第二百八十七話【また、ひとり】
その日は僕とミラでエルゥさんを手伝って、短いお昼休憩を挟んで夕方までずっと働き続けた。
クエストカウンター……もとい、職業斡旋所……? 人と仕事を結び付けるこの小さな役所には、以前ほどの人は集まらなかった。
以前ほど仕事に溢れてはいなかった。忙しかったけどね、それでも。
「お疲れ様でした、ふたりとも。マーリンちゃんを呼んで来て、そのままテーブルで待っててください。すぐに晩御飯の支度をしますから」
「あ、ありがとうございます……でも、俺達も手伝いますよ。もちろんマーリンさんにも手伝わせます」
ぽかんと頭を叩かれて、ミラにちょっとだけ文句を言われた。
無礼だぞ、かな? まあ……事情は分かってるとも、うむ。
マーリンさんがこんなとこで働いてたら騒ぎになる、もう斡旋どころじゃなくなってしまう。
だから奥に引っ込んでる……という理屈は分かるが、しかしどうせ部屋でグータラしてるだけなのだ。ちょっとくらい厳しくしても……
「バカアギト。まったく、アンタはいい加減マーリン様に甘えるのやめなさいよね。そんな態度取って、本当なら許されるわけないのよ?」
「ぐっ……そ、それは分かって……お前には言われたくないな⁉︎」
いつも乳揉んどるのはどこのどいつじゃ! くそう! うらやましい!
ミラは僕のツッコミなんて知らん顔で、珍しく疲れた足取りでマーリンさんのいる部屋へと向かった。
流石の勇者、市長も、慣れない仕事は疲れるんだな。
無尽蔵にも思えたミラの体力をここまで削る……仕事を、平気な顔で毎日こなすエルゥさん。何者……
「失礼します。マーリン様、晩御飯ですよ」
「ああ、うん……なんだかこう……アレだね。遊び疲れて寝てる子供を起こしに来たみたいだね……」
そ、そんなつもりは……と、ミラは首を振ったが、しかし僕にもそう見えた。
というか……部屋でグータラしてるロクでなしを呼びに来たお母さんにさえ見えた。おかしい、マーリンママでは無かったのか。
どうして逆転してるんだ、おねロリ(?)の逆転は……まあ……その……ケースによる。この場合は……あり。なんの話だ。
ミラと一緒にマーリンさんを連れて戻ると、そこには既に何品かの料理とお酒と、それからレイさんとベルベットくんの姿があった。どうやらふたりで仕事に出てたらしい。
珍しい組み合わせだな……とも思わなくもない。ベルベット君が大体マグルさんのとこにいるからだけど。
「だーっはっは! どうした、今晩は随分と豪勢だな! 巫女殿に勇者殿、それにアギト……別段お客がいるわけでも無さそうだが?」
「レイさん……マーリンちゃんとミラちゃんは十分特別なお客さんですよ。友達ですし、馴染んでもいますけど」
そうだったそうだった。だっはっは。と、レイさんは相変わらず豪快に笑った。
うん……自分でも言ってるしね、“巫女殿”とか“勇者殿”とか。
敬称まで付けておいて、村娘と同じ扱いは無理があるってもんだ。
「……私達の見送りに、ですって。エルゥってば、まだいつになるかも決まってないのに張り切っちゃって」
「だっはっは! そうかそうか! そうか……かたじけない。いつもいつも世話になっておる。まさかこんな豪華な門出祝いもして貰えるとは、我らも果報者だな」
そっか……そうだった。
エルゥさんはいつもと変わらずニコニコ笑ったまま、それでもどこか寂しそうにふたりをじっと見つめていた。
これだけのもてなしがあっては……と、レイさんもハーグさんもゆっくり頭を下げて、そして改まって話をしてくれる。
もうじき、ふたりはここから離れて仕事に戻るのだと。
「エルゥよ。フルトよりここまで、長い間本当に世話になった。
あの街での仕事の斡旋、寝床の提供。それに旅の間の話し相手。
そして、この街を立て直すという善への貢献。
その献身は、我らに善き力を与えてくれた。
きっとこの先に訪れる難題も、その晴れやかな笑顔を思い浮かべながら踏み越えて行けるであろう」
「あら。珍しいわね、口説き文句なんて。でも……そうね。
ありがとう、エルゥ。勇者ちゃんや他のみんなにも元気を貰ったけど、やっぱり貴女には沢山救われたわ。
それと……こんなに立派に送り出しておいて貰ってなんだけど、まだ明日からも顔を突き合わせるんだから。もうちょっとだけ一緒に頑張りましょうね」
これから毎日祝いの馳走を並べて貰おうか! だっはっは! と、レイさんは笑いながら本気かジョークかの境目の分かりにくいことを言い出した。
ミラの所為で……ミラの所為でそのラインは割と平気で超えてくるぞ……今のエルゥさんは……っ。
そんなふたりを前に、エルゥさんも改まって姿勢を正す。
他愛の無い冗談も言い合える仲になったふたりを前に、その寂しさを飲み込んで。
「はい! 毎日! 毎食豪華なご馳走を作りましょう! お酒は……お仕事の前とか、昼間っからはダメですけど。
でも、毎晩美味しいお酒をちょっとずつ飲みましょう!
最後の最後まで、フルト式のおもてなしでおふたりを送り出します!」
えへん! と、エルゥさんが胸を張ってそう言い切ったから、ハーグさんもレイさんも湿っぽい空気なんて出さずに子供みたいにはしゃいだ。
マーリンちゃん、手伝ってください! と、思い出したかのようにグータラ巫女の手を引っ張って、エルゥさんはぴょこぴょこと陽気に台所へと飛び込んで行った。
「……なあ、ミラ。やっと……本当にやっと……フルトを出発する時のお前の言葉が分かったよ。エルゥさん、お前や俺にとってはめちゃめちゃ厳しい人だな」
「今更……はあ。今更も今更、いつの話をしてんのよアンタは。
エルゥを厳しくないなんて言える人がいるとしたら、それはフリード様や王様みたいな、そもそも自分に厳し過ぎる偉大な人物だけよ」
マーリンさんをそこに含めないあたり、やっぱりお前だって無礼者じゃないか。
でも……ま、あの人が弱いってのはとっくに知ってることだったからな。
宴会はすぐに始まった。
相変わらず手際の良いエルゥさんとマーリンさんと、そしてハーグさんの三人に掛かれば、ご馳走なんてあっという間に出来上がった。
レイさんは誰よりも先に飲み始めてて、ミラは誰よりも先にご飯にがっつこうとバタバタ尻尾を振っていた。久しぶりだな……その見えない尻尾……
「ミラちゃん、もうちょっと! もうちょっとだけ我慢してください!
レイさん! 乾杯するんですから、注いだ先から飲み干さないでください!
ベルベット君も、ちゃんとみんなの方向いて!
皆さん! 手元に飲み物は行き渡りましたか⁉︎ それじゃあ……」
かんぱーい! と、エルゥさんの音頭に乗って、みんな一様に木のジョッキを高く掲げた。
えへへ……宴会だ宴会だ。さて……僕の最初の仕事は、と。
「ミラ! ミラ! 待て! 待てだ、ミラってば! 全部食うな! こら! ミラ! ミラちゃん! ミラさん‼︎」
「落ち着くんだ、アギト! こうなることは予測出来ただろう!
脅威を根本から取り除く、なるほど確かにスマートなやり方だ。でも、それで解決出来ないことはよく知ってただろう! 打ち合わせ通りに行くよ!」
はい! と、和気藹々とした空気なんてぶち抜いて、僕とマーリンさんは大急ぎで取り皿に料理を確保し始める。全部……全部いかれる……っ。
酒さえあればなんでも良いって顔のレイさんと、食べっぷりさえ見られれば満足みたいな顔のエルゥさんはまあ良いとして。良くないけど。
ハーグさんはちゃんと食べたいだろうし、僕もマーリンさんもお腹ぺこぺこだ。
それに何より……こういう時、こういう子が取る行動を僕はよーく知ってるんだ。
「ベルベット君、ほら。ミラに取られる前にちゃんと確保したから。おかわりもこっちに避難させてあるから、いっぱい食べるんだよ」
「間抜けののろまのバカアギトが俺を子供扱いするな。マーリン、お前もだ。ふたりしてなんて顔を……やめろ! 気持ち悪い顔こっちに向けるな!」
親戚一同が集まった時、ベルベット君みたいなちょっと素直になれない思春期の子は、隅っこでご飯も食べずに拗ねてしまうんだよね。
うん、分かる。僕も……人見知りが原因だったけど、大体同じことしてたから。
「ほら、ちゃんと食べないとダメだぞベルベット。お前はただでさえ小さいんだから、このままじゃアギトみたいに微妙に小柄な大人になっちゃうぞ」
「ならない! 俺はちゃんと伸びる! フリード様みたいな強い男になるんだ! こんなのと一緒にするな!」
え、めっちゃボロクソ言われる。ぐすん。
しかし、マーリンさんの挑発は効果覿面だったみたいで、ベルベット君は小皿に取り分けられた料理をパクパク食べ始め……あっ、ちょっ、僕の分食べないで! 僕の! そのお肉は僕のだから!
大災害と同席する宴会がいかに危険で厳しいものかを思い知りながら、僕達の楽しい時間は終わりを迎えようとしていた。
料理は綺麗さっぱり食べ尽くされ、レイさんとハーグさんはもうベロンベロンに酔っ払っていて、エルゥさんはにこにこ笑って後片付けを始めてて…………て、手伝います! ごめんなさい、全部やらせてしまって!
「平気ですよ、いつもやってることですから。それより、ハーグさんとレイさんの相手をしてあげてください。
ミラちゃんは眠たそうにしてましたし、ベルベット君もすぐ部屋に戻っちゃいましたから」
マーリンさんひとりに酔っ払いの相手は荷が重い……か。
え? 違う? 星見の巫女様にお酌なんてさせるな……? た、たしかに……
「じゃあ……えっと……ふたりが酔い潰れたら手伝いますから! ちゃんとやりますから! なにか仕事残しといてください!」
「あ、あはは……アギトさん、なんだか変な空回りしてますね? 大丈夫ですよ、いっぱい食べてくださることが一番のお手伝いですから」
ママぁーーーぁぁああンッッッ‼︎ エルゥママ! ママぁ! バブゥ! はっ⁈ いかん、あまりの母性に自制心とか色んなものが消し飛んでた。
し、しかし……片付け全部任せるのは罪悪感が……っ。
決心が付かないまま立ち尽くしていると、ほらほらとエルゥさんに指差されて急かされた。
見れば、酔っ払いふたりに挟まれて同じようにお酒を飲んでる馬鹿野郎の姿があるではないか。ばっかやろう! アイツ!
「……真意に気付けなくてごめんなさい。そうですよね……仮にも星見の巫女様相手に、酒飲んで潰れるとめんどくさいからなんとかして……なんて言えるわけないですもんね……っ」
「そ、そこまでは思って……ない……ことも……で、でも! あんまり身体に良い飲み方じゃありませんから! ね⁉︎」
そうか、図星か。
慌てたエルゥさんもかわええなぁ……なんてボケてる暇は無い。あのバカからお酒を取り上げないと。
いや……酔っ払ってるとこなんて見たことないけどさ。
こう……相場が決まってるんだ。泣くか、絡むか、脱ぐか。
脱ぐ…………くっ……ミラ寝かしつけて、別の部屋でふたりっきりに……っ。
「ん、おや。どうかしたかい? アギトも飲みたいのかい? まあ……ベルベットに比べたら多少は大人だけどさ」
「あ、あれ……? 意外と……普段と変わらない……?」
僕が酔い潰れると思ってたのかい? と、マーリンさんはジトッと僕を睨み付けた。ま、まあ……へへ。
マーリンさんは小さなため息をついて、そしてゴロンと横になったハーグさんからお酒のジョッキを回収して立ち上がった。
あっ、ちょっ、寝っ転がったオネエ(推定両刀)のそばで立ち上がんないで。スカートだから、貴女いっつもワンピースだからね⁈
「……なんだ、寂しくなって戻って来たのかい? お前はダメだぞ、お酒なんて。エルゥに頼んでジュースを出して貰いなさい」
「誰がそんなの欲しいって言った! このバカマーリン!」
立ち上がって見つめる先には、部屋に戻ったと思ってたベルベット君の姿があった。
そのベルベット君は……マーリンさんじゃなくて、机の上で船を漕いでるおねむなミラを訝しげな目で見ている。
まあ……気持ちは分かる。戦ってる時と今とのギャップが……
「……コイツがこれだけ呑気だってことは、終わったんだろ。もう全部。じゃあ、もう爺さんは俺が借りて良いよな」
「……ん。そっか……うん、お前はそういう子だったね。ああ、良いよ。でも……ちゃんとみんなに話をしたら、ね」
分かってる。と、ベルベット君はそう言って、ミラの座ってる椅子を蹴っ飛ばした。
夢と現実を行ったり来たりだったミラは、その振動に何ごとかと飛び起きて身構える。
えっと……? 話を……爺さんってのは……マグルさんのこと……?
エルゥさんも様子を見に台所から出て来て、ハーグさんも寝転んだままベルベット君を見てて……
「——俺もこの街を出る。その……世話になった……なりました。エルゥ……さん」
ちょっとだけモジモジしながら、ベルベット君はエルゥさんに頭を下げてそう言った。
誰もその言葉を受け止める準備が無くて、マーリンさん以外のみんなが同じように固まってしまっていた。
それでも、ベルベット君は顔色ひとつ変えずに話を続けた。




