第二百四十二話【若干スレた一般人】
時間はあっと言う間に経過した。
みんなと一緒に街に出て、慎重に歩き続けて何時間かが経っただろう。
うっすらと、本当に視認出来るギリギリの濃さの僕達の影が、一番短い時間に差し掛かっていた。
「触れられざる雷雲!」
ぱ——ちぃ。と、ミラの身体が一瞬だけ光って、そしてすぐ無音が戻ってくる。
広域探知結界と説明されたその術式の探査範囲がどの程度かは分からないが、ここまではまだ一度もポストロイドと鉢合わせていない。
曲がり角をふたつほど越える度に再展開しながら、僕達はもう時計塔が目では見えないくらいのところまでやって来ていた。
「……流石に……はぁ。ちょっと疲れたわね。どこかで腰を落ち着けたいけど……」
「どこか……うーん、どっかに隠れられる場所があれば良いんだけどな」
それこそ民家にお邪魔するくらいしないと、無音無臭で近付いてくる可能性があるポストロイド相手には気が休まらない。
僕だって緊張で結構ヘトヘトになってるんだ、魔力も体力もゴリゴリ消費してるミラはその比じゃないだろう。
日差しのほとんど射し込まない肌寒い街の中で、ミラだけがじっとりと汗をかいていた。
「とりあえずご飯にしよう。長い休憩が無理でも、ちゃんと水飲んで何か食べれば多少はマシになるだろ。その間は俺が見張りするからさ」
「ん、ありがと。でも、アンタの見張りで敵を見つけた頃にはもう手遅れじゃない。休むならアンタも休んでおきなさい」
んぐ……心配してくれるのは良いけど、サラッと急所を刺すのやめてください。
結局、ここでもまた、僕の能力の無さが足を引っ張るらしい。
今更それを嘆くつもりも無いけど、情けなさと申し訳なさはどうしたって湧いてくる。
ごくごくと喉を鳴らして水を飲むミラの姿を、どうにも真っ直ぐ見ていられないくらいには。
「……ちゃんと飲んどきなさい。自覚は無くても渇いてる場合はある。特に、こういう緊張続きな時なんかはね。それで集中力を欠く可能性もあるんだから」
「お、おう。そうだな、これ以上足引っ張るのはごめんだ」
ミラから受け取ったもうひとつの水筒を口元に運び、冷たくもない水を喉に流し込む。
ひと口ふた口だけ口に含んで終わらせようと思ったのに、無意識にごくごくとたくさん飲んでしまった。思ったより喉渇いてたのか、僕。
そんな姿を見てか、ミラはちょっとだけしたり顔で胸を張っていた。
「ほら、やっぱり喉渇いてたじゃない。私が言うのもなんだけど、アンタは自分に頓着しなさ過ぎよ。この街では私の能力もそこまで有効じゃない、アンタはアンタの力で自分を守りなさい。空腹や脱水症状からも、ね」
「……おう、悪い」
さ、行くわよ。と、ミラはぐりぐりと足首をストレッチして、そしてまた結界を展開する。
今のコイツの膨大な魔力量を考えても、連日こんなことをするわけにはいかないだろう。
となれば、やはり早いとこ成果が欲しいものだ。
こっち。と、歩き始めたミラの背中を追いながら、僕はかつての旅を思い出していた。
魔力切れで動けなくなったら、いよいよアイツらから逃げる術が無い。
「ところでさ、先にフリードさんを探すってのはダメなのか? あの人の匂いなら追えるだろ?」
「ん……それも試したんだけどね。昨日逃げて来た道とは別方向に、ちゃんとあの方の匂いはあった。そっちに向かったんだとは思うんだけど……」
途中で切れちゃってて。と、ミラはしょんぼりそう答えた。
途切れてた……となると、フリードさんはやっぱりやられてしまって、あのバスみたいな——或いはもうちょっと小型の自動車型ポストロイドに乗せられて運ばれてしまったのかな……
もしそうだとしたら、合流はかなり難しいものになりそうだ。
「街中調べ尽くすしかないわね。幸いなのは、そこに濃い血の匂いが残ってなかったこと。フリード様はあの場所で激しい戦闘を行なったわけじゃない。脚は無事だったわけだし、怪我も考慮してすぐに逃げてくださったんでしょう」
逃げた……か。
ミラはまだそう言うけど、簡単に取り押さえられて、戦う間も無く連行されたって可能性の方が高いだろう。
僕がめげないように気を遣ってくれてるのか、本人が信じたいのかはどっちでも良い。
ただ……現実として残るのは、フリードさんが勝って帰っては来なかったという事実だけだ。
「……っ。ストップ、声も出さないで。何かあるわね」
何か……? と、つい迂闊に聞き直してしまって、それはそれは鬼の形相で睨まれてしまった。ご、ごめんって。
でも、ミラはすぐに前を向いて、そこそこ遠くに意識を集中させる。
じりじりと、足音を立てないようにゆっくりと建物の方に近付いて、そしてその影に隠れて何かの様子を観察しているみたいだ。
「……っ。触れられざる雷雲——。うん、よし。行くわよ、今度こそ静かに付いて来なさい」
おう。と、今度はその返事を飲み込んで、何がなんだか分からないまま、ミラの後に付いて行った。
冷静に考えると、何もかも分かった状態でコイツに付いてくことってほぼ無かったわ。絶対説明端折るもん、このおバカ。
逐一結界の張り直しをしつつ、ミラは物凄い勢いで街を駆けた。
さっきまでの牛歩とは違って、明確に追い掛けるものがあるって感じだ。
でも……いったい何を見つけたんだろうか。
フリードさん……だったら、隠れる必要も、僕に黙ってる必要も無い筈だし……
「……っとと。アギト、見える? アイツ、あの時の……」
「アイツ……? えっと……っ! あの時の……」
ミラが指差した先には、みんな働いている時間なのに、街をぶらぶらとほっつき歩いている男の姿が——昨日、アルコさんを襲っていた男の姿があった。
アイツ、何してるんだ。もしかして、アイツ仕事無いのか……?
それは……どっちだ……? その……休日なのか、それとも……昔の僕と同じ状況なのか……
「……特別階級……ってわけね。なるほど、アイツは七桁の中でもかなり厄介な存在になりそうだわ。
アギト、しっかり顔覚えておきなさい。んで、もし何かの拍子に鉢合わせたら……出会い頭に思いっきりぶん殴ること」
「物騒。お前は本当に物騒なんだよ。殴らないよ、覚えはするけど」
半端に長くてウェーブの掛かった茶髪、それにまあまあそこそこ平凡な身長。
スラッとしてるわけでもなければ太っているわけでもない、特徴の無い体型。
そして何より、他者を見下したような冷たい目。
覚えたは覚えたけど……特別階級ってのは何? え? やっぱり自宅警備員の方です?
「アイツはきっと、管理する側の人間なんでしょう。問題を起こしたから左遷された……というのでなければ、昨日いた辺りの工場で働いてないとおかしいじゃない。
ただ休みだから……というのなら、こうして出歩いてるのがアイツだけなのもおかしい」
休みに出歩くのが当たり前なんだとしたら、もっと大勢が歩いてないと。アイツだけが休暇を貰ってるわけじゃないんだから。と、ミラはジーッと男の背中を睨みながらそう言った。
しかし……管理する側、とは?
モノドロイド……って意味……ではなさそうだ。
もしそうなら、あの場でアルコさんを襲ったりしてないだろう。
いや……モノドロイドに属している、気分の悪いやつ……ということなら納得もするけど……
「管理は管理よ、街じゃなくて仕事の管理。要するに、各工場の状況、進捗を確認してるんじゃないかしら。視察とでも言うのかしらね」
「視察……ねえ。ちょっと偉い人ってことか。それで……じゃあ、偉い人がなんでまたアルコさんを……」
そんなのは知らないわよ。アイツがおかしいやつだっただけでしょ。と、ミラはいろんな意味で辛辣な答えをくれた。お前……やっぱり当たりがキツくなってるよな……
「何かが気に食わなかったんでしょう。アルコさんの仕事ぶりなのか、それとも工場全体の業績なのか。或いは、やっぱり六桁ってだけで手当たり次第にいびってるのか。
なんにしても、ロクなやつじゃないわ。とてもじゃないけど仕事を任せたいとは思えないわね」
「な、なんでそこで市長目線なんだお前は……まあ、気持ちは分かるけど……」
動いた。と、ミラはそう呟いてまた歩き出した。
もしかして、このままあの男を尾行し続ける感じです?
そ、それは……無駄な休日の過ごし方だなぁ……ではなくて。
確かに、現状手掛かりらしい手掛かりは何も無い。
なら、指先ひとつでも掛かる部分のあるアイツを追うのは、理に敵ってる……のかな?
「これでモノドロイドとの取引なんかが見られたら収穫なんだけど。まあ、そこまでは望まないわ。その代わり、この街の在り方についてしっかり見せて貰うわよ」
「……なんかお前、やっぱり……」
機嫌悪いよね……?
よっぽどこの街の在り方——歪み方が気に食わないらしい。街は人々を助けるものだって認識が、ミラには強くあるからな。
むすっとむくれたままのミラと一緒に、なんか……小悪党っぽい風体の男の尾行を続けた。




