第二百七十五話【金と鋼】
その存在は異端であり、異常であり、異質であった。
生活に深く根差すポストロイドを破壊し、本来不必要な頑丈な防具で身を固め、この世界の外の存在を認知している。
おかしなものなのだ。
しかし、そのおかしなものというのは——
「——さあ、決着よ。こっちの事情をどれだけ知ってるのか、そっちにどれだけの事情があるのか。そんなのは関係無し、勝った方が言い分を貫き通す。一番分かりやすいやり方で終わりにしましょう」
「——決着——か。私と君達との間に、それほど大きな因縁があったとは思っていなかった。
しかし——ここに至って、その勘違いこそが最大の縁であるのだろうと気付かされた。
ならば君の言葉通り、ここで全てを終わらせよう」
男はある程度のところまで歩み寄って、そしてそこからは一歩も動かなくなった。
ミラも目線を他へ向けようともしない。五感全てで目の前の男の動きを感知する、それだけに没頭しているみたいだった。
「——————まだ起きてるわよね——だったら————っ。最後の最後まで、全部絞り出して寄こしなさい——————ッッ!」
ミラの怒声は、誰に向けられたものなのか分からなかった。
まだ起きているという言葉の、この明朝での場違い感たるや。
全部寄越せという強欲な言葉も、何を指して誰に求めているのかも分からなかった。
そう、分からなかった——分かるようになるまでは——
「————万雷の喝采を————ッ‼︎」
「————っ⁉︎ ミラ——お前まさか————」
耳の奥、頭の真ん中辺りが揺さぶられる感覚があった。
もちろん物理的には何も起きてない、勝手な勘違いだ。
それでも、その音が脳みそをぐしゃぐしゃに引っ掻き回したような気がした。
とてつもない破裂音が響き、そしてミラの全身にうっすらと青白い光が纏わり付く。
それまでに見たどの強化魔術よりも激しく、強力で、無謀なものだった。
「異界の術にはそんな領域もあるのだな。そうか——それならば確かに、私もこの因縁には拘る必要がありそうだ」
「——時間は掛けない。一瞬で終わらせる——」
そこで見てなさい。と、ミラは僕にそう言って、けれど強化も掛けてくれないうちに飛び出した。
当然、そんなことでは僕の目にその姿が捉えられる筈も無く、文字通り万の雷が降り注ぐかのような轟音に置いて行かれてしまった。
「——ああ、そういうことか……っ。ここまで強くなる為の裏付け、理屈——確かにあったんだな」
それはミラの術ではなかった……と、思っていた。
けれど、そんなわけがなかったんだ。
レヴにも成長の為には勉強が必要で、鍛錬が必要で。表に出て来ていない間にそれをこなすなんて不可能なんだ。
だからそれは——このとんでもない力は——
「————ミラを——レヴを、かつてあったふたりの自分の姿を信じてくれてたんだな、お前は」
決着は宣言通り一瞬だった。
ミラが僕達の前に戻って来た時には、既に男の鎧に拳が突き刺さっていた。
ミラでもレヴでもない、ミラちゃんが必死に作っておいてくれたとっておきの魔術。
その力によって、ミラはこの因縁に終止符を……?
「……何故、殺さない。鎧を穿つ力がありながら、どうして己の臓腑を貫かぬ。雷よりも速く動くすべがありながら、どうして再び己の前に姿を表した。全てを超越した力を持ちながら——」
「——買い被り過ぎです、それは。私はただ、大勢から力を借りているだけ。かつての自分に、記憶を失った自分に。アギトに、オックスに、マーリン様に。そして——フリード様、貴方にも」
ぱき——と、鎧は縦に割れ、そしてボロボロと崩れていく。
ただ叩き割られたんじゃないのか、その断面は焦げているようにも見えた。
けれどそれは問題じゃない。
胴が砕け落ち、小手が抜け落ち、そして遂に兜が滑落した。
そうして現れた犯人の顔は、あろうことか黄金騎士の——フリードさんのものだった。
「……買い被ってなどいるものか。君は本当に強くなった。強くなってしまった。
魔女よりも、己よりも。あらゆるものを全て飛び越え、頂にまで辿り着いてしまっただろう。
そうだ……己が目指し続けた、焦がれ続けた地点にまで」
勝者というものがあるとしたら、それはミラだった。
でもそのミラは魔力を使い果たしてしまったのか、へろへろと地面にへたり込んだ。
ならば、それを前に立っている犯人が勝者だろうか。
それもあり得ない。だって……
「……なんで……なんで、フリードさんが……? ミラ、お前まさか知ってて……」
ポストロイドを破壊していた犯人。僕達が追い掛けていた人物。
世界の外を知っている、僕達の出どころを——正体を知っている特殊な存在。
蓋を開けてみればなんのことは無い。それは同行者だったのだ。
共にこの世界に来て、けれど力を失った筈の……
「……知ってたわけじゃないわ。気付いたのよ、昨日。誘き寄せて、戦って、そしてモノドロイドに邪魔されて。
ううん、それも自分で気付いたわけじゃない。教えてくださったのよ、また」
「……教えて……また……? また……って、お前に誰が何を……」
バカアギト。ミラは優しく笑ってそう言うと、自分の胸に手を当てて深く深呼吸をしてみせる。
やっと焦点が——意識がミラの姿をしっかりと捉えると、その身体はそこら中火傷だらけで血が滲んでいた。
そうだ、あの強化は身体への負担が——
「——自己治癒——先代の勇者様が……?」
「そう。フリード様の居場所を教えていただいた時、既にその身に起こっている異変も事情も同時に流れ込んで来てた。
もっと正確に言えば、フリード様の中にあった筈の力の根源が私の方に移って来てたの」
力の根源……? それって……何かを守る戦いにおいては絶対に負けない……ってやつ?
それで……それがミラのところにあったから、フリードさんは戦えなくて、ミラはこんな強くて…………?
「……ちょ……っと、待て、待ってください。戦う力は無くなった……って。
力の根源がミラのとこにあったなら、どうしてフリードさんはポストロイドを破壊出来てたんですか。
その鎧を着て最初に出会った時も、ミラも俺も手も足も出なかった。戦えないなら、どうして……」
「……すまない、アギト。嘘をついた……つもりではなかったが、結果だけを見るならば、己はふたりを騙そうとした。すまない」
フリードさんは深々と頭を下げて、そして何度もすまないと謝罪の言葉を口にした。
その姿はやはりフリードさんのものだったが、しかし黄金騎士のものではなかった。
昨日の明朝に行われた密会で感じたのと同じ、柔らかな表情。
かつての僕に向けてくれた、指導する立場の人間の笑顔ではない。
対等な、心を許せる相手といる時のような緩い顔だった。
「……すまない。そして、もうひとつ己は君達に我儘を押し付けなければならない。いいや、取り上げなければならない……かな。
どちらにせよ、己の個人的な欲と事情によるものだ。それでも……君達を敵にしてでも、己にはやらねばならぬことがあった」
「……はい。分かっています、全て。マーリン様に似て、少しお節介な方だったんですね、勇者様は。全て……はい、何もかもを。フリード様の抱えていらっしゃる事情の全てを、勇者様は教えてくださいました」
フリードさんもミラも、どこか困った顔で笑い合っていた。
僕は……まだ、話の外と言うか……蚊帳の外と言うか……
「なあ、ミラってば。俺にもちゃんと説明してくれよ。その……フリードさんにはフリードさんの事情があって、俺達とは別行動を取る必要があった……みたいな話なんだよな? その……わざわざ敵対までして……」
「ああ……うーん、説明が難しいわね。じきに分かるでしょう、もうちょっと待ってなさい」
いや、じきにって……分かるわけないだろ、説明してくれないと。
そんな僕の訴えを無視して、ミラは大きく伸びをしてからだらんと両足を投げ出して寝転んだ。
もう動けないってか。でも……もう戦う必要が無いなら……
「……? あ……あれ? ミラ、俺達はなんの為に戦ってたんだっけ……? 犯人を捕まえて、モノドロイドに接近して……」
「ああもう、本当に鈍いわねアンタは。それもすぐに分かるから、黙って見てなさい」
え、ええ……僕が怒られるの……?
ミラのそっけない態度に少しだけ泣きそうになっていると、フリードさんの背中に緊張感を感じた。
ミラは……動けないまま、それでも心配そうな顔をしている。
心配そうな顔をしているのに、何かをしようとする気配は無い。
僕にはそれが不思議なものに……いや、異常なものに見えて……
「————では、始めよう。この世界の救済——己達の目的の遂行を————」
「……フリードさん……? 何を……っ! まさか……この音……」
ギィィイ——と、何かが高速回転する音が聞こえた。
それと同時に、ゴムタイヤがコンクリートを引っ掻く音も。
大慌てでミラの——ふたりのそばに駆け寄り、そしてやっと事態を把握出来た。
「……ひとりで……これ、ひとりでやるつもりで……」
「——無論だ。それこそが——」
現れたのはポストロイドの大群だった。
散々ミラがぶっ壊して回ったってのに、その数はここまで来るのに壊したそれの総量よりも多く見えた。
あまりに無機質な敵意の波が、もう戦えないミラと戦えなくなった筈のフリードさんの元へと押し寄せてくる。
世界の救済——それがこの先にあるのだとして、フリードさんの願望というのは————




