第二百四十五話【ミラの今の敵】
六日目の朝、僕達は昨日までよりも更に緊張感を持って門を飛び出した。
みんなは優しく受け入れてくれてる、甘えて良いと言ってくれている。
僕達の活動を聞いてるだけで楽しいと、そう言ってはくれている。
だけど、それは恩を返さなくていい理由にはならない。
「——ペース上げるわよ。もう半分、探し尽くせば必ず何かはある。絶対……絶対にこの世界を……っ!」
触れられざる雷雲——。と、ミラは今日も結界を展開する。でも……っ。
そうだ、これで六日目だ。
初日、ミラは結構無茶してポストロイドを相手に時間を稼いでくれた。
強化魔術も沢山使ったし、高出力の雷魔術だって唱えてた。
体力も魔力もロクに回復させる暇無く、今日までずーっと頑張りっぱなしだ。そろそろ疲労の色が見えてきているのも事実。
それでも、ミラは顔を上げて前に進んだ。
「……無茶はすんなよ。お前まで……いや……」
お前まで倒れたらどうにもならない——と、つい溢れそうになった弱音を飲み込んで、僕は小さなミラの背中をポンと叩いた。
それがどうしてか気に食わなかったらしくて、ミラはむすーっと頬を膨らませて僕の足を蹴っ飛ばした。い、いてえ……地味痛……
「言われなくても。大体、アンタの方はどうなの。あの時の旅でも、これまでの召喚でも、そりゃあ歩きっぱなしは慣れたもんでしょうけど。でも、こうも空気が悪い環境には慣れてない、経験してない筈よ」
身体の具合……特に呼吸は平気? と、ミラは真面目な顔でそう尋ねる。
言われてみると…………くっせえなあとは思いつつも、意外と平気だな。
工場の排気ガスも、腐った川から上がって来るガスも、どっちも身体にはめちゃめちゃ悪そうだけど。
でも……うん、意外と平気。臭いけど。
「……アギト。その……アンタの元々いた世界……こんな感じだったの……? 工場で造ってるものについても知ってる風だったし……」
「え……? あー……いや。こことはもうちょっと違う……少なくとも、俺が暮らしてた場所にはこういう工場はあんまり無かったかな。行ったことはあるけど」
ミラに元の世界について聞かれるのは珍しい気がするな。
あんまり興味が無い……わけないだろうけど、気にして聞かなかったんだろうな。
いつか僕がミラの元を離れた時——みんなを裏切ってしまった時、やっと大切な話を出来た時。
ミラは言った、僕の暮らす世界がどれだけ幸福で平和なものなのかと怖くなった、と。
魔獣という脅威の存在する世界に呼び付けられて、いつも怯えて暮らしていたんじゃないか、召喚されたことを恨んでいるんじゃないか。それが怖くて言い出せなかった……って。
だから……なのかな。ミラはあんまり僕の——秋人のことを聞いては来ない。
そういうのは関係無く、アギトはアギト、元の世界の誰かとは関係無いと割り切ってるのかもしれない。
いや、どうだろう。うーん……流石に分かんないな。
「……だとしたら、別に慣れてて平気ってわけじゃないんでしょうね。なら尚更気を付けておきなさい。身体に悪いのは明らかなんだから。
そりゃあ……ここから帰れば、身体の不調は関係無いんでしょうけど……」
「うん、分かってる。お前もちゃんと気を付けろよ。自己治癒の能力は細菌や毒には効果が薄い、免疫で対処し切れない時は回復出来ないんだよな? むしろ、普段元気が当たり前になってる奴ほど風邪引いた時堪えるんだぞ」
引かないわよ。と、何故かそんなところに対抗心を見せ、ミラはふんふんと鼻を鳴らしながら路地を進み始めた。
初日からずーっとこの調子だけど、やっぱり当たりが強いよなぁ。
つっけんどんと言うか、意地を張ってると言うか。
やる気に満ちてる……と、そう捉えたら問題は無さそうに見えるけど……
その日もひたすらポストロイドから身を隠して、街の端を目指した。
アルコさんが言ってた通り、僕達は既に街の半分を調べ尽くした。
ミラはそれを過言だと言ったけど、ある一点においてはそうでもない。
そう、フリードさんの捜索という一点においては。
ミラの鼻、耳、目。それに加えて新たな結界魔術。
探知能力は過去最高と言えるだろう今のミラだ、歩いただけでも特定の知り合いを探すのはわけ無いだろう。
もう半分を歩き回れば、特殊な事情があるか、すれ違ってしまわなければ必ず見つけられる筈だ。
「しかし運が無いよな。ここからもう半分探して見つかるんだったら、最初から進む方角を逆にすれば良かった。あの変な男に気を取られたせいで、遠回りしちゃった気分だ」
「なんでもう見付けた気になってんのよ……はあ。まあ、そうね。最後まで調べ尽くせば必ず見つかる自信はある。でも、半分探して見付けられないとは思ってなかった。
運が悪かったって開き直るのは癪だけど、事実そうなんでしょうね」
運……良い方だと思ってたけどなぁ。
僕は多分、かなりの豪運の持ち主だと思う。ほら、家族に恵まれたし。
それに、そもそもアギトっていう存在が奇跡の元に成立してるとこあるし。
だってあれ、無作為でしょ? 無作為に選ばれた世界の中の、その中で無作為に選ばれたたったひとりでしょ? 宝くじ当たるより確率低くない?
んで、その召喚してくれた人がさ、ミラとレアさんだったのもめちゃめちゃ運が良い。となると……
「……お前か、運が悪いのは。俺は超ラッキーボーイだし、お前の運が悪いんだな、このバカミラめ。そうだよな、道選んだのはお前だもんな」
「なんだってそうなるのよ……はあ。私だって運は良い方よ。と言うか、天運が味方しまくってるわよ。勇者様の力を引き継いだたったひとりの人間なんだし、それに……」
それに……? ミラはそこで言葉を止めてしまって、首を傾げる僕を蹴っ飛ばしてまた歩き出してしまった。
ちょっとちょっと、軽いボケを雑に流されるとヘコむんだよぅ、構ってよぅ。
あと……微妙にディスったっぽい感じになっちゃったから、ちゃんと怒っておくれ……
「……運なんて曖昧な話で終わらせるつもりは無いけど、何か作為みたいなものは感じるわね。
フリード様の言葉をお借りするなら、運命や宿命みたいな何かがそうさせてる……みたいな」
「宿命……って言うと、誰との? フリードさんか? それとも、あの出来の良いポストロイド? それとも……」
そうじゃなくて。と、ミラは呆れたみたいにため息をついて、そしてまた僕の足を蹴った。
痛い痛い、最近コミュニケーションが乱暴だぞ、まったくもう。
でも……フリードさんでもポストロイドでも、それにあの変な男でもないとなると……アルコさん?
「世界そのもの——或いは、世界に訪れる終焉との宿命……かしらね。
イマイチ実感も無いし、どうにも信じ難い話だけど、この世界は終焉を食い止める為にアンタについての記憶を取り込んだのよね。
だったら、その記憶は私達と因果が繋がってる筈でしょ? だから……ってのと……」
私達はこれまでに、もう幾つもの世界を渡り歩いてきた。
世界そのものが、私達ふたりだけを異物として認識した……とか。ミラは真面目な顔でそう言って、そしてすぐにイライラした様子で大きな大きなため息をついた。こらこら、幸せが逃げるよ。
「世界には理屈で説明出来ないものは無い……ってのが私達術師の当たり前の認識だけど、今回も私の知る理屈だけじゃ全然追い付いてないのよね。
それが……はあ、イライラするわ。覚えてるし、知ってるし、忘れてないけど。こうして実際に目の当たりにすると……ああもうっ! 気持ち悪い!」
ミラは腕を掻き毟りながらそう言った。
こらこら、痕になっちゃうから……傷は残らないんだったわ。じゃなくて。
気持ち悪い……か。その言葉、久しぶりに聞いたな。
以前に聞いたのは、えっと……マーリンさんに言われて、魔術の出力を抑える——式を完璧なものではなく、簡易的なものに置き換える訓練をしてた時だったかな。
理想通りに並んでないのが気持ち悪い。理論の最大値を選べないのが気持ち悪い。
完璧主義者のミラにとって、最適解の上にも下にもはみ出してしまう事柄は全て気持ち悪いものなんだろう。
「……ん? あれ? お前……ミラ、お前もしかして……?」
「……? 何よ? この期に及んでそんな細かいこと気にするな……とか言いたいの? まあ……私個人の拘りより、目的の達成を優先するのは当たり前だけど……」
いやいや、そうじゃなくて。
と言うか、それについては突っ込む気無いよ、やぶヘビ怖いもん。
そうかそうか、ちょっと——いや、やっと分かった。
コイツが記憶を取り戻してからずーっと……ずーーーっと不機嫌と言うか、僕に冷たい理由。
こっちに召喚されてから、やたら張り切ってたり、気合い入りまくってた理由が。
「お前……馬鹿だなぁ、ホント。バカミラだ。お前、“ミラちゃん”と張り合ってたのか」
「——っ。べ、別に……張り合わないわよっ。大体、張り合いが無いわよ。自信も能力も何もかも無かった時の自分じゃない、今更そんなのと……じゃなくて。なんで自分と張り合わなきゃなんないのよっ」
いや、絶対張り合ってた。断言する、今もなお張り合ってると。
きっと……いや、間違いなく。ミラはミラちゃんに——既に世界を救った経験を持つ、弱かった頃の自分に対抗意識を持っているんだ。
ミラはこれが初めての召喚で、ミラちゃんは四度の渡航を経験し、そして二度世界を救ってみせた。
そして何より、ミラ自身の記憶を取り戻してみせたのだ。
「……むぅ。そうよ、あの弱っちい自分と喧嘩してるのよ。でも、別にそれは今に始まったことじゃない。
昔から……アンタも知ってるでしょ。私はそもそも、レヴと張り合って生きてきた。そういう性分なのよ」
「そう言われると……納得しやすいな、それ。めちゃめちゃ強いレヴと張り合って、それに追い付いたと思ったら今度は沢山世界を見てきたミラちゃんと……か」
僕がそう言うと、ミラはものすっごく不機嫌な顔になってしまった。
むむむぅ……と、頬を膨らせ、そしてじとーっと僕を睨み付けてくる。
ごめんごめん……いやでも、これは僕悪くないだろ。
「はあ……まあ、それがお前のやり方なら否定はしないけどさ。レアさんにも言われただろ。ミラもレヴも全く同じ、ひとりの人間なんだって。それはミラちゃんだってそう。
それでお前……はあ。ほんっとうに不器用と言うか……いや、手先は器用なんだけど……バカミラだなぁ……」
ミラはどうやら、ミラちゃんでは取り得なかった選択肢に拘っていたみたいだ。
やたら猪突猛進だったのも、ミラちゃんが比較的慎重なタイプだったからだろう。
いや……ミラもミラちゃんも一緒なんだけどさ。
自信を失ってた自分と張り合った結果、今は自信に満ち溢れ過ぎた行動ばかりを取ってしまっていた……と。
「うるさいわね! このバカアギト! 私だって世界のひとつくらい救ったわよ! アイツがふたつ、だからここで並んでやるの! 次があったらどっちが上かハッキリさせてやるわ!」
「なんで自分と競争してるんだよ……仲良くしろって、ほらほら」
ミラの変調の理由は分かった。でも、他の大切な情報は何も分かってない。
それでも、どことなくぎこちなさの取れたミラと一緒に、多少は気を楽にしてまた捜索を再開する。
昔の自分と喧嘩……か。まあ……僕も引き篭もってた時期の自分は蹴っ飛ばしたいし、分からなくもないけどさ。




