第二百三十七話【統治、管制】
地下で最初に目にした光景は、普段アーヴィンや王都——これまで行った全ての世界、秋人の世界でも馴染んだものだった。
人がいて、人々がいて、そして笑っている。
照明が無ければ前も見えない暗い地下にあって、その場には鬱屈した空気なんて存在しないかのようだった。
「ええと……まずはこっちの説明……紹介をした方が良いよね。助けて貰ったわけだから、礼は尽くさないとね」
アルコさんは手を借りながら椅子に座って、手当てもそっちのけでそう言った。
話が早いのは助かるが、しかしうちの過保護な勇者ちゃんはそれを見過ごせないので。
まずは怪我の処置をしっかりしましょう。と、医療道具やお湯、それに清潔なタオルを準備するようにとお願いした。
「あはは、大丈夫なのに。優しいね、ミラちゃんは。ありがとう」
「いえ、そうあれと教えられましたから。それに、そもそも全然大丈夫じゃありません。あんな不衛生な道を通って来たんですから、傷口から菌が入れば病気にもなります。最悪、このまま足が腐り落ちる可能性だって……」
えっ。と、アルコさんはにこにこ笑顔から青い顔に変わって、そんなに危ないのと言わんばかりに狼狽えていた。
正直、この場所だって衛生的かと問われれば黙るしかない。
雨が降れば水が多少流れ込むのだろう、床はぬるぬると湿っていた。
空気を取り込む穴から虫やネズミ、蛇なんかが入って来てもおかしくない。
傷口をちゃんと消毒して、ガーゼや包帯でしっかり保護する必要が大いにある。
「手際が良いね。もしかして、ミラちゃんはお医者さんなの? 外にもちゃんと生活があるってことかなぁ。だとしたら……ちょっとだけ嬉しいような、びっくりしたような」
「いえ、私は……? 外にも……あの、それはどういう意味でしょうか?」
外にも生活がある……? そりゃあ……そうだべな。
心の中の口調がおかしくなってしまうくらい変なことを言われて、僕もミラも目を丸くして首を傾げた。
外にだって街はあるだろう。まあ……その外の街ってやつから来たわけじゃないんだけどさ……
「この街の外には人なんていない……って、これもずっとそう教えられてたことだからさ。
もっと正確には、もう人が住める場所は無い……かなぁ。
その為にモノドロイドが作られて、この街だけでも守り抜こうとしている。そうしていつかは、また外にも街を作ろうとしているんだ、って」
「モノ……ドロ……? あの、それは……?」
モノドロイド。全く聞き覚えのない言葉だったが、僕にはなんとなくそれがなんなのか分かった。
ミラにとっては全く聞き馴染みの無い単語だが、僕は似た単語に覚えがあるからね。
アンドロイドだとかそういう類の言葉、きっとあの機械人形の名前なんだろう。
「ああ、えっと。そっか……君達はアレも知らないんだったね。人形人形と呼んでいたあの機械、あれがポストロイド。
それを製造する組合……私も働いている工場なんかを管理しているのがモノドロイド。
この街を守っている……と、一応はそうなってる。私達は追われる身だから、あんまりこういう呼び方は好きじゃないんだけどね」
違った。で、でも近かったから!
しかし……アルコさんの説明に、僕もミラもこの街に対する疑問を尚更大きくしてしまう。
街を守る為に作られた組織、それがモノドロイドってやつ。
そして、そのモノドロイドが作ったのがあの機械人形——ポストロイド。でも……
「……なら、なんでポストロイドは人を——アルコさん達を襲うんですか。表とか、ここに生まれたとか……そんな、出自が理由で差別みたいなことするなんて……」
「アギトくんも優しい……いいや、世間知らずなだけかな? みたいじゃなくて、差別だよ。
私達は日の当たらない場所で生まれた。だから六桁の識別番号を与えられる。あ、そうか……街の外にはそれも無いのか……」
識別番号という言葉は、あの高慢な男の口からも出たものだった。それ……それ、もしかしてさ……っ。
「この街では生まれた時に識別番号を与えられるんだ。それが七桁なら一般市民、六桁なら私達と同じ地下の人間というわけだ。
この番号で、生まれた日や今住んでいる場所、仕事、それに健康診断の結果も管理される。
健康状態が悪いとなれば、私達ですらお叱りと栄養食を貰えるんだ」
「……街の人々を徹底的に管理する為の番号……というわけね。ふむ……」
それ自体は悪くないのかしら。と、ミラは難しい顔で考え込んでいた。
い、いやいや⁉︎ 悪いこと……だろ……? だよね? あれ?
でも、アルコさんはそう不満そうにしてない。
それに、何かあったらすぐに助けて貰える……っぽい?
いやでも! 差別があるのは確かで……
「え、えっと……差別……されてるって、言いましたよね。さっきだってあのポストロイドに襲われてて、こうして地下に追いやられて……でも……それなのに、病気になったら手を差し伸べてくれる……ってことですか? それは……うーん……えっと……?」
「……? それはそうだよ、だって私も労働者だからね。ポストロイドに追われるのと、モノドロイドに保護されてるのは別の問題だよ」
ん……お……おおう? あ、頭がこんがらがってきた。
モノドロイドは街と街の人々を管理してて、ポストロイドを造ってそれも管理してて。
でも……ポストロイドがアルコさんを襲ってたのは別件で……?
「……あの男なんですね、ポストロイドにアルコさんを襲わせたのは。モノドロイドの意思とは別。
モノドロイドも識別番号に差異を付けて区別するものの、直接的な差別は他の——その七桁の識別番号を持つ人間によってなされている、と」
「ええと……うん、そうだね。しかし、ミラちゃんは少し難しい言葉を使うね。やっぱり、たくさん勉強してお医者さんになるような子は違うんだねぇ」
いえ、私は医者ではありません。と、ミラはまた否定したのだが、アルコさんも他のみんなもなんだかありがたそうにミラを拝んでいた。
確かに、最近の……と言うか、王都に来てから——勇者を本格的に目指し始めてからのミラは、言葉選びがちょっとだけマーリンさんに似てきている。
無意識に寄っていってるんだろうな、大好きだもんな。って、それは良くて。
「差別が生まれてしまう土壌があって、それを是としてしまう人々がいる。なるほど、納得したわ。
つまり、ここにいる人達の現状は、モノドロイドの意図していない形だったのね。
あのポストロイドが、そしてそれを造ってる組織が敵……というわけじゃない。これは……ううん、ちょっと困るわね」
「ミラ……? えっと……おー……うーん……と。モノドロイドとポストロイドをなんとかしたら解決……じゃない、と。それで……」
そうなると、この世界に来るであろう終焉の形は、また雲に隠れて見えなくなってしまった、と。
目の前で起きてる事態が割と異常で緊急だったからうっかりした。そうだ、この世界を救わなくちゃならないんだ。
ふう……僕さ……なんか、いつもこれ忘れてる気がする……っ。
目の前のことでいっぱいいっぱい過ぎて……いっつも主目的抜ける気がするんだけど……
「なんとなくこの街のことは分かりました。ありがとうございます、アルコさん。じゃあ、次は私達が説明する番ですね」
「伝わったなら良かったよ。君達は恩人だ、無理にとは言わないけど、出来ればいろんなことを知りたいな」
アルコさんの笑顔にミラも嬉しそうに頷いて、そして……こっちを向いて、なんだかしらーっとした冷たい目をしていた。
な、なんだよ。お兄ちゃんにそんな目を向けるんじゃない。
ちょ、ちょっと。どうしたの、怒ってる? ねえ、僕何かした?
「……こういう時、話をするのはアンタの役目……だったわよね。なーんか最近忘れてる気がしてたわ。そうよ、アンタも働きなさい。何もしない勇者なんて秘書にしないわよ」
「ッッッ⁉︎ す、するする! やるから! ちゃんと雇って!」
それはあかんって! それ……それは本当にダメだよ⁉︎ ちゃんと雇ってよ⁉︎ 約束だよ⁈
僕は市長秘書になってアーヴィンで働くの、そんでお給料でお前に美味しいもの食べさせてあげるの!
ロイドさんのチョコレートケーキを、今度はホールで食べさせてあげるの! じゃなくて。
「……えっと、ごほん。俺達は……街の外、凄く凄く遠くから来ました。目的は、この街に起きる悪いことを防ぐこと、です。それがなんなのかは分かりません。ですが、この街には確かになんらかの脅威が迫ってます」
「この街に……悪いことが……ふむ。しかし……」
アギトくんもちょっとだけ難しい言い方をするねぇ。と、茶化されてしまった。
う、うるさいやい! 僕も大好きなの! マーリンさんが! じゃなくて!
そりゃそうだよな、話半分に聞いて貰えたら良い方だろう。
街の外からやって来たという不審な男に、この街には危険が迫っているぞなんて言われても、説得力無いし信じようと思わせる信頼も信用も無い。
だけど……他に説明のしようもないからなぁ……
「なんだか大変そうな事情があるんだね。でも、きっとそれを説明されても分からないし、あんまり力にもなってあげられなさそうだ。
だから……わがままだけど、君達自身のことを教えてよ。さっきミラちゃんが何かしてただろう?
光ったり、飛んだり跳ねたり、炎が出たり。足だって凄く速くて、それに凄く力持ちだった。君達の街ではそれが当たり前なの?」
「え? えー……っと。当たり前……ではないです。ミラは割と特殊な、特別な子でして。俺達のせか……街では、勇者って呼ばれてました」
ほうほう、勇者様か。と、アルコさんは嬉しそうに笑ってそう言った。
勇者……という単語はあるんだな。となれば、何か物語のような、御伽噺のようなものもちゃんとあるんだろう。
イマイチ何を伝えて良くて何を伝えちゃダメなのかが手探りなまま、僕は文字通りの自己紹介を始めた。




