第八十六話
うちの子がご迷惑をおかけしました。そう言い合って、僕らは親子と分かれて今日の宿を探すことにした。子供扱いはやはり不服な様で露骨に不機嫌になったミラも、流石に罪悪感を感じているのか鉄拳もローキックも噛みつきも無く静かにしている。さて今夜を過ごす宿はどうしようかな。
「…………ところでその。オックスさん……? が、なんで……?」
ミラは随分今更な疑問を口にした。彼はゲンさんからの請求書を持って、追い立てにやって来たんだ。なんて言おうものなら、間違いなくそこら中に被害が及ぶ。ここはなるべく穏便に済ませよう。僕はそう固く誓った。
「先生に言われてお二人を探していたんです。手紙を渡す予定だったんですけど……まあ色々ありまして」
「色々……うん、色々あったんだ」
僕は余計なことを言おうとするオックスの背中を突いて首を横に振る。ダメだ、それ以上はいけない。少年は察しが良い様で、言葉をうまく濁してくれる。有難い。場合によっては僕にまで火の粉が飛びかねない案件だ。今のミラに金の話、特に請求とか支出方面はしない方がいい。魔力にとりつかれすぎている今は。
「……ふーん。なんか……随分打ち解けてるわねアンタ」
「打ち解けて……る……か。オックスが気さくだからさ、自然とこうなってたけど……」
言われてみれば……普通に話が出来ている。ここ最近、いろんな人と関わることが多くて慣れたのもあるんだろうが、やはり一番はオックスの人柄によるところが大きいのだろう。だがまあ、それを言うのならミラとだってすぐに打ち解けたと言うか……容赦無く踏み込まれたと言うか……
「覚えていて頂いて光栄です。お久しぶりですミラさん」
「ぶほっ!」
ミラさんっ! ミラさんですってよ! 響きの面白さについ吹き出してしまった。だってそうだろう、いつどこに行っても子供扱いだったミラに……さん付けって……ぶふっ。いかん、変なツボに入った。
「……アギト、アンタ後で覚えてなさい。お久しぶりです、オックスさん。ご老人はお元気で?」
「はい。相変わらずめちゃくちゃ言ってますよ」
外行きの顔になったミラと、さっき僕と会ったばかりの時の様に畏まったオックスの会話を、全て裏側を理解した状態で聴くと言うのも中々面白い。と言うか、オックスについてはミラが市長じゃないことは知ってるんだし、そんなに畏まらなくても良いんでは……?
「オックス? 別にもう俺たちは市長じゃないってさっき……別にそんな、さん付けとか……」
「えっ……でもほら…………歳上っスから……」
約束は守る男オックス、しっかり彼女から距離をとって僕にだけ聞こえる様に耳打ちしてくれた。だが多分それに意味は無い。いや、無くも無いんだが。彼女の聴覚なら、多分その気になれば聞き取れるだろう。だろうが、そう言うポーズを取ることで、彼女は聞こうとするのをやめるくらいの弁えはある。と思う。だから耳打ちをしても、彼女がその気なら丸聞こえになってしまう。と、彼にはいつか伝えておいた方が良いだろうか。
「それでもまあ……別に良いんじゃないか? 俺とはこんな感じなんだし」
「そうよね。アギトが普通に接してる相手に、私が敬語使わなくちゃいけない道理も無いわよね」
その考えはどうなんだ。それはアレか? ナチュラルに僕を見下しているのか? あくまで僕は自分の部下であると言う考えかオォン?
「…………そうっスか? なら……改めましてオレはオックスっス。よろしくミラさん」
「ええ、よろしく…………っス?」
ああ、違う違う。訛りとか流行りの言葉とかじゃないから。僕は微妙に分かってなさげに見えるミラに、彼なりの敬意の表し方について説明する。周りは基本的に大人ばかりで、市長として振舞っていた間もちゃん付けで呼ばれることの多かった彼女にとってこう言う体育会系の後輩と言うのは馴染みがないのだろう。
「さて。それじゃ、早い所宿を探しましょう。この街も難民が多く来てるみたいだし、早くしないと路地裏で野宿する羽目になるわ」
「おっと、それなら案内するっスよ。オレはこの街の出身なんで詳しいんス」
そう言ってオックスは僕らを案内し始めた。頼もし過ぎる。コレはコレで抜けてるところが多いって言うか、突飛な行動をとりがちだから。こういう常識ある上、良識まであるオックスの様な存在は有難い限りだ。
「ところでミラ。なんか、荷物増えてない?」
「ああ、これね。ふっふっふ、良いものよ良いもの。後で見せたげる」
またそうやって無駄遣いして。見れば彼女の腰に、ポーチの他にも革のベルトの様な、ホルスターの様なものが巻かれていた。カッコいいとは思うけど……いやうん、本当にかっこいいな。かっこいいけど、お金は大丈夫なんでしょうね……
「着いたっス! この街一番の旅館っスよ、ここは! 自信を持ってオススメするっス!」
「い……いちばん……? あのねオックス……私達にはそんなにお金は……」
ミラの死にそうな顔などには目もくれず、ズンズンと中に入って行ってしまう少年の後を追う。いつかこんな顔を見たことがある。アレは確か……ミラをおぶって、ロイドさんのレストランに飛び込んだ時のことだった。ってやっぱりお金厳しいんじゃないか、オイ!
「いらっしゃ……オックス! オックスじゃない! どうしたのよ急に!」
「へへー、ただいまおばちゃん!」
立派な建物の立派なエントランスに入るや否や、受付らしき女性に声をかけられた。知り合い……? おばちゃん……オバちゃん? 叔母ちゃん? とにかく彼と女性とは面識がある様だ。
「ここ、オレんチなんスよ。いや、住んでるわけじゃ無いけど。爺ちゃんが経営してる旅館なんっス」
「お爺さんが…………オックス。なんでガラガダなんかであんなクソジジイの弟子になんてなったの? 道間違えすぎじゃない?」
オックスはそんな僕の問いに苦い顔をした。やはり自覚はあるのだな。しかし、こんな立派な旅館の経営者の孫とは、案外いいとこの坊ちゃんだったのか。咄嗟に出る礼儀正しさというか、育ちの良さはそういうカラクリか。
「おばちゃん、この人達はオレの恩人でさ。まだ部屋空いてる? オレも今日は泊まってくから三部屋」
「さん——っ⁉︎」
ニコニコ顔で頷く女性とは対照的に、ミラは幸せを運んで来そうな程青い顔をしていた。流石に一人一部屋借りる程の余裕は無いというのくらいは僕にも察しがつく。ここは僕の方からオックスに伝えよう。すまない。うちはお前んとこみたいに裕福じゃないんだ。
「オックス……その、悪いんだけど……そんなにお金無いっていうか……」
「ああ、いいっスよ。ここはオレが出します。どうせオレはタダで泊めて貰うんだし、安くしてくれるって言うから二人分くらい出せますよ」
なんて眩しい……後光がっ! オックスの輝く笑顔を上回る程の後光が差している! そして有難い。と言うか、僕らの宿事情こういうの多くない? 大丈夫? 後々苦労するとか無い?
「助かる……本当にありがとうオックス……」
「いいっスよこのくらい。二人は文字通り命の恩人なんスから、安いもんっス」
なんていい笑顔なんだ。爽やかで裏表の無い、信じられる笑顔がそこにはあった。鍵を三つ貰うと、オックスは、部屋まで案内するっス。と言って、女性に挨拶して階段へ向かった。お言葉に甘えましょうと付いて行こうとした時、ミラが突っ立ったままなのに気が付いた。なんというか……放心状態というか。
「ミラ? おーい、ミラさんやー?」
「…………さんへや……?」
一体どれだけお金に執着しているんだ……っ。とも思ったが、彼女の場合食費を多め……だいぶ多めに見積もっておかなければならないか。でもほら、今日はオックスのおごりだから。心ここに在らずといった感じの、空返事ばかり繰り返す彼女の手を引っ張って僕はオックスの後を追う。
一階に三部屋、二階に八部屋、三階にも八部屋。計十九部屋あるうちの、隣り合った三部屋を僕らは貸して頂けた。オックスさまさまである。中に入れば、クリフィアで借りた部屋程では無いが、広くて綺麗で良い匂いがして……もう、本当にオックスさまさまである。
「じゃあ荷物置いて、ご飯行くっスよ。旨い店……多分、まだ潰れてなければ。案内するっス」
「…………ほら、ご飯だって。ミラさーん?」
ご飯の言葉にも釣られないふらふらなミラを角部屋に押し込んで、僕は自分の部屋に飛び込んだ。広い、そして一人っきり。今夜は……
「…………ようやく一人で寝られる……」
今夜は葛藤などとは無縁の夜を迎えられそうだ。