第二百五十一話【だから、インチキ過ぎるんだって】
建物の壁を探し続けていると、人がちょうどひとり通れそうなダクトを発見した……なんて都合の良い話も無くて。
こっそり侵入出来そうな場所なんて、それこそ窓くらいしか無さそうだった。
「——触れられざる雷雲——っ! うん……よし、行くわよ」
窓から飛び込めば、つまり廊下を堂々と歩いて行く他に無いわけで。だから、もうすっかりお馴染みの結界魔術で建物の構造と人の様子を確認して飛び込むことにした。
便利。便利過ぎて怖い、何その結界。
結界ってやつだけ、マジで全然自然の再現とか関係無い。インチキ過ぎるんだけど、どれもこれも。
「しかし不用心……と思ったけど、窓に鍵なんてあるわけないか。ここは塀で囲われてるんだし、そもそも街の住民全員が識別番号で管理されてるんだし」
「そうね。窓から侵入される心配をするくらいなら、火事が起きた時に煙が逃げてくれない心配をするべきでしょう。そういう街よ、ここは」
もっとも、アーヴィンの建物の窓にも鍵は無いんだけどね。
あそこはそもそもとして、街の人全員が知り合いってレベルの規模でしかない。
まあまあそこそこ大きな街だけど、人の数はたかが知れている……って、こんなこと言うと流石に噛まれそうだな。
「人がいるのはふたつ上の階ね。大きな物音を立てなければまずバレないでしょう。それにしても、相変わらずフリード様の匂いが無い。本当にいるのか心配になってきたわ」
「匂いが無い……か。ミラ、あの排ガスにやられて鼻がおかしくなった、利きが悪くなったってことは無いのか? ご飯の匂いとか、いつも通り感じられてるか?」
そこは問題無い筈なんだけど。と、ミラはちょっとだけ自信無さげにそう答えた。
自信も無くなるよな、そりゃ。今までどんな探し物も見つけて来た自慢の嗅覚が、ここへ来てなんだかよく分からない直感に遅れを取ってるのだから。
いやまあ、どっちもミラの能力なんだし、それの優劣で困ってるのも変な話なんだけど。
「この建物、結構デカいけど何階あるんだ? 王宮よりはデカくないとはいえ、こんなの王都にだって中々……」
「さっき確認した感じだと、フロア自体は三階まで……今人がいる場所までみたい。
その上に部屋みたいなのは無くて、真っ直ぐ伸びてる穴……多分、時計か何かの修理用に、梯子が通ってるんでしょう。
ここに来る時、一番上に鐘も見えてたから、或いはそこまで行くのに使うのかしら」
いや、だからなんでそんな詳しく分かるの。ズルくない?
ちょちょいと魔術使ったらマッピング完了とか、ゲームバランス考えてよ。あと、鐘なんて見えてたんですね。
えっと……でも、別に朝になっても鳴ってるのなんて聞いたこと……地下だから聞こえないのか。
「だとすると……その三階にフリードさんが……? でも、建物の中に入っても匂いを感じられない……か。もしかしたらさ、フリードさんは俺達と同じように地下にいるんじゃ……」
「……順当に考えたらやっぱりそうよね……。でも……どうしてだか、ここにいる……って……」
ミラの答えはやっぱり自信無さげなもので、僕よりもむしろ本人が困惑していた。
先代の勇者……今のフリードさんが唯一親友と呼ぶ相手、かつての仲間。
僕のことをその勇者と似ているとあの人は言ってくれたけど、その素性は全くと言って良いほど分かってない。
僕が知ってるのは三つ。僕と同じように異世界から召喚されたということと、既にあの世界にはいないということと……
「……そして、お前に力を遺してくれた……。ミラ、その感覚は信じてみよう。
マーリンさんのことも助けて貰ってるし、お前だってお世話になりっぱなしだ。だったら今度はフリードさんのことも助けてくれる筈。
なんたってあのふたりが最愛の仲間と呼ぶ勇者だ、絶対にフリードさんを見つける手助けをしてくれる」
「そうね。そもそも、これ以外に頼るアテも無いんだし。気掛かりがあるとすれば、どうして今日になって……ってとこかしらね」
そりゃあ……近付いたからじゃないの? フリードさん本人に。と、僕がそう答えれば、ミラは頭を抱えてしまった。それだけが理由とも思えない。と、そう言いたげに見える。
「フリード様の元へ案内してくれる……って、それだけなら別に良いのよ。その能力にも限度があって、ある程度は近付かないと発揮されないってだけなら。
でも……もし、この力がフリード様の元へと急がせようとしているんだとしたら……」
「急がせ……? まあ、急いでるのは事実だし、それは何も変じゃ……」
バカアギト。と、ミラはじろりとこちらを睨んでため息をついた。
いやでも、急がせようとしてる……なんて言ったって、そもそも僕達が急いでるわけだから……
「そうじゃなくて。フリード様の身に何かが起きて、勇者様の力がそれを探知したとしたら……って話よ」
「フリードさんの身に……か。それはあんまり考えたくなかったけど、可能性はやっぱりあるよな……」
フリードさんは大怪我を負っている。
そんな状態で戦うなんてあり得ない……んだけど、あの人は満身創痍でも魔王と戦った男だ。無茶も無理も無謀も足を止める理由にならないだろう。
ただそれでも、ポストロイドは人間を殺さない、あくまで捕獲が目的だ……と、そう聞いてる。
それでも何か、今代の勇者を急がせる理由があるとしたら……
「……あのポストロイドをやったやつ、いったい何者なんだろうな。もしそれがフリードさんと勇者の力の変化に関係してるとしたら……」
「殺されている……なんてバカな話はあり得ないにしても、苦戦を強いられている、身を隠してやり過ごさなくちゃならなくなってるって可能性は否定出来ないでしょうね」
だとしたら、ここにいなくても何か手掛かりが……僕達に居場所を知らせるメッセージが残されている……とか。
いや、流石にメッセージまでは望み過ぎだろうか。
でも、何かしらの情報は得られる……気がする。
自己治癒——勇者の力は、結界の比にならないくらいのデタラメパワーだ。非常識な成果をもたらしてくれる可能性は高い。
「よし、ならさっさと調べ尽くそう。時間が経てば遅番の出勤とか早番の帰宅とかあるし、変に見つかると逃げるに逃げられなくなるしな」
「そうね。不法侵入者が出入りしている、匿われているとなれば、モノドロイドもあの管理棟へ調査を入れるかもしれないものね」
よし、じゃあ気合を入れてさっさと行こう。
僕もミラもふんふんと鼻を鳴らして、そして静かに廊下を進み始める。
暗くてジメジメしてる地下とは大違いで、廊下も広ければ部屋も中々大きそうだ。
共通点があるとしたら、結局外も暗いから、電球に頼らないと足元が不安なことくらいか。
「しかしひっどい差だな。これ、住んでる建物……部屋の差だけじゃないよな、きっと」
「でしょうね。食べ物も飲み物も、寝具も衣類もそれに薬品ですらも優遇されてるかも。地下の生活水準が低いとは思わなかったけど、でもこれを見た後じゃ……」
流石にめげるよな、これ。
地下だって暮らし自体は優雅なものだった。
ご飯もちゃんとある、自炊だけど。
寝るとこも個室で与えられてる、ベッドは硬いけど。
薬に関しては結構しっかり揃えられていた。それこそ赤貧旅人だったかつての僕達の生活よりも、ずっとずっと良い環境だと言える。
でも、こことの差は、そこそこの生活が保証されている……なんてことでは納得出来ない差だ。
生まれの違いで生活レベルに差があるのは当然だけど、それが努力で覆らないのはやるせない。
同じ職場、同じ仕事をする間柄でもこの差があるのだから、堪ったものじゃないだろうな。
「この先に階段があるわ。上がる前にもう一度確認するから、ちょっとだけ待ってて」
念には念を、と。階段があるという廊下の端を前に、ミラはまたしても結界を展開した。
さて、気になるのはミラの魔力残量か。これに頼らなきゃやってられない以上、どうしても多用してしまっている。
これだけの便利結界、それも中々広範囲に展開する魔術だ。
戦闘になって更なる消費が……なんてのだけは避けたい。
「……よし、行くわよ。足音立てないようにね」
「おう。抜き足差し足……」
すいすいとミラはスムーズに階段を登って行くのだが、その速さに僕では付いて行けない。
そ、そんなに速く登ってよく足音立たないな、お前。猫ちゃんか? やっぱりお前、猫ちゃんなのか?
猫耳も生えたしな、いつか。でも……犬っぽいんだよな、どちらかと言うと。
二階も同じように歩き回って、そしてまた階段を前に結界を展開していた。
ここまでで収穫らしい収穫は無し。フリードさんの残り香も感じ取れてない。
となったら、この上——人がいるっていう三階には何かある筈……なんだけど……
「……困ったわね。廊下で番をしてるわけじゃないけど、だからって見つからずに歩き回るのは不可能だわ。
うーん……こうなったら身隠しの結界を……? いやでも、ここの環境は私の魔術とは相性悪いし……」
「見つからずに行くのは無理……って、それさ。俺が一緒だと……って話か? だったら……」
だったら、俺はうまいこと隠れてるからその間に……と、言い掛けたところで、お腹を弱く殴られた。
そういうのは無しにしましょう。と、言いたいのかな。でも、それに拘って結果を得られないんじゃ……
「決めた。出来る限りで身隠しを張ってみる。でも、環境も悪いし、マーリン様やマグルのおじいさんほど精度も高くない。だから、ちょっとでも変な動きしたらすぐにバレるわ。
私の目の前を、ゆっくり、一定の歩幅で、変なことせずに真っ直ぐ歩きなさい」
「……地味に難しい要求……や、やってみる」
よし。と、ミラは小さく頷いて、そしてなんだか聞き覚えのある言霊を唱え始める。
大魔導士の祈り——と、それを聞き届けた暁には、ミラの姿は見えなくなった。
きっと、ミラからも僕は見えてない……のかな。
ともかく、魔術にも結界にも縁の無いこの世界の人には見つかりっこないカモフラージュが出来上がった。
僕達はお互いに顔も見えないままで、囁き声と壁をつついた音で指示を送り合いながら階段を登り始めた。




