第二百七十一話【反社会的な世界救済策】
まだ暗い中で目が覚めた。
誰の声も聞こえない、照明球の眩しさも無い。
ご飯の匂いも無い、ベッドもシーツも無い。
あるのは土の匂いと排ガスの臭い。そして、厚い雲越しに透けて見える朝日の輝きだけ。
「起きた? もうちょっと休んでても良いけど、こんなとこじゃ休まらないわよね。おはよ、アギト」
「おはよう。うう……身体いってえ……」
食べるものも眠る場所もままならぬままに街から抜け出し、僕達は街から離れた丘の窪地で夜を過ごしていた。
と言っても、洞窟や洞穴のような深さなんて無い。
風が吹けば撫でられるし、夜露で服も湿っぽくなる。
幸いなのは、獣が出なかったことくらいか。
「……野宿……はあ。野宿、出来ちゃったな……はあぁ。出来ないと思ってたんだけど、いつの間に俺は……」
逞しくなったんだ。そう、逞しくなったんだと思っておこう。
決して鈍感になったわけじゃない、魔獣がいないからって原っぱのど真ん中で寝るのが平気になったわけじゃない。そんな野生への回帰は果たしてないと信じたいところだ。
「さ、今のうちに街に入るわよ。みんなが出て行くより先に管理棟に近付きたい。せめて事情を説明するくらいはしないと」
「そうだな……みんなきっと心配してくれてるし、結局恩も返せないままだ。お別れもお礼も、それに謝罪もしなくちゃ」
そうね。と、ミラは寂しそうに頷いた。
今日はこの世界に来て十日目の朝だ。九日間もの間匿ってくれたみんなになんの挨拶も無しなんて許されない。
常識とかモラルの話じゃなくて、僕達が目指した勇者としての話。
「フリードさんは……俺達に何かあったって、気付くかな。もしかしたらモノドロイドから連絡が……」
「いいえ、それは無いでしょう。侵入者だと知られていた以上、元々一緒にいた私達とフリード様とを近付けかねない情報は必ず伏せる筈。
そして、あの犯人についての情報も全て隠蔽されるでしょう。
フリード様ではもうあの男に近付けない、私達がやるしかない。そう思っておいた方がいいわ」
隠蔽……か。
そもそも、ポストロイドが破壊されていることを他の誰も知らなかった。
モノドロイドもまだ把握出来ていなかったから……だと、最初は考えた。でも……
「ポストロイドの残骸はしっかり回収されていた。じゃあ、やっぱりモノドロイド……組織の方のモノドロイドは、あの一件を認知してる筈だよな。それでも、モノドロイド……服着てる方の……ああもう! 紛らわしいな!」
「別に呼び分けなくても良いわよ。と言うより、呼び分けるべきじゃないのかもしれないわね。
アレこそが街の中枢組織の核、モノドロイドという組織そのものだと考えておく必要もあるでしょう」
一機のポストロイドによって統治された街……か。
議会があって、複数人の権力者や優秀な人がいて、それらが一丸となって治めている街という最初のイメージとは真逆になってしまったな。
その街の全てを握っているであろう組織であり、あの一機のポストロイドでもあるモノドロイドが、よりにもよってあの犯人と通じているだなんて。
「……状況から見て、モノドロイドはあの男が何をしているのか知っている、知った上で一緒にいるんだよな。或いは……」
「モノドロイドがそれをやらせている、か。正直な話、ほとんどそれで決まりでしょうね。あの犯人がモノドロイドを——街の全てを欺いてポストロイドを破壊し続けているとは考え難い。ただ……あの男の言葉……っ」
この街は私達が救う。そう言ったあの男は、僕達を異界の勇者と呼んでいた。そして、僕達の役割がなんであるかも知っている風だった。
「あの男が特別だと言うなら、なんだってまかり通ってしまう。事情を外から把握出来ていたなら、この街の全てを騙して何かをしでかしていてもおかしくない」
特別な事情が無い限り、状況の推理は簡単なものだ。
しかし、特別過ぎる事情がある故に、答えが二極化してしまっている。
僕達にとって特に厄介なのは、あの男がどちらに傾けるつもりなのかが分からないことだ。
「もし、この世界の終焉があの男の手によるものだとしたら。悪意の有無は関係無く、あの男が街に改革を起こそうとした結果が終という形なのだとしたら。私達は意地でもアイツを止めなくちゃならない。でも……」
「……もしも逆に、アイツも俺達と同じように終焉を前に駆け付けた特別な人間だったとしたら……」
僕とミラの間には確信があった。この世界を救う鍵はあの男が持っている。
あの男を止めるのか、それとも背を押すのか。
それ以外に選択肢は無いと言い切ってしまえるくらい、僕達の中であの犯人の存在が大きなものになっていた。
「最悪なのは、接触すること無くアイツが失敗することね。私達の——外部の介入無しには世界の滅びは免れ得ない。アイツが外部の人間で、私達の代わりに成功してくれるならそれは問題無い。でも、私達も間に合わず、アイツも手が届かなかったとなれば……」
ミラはイライラした様子でため息をついて、そしてスタスタと歩き出した。
気持ち速いペースは、きっと焦りを映し出しているのだろう。
そんなピリピリした空気を醸す背中を、僕は出来るだけ刺激しないように追い掛けた。
街に接近すると、ミラは木の影に隠れてじーっと入り口の方を睨み付けていた。
相変わらず門だの扉だのは存在しないが、しかし今日に限っては様子が違ったらしい。
「……ちっ。迂回……は、してる暇無いか。マズイわね……」
「ど、どうしたんだよ。もしかして……っ」
街の外ギリギリをポストロイドが巡回してる。ミラがこぼしたその言葉には、さっき立てた僕達の最初の目的の破綻が紐付けられていた。
「…………っ。ごめん……みんな……。でも……でも、絶対街は救うから……っ」
モノドロイドは僕達を、特に警戒すべきものとして認識した。
街の外周に見張りが立てられたということは、僕達が外へ逃げたこともバレているんだろう。
そんな僕達がノコノコやって来て、そして街の住民と親しげなんてしようものなら、まず間違いなく疑いの目は無辜の民へと向けられてしまう。
「予定変更。管理棟への接近は諦める。最終目標の達成だけを優先、それ以外は度外視で動くわ。簡単に言うなら、このまま強行突破——騒ぎを起こして、もう一度アイツらを引きずり出すわよ」
「っ。相変わらず無茶苦茶な……でも、分かった。お前はそれが正しいって——最短ルートだって信じたんだよな。だったら俺も信じる」
揺蕩う雷霆——。強化の言霊は二度響き、そして僕とミラの身体を青白い魔力の雷が覆う。
力尽くは僕の意とは反するけど、でもそれが最速最善だとミラが考えたなら仕方ない。
丸投げじゃない、信頼だ。
止まる時、逃げる時は後ろ向きの僕が。突き進む時は前向きなミラが物ごとを決めたら良いんだ。
「二歩後ろを付いて来なさい。必ず道は空けとくから」
「おう!」
僕の返事を聞いてか聞かずか、ミラは不敵に笑って物陰から飛び出して行った。
今いる枯れ木林以外には何も無い、ポストロイドの警戒も当然この場所一点に向けられている。
僕の予想……いいや。僕の願望よりも更に早いところで、ポストロイドは迎撃の姿勢をとった。
「——っしゃぁあ!」
一機目のポストロイドをミラが思い切り蹴飛ばして、そしてすぐに二機目へと飛び掛かって行く。
けれど、向こうの準備が万端過ぎた。硬くて強くて重たいポストロイドの腕部が、突進するミラに向けて思い切り振り抜かれる。
「——ミラ——っ!」
「止まんじゃないわよ! 絶対に私が——アンタを————っ‼︎」
————ッッシャァーン————ッッ! と、凄い音を鳴らして、金属の塊がコンクリートの壁に叩き付けられた。
それは既に機械人形の形を保っておらず、両手足を残して蹴り飛ばされた胴体から、頭部が千切れ飛ぶのが見えた。
「ど、どこまで強くなってんだお前……っ。いくら後期型じゃないとはいえ……」
ミラの進化が全く予想出来ない。
新しい魔術を覚えたとかなら、レベルアップによる新スキルの解放かなと納得出来るのに。
術式はきっと何も変わってない。なのに、ミラの繰り出す一撃一撃が全て二段階も三段階も強くなっているように見える。そ、それはいったいどういうカラクリなんだ……?
「——退きなさい——この出来損ないども——っ!」
だから、それはみんなが頑張って作った……いや、最優先事項以外忘れるんだ。
見回りに出て来ていた三機のポストロイドを一瞬で片付けると、ミラは一目散に街の真ん中を目指して走り出した。
別にそこに何かあるわけじゃない。
大通りを堂々と走り抜ける。ここにいる、と。侵入者が——街を揺るがすものがここにいるのだとアピールする為に。
「……絶対……絶対この世界は……っ」
決して罪滅ぼしの意識だけじゃない。
今までのどの世界よりもひとつの街に——文化に密接に関わったからこそ、失われちゃいけないものがあると強く思うから。
まだ朝早い街の中を、僕達は大暴れしながら駆け抜け続ける。




