第二百二十五話【食い違い】
そして、約束の日はやってきた。
マーリンさんは宣言通り(?)王宮とマグルさんの工房を行き来する生活を送っていた。
ミラも、帰ってからだって一度も考えごとをやめなかった。
僕は……あの、出番まだですか……? と、少し遠巻きに見ているしか出来ないでいた。つまり……
「——ただいまーっス! マーリン様! 約束通りやって来ま……した……よ……?」
「——魔女——っ! さあ、裁定を——っ! 己かオックス=ジュードか、お前が……選べ……? アギト、これはいったい……」
見て貰った通りです。と、項垂れる他に無い。
エルゥさんとハーグ・レイ兄弟には今日も少しだけ席を外して貰って、部屋の中にはミラとマーリンさんと、それからマグルさんが……僕をそっちのけにして、三人が騒がしく言い争っていた。
あ、ベルベットくんもエルゥさんと一緒にいます。不服そうだったけど、やっぱり根が素直な子だからね。
「バカ言うなこの耄碌ジジイ! そんなことしたら、ミラちゃんはともかく、魔術適正の無いアギトは挽肉確定だ! 式の安定も大切だけど、もうちょっと当事者の安全を考えてだなぁ!」
「何を抜かすかこの小娘が! 大丈夫じゃ、儂なら出来る! よしんば出来ぬとも二度目には出来る! それでダメでも三度すれば——」
一回目でアウトだって言ってんだよこのアホ! と、マーリンさんがマグルさんを怒鳴り付ければ、もうフリードさんもオックスも目を点にする他に無い。
そう、まだ僕に出番が回ってきていない。つまり、三日では式の改造は完了しなかったのだ。
「……お、おい! 魔女! 約束の三日だ、己かオックスかを——」
「——どっ——ちでも良いよそんなのは——っ! 今はそれどころじゃないんだよ!」
フシャーッ! と、マーリンさんはけたたましく吠えてフリードさんを威嚇した。なんで貴女まで野生に帰ってしまったの……?
どうしても理論的な最高値を目指したいマグルさんと、安全性と実用性を最優先したいマーリンさん。
そして、その狭間で揺れているミラ。
ごめん、お前はマーリンさんに付いてくれ。なんでどっちが良いかなぁって顔してるんだ、自分の命が懸ってんだぞ。
「す、すみません……その、まだ……」
「……そちらの準備が整っていなかった……と。なるほど……しかし……」
魔女はこんな顔もするのだな。と、感慨深そうに言ったのはフリードさんだった。
こんな顔……ミラみたいに牙を剥いて威嚇した顔……ではないよな。
怒声と文句と唾だけが飛び交う術師の会話には、その剣呑さとは裏腹にキラキラした笑顔が……睨み合いの合間合間に浮かんでいた。
うん、基本的にはずーっと怒った顔してる。でも……イキイキしてる。
「あの……別にもうちょっと待つって話なら構わないんスけど、大丈夫なんスか? その……エルゥさんとか、モンドラ兄弟とか……」
「……あっ⁉︎ そ、そうだった。しまった、昨日までのクセで……ええい! 移動するよ! マグル! お前んちで続きだ! 今回ばかりはこれっぽっちも譲るわけにはいかないんだ! 徹底的に叩きのめしてやる!」
「ばーっはっは! 良かろう! おぬしにも思い知らせてやる! この式の先には最奥へと至る鍵があるのだと!」
まだ……まだ喧嘩が続くの……?
呆れるみんなを置いてけぼりにして、マーリンさんはフードを深く被り、マグルさんはスゥッと景色に溶け込んで、競争でもするように飛び出して行ってしまった。
子供過ぎる……っ。ベルベットくんの方がずっと大人じゃないか……これじゃあ……
「……俺達も行きましょう。ミラ、一応案内頼む。その……また結界張ってあったらさ……」
「うっ……私もおじいさんの結界は見破れないわよ……? 場所は覚えてるから、無理矢理ぶち抜けばなんとかなるのかもしれないけど……」
最終手段だけど、もしもの時は頼む。
まだ呆気に取られたままのフリードさんとオックスを案内して、僕達もふたりの後を追い工房を目指して歩き始めた。
しかし、マーリンさんと違って、フリードさんは街のみんなにナメられ……もとい、あそこまで気軽には接せられてないみたいだ。
堂々と大通りを歩いているのに、騒ぎは起きても、取り囲まれて担ぎ上げられるなんてことは起きない。
いや、有名人だとしてもそれが普通か。やっぱりあの人、ナメられてるんじゃ……
街の人に惜しまれながらも、英雄フリードは仕事で街外れまでやって来た……というのが、ここまで来るのに使った言い訳。
事情も把握出来てないままの黄金騎士は、どうにも不満そうな顔で目の前の更地を睨み付けている。
当然、彼とオックスには本当に何も無い場所に連れて来られたようにしか見えないんだから。ってか……
「本当に開けてくれる気配がねえ……っ。ミラ、ここら辺……だっけ? あれ? もうちょっとあっち?」
目印らしいものも無いから全然分かんないよ。
見れば、ミラもミラでちょっとだけ困ってる様子で、すんすんと鼻をひくつかせて場所を探していた。
でも、あの結界からは匂いも漏れ出さないんだよな?
「やっぱり、開けて貰わないと無理ね。むむむ……」
しょうがないか。と、ミラは随分悔しそうに呟いて、そしてこの前みたいに詠唱を始める。
んで、その魔術ってなんなの? 前は何も起きなかったけど、いったいどういうものなの?
そこら辺の説明を相変わらず一切してくれないまま、詠唱は言霊へと変化していった。
「触れられざる雷雲——」
魔術の発動からぽーんと一拍置いて、それからドアは開かれる。
鍵を開ける魔術……のように、オックスには見えたかもしれない。
フリードさんからは、何がなんだかって感じなのかも。
でも、僕はそうじゃない。僕から見たこの魔術は……
「……ぐすん。ミラが……ミラが反抗期に……」
「うっさいわね。ほら、早く入るわよ」
あんなに嬉しそうに魔術について語ってくれたミラが、今回は僕になんの説明もしてくれない。
お兄ちゃん離れの証とでも呼ぶべき魔術なのだ……僕にとってのこれは……っ。
何も無い——無かった筈の空間がぱっくりと切り開かれ、目の前には物々しい屋敷が現れる。
なんだかんだ三日も通った僕は、不服ながらも多少は慣れた。でも、初見のふたりは当然絶句してて……
「……オックス、フリードさん。もう、諦めてください。マグルさんもまた、マーリンさん級の常識知らずなんです。もう……全然こっちの理解の及ぶ相手じゃないんです……」
「ベルベットの結界も理解し難いものだったっスけど、これはもう……」
どこから疑ったら良いのかも分かんないっス。と、泣き言を溢すオックスの背を押し、僕達はまた結界が閉じられてしまう前にその敷地へと足を踏み入れた。
中からはなんだかまだ口論が聞こえてくる。あのふたり、まだやってるのか。と言うか、当事者抜きで盛り上がり過ぎだろ。
「マーリンさーん、マグルさーん。もう、まだやってるんですか」
「おお、良いところに来た! マーリン、よく見ておれ! 儂の考えが正しければ、この術式で小僧っ子は人智を超えた肉体を手に入れられる! 代償に人の姿は保てなくなるだろうし、理性や知性も失うやもしれんが、これならば召喚にも耐えられよう!」
いやぁあ⁉︎ 工房に入るなり腕を掴んできた老人が、あろうことか魔竜使いのゴートマンみたいなこと言ってるんだけど⁉︎
ヘルプ! 助けて! 殺される!
全力で振り解こうとしてるのに、長い毛に覆われた人狼の腕はびくともしない。
なのに! ミラは全然助けてくれるそぶりを見せない!
なんで! なんでよ! お兄ちゃんの危機なんだよ⁉︎
「っだぁあ! 落ち着けマグル! アギトには人間としていて貰わなきゃならないの! この子は無力だから良いんだ! その前提から覆そうとするな!
と言うか! 仮にも元国属の巫女を前に、違法行為を平然と口にするな!」
「何が法じゃ! 儂ら術師を縛るルールなど、マナには触れられぬという大原則のみじゃわい! 故にそれが魔法と呼ばれておろう!」
そういうこっちゃねえんだよ! このボケ老人! と、マーリンさんはマグルさんの胸ぐらを掴み上げ、けれどその体重差故に自分がぐいっと引き寄せられてしまっていた。
うう……唯一の味方……僕を守ってくれそうな人…………ん? 無力だから良い……? あれ? おかしい、気の所為? 僕、今しれっとディスられなかった?
「じゃが! 現実的にはそうする他に無かろう! 他所からの人員を受け入れない! ジューリクトンの小僧っ子も関わらせない! そうなれば、被検体の強度を上げる他にあるまい!
出力が——陣に走らせる魔力量が違うのじゃ! 補助術式を展開する人手を準備するか、それとも補助抜きで耐えられる検体を準備するか! ふたつにひとつじゃろう!」
「——っ。分かってるよ! でも! こんな馬鹿げた話に他の術師を巻き込めない、おおっぴらになれば僕とお前だけじゃなくミラちゃんや他のみんなにも迷惑が掛かる。ベルベットなんて論外だ!
せっかく——せっかく、世の中が平和になろうとしてるのに……っ。子供に危ないことさせない為に戦ったんだ、そこだけは譲れない!」
ならば、小僧を変える他に無かろう! と、マグルさんは吠える。
文字通り、狼の顔からは咆哮が上げられた。ぐおぉ! と、言葉では無い音だ。
もしかしなくても、やっぱり喉の形とかは人間より狼に近いんだろうか。
そしたら、ただ喋ってるだけでも凄く頑張ったのかなぁ……じゃなくて。
「——だったら! だったら僕がやる! 僕がお前の補助に回る! そしたら解決するだろう!」
「それが出来ぬから言っておろう! おぬしにはもうなんの術式も展開出来ぬ! ならばせめて、ハークスの娘っ子をこちらに残せ! あの力があれば式の安定など容易であろう!」
ミラちゃんがいなきゃ救える世界も救えないよ! と、今度はマーリンさんが吠えた。
うわぁあ! と、言葉を探すよりも先に感情が喉を突き破ったみたいだ。
しかし……ふむ。どうやらふたりの喧嘩……話し合いは平行線を辿りそうだな。
聞いてる限りだと、もうひとり魔術師を——それも、身内から用意しなくちゃならないらしい。或いは、僕が改造人間になるか…………
「…………? オックス、そういえばお前って……」
「……? どうかしたっスか……?」
魔術、使えたよな……? なんの気無しな僕の確認が、工房の中に長い沈黙を引き入れる。
お、おや……? また僕変なこと言った……?
えっと……オックスは魔術使える……よな? だって、魔術剣とかやってたし。
それに、強化魔術を使ってるとこも見たし……
「——オックス——っ! オックスだ! そうだ! オックスがいた!」
「どわぁあ⁉︎ ちょっ、マーリン様⁉︎ ど、どうしたんスか⁉︎」
君が救世主だ! と、マーリンさんはすっごく嬉しそうにオックスを抱き上げ……られるわけもなくて、でも頑張って抱っこしようとして。やっぱり無理で、仕方なくミラを抱き上げて喜び始めた。
なんかこの人、感情ぶっ壊れてない……? それと! 気付いたのは僕! 褒めて! 僕を! 僕を褒めてよ!
「オックス! 力を貸しておくれ! 僕と一緒に、三人を送り出すんだ!」
マーリンさんは喜んでたままの勢いでそう言った。
でも、それの意味がちょっとだけ違うと思ったのは僕だけだろうか。
悪意は無かったし、それがオックスにしか出来ないことだというのも分かった。
でも、今日してた約束はそうじゃなくて……
「——っ。分かりました。それが俺に出来ることなら」
マーリンさんの嬉しそうな姿に、期待の眼差しに、オックスは笑顔で快諾してくれた。
でも……そのすぐ側で、フリードさんは表情を曇らせていた。




