第二百三十一話【鋼鉄】
なんか——やばい——っ。
それは野生の勘とか観察眼とかではなくて、経験則による萎縮だった。
現れたのは、さっきまで追って来ていた機械人形とは一線を画すもの。
それは、見た目が……という話。
平均的な人間のサイズ——フリードさんよりも小さく、ミラよりも大きい。僕と変わらないか、少し大きい程度の、人間の形をしたもの。
そしてそれは——見た目ではないところが……という話。
コイツ——今、どこから現れた——
コイツは今、どこからやってきた。
コイツは今の今まで——
「——どこに潜んでた——っ。ミラに気付かれるよりも前に——どうして————」
不可視の魔獣すら事前に察知したミラの索敵網を潜り抜けて、コイツは僕達の目の前に現れたのだ。
何かがおかしい。臭いによる察知が難しいとは言え、それでも目と耳は無事なままだ。
事実、さっきまでの人形の襲来は、その数と方向を一度も間違えずに捕捉してみせた。
じゃあ……ミラが察知するよりも速く動いてここに来た……のか?
でも、その脚には特別な機能が付いているようにも見えなくて、タイヤ付きのヤツより速いなんて考えられない。じゃあ……こいつは……
「————揺蕩う雷霆————っ!」
ビィイイイっと稲妻が空気を裂いて、そしてミラの身体は青白く発光する。
だが、その雷光は尾を引かず、飛び掛からず、低く構えて僕の前に立ちはだかった。
「——アギト、動かないで! 一回その人降ろして、しゃがんでなさい!」
「っ! わ、分かった!」
逃げろ——ではなく、動くな……か。じゃあ、僕の感覚は間違ってないのか……?
ミラもコイツをかなりヤバいもんだと認識してる。防御と観察に徹底するつもりだろう、構えが普段よりもずっとずっと低く、スタンスも広い。
そして、圧倒的に集中力が高い。
周囲への警戒を全てやめて、目の前の敵一体だけに意識を向けているみたいだ。
「——ミラ=ハークス、ふたりを頼む。己は————」
その人は笑っていた——
あまりに異質、あまりに異様。何も分からない、情報は無い。
そして、理解もし得ない。
そんな未知の強敵を前に——強敵であることだけが分かっている壁を前に、その人は笑うのだ。
それが超えられぬ壁であるなどとは考えず、乗り越えれば更なる高みに届くのだ、と。そう言わんばかりに
————“かつて”その人は笑っていた筈なのだ————
「——フリードさん——」
雄叫びも咆哮も上げず、フリードさんは全身全霊でソレに突進して行った。
その顔に笑みなど無く、高揚感や自己陶酔も見当たらない。
それ程までに恐ろしい敵である——と、短絡的に考えて良いのか——? もしかして、これが——
————熱源の接近を感知————。と、それは何かに報告するように音声を流した。
間違いない、コイツも機械人形だ。
なのに……なんだ、この出来の良さは。
さっきまでの前時代型アンドロイドみたいな、人の形を無理矢理貼り付けたみたいな違和感がコイツには無い。
関節はやはり機械のそれだし、質感——目で見て分かる重さも生物的ではない。
なのに……僕にはそれが人間に見える瞬間があるんだ。
「————うぉおお————ッ!」
フェイントもフットワークも無し、フリードさんは最短距離を最速で駆け抜け、そして人形に向けて右拳を振り抜いた。
さっきまでの戦いで、コイツら相手に駆け引きは意味が無いと思ったのだろうか。
それとも……それが不要なものだと考えてしまったのだろうか。
もしも後者であるならば、やっぱりフリードさんは……っ。
「——っ。なるほど——これは——」
グワァン! と、大きな音が響いたが、何かが砕ける音はしなかった。
フリードさんの一撃は確実にソイツを捉えていたが、しかしダメージらしいものは与えられなかった。
拳を引き、ステップで二歩退がり、そしてもう一度構え直す。
攻撃が通じなかったのだから当たり前の筈なのに、その所作がやはり彼らしくないものに見えてしまう。
「——ミラ=ハークス! 己にも力を——魔術による強化を頼む!」
「はい! 揺蕩う雷霆!」
パチ——チチチ——と、ミラの言霊はフリードさんの身体に迸りを与える。
指を動かすだけで、拳を開くだけで。手のひら、腕、或いは構えた腕から胸へ。バチンと光って白い線を残す。
全身に雷の力を帯びるその強化魔術は、まさしくフリードさんを地上最強へと押し上げるものだ。
「まさか、攻撃力が足りないとはな。なるほど、これでは確かに気構えのしようも無い。よもや——魔の王以上に恐ろしい相手とは——」
ビン——ッ。と、弦を弾いたような音がして、そしてフリードさんは僕の視界から消えた。
けれど、その跡は目で終える。
青と金の混ざった光の道が、彼の駆けた後に残るのだ。
またしても直進、駆け引きやひねりは一切用いない。
最速最短で、その人は一番強い一撃を機械人形にぶちかますのだ。
「————熱源を————」
「——遅い——っ!」
雷鳴が轟き、そして青白い光が明滅する。
ほんの僅か遅れて届いた音は、硬いものが砕ける鈍い音だった。
何よりも速く、何よりも強く放たれた一撃で、何かが砕け散った。理解出来たのはここまで。
そこから先は————
「————っっ⁉︎ く——っ! 逃げろ——ミラ=ハークス——っ!」
————熱源の接近を感知————。また、壊れたみたいにそれを繰り返した。
けれどそれは、この人形が壊れてないことを意味するものだった。
高速で激突し粉砕されたのは、英雄の拳だった。
「————爆ぜ散る春蘭————っ!」
フリードさんの叫びを耳にして、ミラは攻撃的な炎魔術を唱えた。
その言霊を聞き、その火球を目撃して、フリードさんは右腕を庇いながら大急ぎで撤退した。
人形はそれを咎めること無く——そして、同じく逃げるそぶりも見せず、真っ白な光に飲み込まれていった。
ただ————高熱を感知、避難を推奨する————と、事務的な言葉を残して。
「——っ。フリード様! 手当てを! 医療道具もありませんが、せめて応急処置だけでも——」
「——己はいい——っ! その男を運び出す準備をしろ! アレはこの攻撃では沈まない——っ!」
フリードさんの言葉に一番困惑したのはミラだった。
ミラにとってはかなり自信のある魔術だ。相手が金属製の機械人形であるならば、高熱を伴う爆撃はかなり有効である筈だ、と。
僕だって冷静だったらそう考えられただろうし、ミラなら相手の弱点になりそうな部分を見逃したりしないだろう。
それでも、フリードさんはダメだと言った。
そして——その言葉通りに——
「——目標を捕捉した。脱走者一名。身元不明、危険分子三名。直ちに捕縛する——」
「——来る——っ! 急げ! ミラ=ハークス!」
燃え上がる炎は吹き飛ばされたりもせず、しかしその存在をゆっくりと吐き出した。
煌々と燃える白炎の中から、機械人形は悠々と歩いて出て来たのだ。
捕縛する——と、今度は僕達にしっかりと意識を向けて、ガチンガチンと硬い足音と共にこちらへ向かってきた。
「————っ。すみません、痛くても我慢してください。止血して、それから傷口を塞ぎます。このままだと大きな血管に傷が付きかねませんから」
ミラはそう言って男の脚に、ズボンの上から何か術式を施し始めた。
そういえば、治療の錬金術だか魔術が使えるって話だったな。
どんな理屈かは知らないけど、今はそれがありがたい。
自己治癒のそれと違ってすぐには回復しなくても、応急処置の効果を上げる補助くらいにはなるのだろう。
「——治療が済み次第撤退しろ。そして、日が暮れるまで召喚された地点で待て。それまでに己が戻らなければ——」
この世界は君達だけで救い出せ——。そう残すと、フリードさんはまたあの機械人形に向かって行った。
無茶だ——と、飛び出しちゃいけない言葉が口を衝きそうになる。
無茶なもんか、あの人が負けるかよ。
だって……だって、フリードさんは最強の英雄だ。
フリードさんは、僕達の中で一番強いんだ。
それが……そんなフリードさんが敵わない相手なんて————
「——っ! く——ぉおおお——ッ‼︎」
黄金騎士は砕けた右拳をもう一度振り上げる。
けれど、機械人形はさっきと違った。
明確な敵意をフリードさんに向け、そして同じように——武術の達人であるフリードさんと同じで、他の機械人形とはまるで違う——滑らかで曲線的な、まるで人間みたいに柔らかな動きでそれをいなしてみせた。
「————っ⁉︎ コイツ————っ!」
「——捕縛する——」
バシュゥ————ッ! と、大きな音とともに、機械人形の背中から真っ白な煙が噴き出した。
そして、さっきまで無かった音が僕の耳にも届き始める。
ヒュンヒュン、シュンシュン——と、確かに何かの機械が作動している音だ。
仕組みが何かは分からないけど、さっきの排熱と言い……コイツ——
悲鳴は無かった。
声を上げる暇も余地も無かったのか。
僕の目に映ったのは、吹き飛ばされて地面を転がる黄金騎士の姿だけだった。
機械人形の姿は僕の目にもハッキリ見えていたのに、それが何をしたのか全く分からなかった。
ただひとつ——分かっているのは——
「————捕縛する————残り二名————」
それが、僕とミラに目を向けたことだけだった——




