第二百七十七話【無価値】
誰も声を発しなかった。
その光景を——意味を、成されようとしていることの無謀さを知らされてから、誰ひとりとして口を開かなかった。
説明を受けたわけでも、フリードさんを知ってるわけでもない筈の人達まで。もちろん、僕とミラも。
拳が振り抜かれる度に、一機のポストロイドが破壊されていた。
けれど、それで完全に動かなくなるかは別の問題だった。
打ちどころが良かった悪かった、致命的な部分にダメージが入った入らなかった。
そういう時の運みたいなものもあって、フリードさんが迫る敵の数を減らすペースはあまり早くなかった。
ただそれは、ミラみたいに広域を攻撃した場合に比べてという話だが。
とっくに日が昇っていた。
日の出と共にやって来る白い空なんてものは無くて、気付いた時には分厚い雲の向こうに太陽があった。
とっくに働く時間になってて、最初に騒ぎを聞き付けて集まった人よりもずっとずっと多くの見物人でごった返していた。
それでも、ざわめきひとつ起こっていなかった。
すぐそこには見たことのある顔が並んでいる。
アルコさんをはじめ、僕らがお世話になった管理棟の人達。六桁の人達。
その向こうには、全然知らない人達が大勢いた。
けれど、その人達はきっと同じ六桁だと思った。
別のところに、もっともっと大勢の人が集まっていた。
それこそが七桁の人達なんだろうとすぐに分かった。
無意識なのか、そうでないのか。やはりこの街はまだ差別の意識を残して、その桁数で集まる場所を変えてしまっているらしい。
でも、七桁の人達も、今は六桁の人に何かをする様子は無い。
アルコさん達が僕とミラにそうしたように、彼らもまた知己であるフリードさんの身を案じているのだろう。
誰も彼を応援しなかった。
その無謀に恐怖するだけで、誰も彼の勝利を望まなかった。
誰も彼の死を想像しなかった。
ポストロイドはあくまでも罪人を捕らえるもので、過剰な攻撃行動を取らないとみんな知っていたから。
誰も彼の志を知らなかった。
彼を知らぬ者も、彼を管理者として知る者も、それに僕も。
ただそれでも、驚異的なパフォーマンスを見せる英雄の姿に、人々は目を奪われた。
怖いもの見たさ、野次馬、同調圧力。最初はそんな事情で見ていただろう人々の目に、姿に、興奮と好奇心が宿り始めたのが分かった。そんな空気がした。
長い長い時間が経過して、気付けば僕の口の中はガサガサに乾いていた。
うっかり喋ろうものなら唇が切れるだろうと、そんな間抜けなことまで考えた。考える余裕が遂にやって来た。
「————ぉお——おおお————ッ!」
機械人形のそれよりも太い筋肉質な脚がポストロイドを蹴り飛ばし、そして掠れて響かない雄叫びが天を衝いた。
どれだけの数を破壊したのかは誰にも分からない。
どれだけの時間が経ったのかも気にしていない。
やって来たその瞬間の名は、勝利というものだった。
「————ほんとうに——全部————っ」
僅かな呟きにやっぱり口の端が切れて、小さな痛みとともにじわりと血が垂れた。
本当に全部倒してしまった。
砕けて転がる残骸の海の真ん中で、まだ小さなままの背中がひとつだけ立っている。
フリードさん——。と、僕は大喜びで声を上げた。上げて————
「————退がってなさい。まだ——まだ、終わってない————」
「——? ミラ……?」
——そして、咎められた。
僕の後に続いてみんなの沈黙も少しだけ揺れて、それは文字通りの動揺となって周囲の空気を震わせる。
ざわざわ、がやがや、と。良くも悪くも弛緩した雰囲気が、全部纏めてミラの言葉に咎められたのだ。
「——まだ……って……まだってなんだよ。全部倒したじゃないか。もう、全部——」
「————足りてないのよ。足りなかった、アレじゃダメだった。それだけよ」
足りない……? 足りないってなんだよ。
まだ冷静に……いいや、冷酷にフリードさんの姿を見つめるミラに、僕は苛立ちと文句を飲み込んだ。
まだ……まだ、何かあるのか……?
フリードさんが成し遂げたい何かが、まだこの先に——
身体は乾き切ってたのに、冷や汗がドバッと吹き出した。
けれど言葉は出なかった。
フリードさんは確かに何かを完了し、そして声を上げた。
達成した、と。
雄叫びで自らを鼓舞し、讃え、そして歓喜した。
けれど、そのフリードさん本人がまだ終わらないと目をギラつかせている。
獣のように狂った目で、その先を睨み付けている。
ポストロイドの残骸の先、ゴミ山に隠れて見えないくらい小さな機械人形達を。
「——後期型——っ。まさか……まさか、あれも全部……っ」
誰も肯定の言葉を口にしないのに、否定されなかったという事実だけでもう気が狂いそうだった。
まだ全貌は見えない。けど、既に十機近いポストロイドの姿が見えている。
後期型ポストロイド——小型でより強靭な、かつてフリードさんを倒した機械人形。
今のフリードさんがあの時よりも強かったとして、けれどその差は劇的なものじゃない筈だ。
じゃあ、こいつらには……
「————っ。ミラ——これでも止めないのか——止められないのかよ————」
「ええ、止められない。止まらないわ。言ったでしょう、勇者様はお節介だったんだって」
……? ミラに少しだけズレた返事をされた気がした。
でも、こんな時に妙な話をするわけない。
じゃあ……お節介だった勇者が何か関係してて、その所為でこの馬鹿げた催し物が続行されてしまうってことか?
そんな問いは受け付けて貰えなくて、またすぐに激しい戦闘の音が響き始めてしまった。
「——っ——ぁ————ガぁ————ッ!」
獣みたいに吼えて、フリードさんはスクラップの山を駆け登る。
がらがらと通ったそばから崩れて行く不安定な道を進み、そして頂上から跳び上がった。
落下の勢いのまま乱暴に腕を振り下ろし、フリードさんは一機目の後期型との接触を果たす。
けれどそれは簡単に防がれ——いや。防御が必要と判断され、銀に光る腕によって阻まれた。
前はマトモに食らっても平気な顔してたのに……なら……
フリードさんとポストロイドは戦闘を開始した。
さっきまでの一方的な破壊と一方的な制圧のぶつかり合いじゃない。
拳を放ち、それを躱し、腕部を振り回し、それを受け。ひとりの人間と人形による格闘が繰り広げられる。
けれど、ポストロイドは一機ではない。
打ち、受け、打ち、躱し、そして打ち倒してもすぐに別の個体から攻撃が飛んで来る。
追撃——完全に破壊するだけの打撃を与えられない。
殴って、避けて、蹴って、防いで、突き飛ばしたところで別のポストロイドに掴み掛かられる。
代わる代わる襲う機械の脅威に、フリードさんは段々と防戦一方になっていった。
——こんなの戦いじゃない——
胸の奥でそう叫んで、でもそれを口に出す勇気が持てなかった。
水を差すんじゃないか、台無しにするんじゃないかって怖くなった。
いつの間にか僕は、フリードさんの心配よりも、この時間の方を大切に思ってしまっていたらしい。
それからの時間はあっと言う間だった。
攻撃して、逃げて、防御して、食らって、倒されて。
結局、集まった後期型の数は二十四機だった。
その内の一機をも破壊することなく、フリードさんは追い詰められて……違う……っ。もう、詰んでいた。
「……こんなの……っ。ミラ、もう良いよな。もう黙ってなくても良いよな、こんなの……っ。助けよう。魔具とか何かまだ隠してるんだろ……? 頼む、奥の手があるなら……」
「無いわよ。それと、まだ黙って見てなさい。何回言わせるつもり」
っ。
いつの間にか僕は、ミラよりも低い位置から懇願していた。
けれど、手をついて頭を下げる僕にも、ミラは冷たく突き放すような言葉しかくれない。
黙って見てろって……っ。こんな酷いもの、どうして黙ってなんて……
「——言ったでしょう。そうよ、お節介だったの。勇者様も、私も。今のアンタも、マーリン様も。何もかもが余計なお世話だったの」
「……ミラ……?」
こつん。と、弱々しい音が聞こえた。
ミラの視線の先、一度もブレることなく見つめ続けていた先、フリードさんの背中。
ゆっくりそっちを振り返れば、小さかった背中の、もっと矮小な姿が目に飛び込んで来た。
もう機械人形は攻撃の意思を持っていなかった。
けれど、フリードさんだけがまだ戦おうとしていた。
あんなに強かったパンチは、硬いボディにぶつかると簡単に跳ね返された。
体当たりしても、反対に体勢を崩して尻餅をついていた。
あろうことか黄金騎士と呼ばれたその男は、自らの肉体ではなく、落ちていた金属片を用いて投擲という行動に出た。
けれど、投げられたゴミは緩やかな放物線を描いて、カツンと地面に転がった。
「——時間ね。フリード様に与えられていた祝福はこれで消えた。何もかもが失くなった。
何よりも強くあるという特性を失い、鍛え上げられた肉体の使い方も忘れ、そして最強である呪いも消滅した。
見なさい、アギト……ううん、みんな。アレが、フリード様の見せたかったものよ」
「……アレが……? アレが……って……なんだよ、どれだよ……っ。まさか……あんなに弱々しい姿を見せたかったなんて————」
うぉおおお——っ! と、またフリードさんは叫んだ。今までのどれよりも大きな声だった。
とっくに喉が潰れててがさがさした絶叫だった。
でも、一番お腹の奥に響いた。
「————“私”は負けない————っ! たとえ強さを失おうとも、約束を失おうとも、祝福を失おうとも——私は何ものにも屈したりはしない————っ!」
そこにいたのは、ただのフリードさんだった。
僕の知らない、フリードリッヒというひとりの人物だった。
壊れたポストロイドの腕だった棒を持って、ただの人間がポストロイドに殴り掛かっていた。
「見ろ——っ! この私を——フリードリッヒ=ヴァン=ユゼウスを見ろ——っ! 無謀で、無能で、無茶な夢ばかりを語る男の姿を見ろ——ッ!」
それはここにいる全員——僕達も含めた全員に向けられた言葉……なんだろうか。
その真意も分からなかった。
何も分からない、全然知らない。
そこにいる人物が誰なのか、僕は何も知らなかった。
「きっと私は奇跡を起こす! ただの人間——弱く、脆く、それでいて賢くもないただの人間である私が——私だからこそ! ここに奇跡を起こすのだ!」
さっき一度弛んだ時以外ずっと静かだった周囲の人々が、一様にざわざわと騒ぎ出した。
もうフリードさんを見ていない人もいる。
さっきまでの見せ物が終わって、別の退屈な演目に切り替わったみたいに、みんな集中力を失っていた。
でも、フリードさんは叫び続けた。
「——絶対に——絶対に奇跡を起こす——っ! 起こさなければならない! 私が人間であるなら、起こせない筈は無いんだ! 弱い者だからこそ————っ」
フリードさんに殴られている間、ポストロイドは微動だにしなかった。
攻撃や防御はおろか、捕まえようというそぶりすら見せなかった。
他の誰よりも先にフリードさんへの関心を失っていたのは、心を持たない筈の機械人形達だった。
殴られるまま、好き勝手言われるがまま。黙って立っているだけのそれに、フリードさんは殴り掛かって、けれど殴った衝撃で自分が転んでしまっていた。
「……っ。無様だと笑え——っ! 情けない存在だと、何も出来ない愚か者だと! 今の私を見て、笑うのだ! 嘲笑い、見下し、不可解だと蔑め!」
その人が何を言ってるのか、何がしたいのか分からなかった。
無様だと、情けないと。何も出来ていない、成せていない、愚かで見下げた存在だとそう思いそうだった。
でも、胸の内にある憧れに必死に捕まって、それだけは我慢した。
だって……だって、フリードさんは……
「————何度でも言う——私が奇跡を起こすのだ————っ!
この世界を——街を、人々をより明るい道に押し進める為に、私がここで奇跡を起こすのだ————っ!
だから——どれだけ呆れようと見ていてくれ!
下らない茶番だと笑って、無様を笑って、醜態を笑って——どんな形であっても、私を最後まで見ていてくれ!」
フリードさんは何度も何度も自分を見ろと叫び、そうしながら鉄の棒でポストロイドを殴った。
壊れる気配なんてこれっぽっちも無い。
まさか、奇跡を起こしてこの後期型ポストロイド二十四機を全て破壊しようなんて言うのだろうか。
そんなの流石に、奇跡にしたって都合が……
「……あ……れ……? 俺……っ。フリードさんだぞ……っ! 今、お前……」
呆れたか——?
無謀だ、不可能だ、都合の良いことばかり見過ぎだと嘲笑ったか。
胸の内に憧れがあると言いながら、そんなの踏みにじってその人を馬鹿にしたか。
周りの空気に当てられて、まさかお前が誰かを笑おうってのか——っ。
「————っ。頑張れ——っ! 頑張ってください! フリードさん! 貴方なら絶対に出来ます! 貴方だから——っ!」
「——ありがとう! ありがとう、アギト! 私はきっと成し遂げる! きっと奇跡を起こす! きっと——だから、君も見ていてくれ!」
妄言だと思った。
夢を語るばかりで何もしない、かつての自分のようだと思った。
思ってしまった。
もう、止まらなかった。
その罪悪感から逃げたくて、僕は声を上げた。
頑張れ、と。
無責任でしかたがない、あまりに意味の無い言葉をその人に送ってしまった。
「——っぁあ! 起こす——っ! 起こすのだ! 強い意志で、心で、精神で! 私が——弱くある私だからこそ————」
「————どうやら、ダメだったみたいだね。残念だよ」
少し遠くから声が聞こえた。
一度聞いた声だった。
その正体を思い出すのには、時間なんて掛からなかった。
人々の間から歩み出たその声の主は、この街そのものだった。
「————君の語った理想を信じてはみたものの、やはり演算以上の結果は望むべくも無いようだ。
異世界からの使者、死を超越せし者。もしや……と、そう思ったんだけどね。やっぱり君も、所詮はただの人間だったんだよ」
「——モノドロイド——っ。待て! 待ってくれ! まだだ、まだ分からない! まだ私は諦めていない! 諦めなければ必ず————」
——奇跡など起こらないよ——
あまりに残酷に、けれど優しく。モノドロイドと名乗る一機のポストロイドは事実を述べた。
街の誰もが知っている名の、誰も見たことの無い姿。
街の中枢であるモノドロイドが、きっと初めて人前に現れてお説教をしたのだ。
「——起こすさ! 絶対——絶対にだ!
私は君とも約束をした! 人の未来を、街の未来を明るいものにすると! その為にここに奇跡の証明を刻むのだと!
まだ諦めるには早い、早過ぎる! 私も、この街も、まだ終わってなどいない!」
「いいや、終わっている。街は私が管理する、これまで通りに。
私の計算の通りに、予測の通りに、十分な成長と進化を遂げて未来へと進む。
そして、君はここで果てる。それは揺るがない」
話が掴めなかった。
そうだった……と、思い出したのは、モノドロイドとあの犯人の繋がり。
つまり、この機械人形とフリードさんの間にある縁だった。
やっぱりモノドロイドは、何か意図があってフリードさんにポストロイドを……
「壊すことには意味は無いわ。ただ、消費したかったの。
呪いを薄める為に、あるべき形になる為に。
フリード様は、勇者様から贈られた祝福を消費しようとしていたの」
背中を突いてそう言ったのは、まだ真っ直ぐにフリードさんだけを見ているミラだった。
祝福を……消費する……?
勇者が送ったという力は回数制限があって……ということか。
でも、なんでそんな勿体無いことを……
「ただの人として奇跡を起こす為。特別な存在ではなく、当たり前にいる人々の力で何かを成し遂げる為。その為には証拠が必要だった。
頑張る為の目標、事実、歴史。奇跡の爪痕を残すことが、フリード様の目指した世界の救済なのよ」
世界の……そうだ、終焉。食い止めなくちゃいけない、世界の滅びを。
でも、その正体が分からないから……
「——この街は終わらない——だが、この世界の人類史はここで途絶える! モノドロイド、もう少しだけ待ってくれ!
機械による管理、機械による整理——機械の理のみで発展した先に、人間の進化は存在しない!
野生種と家畜が別物であるように、その未来には人間らしい人間が存在出来ないのだ!」
だから——っ! フリードさんは何度も何度も叫んで、そしてまた鉄の棒を握り締めて後期型ポストロイドを殴り始めた。
悲しいかな、その力はどんどん弱々しいものになって行く。
手が痺れたのか、疲れたのか、怪我をしたのか。理由なんてどれでも変わらない。
フリードさんは、もう二度とあの機械人形を破壊出来ない。それだけだった。
「——く——ぉおお! 奇跡を——この私が奇跡を起こしてみせるから! もう少し、ほんの少しの時間だけ————」
「——クドい! 君には失望したよ、フリード。
特別な存在だと思った。事実、格別な人材だった。
奇跡を起こすだけの逸材だと思った、あり得ると思った。
だと言うのに、その特別性を脱ぎ捨てて何をしようとしている!
君は終わったんだ! 自らの手で終わらせたんだ! フリード!」
モノドロイドの言葉には感情が乗っていた。
やっぱり、ただの機械人形じゃない。
でも……今となってはもう、“彼”が何者であるかを知ったところで……
「まだ——もう少し——あと一歩で成るのだ——っ! 頼む、モノドロイド! 私を客人として、友人として迎え入れてくれた君にどうしても報いたい! お願いだ!」
「……どうやら、誰かが引かねば幕は降りないようだ。では仕方がない。私自らが手を下そう」
まだ抗うフリードさんの元へ、モノドロイドはゆっくりと歩いて行く。
幕を下ろす——とは、この騒ぎを片付けるということ。
火の元、いつまでも燻る種火を消すということ。
フリードさんを……っ。
「——ミラ! これはもう違うだろ⁉︎ 見届けるってのは、奇跡を起こせるかどうかだよな⁉︎ じゃあ、アイツは止めなきゃ! フリードさんが……っ。このままじゃフリードさんが——っ」
僕の訴えに、ミラはまだ首を横に振る。まだ見てろって言うのか……っ。
もう我慢なんて出来ない、魔具も強化もいるもんか。
フリードさんが力を失くしても頑張ってるんだ、最初から力なんて持ってない無能の先輩である僕が頑張らなくてどうする!
ミラの静止なんて全部無視して、僕は大急ぎでフリードさんの元へと駆け付けた。
「——フリードさん! そのまま——フリードさんはそのまま続けて下さい! 俺が時間を稼ぎます!
フリードさんなら出来ます! 絶対に奇跡を起こせます! だから、その間は俺が——っ!」
「——アギト——っ! ありがとう——ありがとう、アギト!」
誰ももう、フリードさんを見てなんていなかった。
ここに来て、全体が見えて、それを確信してしまった。
みんなが見てるのはモノドロイドだ。
特別なもの、街で一番凄いもの。
そして、その前に立ちはだかる愚かな僕。
みんなが見てるのはそれだけ。もう、誰もフリードさんなんて見てなかった。
「……退きなさい。君は……君も、何も出来やしない。
もうひとりの子は特別な力を持っていた。けれど、君は違う。
弱い人間だ、脆い存在だ。私が守るべき街の一部と変わらない」
「違う——っ! 俺は勇者だ——俺だって勇者だ! アイツが背中を預けてくれた! マーリンさんが——フリードさんが信じてくれた! 何も出来ないかもしれないけど、それでも世界を救った勇者なんだよ——っ!」
僕の言葉も……いいや。鳴き声も、みんなは聞いてないんだろう。
僕は潰されるもの。モノドロイドという特別に踏み潰されるもの。
なんでもいいもの。
だけど……っ。だけど、それでも僕は————
——歪な夢を見た。
寝てるわけでもない、でも意識はやや朧だ。
モノドロイドが目の前に迫って、そして躊躇いも説得も無く右腕を振り上げた。
だから……だからこれはきっと走馬灯。
見えたものは——迫り来る龍の頭だった。
擦り潰される感覚が全身を襲った。
死という過去が心を襲った。
あの最期が目の前にフラッシュバックする。
でも——僕は泣かなかったし、退かなかったし、目も瞑らなかった。
だって僕の後ろ——すぐそばには————
「——? あ……れ……? モノドロイド……どこに……」
目は瞑らなかった。
まばたきは……したけど、それはやっぱり一瞬だ。
ずっと前を見てた、なのにモノドロイドが消えた。
あれ、いや……景色が……違う……
「————君の言う通りだった、モノドロイド。“己”には奇跡など起こせなかったよ。
けれど————どうやら君の言う何も出来ない弱い人間が、代わりに起こしてくれた様だ————」
「——フリード——さん——っ!」
僕の身体はそれからやっと地面に着いた。
優しく丁寧に降ろされて、そして僕はその姿を見上げる。
金の髪、双眸。強い意志、硬い覚悟。
そして、大きな背中。
「————すまない、親友よ。よもや君を忘れるとは。
そして——ありがとう。思い出せたのは君のおかげだ。
これは、君との絆がもたらした奇跡だ」
ならば、ここに全てを遺して帰ろう。フリードさんはそう言って、そしてゆらりと顔を前に向けた。
慌ててその目の先を辿れば、そこには笑顔のモノドロイドがいた。
笑顔……笑って……嬉しそうで……
「——ああ、やっぱり。やっぱり君は特別だった。きっと誰も今の君の動きを目では追えなかっただろう。私も無理だった。では、もうどうしようもない。
それこそが奇跡だ。フリード——客人よ、友よ! やはり君が特別だからこそ、奇跡は————」
「——それは違う、モノドロイドよ。奇跡は既に齎された。
君が無能と貶めた親友の手によって——力も技も持たぬ少年の心によって引き起こされたのだ。
己が起こすのではない————己こそが————」
————奇跡だ————
誰かがそう呟いた。
誰も疑わないだろう真実だった。
光があった、故にモノドロイドは照らされた。
その輝きは太陽にも似ていた。
雲が消えていた。
空からは太陽の——本物の太陽の光が差し込んでいた。
けれど、その先にはもっと眩いものがあった。
モノドロイドの目の前、僅か数十センチ先。誰の目にも映ること無く振り抜かれた拳は、モノドロイドの頬を優しく撫でていた。
この世界の何よりも強い光を放ちながら、黄金騎士はモノドロイドに——この世界に奇跡を見せつけていた。
「——求めていたものは全て取り戻させて貰った。モノドロイドよ、後は任せる。
この世界には確かに楔を打ち込んだ。人の成長、進化。必ず“お前”の想像を超えるだろう奇跡が何度も訪れる。その度に、彼らの力になってやってくれ」
フリードさんはそう言うと、僕の元へと戻って来てくれた。
ほんの数歩先、僅かな距離だった。
それでも、声を掛ける為に一歩近寄ってくれたんだ。
「——帰ろう、親友よ——」
彼の言葉を皮切りに、僕達と世界とは別の光に包まれた。
ああ、待って。まだお別れを——お世話になったみんなにお礼を言ってないんだ。
「————ありがとうございました————っ!」
でも、帰還は止まらない。だから僕は精一杯叫んだ。
届いたかな、届いてないかな。きっと届いただろう。いいや、絶対に届いた。
届かなかったとしても、きっとフリードさんが送り届けてくれた筈だ。
世界はどんどん薄くなって、そして真っ白に飲み込まれた。




