第二百二十九話【人形】
臭いの正体にも煙の正体にも、とりあえずひとつの答えは出せた。
けれど、それが意味するものは、やはり術式の異変だった。
召喚術式において、被召喚者は、その世界よりも進んだ文明の世界には召喚されない。
因果により既知を引き寄せ、そして縁を繋ぐ。そんな性質だから、未知の文明の世界には飛ばされない……って、そういう話だった。なのに……
「……俺が知らないだけで、あの世界にもとっくにこれくらいの工業力はある……ってことか? いや、でも……」
王都にすらここまで大掛かりな工業地帯は存在しない。
いや、王都だからこそ……なのか? 人が住む街として発展してるから……みたいな。
「よく分かんないけど、アンタにはこの臭いに覚えがあるのね。なら、それで問題無いわ」
「問題無い……って。でも……」
いいから。と、ミラは僕の言葉を遮って、そしてゆっくりと煙の濃い方へ——街の方へと向かい始めた。
人影が見当たらないって話だったから、もっと近付いて様子を見よう……ってことなのか。
それとも、このガスがやはり有毒だと仮定して、早くどこかへ避難しようと考えてるのか。
「人の姿は全然確認出来ない。でも、工場があるってことは、当然そこには労働者がいる筈でしょ。
もっと近付いて、窓でもあればそこから様子が見えるかもしれない。待つって選択肢だけは無いわ」
「……ミラ=ハークスの言う通りだろう。アギト、もしも何か気付けばまた言ってくれ。
少なくとも、ユーザントリアでここまで大掛かりな工場は……それも、ゴムの工場というのは聞いたことが無い。
君がそれを知っているのなら、己達では気付けぬ違和感にも気付けよう」
い、いやいやっ。知ってるってのは本当に上辺だけの話で、その実態なんて何も知らないんだよ。
でも……頼られたからには頑張らないと。よ、よーし……
ミラの目をしてもなかなか人が見つからないみたいで、気付けば僕の目にも街の姿が確認出来るくらいまで接近していた。
こうなるともう姿を隠している意味は無い。ミラもフリードさんも、堂々と街に向かって進み始めた。
「予定とは変わってしまったが、しかし進行に支障はあるまい。観察した結果がなんであれ、いずれは街に入る予定だったのだ。確認の手間を省いただけだと考えよう」
「そうですね。受け入れられるにせよ、拒まれるにせよ、どのみち直接訪ねてみないと分からないことだらけですから」
フリードさんとミラはなんだか諦め半分みたいな顔でそう言って、そして周囲への警戒心を少し緩めて街へ入った。
これは……あれか。あんまりきょろきょろしてると不審だから、せめて怪しまれる行動は慎もう……ってことか。
となると……ぼ、僕が一番やばいじゃないか……っ。
へ、平常心平常心……落ち着いて……キョロキョロしない、オタオタしない、ビビらない……
「アギト、アンタはいつも通りでいいわよ。三人とも堂々としてるのも、それはそれで不自然でしょう。余所者なんだし、ひとりくらいは挙動不審でちょうど良いのよ」
「そ、そっか……それなら…………おい。それ、普段から俺が挙動不審だって言ってるのか? 言ってるよな」
言われてないとどうして思えるのよ。と、ミラはため息をつく。
う、うぐぐ……反抗期め……っ。でも、それについては何も言い返せない。
余所者であり、知らない場所に対して臆病になっている……と、そう言われれば、あの世界においての僕も基本的にはずっとそうだったわけだから。
「それにしても……窓のひとつも無いってどういうことかしらね。照明球みたいなものがあるにしても、光源をそれだけに頼ってたら効率が悪いじゃない」
「天窓がある……或いは、この空模様故に、外の光を取り込むことは諦めている……か。もしくは、ガラス窓を作る技術が無いか」
いや、それは無い、か。と、フリードさんはやや自虐気味にそう言って、そして空高くまで伸びる煙突をジーッと見つめていた。
そうだ。これだけ立派な……というか、大掛かりな工場を建てる技術があって、窓の一枚も作れないなんて話は無い。
なら、必要無いから作られていない……と、そう考えるべきだろう。
少なくとも、開閉式の窓は確かに必要無い——砂埃の混入を防ぐ為にも、設けない理由はある。
「——。何か……何かいます。ふたつ向こうの建物の角、路地でしょうか。移動している様子はありませんが、呼吸音と……咀嚼音ですね。生き物の気配があります」
犬や猫ほど速い呼吸ではありませんから、人間か、或いは同程度の大きさの動物だと思われます。と、ミラは相変わらず理解出来ないくらい遠くの音を識別して、少し嬉しそうにその建物の角を指差した。
今更こいつの聴力にはつっこまないとして、人がいるっぽいというのは朗報だ。
人じゃないかもしれないという情報は嬉しくなかったけど。
「……? この音……何かの機械……工場の音、かしら。道路の工事……?」
呼吸音のすぐ側に、金属の擦れる音がします。と、ミラはちょっとだけ不思議そうな顔でそう言った。
機械、工事。と、そういう単語を出したのだから、金属製の義足や義手という可能性は低いのだろう。
もっと激しく、早く擦れている音……とか。
歯車が噛んでる音なのか、それともシリンダーが動いてる音なのか。そこまでは流石に分かんないみたいだ。
「ハンドドリルとか、リューターとか……? なんだろ、DIYでもしてるとか……」
「でぃー……君は意外と……いや、失敬。己よりもずっと博識なのだな。魔女の弟子というだけの……ああ、いや。これも作り話だったか」
どうにもまだ……と、フリードさんは頭を抱えてしまった。う、迂闊な独り言だった……?
ミラは事情を知ってるから、興味はありそうな顔してるけど、口は挟まずにこっちを見てるだけだった。
混ざっておいで。良い子だから、お兄ちゃんとも遊ぼう。じゃなくて。
そうこうしているうちに、ミラが指差した曲がり角はもうすぐそこに……
「————っ! アギト、退がってなさい——っ!」
「え——っ⁉︎」
どん! と、胸を突き飛ばされ、僕は路地から三歩遠退いた。
そしてすぐにフリードさんが僕の前で構えを取って、ミラも身を低く構えて臨戦体勢に入る。
そんなふたりに目を奪われて確認が遅れた曲がり角の先には、壁にもたれかかってぐったりと動かなくなった男と、それを見ながら何かを食べている男。そして——
「————なんだ——こいつ————っ!」
ヒト——の、形を模した何か。
顔が——面があって、両手両足に相当する部位があって。
けれど——その全てが無機質な、血に塗れた機械人形とでも呼ぶべき何かがそこには立っていた。
「——そこで何をしている。見掛けぬ顔だ、所属と識別番号を答えろ。他の工場からの脱走者か。それとも——まさか——」
所属……識別番号……?
何が何だか分かんないけど、とりあえず倒れてる人がヤバいのは確かだ。
そして……それが今僕達に命令した男と、そのすぐ後ろにいる何かによって害されたというのも間違いなかった。
そしてそれは、当然僕だけが気付いた事実じゃない。
「————っしゃぁあ!」
躊躇も遠慮も葛藤も無く、ミラは高慢な男に向けて飛び掛かる。
けれど、いつも見せる機敏さは無い。男がそれに怯んで後退れば、そのまま倒れている人を抱き上げて逃げるつもりだ。
そしてそれは半分成功して、しかし——
「————っ! 取り押さえろ!」
「——っ! ミラ=ハークス!」
シィイン。と、滑らかに、そして高速で何かが回転する音がして、機械人形はその腕をミラに向けて振り回した。
パンチ……とは呼べない、けれどとんでもないスピードだった。
機械仕掛けの出力に任せて振り回された金属の塊は、ミラの頬を掠めてコンクリートで舗装された道路を抉った。
その人形の攻撃力にも驚かされたが、もっともっと悲嘆すべき事実が目の前で起こってしまった。
今まで幾度と無く魔獣を退け、人々を救ってきたミラが、機械人形に阻まれて怪我人を救出出来なかったのだ。
この人形は、魔獣なんかよりもずっと強い……ってことなのか……っ⁉︎
『——緊急警報——っ! 叛逆者有り——っ! 第七区画、十三番路地にて未確認の叛逆者有り! 繰り返す————っ!』
————叛逆者有り————っ! 男は胸ポケットから何かを取り出すと、それに向かって大声でそう叫んだ。
そしてそれは、何度もエコーしながら街全体に響き渡る。
拡声器……いや、無線機か。文字通り町内放送のようなそれによって、街の中がさっきまで無かった異様な緊張感に包まれたのが僕にも分かった。
「——ミラ=ハークス! アレは己が抑える! 怪我人の救助を最優先しろ!」
「はい——っ!」
ぉおお! と、フリードさんは雄叫びを上げながら機械人形に突進して行く。
それを見て……なのか、それともカメラによる動体感知以外の方法でこちらを感知しているのかは知らないけど、人形もまたシュンシュンと稼働を始めた。
そして、さっきコンクリートをぶち抜いた一撃がフリードさんに向かって繰り出される。でも——
「——護る者を背に置いて——己は負けぬ——っ!」
僕がいて、ミラがいて、そして助けるべき怪我人がいる。
この戦いは、英雄フリードの独壇場なんだ。
迫り来る鉄の塊に合わせて振り抜かれた黄金の拳は、人形の腕をスクラップにしながらそれを吹き飛ばした。
やっぱり——やっぱりこの人は強い——っ!
元々確信的だった信頼は更に強まって、僕も怯えること無く救助活動に向かえた。
ミラに指示されるがままに男の人を担ぎ上げると、僕達は一度街の外へ出る為に走り出した。




