第二百三十四話【シンボル】
しばらく真っ直ぐ。と、アルコさんに指差されたのは、街の外どころか、中心へと向かう道——さっき機械人形に追い掛けられながら逃げて来た道、フリードさんが壊した機械人形が転がってる道だった。それってつまり……
「この状況じゃ交戦は無理、絶対に転んだりするんじゃないわよ。こうなったら私だって助けに行けないわ」
「わ、分かってるって! なんでそうフラグになりそうなこと言うかなぁ!」
変な言いがかりやめなさいよ! と、ミラは目をとんがらせたが、押すなよは古来より押せって意味なんだよ。
分かってる、マジで転べない。
もしも追い付かれたら、ミラはまた三人を庇って時間を稼がなきゃならない。
目眩しも二度通じるか分からないし、そもそも魔力と体力が切れる恐れもある。
「真っ直ぐ真っ直ぐ、ずっと行くと時計塔がある。その管理棟へ入れば大丈夫だ」
「時計塔……分かりました! しっかり捕まっててください。アギト、遅れるんじゃないわよ!」
おう! と、返事をするよりも前に、ミラは一段ギアを上げた。
ちょっ、速い! 僕だって強化は掛けて貰ってるけど、お前の強化魔術はまだ慣れてないんだ。
マーリンさんの掛けてくれる、簡単で優しい初心者用のじゃないとまだ不安なんだよ。
自分の身体とは思えないほどグングンスピードを上げる脚に、いつ縺れさせて転ぶかと心配でいっぱいだ。
「しかし……君達はいったい何者なんだ。こんなスピードで走って、それに……どこか光っているようにも見える。問わないと言っておいて申し訳無いが……」
「逃げ切った暁には私から説明します。今はたまたま通り掛かった旅人とだけ思っていてください」
いや、多分気になるのは出自じゃないと思うんだけどな。ミラのやや的外れな返答に、アルコさんは余計に首を傾げてしまっていた。
ミラちゃんの頃は、魔術を使えば怪しまれるかもって考えられてたのに……
まだ……まだ、あの人形が追って来る気配は無い。
アイツの速さは分からないけど、問題は後ろにしか無いわけじゃない。
さっきまで追われていた道を戻っているということ。そして、今までアルコさん達があの人形に追われながらも、その時計塔とやらへ逃げ込んでいたということ。
増援と鉢合わせる可能性もあるし、待ち伏せされてる可能性もある。
「……ミラ。もし……万が一、その時計塔が封鎖——ないし、待ち伏せされてたらどうする。
全部フリードさんが蹴散らしてくれたから、他の量産型に雷魔術が通じるかどうかが分かんない。
もし追われてる状況で隙を晒したら、一瞬だとしても……」
「分かってる。だから、通じない前提で——ああいう個体ばかりいる前提で進むわ。アンタはとにかく私の背中だけ見て追って来なさい」
いや、お前の背中見えないけど。
しかし、アルコさんを背負ってて見えないミラの背中は、どういうわけかこれまでのいつにも増して頼もしく見える。
フリードさんの負傷で相当気合入ってるのかな。だとしたら……
「……それはちょっとマズい気がするんだよな……っ」
無用に気負えば固くなる。冷静さを欠く。そうなると、いくらミラでも不意を突かれる可能性が高い。
今までだって無かったわけじゃない。他のことに気を取られて、いつもなら気付けるような危険にも気付けなかった……なんてのは一度や二度じゃ無いんだ。
「——見えた! 時計塔……この街のシンボリックな建物なのかしらね。広間のど真ん中に、他の工場よりもずっとずっと高く、目立つ建物があるわ」
見えた……と、ミラはそう言うが、残念ながら、そして当然ながら、僕とアルコさんには見えてない。
その時計塔の大きさがどのくらいかは知らないけど、本来なら街の外れからでもその頭くらいは見えるものなんだろう。そういう言い表し方だった。
でも、見えない。
その理由は、やっぱり工場から噴き出てる煙が原因なんだろう。
遠くの景色は薄灰色の靄に阻まれて、常人の目にはとても届いてこない。
「よ、よく見えるな、お嬢ちゃん。でも、そうだ。このまま真っ直ぐ行った先に時計塔はある。でも、その手前に川が流れてるんだ。ここからなら……ええと、上流——右へ行けば橋が近い。それを渡って……」
「右ですね。ミラ、敵は——あの人形の姿はどうだ? いや、お前なら見えなくても耳で……」
居場所は分かるもんな。と、そう続く筈だった言葉は喉につかえて出て来なかった。
そうだ……ミラなら敵の居場所が分かる。そして、このまま行けばぶつかるとなったら、とっくに進路を変更しているだろう。
それが迂回するそぶりも見せないってことは、この先には……
「全部蹴散らした——って話なら助かるんでしょうけどね。少なくとも、近くの路地に潜んでる気配は無いわ。あのガラクタどもに限っては……だけど」
「——っ! そうだ……そうだよ! アイツ、お前の耳でも……っ」
やっと追い付いて横に並んだミラの顔が、小さく縦に振られたのが見えた。
フリードさんですら壊せなかった機械人形。アイツはミラの探知範囲にいきなり現れたんだ。
「匂い……は、正直嗅ぎ分けられないわ。人間と違って個人差があるわけでもないし、そもそも同じような油臭さと鉄臭さがそこら中から漂ってくる。だから、そこで気付けなかったのはまだいい。でも、アイツからは——」
なんの音もしなかった。あれだけ接近されるまで、足音も駆動音も聞こえなかったのよ。と、ミラは凄く険しい顔でそう言った。
足音がしないというのもおかしな話だが、駆動音がしないってのは……
「……そんなのあり得るのか……? だって、さっき戦ってる時、アイツ……」
むしろうるさいくらいだったじゃないか。
ガチャンガチャンと足音がうるさかったのは、ミラの雷を無効化する為に仕方なくだとしても、だ。
フリードさんを吹き飛ばした時、アイツは背中から熱を吐き出していた。
多分——僕の乏しい知識と、あんまり詳しくないあの世界の常識を照らし合わせての仮定になるけど——アイツはきっと、蒸気機関で動いている。
アギトとミラが生きてる世界よりも先の文明は、召喚される先には基本的には存在し得ない。そういう制約で術式が成り立ってるって話なんだ。
だから、あれは原子力でもないし、ガソリンエンジンでもない。王都を走ってる蒸気機関車と似た機構で動いている……筈だ。
「蒸気機関……ね。あんな奴が出て来なければ、フリード様が破壊した人形の仕組みを調べて解明出来たのに」
「でも、理屈は通る。あんなに小型なのは……えっと……めちゃめちゃ効率の良い燃料がこの世界にはあって……」
石炭よりも石油よりも高い火力を出せて、そして省スペースで済む。そんな夢のエネルギーがこの世界にはあるんだろう、うん。
残念ながら、この部分には理不尽が付き纏う。
いつか僕が人狼の姿になったように、世界そのものに存在する差異は別問題なんだ。
「……だとしたら……っ。ミラ、もしかしたら……だけどさ。アイツら、あんまり長時間は稼働出来ないんじゃないか? 少なくとも、あんなバカみたいな出力では長くは動けない筈だ」
「エネルギーが足りない……それに、あのサイズじゃ貯め込める水の量もたかが知れてるわね」
当然、蒸気を冷やして再利用する装置なんかも積み込むスペースは無いだろう。
蒸気機関がどんなものかについては…………ちょっとくらいは知ってる、うん。
お湯を沸かして、その蒸気で……こう……なんか……するんだ。
調べたんだけどなぁ、子供の頃。機関車トー〼を見てさ、機関車ってなんだろう……って。
「でも、それはアテに出来ないわよ。アレが蒸気機関だって決まったわけじゃないし、仮にそうでも、“そういう問題を解決出来るから”あれだけ小型になってるのかもしれない。
文明はある程度知ってるものでも、世界の理はまるで違ってておかしくない。たった今自分で言ったことでしょ」
「ぐ……そうだけどさ……」
それより——。と、ミラはチラリと後方へ目を向けて、また更にペースを上げてコンクリートの道路を蹴り付ける。ま、まさか……もう……
「アイツ——追い掛けて来てるわよ。それも、ちょっとだけ速い。追い付かれはしないでしょうけど、足を止めたら危ないわ」
「マジかよ……っ。クソっ、その時計塔ってあとどのくらい先にあるんだよ」
まだ真っ直ぐです。と、返事をしてくれたのはアルコさんだった。くっ……地元の人のまだ先は本当に遠いやつだ。
でも、強化の掛かってる今の僕達なら、普通の五割増しくらいの早さで着ける筈。
もしそうでも遠い……って意味だったらどうしよう……
「————っ! アギト、進路変更! こっち——いや、そっち!」
「う——ど——でぇ⁉︎ い、いきなりなんだ⁉︎ ま、まさか敵か⁉︎」
他に何があんのよ! と、理不尽なお叱りを……て、敵ぃ⁉︎ そ、それって近いのか⁉︎
もしそうなら——近付くまでミラが気付けなかったってんなら——それは——
「——っ。気付かれてる——アギト! 私の後ろに! また閃光で足止めするから、その隙に走り抜けるわよ!」
「気付——ひ——っ⁉︎ は、走り抜けるって……っ。ぐ……ぐぐ……おう! 絶対付いてくから!」
遅れたらあの人形より先に私がアンタをぶっ飛ばすわ。ミラが笑ってそんな酷いことを言うと、進行方向の建物の影からさっきのやつとは別の——フリードさんに壊されてた、大きな機械人形が二機現れた。
「——玉響の雷光——っ!」
言霊と共に光の球が宙を駆け、そして人形の目前で弾けて光を放つ。
動き始めてみれば、この人形は駆動音とでも言うのか、グイングインとかガシャンガシャンといった機械的な音が結構やかましい。
となると……察知して追い掛けて来たってよりは、たまたまここにあって、僕達が近付いたから起動した……とかなのかな?
「ああもう、ビビらせんじゃないわよ! ガラクタの方じゃない! アギト、さっさと駆け抜けるわよ!」
光に目が慣れる頃には、機械人形は遥か後方でフリーズしていた。
カメラ……なのかな、やっぱり。強い光には弱いみたいだ。
そんな人形を置いてけぼりにして、また建物をひとつ追い越すと、僕の目にもようやく大きな時計塔が見えてきた。
飾りっ気も無い、本当に大きいだけのコンクリート造りの時計塔。
それはどうにも、人間の文明の象徴というイメージからは掛け離れていた。




