第二百四十三話【大した情報は無かった……?】
男の尾行は、それはそれは簡単なものだった。
自分が誰かに尾け回されるなんて考えていない、そもそも自分以外に人が出歩いているなんて思ってもない。
そんな軽やかな足取りの男を追い掛けるのは、人間よりもずっとずっと警戒心の強い魔獣を相手してきたミラには簡単過ぎるミッションだっただろう。
だけど、簡単というのはそういうことじゃなくて……
「間抜けも間抜けで大助かりね。アイツの後ろにはポストロイドはいない、いても私達を敵と認識出来ない。こんなにヌルい尾行は初めてよ」
「いや……尾行自体そんなに経験無いだろ……」
フルトからキリエへ向かう途中、ゴートマンの後を尾けたくらいだろ。
そんな僕のツッコミなどお構いなしに、ミラは余裕の表情で男の背中を睨み付ける。
そう、あの男の後ろにはポストロイドはいない。
と言っても、アレがどういう方法で人間を見分けているのかは知らない。
だから、まったく可能性が無いとは言い切れない。
物陰からでも僕達を見分けられるなら、或いはこのミラの自信はただのフラグということになる。でも、それはよくて。
「……ん。アギト、迂回するわ。ちょっと静かに」
触れられざる雷雲——と、ミラは男の合図を見て結界を展開する。
味方でもなんでもない男からの合図——それは、男が路地にどんな顔を向けたか、だ。
何も無ければ見ない、気にしない。
動くものがあればどうしても目を向ける。
でも、それが自分に無害なものならその視線には敵意や害意は無い。
僕ではとてもその差なんて分からない、そもそもそこまで細かくは見えない。
けど、ミラにとっては代わりに見張りをして貰っているようなもの、というわけだ。
「……うん、やっぱりいるわね。それにしても……あの男、アンタみたいね。アンタと違って多少の悪巧みと自己保身を考える頭があるくらいで、根本的なところで危機感が足りてないわ。
それだけ安全な街……七桁には暮らしやすい街ってことでしょうけど」
「なんでディスった? ねえ、なんで俺をディスったの? おい、こら。バカミラ」
急ぐわよ。と、僕の文句を封殺して、ミラはスイスイと細い路地を駆け抜けて行く。
あっ、こら、待て。僕はお前みたいに身軽じゃないし、小さくもないから狭い道は……いたい! 足を踏むな!
男の手助け(?)もあったおかげで、僕達は午前中よりもずっとずっと効率良く街を進むことが出来た。
しかし、それは目的ではない。
こうして遠くまでやって来た理由は、あくまでも街の実態を掴む為。
となると、あの男だけを見てても仕方ないんじゃ……
「なあ、ミラ。そりゃ……他に手掛かり無いし、アイツが悪い奴っぽいとは俺も思った。でも……あの男が大した権限も持ってない男だとしたら……」
「その時はその時よ。あの男を尾けている限りは楽に進める、広い範囲の形を把握出来る。なんの収穫も無かったとして、それでも物理的な街の形——道、建物、それに技術。そういうものは確認出来るわ」
ここで活動していくんなら、土地勘はあった方が良いでしょ。と、ミラはキョロキョロと辺りを見回す仕草しながらそう言った。まあ……それはそうだけど。
でも、時間は限られている。十日から十五日くらいだと読んでるこの召喚の期限だけど、実際にはどうなってるのか分かったもんじゃない。
乗員が三人に増えたことで、少なからず不具合や変更があるだろう。
事実、今までには無かったノイズが発生していた。
だから……と、つい気持ちが焦ってしまう。
「……っ。こっちに戻ってくる……何よアイツ、何しに来たのよ。っていうかフラフラしてばっかりで何もしないじゃない。本当に何者よ、まさかただの浮浪者じゃないでしょうね」
「陰口はやめなさい、陰口は。そんな子に育てた覚えはありませんよ」
その悪口は僕にも効く、やめろ。
どうしてもあの男に対して辛辣な言葉遣いをするミラをなだめ、僕達は大急ぎで路地裏に身を隠した。
そして、またあの結界を展開する。
アイツが先頭を歩いてくれない以上、逃げた先にポストロイドがいるなんて展開もあり得なくはない。
「……こっち。アイツ、私達に気付いて……は、ないわよね。来た道をそのまま戻らないってことは、やっぱりアイツはまだ何かの途中なんでしょう」
目的を達成した帰り道なら、わざわざ道を変える必要は無い……と。
いやでも、ほら。帰り道変えるとちょっとワクワクしない……? するよね? え? 僕だけ?
どうやらそんな風情は気に掛けないらしいドライで冷たいミラの指示に従って、もう一度男の背中を睨みながらの尾行に戻った。ワクワクすると思うんだけどなぁ……
それからしばらく尾行を続けたものの、男の行動は何も変わらなかった。
しかし、それが僕達に大きな疑念を植え付ける。
あの男は何者だろうか。
少なくとも、六桁であるアルコさんにポストロイドを嗾けていた——命令権を持っていた。
それが七桁なら当たり前に持ってるものだとしたら話は早いけど、そうじゃないとしたら……
「結局、取引をするでも工場に顔を出すでもなし。それどころか、窓から覗き込むそぶりも見せなかった。
私達に気付いて素性を隠してんのか、それとも本当にただの散歩だったのか。歩き回ることに意味があったのか、それとも……」
「偉い人ではなさそう……とすら言い切れないのか。こんだけ歩き回って、収穫が本当に地図だけとは……」
でも、そろそろ戻らないと。
夜になったら街が変わる……というのも、過去には経験している。
そこを確認したい気持ちもあるけど、夕食には帰ると約束してしまったから。
本当に夜が物騒なのだとしたら、みんなを不安にさせる行動は一番ダメだろう。
もしそれで探しに来てくれたりなんかしたら——出て来てしまったが故に悪いことが起きたりなんてしたら、なんて謝っても許されやしないだろう。
「癪だけど、今日は見逃すしかないわね。ちっ、悪巧みの現場押さえて叩き潰してやろうと思ってたのに」
「だから、なんであの男に対してそこまで当たりが強いんだよ。まあ……お前の気持ちは分かるけどさ、手に取るように」
ふんふんと鼻を鳴らして憤るミラの姿に、どうにもかつての——最初はボルツだったかな。僕を害そうとする人を前にした時の姿が重なってしまう。
そう、最初は確か盗賊だった筈。
あの頃は主に僕が、そして今は全ての弱い人が。ミラにとっての守るべきもので、それこそが天の勇者としての誇りなのだろう。
しかし、音に聞こえし勇者の威光も、この異世界では淡いものなわけで。
僕達はまた結界頼りの道を進んで、また時計塔の影に隠れる門に辿り着いた。
管理棟と呼ばれた地下施設への階段を降りれば、既に食事の匂いが漂ってきていた。ちょっと遅刻してしまったかな……?
「ああ、おかえりふたりとも。良かった良かった、迷子になってしまったかと思ったよ。
私達は迷っても送り届けて貰えるけど、君達はまだどこにも属していない、識別番号が無いからね。心配してたんだよ」
「すみません、遅くなってしまって。ちょっとだけ遠くに行き過ぎちゃって……」
ミラがはしゃいじゃったもので。と、わしわしとその小さな頭を撫でながらそう言うと、ミラはまたふしゃーと牙を剥きながら僕の手をはたき落とした。
お前……っ。なでなで……好きだったじゃんか……なで…………ぐすん。
「……やっぱり、モノドロイドに申請して識別番号を貰うのが一番なのかもしれないね。
でも、こんなケース初めてだから。それで本当に君達が暮らしやすくなるのかは分からない。
それに、貰った番号が六桁じゃ、あまり変わらない可能性もある。困ってしまったね」
「……いずれはモノドロイドと接触を図る必要があるでしょう。長期滞在することになれば、やはり労働は欠かせません。皆さんに甘えるばかりでは申し訳も立ちませんから」
ミラの言葉に、みんなはちょっとだけ微笑ましげに笑って、そんなのは気にしなくて良いのに。と、言ってくれた。
でも……気にするよな。
食料が配給制だと言うのなら、認識されている人数分しか届かないだろう。
そうなれば、僕達が食べた分だけみんながひもじい思いをする。
それは良くない、勇者としても人としても避けたいところだ。
そうなると、やっぱり早いとこ手掛かりを見つけて……
「……俺達はどうしてもやらなきゃならないことがあるんです。だから、ご飯を食べながらで良いので、良ければ工場の様子なんかを教えて貰えませんか? たとえば……えっと……えーっと……」
七桁も六桁も一緒に働いているのか。
ポストロイドの部品以外には何を作っているのか。
労働に対する賃金はどれだけで、そのお金は何に使うのが一般的か。
僕が聞こうと思った質問の全部を、ミラはすらすらと横から掻っ攫って行った。
ち、違うし。別に、何聞いたら良いんだろう……? とか、そんなんなってないし。
ミラが横取りしただけだし、僕だってちゃんと思い付いてたし。ぐすん……
「うん、分かった。僕達に答えられることなら」
でも、まずはご飯だ。ふたりにはお皿を運んで貰おうかな。と、ニコニコ笑ったアルコさんと一緒に、僕もミラもキッチンから料理と取り皿を運び出した。
今日の食事当番はバンスさん、その無精髭に似合わず繊細な包丁さばきの持ち主らしい。
いや、似合わないってのはみんなが言ったことで、僕がそんな失礼なこと思ったわけではなくてね……?
食事を終え、そして僕達は部屋に戻った。
いや、ミラは戻ってない、僕の部屋に来てる。
来て……戻っておいでよ……また枕になってあげるから、一緒に寝ようよ……ぐすん。
「さて……情報整理しとくわよ。紙に書くのは無し、何かの拍子に私達の行動が外に漏れるのを防ぐ為にも。だから、しっかり考えて覚えておきなさい」
「うっ……が、がんばる……」
そして今日の反省会……もとい、得られた情報を纏める会議が始まった。
街を歩いて、あの男を尾行して気付いたこと。
それと、ついさっきみんなから聞いた話。
それらを纏めて、次の手掛かりを探す話し合いが。




