第二百二十二話【結界って言えば許されると思うな】
フリードさんとオックスの記憶を取り戻す。そして、その為にもう一度召喚術式を試みる。
そう決定されたのは良いんだけど、そこには大きな問題がある……と、思う。
オックスに説明した通り、今までは僕とミラだけでやってきたことだ。三人目の同行者というのはまだ例が無い。
そして、ふたりを送り出すだけでも、マーリンさんにはかなりの負担を掛けてしまっていた。
彼らのうちのどちらが同行するにしても、術式の改良は余儀無くされる。でも……
「……マーリンさん。本当に出来るんですか……? だって、召喚術式ってめちゃめちゃ特殊な……」
特殊で、特別で、特異な魔術だ。
それに、マーリンさんは言った。過去に積み上げた知識と未来に得る筈だった知恵を失った、と。
もう、彼女は新しく魔術を会得することが出来ない。
召喚術式を展開、維持するのに必要最低限な能力を残して、彼女は魔術師として——魔女としての経験を捨て去ってしまっている。
そんな状況で、果たして術式の改良なんて……
「……やれば出来なくもない……と、思いたいけどね。残念ながらアギトの言う通りだ。僕にはもう、式を弄り回す能力が無い。僕には、ね」
「……マーリンさんには……? でも、そのマーリンさんが出来ないなら誰が……」
バカアギト。と、ちょっとだけ強めに背中を叩かれて、振り返れば目付きの悪いミラがいた。
なんて顔するんだ、こら。せっかく可愛いのに、そんなに人を睨み付けたらダメだろ。ではなく。
ふむ……? マーリンさんがダメなら……もう誰にもダメでは……?
「アンタねえ……っ。そもそも、アンタをここに呼び出したのは誰よ。二回目、三回目の召喚を手伝ってくれた人も忘れた? ほんっとうにアンタは……はあ」
「あはは、アギトはどうにも僕を高く評価し過ぎてたみたいだね。その点はやっぱり、ミラちゃんが頼もしいよ」
当事者のコイツが気付いてないのがおかしいんです。と、ミラは僕の脇をつっつきながらそう言って、そして鼻息を荒げて拳を握った。
ぐ、グーはやめて! と、身構える僕なんて放置で、ミラはマーリンさんの手を取ってふんふんと気合十分だってアピールをする。おや……?
「ハークスには——ミラちゃんには召喚術式の経験がある、知識がある。それに、今までの旅にも頼もし過ぎる協力者が——マグルがいただろう。
僕にはもう無理でも、スペシャリストがふたりもいる。もうひとり分の枠をねじ込むくらい、きっとなんとかなるよ」
「……ミラと……マグルさん……おお、そうだった……」
本当に気付いてなかったんだね。と、マーリンさんには呆れた顔をされたけど、それはそれ。
確かに、言われてみれば。
ミラはかつてレアさんと一緒に僕を呼び出してるし、マグルさんは二度も僕達を送り出してくれている。
気付いてみれば、これ以上適任がいるだろうかと思わざるを得ない。
ミラはもう僕に呆れる暇も無く、既にああでもないこうでもないと理論を考え始めていた。
「さて、なら急ごうか。三日なんて言っちゃった手前、まだ準備に時間が掛かるからって何十日も待たせるわけにはいかない。アギトの生活だって早く戻してあげたいしね」
術式が出来るまでは毎日通うつもりでいるように。と、マーリンさんがそう言えば、ミラはキラキラした目でこくこくと頷いていた。
僕からしたら不穏な勉強会だけど、ミラにとってはまたと無いチャンスだもんな。
マーリンさんに加えて、先代の魔術翁と一緒に、未知の術式を開発するんだ。
早く早くと急かす姿からも、ワクワクして止まらないって気持ちが滲み出てるや。
「……? あれ? 俺……も? 俺も行くんですか? 特に役に立つわけでもないし、ここの手伝いしてた方が……」
「おばか。おバカアギト。召喚術式に一番多く関わってるのは君だ。
君が肌で感じたもの……これまでにあったトラブル、思い当たる危険性や不安。現場の意見というやつだね。何ごとにもそういうのが一番役に立つもんさ。
実験なんて出来ないからね、厄介そうな要素は先に全部取り除きたいところだ」
え、こっわ。試験してないワクチンをぶっつけ本番で打つからねって言われてる気分。
でも……そうだよな、実験とか出来ないもんな。
そうなると…………被験体の意見は重要……という意味ですか? あれ? え?
「ほら、ぼさっとしてないで早く行くわよ。どうせ残っても大して役に立たないでしょうし、エルゥの心配なんてアンタがしてもしょうがないでしょ」
「な、なんてこと言うんだお前は……」
喧嘩しないの。と、マーリンさんに宥められながら、僕達は仕事の準備を始めてたエルゥさん達に事情を軽く説明して、手伝えなくてごめんなさいと揃って頭を下げて出発した。
目的地は街外れの廃墟群、マグルさんの住処だ。
ごった返し始めた繁華街を抜け、前にも一度訪れたボロ小屋を……通り過ぎて……え? どこ行くの?
「マーリンさん? あの、マグルさんの住んでるとこは……」
「ああ、あそこにはもういないよ。飽き性だからね。それに、また新しく弟子が出来たんだ、広い工房を求めて住居を移すのも変じゃない。さてと……その移転先がどこかだけど……」
えっ⁈ どこにいるのか知らないの⁈
本来なら大問題だが、ミラがいるおかげで大した問題じゃない……筈なのだが、今回に限ってはやっぱり大問題だ。相手が悪い。
何せ魔術翁、人前に出るのを嫌がる引きこもりも隠居術師だ。
自分の姿を隠す、自分の住処を隠す、自分の大切な街を隠す。あらゆる手段で外敵との接触を避ける、隠れ身のスペシャリストとでも呼ぼうか。
そのスニークスキルは群を抜くとかそういうレベルに無く、ミラの鼻と耳と目を以ってしても感知出来ない。そんな相手を……
「——行き先聞いてないんですかっ⁉︎ ど、どどどどうするんですか! だって! マグルさんですよ⁉︎ ミラですら探せない相手を、いったいどうやって見つけるって言うんですか!」
「落ち着きなよ。確かに、本気で隠れたマグルを見つけるのは至難の業だ。だが……」
隠れられない状況を作れば良い。と、マーリンさんは何やら不穏なことを言い始めた。
ま、まさか……ここら一帯を爆撃して燻り出そう……とか言い出すんじゃないよな……?
「おいこら、バカアギト。またロクでも無いこと企んでるな……って、顔に書いてあるぞ。君は本当に……」
敬意ってものを少しは持ちなさい! と、マーリンさんに怒られる前にミラに怒られた。
鋭い右フックが僕の脇腹少し背中寄りの部分を襲う。ほぐぅ……な、内臓にダメージが……っ。
何臓かは分からないけど……な、なんか大事な器官が……ひぎぃ……
「隠れてられない、隠れてる場合じゃない状況を作れば良い。それは何も、ネガティブな要素だけを含むわけじゃないと分かりそうなものだけどなぁ。と言うか、君だってよくやってたじゃないか」
「ひぃ……ひぃ……お、俺が……? 俺がそんな物騒なことを……?」
い、いつだ……? いつそんな道を踏み外すようなことが……っ⁈
バカアギト。と、もう一撃、今度はマーリンさんからおでこに弱パンチを貰って、そしてその答えを言葉ではなく実演で見せ付けられる。
「じゃ、お願いするよ。うーん……自分でやったこととはいえ、失くしてみると惜しいものだ」
「その分、これからは私がマーリン様の代わりに頑張りますから! 任せてください!」
えへん。と、胸を張ると、ミラは何やら言霊を……いや、詠唱を始めた。や、やっぱり絨毯爆撃じゃないか!
やめて! 問題になる! 勇者と巫女が国に叛逆したとか、大問題になる!
大慌てな僕をよそに、詠唱は着々と進んでしまって……
「——触れられざる雷雲——」
ドッカーン! なんて大きな音を立てることも無く、ミラの術式は展開され……され……されてる?
音も匂いも無い、それに雷光も火も煙もどこにも見当たらない。
言霊的に、今のは雷の術式……だったよな? となると……うん? 強化系?
でも、ミラの身体にも変化は特に……
「……どうでしょうか⁉︎ えへへ、前からどこかで使ってみたかったんですけど。中々タイミングが無くて」
「今更君には必要無いものだからね。しかし、力を制限している状態だとロクに唱えることも出来ない。うーん……やっぱり用途が限られ過ぎるね。術師としてはそれも上等なんだろうけど、僕にはちょっと……」
実用性が最優先だからねぇ。と、マーリンさんとミラはなんだか和やかに魔術談義? をしていて……?
ね、ねえ。僕にも教えてよ。何したの? ミラは何をしでかしたの? 怒られない? これ、怒られないやつ? ねえってば。
「……っと、話をしていれば……です」
「おや、もう現れたのかい。相変わらず……歳なんだから落ち着けば良いのにと叱るべきか、まだ好奇心が尽きないのかと呆れるべきか」
術師としては褒められるべきだと思うのですが……と、ミラはちょっとだけ肩をすくめて、そしてマーリンさんと並んでどこかへ向かって歩き出した。
でも、その先には何も……マグルさんが住んでそうな建物すらも無くて——
「——なんじゃ今のは——っ! 娘っ子! 今のはなんじゃ! また変なものを引っ張り出してきたのう! ばーっはっはっ!」
「——っ! ちび! お前か! 今のお前か! むぐ……うぐぐ……っ。ちび! このちび!」
誰がちびよ! このクソガキ! と、喧嘩が始まったのは、何も無い筈だった空間が砕けてすぐのことだった。
まるで更地の描かれていたキャンバスが割れてしまったみたいに世界は描き変わって、そこには随分と大きな……大きな……どこからどう見ても違法建築な、無理矢理改造されたツギハギだらけの屋敷が建っていた。
もしかして……マグルさんは今ここに……?
「ほら、ぼーっとしてると締め出されるぞー。と言うか、さっき自分で言ってただろうに。ミラちゃんですら探知不可な結界は、そりゃ当然のように張ってあるよ」
「俺が驚いてるのはそこじゃないですけど⁉︎ 今ミラが何したのかと、それから目の前のごてごてした禍々しい家について説明貰って良いですか⁉︎」
ここは儂の工房じゃよ。と、マグルさんはあっさり答えてくれたが……そうじゃねえよ!
これ! ダメなやつだろ! 人に見られたら、見つかったらマズイから結界で隠してただろ!
なんでそんなことを地元から離れたとこで、それも法的な規制が他所より厳しそうな王都でやるんだ!
やめろ! 身内から犯罪者が出かねない危険な行為を! 頼むからやめてくれ!
色々と言いたい文句が沢山あったのだが、マグルさんの、閉めてしまうぞ。という言葉に、僕は大急ぎでその違法過ぎる工房に足を踏み入れた。
これで……これで僕も関係者……っ。絶対捕まるなよ、絶対うっかりで結界の閉め忘れするなよ。
そして……クリフィアに帰る時、ぜっっったい片付けて帰ってくれよ……っ。




