第八十七話
「〜〜〜〜っ! っ! っ‼︎」
「はいはい、分かったから。飲み込んでから喋ろうね」
満面の笑みで、ミラは膨らませた頰をモゴモゴさせながら僕の袖を引っ張る。そうか、美味しいか。僕はもう、お代に気が気じゃ無くて味も分かんないよ。
部屋に荷物を降ろし、身軽に……いえ、邪魔になるほどの荷物なんて持ってないんですけど。部屋を後にした僕らは、オックスの先導で一軒の古びた料理店で食事を摂っていた。
「す……すごい食うっスね……。一体、その体のどこに入って行くんスか……?」
「その疑問は尤もだが諦めろ。俺はもう考えるのはやめた」
食事を摂っていた、と言うのは文字通り過去形の話。もう既に僕もオックスもご馳走さまなんだが、この娘っ子が食べること食べること。よほど味付けが好みだったのだろうか、それとも腹に入ればなんでも良いのだろうか。少しピリッとした中華料理の様な、香辛料の刺激がミラの食欲をかき立て過ぎている。
「でも、本当に美味しかったよ。なんて言うか、アーヴィンには無い味だったっていうか……」
「それはそうっスよ。アーヴィンじゃ胡椒なんて高級品っスけど、ここじゃいくらでも買えますからね。港が近いんで、海産物も安いっスよ」
胡椒が高級品……か。どこの家庭にもあるあの胡椒が高級品……ううむ、実感が湧かない。港が近いから海産物が安いというのならまあ、冷蔵庫なんて無いこの世界では当然として。胡椒……
「ここらは土壌が悪いっスからね。芋以外の野菜はあんまり、穀物も中々。でも魚と砂鶏は名物になるくらいには良いもの食べられるっス」
「砂……鶏……?」
知らないっスか? いえ、知らないっす。そんなやりとりをしていると、ふと視線を感じた。もぐもぐと口を動かし続けているミラの方を見ても、とぼけた顔でこちらを見ているだけで……これじゃなさそうだ。キョロキョロと辺りを見回しても、やはりこちらを見ている様子の人はいない。思い過ごしだろうか? だがやはり視線を感じる。僕はこっそりオックスに相談することにした。
「あのさ……なんか視線感じるんだけど。お前一人だったよな? それともお前の知り合い、近くに居たりする?」
「視線っスか……? ここへは一人で来たし、ガラガダに移ったのも結構前の話だから知り合いなんてまだ生きてるかどうかも分かんないっスよ」
めちゃくちゃ物騒な事を聞いた気がしたが、そこには触れないでおこう。そうか……知り合いみんな移住したか死んだかなんて修羅の国なんだな、ここも……っ。だがそうなれば……うん、やはり視線を感じる。って、こういうのを感知するのはミラの役目でしょ⁉︎ 何呑気にご飯食べてるんだ!
「あのさ、ミラ……」
「…………? むぐむぐ…………ごくん。何? あげないわよ?」
もういらないよ。横取りしないからチキンのお皿を隠すんじゃない、いやしんぼみたいだろ。ではなくて。
「視線? そりゃあ感じるでしょ、私がいるんだし」
「……はあ? なんだその自意識過剰みたいな…………いや、そりゃ視線も集めるか……」
僕は積み上げられた皿の塔を見て勝手に納得した。違う。と、テーブルの下で足を踏まれ悶絶している僕に、ミラは顔を近付けて耳打ちした。
「忘れた? 私達魔術師や錬金術師には、他人の魔力痕や属性痕が見えるのよ。この街、魔術に長けた人はそう多くないみたいだから。ちょっとでも齧っていれば、私の異常性に気付くの」
「魔力痕が……って事は」
ミラは小さく頷いた。近くに魔術師か錬金術師がいる。そして、それが僕らを見張っている。という事か。
「…………変なこと考えてそうだから釘刺しとくわね。別に物珍しいから見てるってだけよ。好奇心と向上心で生きてるのよ、大概の術師って奴は」
「……べ、別に変な事とか……」
思い切り図星をつかれた。顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。だってそんな言い方したら! げへへ、こいつ妙な魔力痕が着いてるぜアニキ。ああ、へへへ。じっくり調べさせてもらおうか。体の隅々までなあ! げへへ! 叫んだって無駄だ! こんなとこに人なんて来ねえよ! へへへ! 悔しいか? 悔しいよなあ! こんなすごい魔力のお前が、俺達カスみたいな魔術師にいいようにされるってんだからよ! みたいな事考えるじゃないですか‼︎ くっころ的な展開を! 想像しちゃうじゃないですか‼︎
「…………ご馳走さまでした。さ、宿に戻りましょうか。一回私の部屋に集合ね」
「あ、はい。え……? 本当に何も無いの? え?」
すごく冷たい目で、何言ってんの? と言われてしまった。お勘定の最中とても寂しい気持ちで俯いていた僕を、オックスだけは優しく…………とかも無く。寂しい! 寂しいぞ! 駄々をこねるわけにもいかず、涙は心の奥にしまって、僕はさっさと行ってしまうミラの後を追って店を出た。砂を食って生きているという砂鶏の唐揚げ。非常に美味しかったです。
旅館に戻るや否や、ミラは僕らの手を引いて角の部屋へと飛び込んでいった。すると、部屋の棚の上には昼間彼女の腰に見たホルスターの様な革のベルトが無造作に置いてあった。良いもの、見せたいものってコレだろうか。もしそうなら、なんてぞんざいな扱いだろう。
「そういえば言ってたっスね。良いものって、もしかしてこのベルトっスか?」
「ふふん。中々鋭いじゃない。でも残念、ベルトはあくまでベルト。持ち運び用のホルスターを取り付けてあるだけのね」
なんだよ、勿体つけるじゃないか。僕らは随分嬉しそうなミラを急かした。しかし、持ち運び用とはなんだろう。ミラが言う良いものというと、どうしても図書館とか魔術書ばかりが浮かんでしまうのだが。
「早く見せてほしいっスよー。ミラさんってばー」
「ふふーん、良いでしょう。さあ刮目しなさい! これが金貨二枚叩いて買った私のとっておきよ!」
金貨二枚⁉︎ 待って⁉︎ 金貨二枚⁉︎ 僕は現れた物よりもその金額に驚きすぎて、もうソレがなんなのかとか全然どうでもよくなっていた。金貨二枚⁉︎ 嘘でしょ⁉︎ 金遣い荒過ぎ無い⁉︎
「これ…………って、拳銃っスか?」
「あれ……? あれれ? なんかリアクション薄く無い?」
ミラの手の中にあったのは、一丁の拳銃——もちろん、リボルバーでもオートマチックでも無い、中折れ式の単発銃。口径は大きそうに見えるが……ふむ、拙者のミリ知識ではそれがどう呼ばれているのかは分かりかねますな。マグナムとかハンドガンとか、そんなに拾って嬉しく無いんですよ、ええ…………って——
「け——っ⁉︎ けけけ拳銃⁉︎ 何⁉︎ 何してんのミラ⁉︎ っていうかどうやって買ったのそんなの‼︎ 返して来なさい‼︎」
「ちょっ……リアクション薄いって言ったけど、そういうのが欲しいわけじゃないわよ!」
リアクションって貴女ねぇ‼︎ そんなの持ち歩いてたら銃刀法違反で捕まっちゃうんだよ⁉︎ それに子供がそんなもの持って……危ないでしょうが‼︎ 色々言いたいことがぐるぐるして、とりあえずミラから拳銃を没収したあたりでふと冷静になった。そう、今こうして僕に涙目で返して返して言ってるこんな小さな少女が、どううしてこんな物買えたのだろう。って言うか、なんでこんなのにお店の人も売ったりしたのだろう。
「アーヴィンじゃ珍しいんスか? 火薬も鉄も潤沢だから、ここじゃ魔獣対策とか護身用に、子供から老人まで持ってるっスよ?」
「嘘でしょ⁉︎ テキサスかよ‼︎」
いえ、テキサスに勝手なイメージを抱いているだけなんですけど。テキサス? と、首をかしげる二人に適当な嘘を取り繕って、僕はそろそろ噛み付いて来そうなミラにおもちゃを返した。出来れば返したくないのだが、こんな物……
「ふーん! ただの拳銃じゃないわよ! 見て……貰うには、ちょっと場所が悪いわね。聞いて驚きなさい!」
そう言ってミラはベルトに括り付けられた小さなケースから弾丸を三つ取り出した。危ないから弾は出してあったのね。偉いぞミラ。褒めたつもりだったのだがミラは微妙に不機嫌そうな顔をする。
「危なくないっての。良い? これを入れて……」
「ちょっ……危ないって! 人に向けるんじゃありません!」
などと言っていたのも束の間。彼女は何の容赦もなく引き金を引いた。え……? 嘘でしょ……? 僕撃たれて…………とはならなかった。
「…………おもちゃじゃないか。もう、鉄砲のおもちゃ買ってはしゃぐなんて、子供だなあ」
「なっ⁉︎ 違うわよ! 最後まで話を聞きなさいってば!」
小さな破裂音と共に打ち出された弾丸は、弧を描いて僕のお腹にぶつかりそのまま床に落ちた。男子小学生と同じ好みをしているんだな、コイツは。可愛いなぁ、金貨二枚って金額を知らなかったらなあ。僕はまだ何か言おうとしているミラの両頬を手のひらでぶにぶに押し潰した。さあ、お説教の時間だ。
「ひゃめ……アギト! もう! 聞いてってば!」
「言い訳は結構。きついお灸を据えてやるからな」
その日、財布の管理権がミラ一人の個人管理から二人での分担管理となった。そしてミラはお小遣い制になった。