第二百六十七話【モノドロイド】
人のようだと——それまでに見た機械人形とは一線を画すものだと、そう思った。
ひと回り小さく、けれどどれよりも強靭で、人間のような姿形であると思った。
ミラの耳も鼻も潜り抜けて接近した、あの小さなポストロイドを——後期型と呼ばれるポストロイドこそを、僕は人間のようだと思ったんだ。なのに——
「——アイツ——違う——っ」
——なのに——それよりも更に“らしい”形のものが現れた。現れてしまった。
皮膚など無く、無論筋肉も無い。
だと言うのに、街の誰よりも立派なタキシードを身に纏い、つばの小さな帽子を深く被っている。
どのポストロイドよりも人間的な出立ちをして、そして何より——人間のように言葉を発した。そう、言葉を。
「——この少女は……例の侵入者だろうか。なら丁度良い、連れ帰ろう」
あの後期型が発したのは、ただの音だった。
言語——警告や案内音声といった意味では言葉だったが、しかし意思疎通を図る為のものではない。
だが、たった今現れたそれは、あの犯人と“会話”をしている。コミュニケーションを取っている。
より人間に近いものとして、当たり前のように振る舞っているんだ。
「……探していたのか。私は彼女らと先日にも一度接触を果たしている。指示さえあれば、その時にでも連れ帰ったものを」
「いいや、客人である君に余計な手間を掛けさせるわけにはいかないよ。しかし、その心使いには感謝する」
僕の頭はどんどん混乱してくばかりだった。
あれは——あの紳士服を着た何かは、確かにポストロイドなのだ。それがどうしてあの犯人と……?
話はギリギリ聞き取れた、これも強化魔術の力なのかな。
でも、その意味が理解出来なかった。
人のようなポストロイドと、ポストロイドを破壊する人。それがどうしてあんなにも友好的な会話をしている。
どうして客人だなんて、それも労うような言葉を掛けているんだ。
「さて……そろそろ起きたらどうかな。動けなくなるほど強くぶつかったつもりは無い。少々危険を感じたのでね、自動的に突き飛ばす形にはなってしまったけれど」
目的を聞かせて貰おう。ポストロイドはそう言って犯人から離れて行く。否、ミラの方へと近付いて行く。
「……けほっ。目的……ね。それはこっちのセリフなんだけど、聞いたら答えてくれるのかしら?」
「どうかな。私の目的を語るくらいは構わないが、しかしそれ自体は君の求めるものとは少し違う気がする。より詳細に、君の口からひとつひとつ問われたなら、答えられる範囲で頑張ってみるつもりはあるけれど」
アイツは突然現れた。どこからともなく……なんて、マグルさんの身隠しでもあるまいに。
でも、ミラの耳も鼻も、それの接近を探知出来なかった。
俯瞰で見ていた僕も一切気付けなかった。そうなれば自ずと答えは出る。
あれは、後期型と同等——それ以上の性能のポストロイドだ。
「しかし面白い子供だ。街の外からやって来たという事実が既に奇妙だけど、それ以上にさっきのは不思議だったよ。
人間だというのに、どうしてか高圧電流を身に纏っていた。いや……電流を纏うというのはひとつの表現であって、実際にどうなっているのかは分からなかった」
「……面白い……ね。そう、それは良かった。今まで頑張った甲斐があったってもんよ」
ポストロイドは悠々としていた。
ミラを連れて帰ると言いながら、しかし力尽くで取り押さえようとするそぶりは見せない。
ミラが相変わらず警戒心を剥き出しにしているにも関わらず、友好的な態度を崩さない。
まさか、説得……? アイツはミラを説得して、暴力的でない解決を望んでいる……とか……?
「……何やら機嫌を損ねてしまったかな。申し訳無い、しかし許して欲しい。私の言葉について何か疑っているのなら、それは不必要だと……そうは言っても、信じて貰えるわけがない、か」
「そうね、全く信用ならない。信じられる根拠が無い。いいえ、疑う余地が多過ぎる。胡散臭いなんて話じゃない、何もかもが不審だって自覚くらいは持ちなさい」
ミラの突き放すような態度に、ポストロイドはがっくりと肩を落とした。
それは……本当にガッカリしたの? 仲良くしようと声を掛けたのに突き放された……から、落胆した。本当に?
機械である筈のポストロイドにそこまでの感情、情緒が本当にあるの? だとしたら……
「……この世界……いったいどこまで進んでんだよ……っ」
話が違う、違い過ぎる、何もあってない。
この世界は元の世界——アギトとミラが出会ったあの世界よりも先の文明を持ち合わせない。それは絶対だとそう教えられた。
より先の文明——未来への渡航は不可能だと。
でも……じゃあ、これはなんだ。
思い浮かんだのはAI——人工知能という言葉。
機械的な計算やパターンの記録を用いて、まるで人間のように会話をこなすもの。
それは、秋人の持ってるスマホにだって搭載されてる、もう身近なところにやって来ている凄いものだ。
でもそれは、秋人の世界ですら完成していないものだ。
「……そうだ。なら、幾つか質問をして欲しい。秘匿性の高い話は出来ないけど、それでも私が何者であるかを確かめるくらいは出来る筈だ。君が感じた不信感を取り除けば、きっと素晴らしい関係を築けると思うんだ。どうだろうか」
それはこんなにも人間的なものではなかった。
尋ねられたことに返答する。まだそういうレベルの話だった、人間ありきの——問いありきの会話しか成立しない筈だった。
なのに、あのポストロイドは自ら会話を試みている。
むしろ、ミラよりも積極的に声を掛けているんだ。
事前にプログラムされた通りに音を発してるんじゃない。それまでのやり取りの末、質問を受けようという解を導き出して提案している。こんなのが——
「……そう、だったら付き合ってやろうじゃないの。まず——」
————九頭の龍雷————ッ‼︎
ミラの口から質問なんてものは出て来なかった。
飛び出したのは魔術的な言霊で、放たれたのは雷の龍だった。
ミラが持ってる中で最も破壊力の高い雷魔術のひとつ。
ポストロイドも、犯人も、何もかもを纏めて吹き飛ばしてやるって勢いでそれは放たれて——
「——凄い——凄いことだ、これは。街の外の人間はこんなことも出来るのか。情報にあったものよりも更に凄い、推定電力は予想の倍近くを計測していたよ」
「————な——に————っ」
しかし、九つの雷は全てポストロイドを介して地面へと受け流されてしまった。
その足元には焦げたような割れたような跡がクッキリ残っているのに、肝心のその本体には傷ひとつ見当たらない。
衣服に多少の焦げやダメージは見られるものの、どこかが故障したような形跡は一切無かった。
「……しかし、同時に残念でもある。君はどうやら、私達と共には来てくれないらしい。凄く凄く残念で……そして、同時に残酷な話だと私はそう思う」
帰ろう。と、ポストロイドは犯人に向かってそう言った。
そう、犯人に——同じポストロイドを破壊している男に向かって。
まさかとは思うが、アイツがポストロイドを破壊して回っているのを知らないのか……?
だとして、あの男はどうしてあのポストロイドと行動を共にする。
ポストロイドが——街が、工場が、工業が憎くてやってるわけじゃないのか……?
「——待て——っ! 待ちなさい! 話はまだ終わって——」
「——それを君達は会話と呼ぶのだね。そうか……それは少し、知りたくなかった事実だ。街の外はそんなにも野蛮なのか」
くるりと背を向けたポストロイドに向かって、ミラは本気も本気——ぶっ壊すぐらいの気持ちで飛び掛かった。
最高出力の強化を纏ったミラの突進、飛び蹴りだった。
それが簡単に防げるものじゃないと、避けなくちゃいけない危険極まりないものだと誰にだって分かる筈だ。なのに……
ポストロイドはそれを避けもせず、受けもせず、ただ見過ごした。
ガシャンッ! と、一度だけ金属音が響いて、しかしそれで終わりだった。
背後から飛び掛かられて、蹴飛ばされて、体勢を崩したのだから当然よろけて一歩だけ前につんのめる。
そう、それだけで終わってしまった。
「——残念だよ。街の外にもまだ人がいると、私は君の存在にとても希望を抱いていたのに。それがこんなにも分かり合えない——分かり合おうとしてくれないものだっただなんて」
「————っ⁉︎」
ポストロイドはゆっくりと振り向いて、そしてミラは最大級の警戒心を持って十メートルくらいの距離を取った。
コイツはヤバい、何かがおかしい。
雷も炎も武術も、やはりあの後期型に通じていなかった。
でも、それとは違う根本的な脅威がこのポストロイドにはある。
それは、これだけ離れた場所にいる僕にだって分かった。
「————ああ、そうだった。名乗るのを忘れていた。うっかりした、これでどう信用しろという話か。しかし……うん、手遅れだったかな——」
「何を————っ! な——速————」
音も無く、気配も無く、そして僕が目で追う暇も無く——ミラの防御すらもままならぬうちに、ポストロイドは一瞬で間合いを詰めてミラを突き飛ばした。
ダンプカーにでも撥ね飛ばされたのかってくらいその小さな身体は吹っ飛んで、そしてコンクリートの建物に叩き付けられてようやく停止した。
「————“モノドロイド”————私の名前はモノドロイド。この街の礎であり、この文明の始祖だ。
もしも違う形で出会っていたならば、君とはもっと話をしたかったよ」
帰ろう。と、それはもう一度同じ言葉を男に掛け、そしてゆっくりと路地を歩いて行ってしまった。
ミラは……もう、ピクリとも動かなかった。
「……異界の勇者よ。君達の役割は終わった、この街は私達が救う。そこで眠り続けるが良い」
男はそう言い残すと、モノドロイドと名乗ったポストロイドとは別の路地を急いだ。
そしてすぐ、機械音がすぐそこまで迫っていたことを思い出させる。
男が逃げて行ったのとは別の路地から、大きな車輪が付いたポストロイドが三機現れた。
動けないミラを連れて行ってしまう為に。




