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異世界転々  作者: 赤井天狐
第五章【金と鋼】
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第二百八十五話【そして、旅は終わった】


「うん、よし。じゃあ次はこっち向いて。大きく吸って……ゆっくり吐いて……」

 何も納得なんてしてないけれど、取り敢えず事情の説明が全て終わった。

 何も! 納得なんて! してないけれどね!

 でも、終わったものは終わったのだ。

 僕に文句なんて言わせて貰える余地は無く、そのままスムーズに健康診断へと移行してしまった。これもまた毎度恒例なのだけど……

「心肺機能にも問題は無さそうだね。次は運動機能を見ていこう。腕を大きく回して、ゆっくりね」

「……毎度思うんですけど……子供扱いされてません……?」

 小学生みたいに扱われてる気がする。

 いえ、続けて。このまま、ええ。続けてください、ぜひ。

 そういうプレイについては一切の不満は無いが、しかしマーリンさんの心情だけは気になるところ。

 ママなの? それともお姉ちゃんなの? 学校の先生なの? どうなの?

「子供扱い……か。そうだね、僕は君よりも大人だからさ。君を頼りない頃から知ってるし、まだその時の気分も抜けてない。でも……そうだねぇ」

 もう、君は僕よりもずっと頼もしくなったかもしれない。マーリンさんはそう言って、僕のお腹をペタペタ触り出した。

 あっ、やめっ、好きになっちゃうから。やめないでぇ! ごほん。

 今更何を言ってるんだ、僕もこの人も。僕はとっくにこの人が大好きだし、それに……

「俺がマーリンさんより頼もしくなる頃には、マーリンさんもまた別の方向で頼もしくなってそうですけどね。

 未来が見えなくなろうと、魔術が使えなくなろうと。やっぱり俺達の先生はマーリンさんですから。

 オックスがどれだけ足掻いてもゲンさんの教え子なことが揺らがないように」

「アギト……それは褒めてるんだよね? 良い話だよね? その……ロクでもない指導者だとか言いたいわけじゃないよね⁇」

 ちくしょう、例えが悪かった。

 そうですそうです、褒めてます。素晴らしい指導者だと、そしてその恩は一生消えないし変わらないと言いたいんです。

 他の師弟関係をそれしか知らなかったとはいえ、一番ダメな例に着地してしまった。

「ま、君がそう言ってくれるなら、嬉しい限りだけどさ。

 でも、本当に僕には何も残ってない。未来の可能性すら食い潰してしまった。

 政治的な立場や力も、残ってると分かったからってもう一回その席に座るつもりも無い。

 すっかりおばあさんになって隠居してしまった気分だよ」

「隠居……良いんじゃないですか、隠居でも。ゲンさんだってマグルさんだって隠居してるわけですし。あのふたりはそれでも頼もしいじゃないですか」

 特別なだけかな? 特別なだけだろうな。

 でも、マーリンさんだって特別だろう。

 能力が無くなったからって、経験が無くなるわけじゃない。

 魔王を倒したという事実。

 召喚術式を思うがままに書き換えてしまったという事実。

 魔女としてマナに触れていたという事実。

 未来を視て、そしてそれを書き換えようと奔走した事実。

 あらゆる事実がこの人の価値を担保するだろう。

「……そうだね。これで全部終わったんだ、ゆっくり休んでも誰も文句は言わないか」

「そうですよ。少なくとも、この十七年の間は気の休まる時も無かったでしょうし。乗っかってる責任全部降ろして、文字通り羽でも伸ばしたら良いじゃないですか」

 あれ、なんか僕やけに……? 自分がなんだか生意気なことを言ってる気がして、今更になってマーリンさんの顔を見た。

 けれど、そこには驚いた顔も怒った顔も無かった。

 あったのは……どこか寂しそうな顔だった。

「……そう……なんだよね。かつての冒険が終わって、最愛の仲間と死に別れて。そして、君達と出会うまでの十六年を必死に駆け抜けて。その先で……また、大切な仲間を失った。

 それが許せなくて、もう耐えられなくて。君を呼び戻して、そして何度も何度も危険に身を晒させて……」

 身勝手な女だ、我ながら。マーリンさんはそう言って俯いた。

 俯いて……ただ自虐に落ち込んでるだけじゃないらしい。

 その感情は……うん、僕の中にもちゃんとあるものだ。

「……はあ。ダメだね、これじゃ。分かってる、やっと全部終わったんだって。

 でも……終わってみたら、あの苛烈な日々が恋しいとさえ思えてしまう。

 魔王との凄烈な戦いも、その後の悲劇を知っていながら、良い思い出だと思ってしまっている。

 どうにも……うん。この十七年で、僕は狂ってしまったらしい」

「別に、マーリンさんだけじゃないですよ。俺だってそうです。

 あんな終わりを迎えたのに——いいえ。この百日足らずの間の五回の召喚のほとんどで、苦しい思いをしてたってのに。

 全部……もう一回、もう何回でも……って。また……旅に出たいって、そう思ってる自分がいます」

 蛇の魔女、魔竜、ゴートマン。そして、魔王。

 方舟の中で味わった孤独。

 変質した友人の死。

 臆病が生んだ後悔。

 絶対的存在への畏怖。

 あらゆる全てが恐ろしくて堪らないのに、もう一度だけで良いから……と、召喚を心待ちにしている自分がいる。

「ミラに……記憶が戻る前のミラに、二度目の召喚の時に。言われたんです。

 つらいこともあった、寂しいこともあった。でも、この旅は楽しいものだった、嬉しいものだった……って。

 だから……嫌な思い出もつらい思い出も多いけど、楽しさや嬉しさがそれよりも多かったんですよね。だから……」

「……狂ってるよ、やっぱり。僕も君も、きっとミラちゃんも。みんな狂ってしまってるんだ」

 狂ってると言われると……否定は出来ない。自分で思うのだから。

 そうだ、狂ってる。熱に当てられてると言うのかな。

「厳しくて刺激的な日々がこれで終わって、そしてやって来るのは優しくて温かな平穏だ。けれど、僕達はそれじゃ物足りないと我儘を言う。

 狂ってるね、本当に。その穏やかな日々が欲しくて戦ってたくせに」

「あ、あはは……そうですね。俺なんて、最初は勇者の話を断って、さっさとアーヴィンに帰るつもりでしたし。ミラも故郷を優先するつもりでいましたから。それが気付けば……」

 はあ。と、ふたりして大きなため息をついて、そして……マーリンさんはやっぱり寂し気な顔で笑った。

 僕はどうだろうか。目頭が熱いから、きっと泣きそうな顔で笑ったんだろうな。

「お疲れ様、アギト。君の戦いはこれで全て終わった。僕達の戦いはこれで終わったんだ。

 長い長い——この世界でだけ数えても二百日近い戦いだった。

 元の世界での生活や、五つの異世界での生活を加味すれば、軽く三百を超えてしまったんだろうね。本当にお疲れ様だ」

「お疲れ様はこっちのセリフですよ。俺は三百日程度ですけど、マーリンさんなんて二十年近く戦ってたんですから」

 十七年! そこはちゃんと数えて! と、マーリンさんはちょっとだけむくれて、けれどすぐに落ち着いた表情に戻って目を細める。

 お疲れ様——。その言葉を僕達は何度言い合うのだろう。

「残されたイベントは、君の縁の繋ぎ直し——元の世界への再召喚だけ。ま、その前にマグルに協力して貰っての検査もあるけどね。

 でも……本当にこれで終わりだ。

 第二第三の魔王が……という話にでもならない限り……いいや。そうなったとしても、きっとそれは君達以外の新たな勇者の出番となるだけだろう」

「寂しい……ですね。いや……うん、やっぱり狂ってる気がします。魔王なんて出て来て欲しくないし、さっさと元の世界に帰ってのんびりしたいのに……」

 ため息は……出なかった。

 僕はあることを思い付いて、そしてマーリンさんに目をやった。

 するとそこには、何か言いたげなマーリンさんの素直な笑顔があった。

 そう、素直な。いつもの悪巧みの顔じゃない、素直な笑顔が。

「おいこら、また失礼なこと考えてるな! まったく、このバカアギトは……ふふ」

「うげっ……ご、ごめんなさい……へへへ」

——旅に出よう。先に言い出したのはどっちだろうか。

 多分同時、どっちかがやや早いとかはあるだろうけど、同じことを考えていたって意味では全くの同時だっただろう。

「まだアーヴィンには良くなる部分が沢山ある、もっともっと多くのものを見に行かないと……って、多分駄々捏ねますもん」

「困ってる人が大勢いる、戦える私達が守ってあげないとだめでしょ……って、あの子は立ち上がるだろうね」

 じゃあ……付いて行ってあげないと。

 きっとここまで全く同じことを考えて、しゃべって、笑っただろう。

 もしかしたらここからは違うかもしれないけど、でも根本的な指針が同じなら特に問題もあるまい。

「そうと決まったら、今のうちに目的地を定めよう。いや、前みたいな旅も悪くないけど……戦えるのがミラちゃんだけとなるとね。

 魔獣はまだいるし、魔人の集いも一応は残ってる。歩いて旅をするにしても、今度はちゃんと地図を見て進みたいものだ」

「やっぱりマーリンさんもそう思ってたんじゃないですか。まったく、ミラに甘過ぎるんですよ。

 しかしそうなると……出発地点はやっぱりアーヴィンからだとして……」

 今度は南だろうか。

 王都とは反対方向、ガラガダを超えて更に更に南へ、とか。

 たまには僕達でミラちゃんを振り回そう。マーリンさんがそんなワクワクすることを言うから、僕もその気になってあれこれ考え始めてしまった。

 路銀は……やっぱり魔獣退治で稼ぐとして、だ。

 あれ、その場合……魔王倒しちゃった所為で仕事減ってません……? え、嘘、そんな⁈ 俺達の所為で俺達が旅をし難くなってる⁈


 僕かマーリンさんのどっちかが呟いた。楽しみだ——と。

 そして、これまたやっぱりどちらかが呟いた。楽しかった——と。

 そしてふたりで呟いた。ちょっとだけ寂しいね——と。

 僕達は何かから逃げるみたいに、明日からの楽しみを笑いながら語り合った。


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