっとありがたがりなさい」
「……そうだな。ふたりには色々やって貰ったよ。色々……やられたとも言うけど」
ふたりには、ね。お前は何もしてくれなかったな、最後まで結局。まあ、良いけどさ。
マグルさんは今使ってる……何……? 結界……らしいけど、効果については僕じゃ分からない、説明してくれてない魔術をミラに説明しながら、手早く僕の身体を調べてくれた。
仰向けになる時にミラが乱暴に転がした以外、もう僕の身体にも心にもダメージは与えられなかった。ぐすん……
「ふんむ、良しだの。ちぃと妙な魔力痕もあるが……これは娘っ子の治癒の跡かの。身体中、至る所に繋ぎ合わせたような……」
「うげっ……ま、マグル。その件は見なかったことにしておいて。この子はちょっと訳ありなんだ」
なんじゃ、一度バラバラにして組み立て直しでもしたかの? ばっはっは。なんてマグルさんが笑うから……僕もマーリンさんも脂汗を滝のようにかく羽目になってしまった。
お、おっかねえ……この人相手だとそういうのバレるんだ……っ。
流石に突拍子も無さ過ぎて、そんな答えには至らなかったのだろう。
まさか、目の前の男が本当にバラバラから生き返っているなどとは……
「……さて。じゃあこれでお別れだね、マグル。召喚術式の手伝い、本当に助かった。心からお礼を言うよ、ありがとう。
お前がいなかったら……僕だけじゃきっと、何も成せなかった。本当に本当にありがとう」
「む……? なんじゃ、突然改まって。そうさな……もう用が無いとなれば確かに帰っても良いのだが、ここでしか出来ぬ実験もある。それを何やらしばらくの別れのように……」
ああ、えっと……。と、マーリンさんは言葉を濁して、そして苦笑いでこの後の近い未来を予言する。
きっとお前は、とんでもない力に引っ張られてこの街を去るだろう。
抗っても抗い切れない、必ず押し流される。
次世代の波は、とっくに僕達の手に負えない高さまで来てるんだ、と。
「だから……うん。またね、マグル。そのうち会いに行くよ、きっと」
「うんむ。何やらよく分からんが、お主が言うのならそうなるのだろう。何せ、星見を司る巫女殿なのだからの。ばっはっは!」
マーリンさんに続いて僕もミラも頭を下げて、そして先代魔術翁の仮工房を後にした。
次世代の波……か。確かに彼は、とんでもない力でマグルさんを説得しに行くだろう。
いや、もはや拉致みたいな手段を取るかもしれない。
そこは……うん、やっぱり常識と倫理観の壊れた術師のひとりだからね。
「さーて、帰ろうか。朝ごはんの手伝い、今からならまだ間に合うだろう。エルゥには昨日いっぱい頑張って貰ったからね、今朝くらいは僕達で労ってあげないと」
「そう思うならいつも手伝いを……いえ、せっかくのやる気に水を差すのは悪手か」
手厳しいことを言うね……ってマーリンさんが苦笑いしてくれたおかげで、なんとかミラに噛まれるのだけは避けられた。
あとコンマ数秒遅れてたら手遅れだった、ナイス反省。
そうと決まればなんて誰が言い出したか、僕達は少し人通りの増え始めた繁華街を走って家に帰った。
家……うん、家。あそこも僕達の家だ。
三日経った。
そしてその報せは、夕方に王宮から帰って来たマーリンさんの口から聞かされる。
ベルベット=ジューリクトンと先代魔術翁は、どうやら王都を出発したらしい、と。
「……結局、一回も顔出さなかったですね、ベルベット君。お別れの挨拶くらいちゃんとしたかったけどなぁ」
「照れ臭かったんだろう。それと、これはきっとオックスにも言えることだけど、また会えるって確信があるのさ。
或いは、また何回でも会おうと腹に決めている、とかね」
それこそ、研究所を抜け出してでも。マーリンさんのその言葉には妙な説得力があった。
でもそれは別に、かの副所長殿の失踪癖が理由ではない。ベルベット君が本気でマーリンさんのことを好いているってのが分かってるから。
いつか絶対に会いに来るだろう。
「さて……と。今のはちょっとだけ寂しいお知らせ。本題……悪い知らせもある。ミラちゃんは……今どこに?」
「悪い知らせ……ですか。ミラは買い出しに出てます、晩御飯の」
そっか。じゃあ少しだけ待とう。そう言ってマーリンさんは分厚いローブを脱ぎ捨てて……ちょっ、だから人前で脱がないで。分かっててもドキドキしちゃうでしょうが。
「何かあったんですか……? その……久しぶりと言うか、珍しいと言うか。昔の旅でも、そういうのは俺達に伏せてるイメージが……」
「あはは……そうだね、あの頃の君達が相手ならやっぱり伏せて隠し通しただろう。でも、もうそんな弱い子供じゃない。
この世界を護った勇者、幾つもの世界と希望を救った旅人。
僕よりもずっと頼もしくなった今の君達に中途半端な気遣いなんてしたら、それこそ失礼だろうってね」
またそうやっておだてて……僕達がマーリンさんより頼もしいなんて話があるものか。
いやまあ……戦うって意味ならミラの方が、ね?
僕も……僕は……僕には勝てそうじゃない? だってほら、運動神経良いし、マーリンさんの方が。
「それに、君達にも関わりの深い問題だからね。知っておいて貰うべきだろう」
「俺達にも……ですか。今日はその件で王宮から呼び出しが?」
呼び出しって言うんじゃない。と、ちょっと肩を落としたマーリンさんだが、しかし呼び出しで間違いないだろうよ。
こんなとこで油売ってないでこっち来て働け、と。
そう、マーリンさんは王宮へと行っていた。
今朝早くに使いがやって来て、どうしても議会に出席して頂きたい……とかなんとかで。
ただいまー。エルゥ、晩御飯何ー? と、ちょっとだけ遠くから声が聞こえた。ミラが帰って来たんだ。
どうやら、帰ったら部屋に来させるようにとエルゥさんにお願いしてあったらしい。
マーリンさんはせかせかとローブのポケットから紙束……資料を取り出して、説明の準備を始めていた。
「ただいま帰りました。マーリン様、お疲れ様です。私に話がある……と、エルゥから聞きましたが……」
「うん、おかえり。そうだね、君達に話がある。と、その前に……アギトにもちらっと話したけど……」
ベルベット君とマグルさんが出発したという情報を伝えられると、ミラはなんだかやる気に満ちた顔でふんふんと鼻を鳴らした。
負けてらんないわ……かな? でも……ちょっと意外というか、もっと寂しがるかと……
「それで……これからが君達ふたりに聞いて貰いたい嫌な知らせだ。本当に気分の悪い話だから、ちょっとだけ覚悟して聞いて欲しい」
うげっ……でも、聞かないわけにもいかないんだよな……
ミラはいつでも平気ですって顔でマーリンさんを待ってるから……ぐぐぐ。僕だって平気だい! さあ、なんでもきんしゃい!
「……昨夜、獄中にてゴートマンの死亡が確認された。
自害でも病死でも、餓死でも衰弱死でもない。
恐らくは……契約の不履行——人を殺さなさ過ぎたことによる呪殺だろう」
ゴートマンが……っ⁈ あんなバケモノみたいな奴が……っ。
それに、契約術式ってそんなデメリットがあんのか……と、いろんな動揺がいっぺんに押し寄せる。
でも……何より驚いたのは、その報せに僕の胸が痛んだことだ。
あんなに憎んでいた、嫌っていた男の死を、僕はどうやら悼んでいるらしい。
「この件で、ミラちゃんにも証人として議会から声が掛かるだろう。アイツを直接取り押さえたのは君だからね。
もしかしたら……だけど。やり過ぎだったんじゃないか……って、責められる可能性もある。
でも、どうか心を惑わされないように。
君の行いは間違っていなかった。何を言われても自分を責めないでね」
契約術式なんてものが公に知られていないなら——マーリンさんですら詳しくないのなら、確かに逮捕の際に過剰な攻撃を加えてしまったからだと思われても仕方ない……か。でも……っ。
納得いかない。そんな、ミラを悪者みたいに……
「バカアギト。違うわよ、全然。私はあの場で起こった真実を説明しに行くだけ。その中でいろんな人の疑問を解消してあげるの。
信じる為にはまず疑うこと。アンタ、忘れたんじゃないでしょうね」
「っ! わ、忘れては……ないけど……」
それは王様の言葉だった。
マーリンさんを心の底から信じる為に——魔人の集いと無関係だって証明する為に、僕達は一度この人を徹底的に疑った。
忘れてはないけど……や、やっぱり身近な人を相手に嫌疑の目を向けるってのは難しいよ……
「アギトの同席も許可して貰ったから、君も僕と一緒にミラちゃんの補佐をするんだよ。
中々機会の無いことだからね、緊張もするだろう。
でも、そもそもを思えば、君もこういうことする筈だったんだ。
だったら、いっそここから天の勇者の片割れとして再出発するつもりで頑張ろう」
「再出発……な、なるほど。よし……」
いや、何も良くない。めっちゃお腹痛い。せめて……せめて晩御飯の後にして欲しかった……っ。
確かに……その、そういうことする日もいつか来るのかなぁ……とか、考えたよ。
でも……その覚悟からいったいどれだけの日が経ってると思ってんじゃい……っ。
美味しい晩御飯を前にも胃痛に悩まされ続けながら、僕はその議会への出席とやらに苦悶し続けた。い、胃が……




