第八十五話
僕はこのボルツという街に来て、およそ三分弱でミラと逸れた。と、同時に迷子仲間の少女リユちゃんと出会った。誘拐じゃないぞ? 犯罪の匂いなんて一切し無ほらそこ、通報は止すんだ。そうして二人組の迷子となった僕らは、お子様一名と母親一名を探しながら街外れまでやって来ていたのだが……
「いやー、まさか本当に追いつけるとは。これも日頃の行いが良いからですかね」
「追いつける……って。オックスさん、俺達を追いかけて?」
え、怖い。ガタイのいい兄ちゃんに追いかけられる理由は皆目見当もつかないのだが、一体どうしたことだろう。僕は心の底からの疑問を彼にぶつける。
「オックスさん……って、敬語とかいらないですよ。アギトさんは先生の恩人なんですから」
「恩人って言われても……むしろ俺のせいで大怪我させちゃって…………それにゲンさんは俺にとっても恩人ですし……」
望んだ返事が返ってこない……。だがそれを突っ込む勇気も度胸も無く、僕は流されるがままに彼の言葉に返事をする。僕がゲンさんの恩人というのは、全く的外れであるとこれまた心の底から思っていることだ。だって、僕の迂闊な行動でゲンさんは死にかけてしまって……
「そっ! そうだゲンさん! ゲンさんは無事……ですか⁉︎ まさか死ん……」
「死んでないですよ。伝言を預かって、お二人を探してアーヴィンに訪ねたんですよ。大人数じゃアレなんで、代表して俺が」
そうか……無事だったか……。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、そのゲンさんからの伝言とな。まさか恩人ということで、感謝の言葉なんて伝える為に遥々こんな所までやって来たんじゃ……。強いけど頭のおかしいクソジジイだなんて思っていた自分が恥ずかしくなってくる。
「これ、手紙です。いやー、アーヴィンに行っても、遠出してていつ戻るかわからないって言われちゃって。帰っても、絶対に探し出して渡せ! って先生に怒鳴られちゃったし、とりあえず王都に向かったって聞いたんで急いで馬車に乗ったんです」
「馬車…………? ああ……そういえばそんなものもありましたね……」
なるほど、よく見れば門のすぐ近くまで幾重にも重なった轍が見える。どうして僕らは歩いて旅をしているのだろう。今ここにいない原因に無性に腹が立つ。ただでさえ問題を起こしている最中だというのに。
「とりあえず読んでみてくださいよ。あんなに真剣な先生はじめて見たんですもん、俺も中身気になっちゃって」
「……確かに気になりますね……えーと…………拝啓、アーヴィン市長ミラ=ハークス様、並びに市長秘書アギト様……えっ? これ本当にゲンさんが…………?」
とてもあの物臭そうなゲンさんとは思えぬほど達筆で、しっかりとした書きはじめに僕は目を丸くした。そして恐る恐る続きに目を通す。
『お二人はその後、如何お過ごしでしょうか。ガラガダは未だ暑く、老骨には少々堪えます。本日こうしてお二人に手紙を出したのは他でもありません。ガロン山に住まう魔獣の群れ、及び蛇の魔女の討伐の件についてです。お二方の活躍もあり、ガラガダにはまた平和が戻りました。炭鉱も解放され、街は一層活気付くことでしょう。街の代表というには足りぬ男ですが、僭越ながらここにお礼申し上げます。さて、本題に入りまして、その時の戦闘の際の事だったのですが……』
「色々ありましたが、結果は皆無事生還。約束通り小屋の修理費は頂きません。しかし別件として…………あれ? もう二枚あ……る…………?」
大人だったんだ。ゲンさんはあんなでも大人だったんだ。僕は間違いなく見直していた。見直していたさ! この二枚目を見るまでは‼︎
「…………指導料大銀貨五枚…………護衛料金貨一枚………………迷惑料金貨三枚の請求をここに致します…………だとぉおう⁉︎」
「…………すいません……俺が甘かったです。あの人に限ってそんな……素直にお礼なんて言う人じゃないことは分かっていた筈なのに……」
力の限り僕はゲンさんからの手紙、もとい請求書を破り捨てた。こんなもん払う道理は無い! っていうかミラにはとても見せられない! 地形が変わりかねない! 今ここに再確認した! ゲンさんとミラの相性は最悪に近い! 水と油……いや、それ以上に交わりにくい! 酢があったって絶対に混ざらない、断言出来る!
「…………ところで……ミラさんって……こんな感じでしたっけ?」
「え……? あっ……そうだった! ごめんリユちゃん、大丈夫。この人は怖い人じゃないよ」
オックスさんの言葉に、ようやく僕は自分の背中にくっついている少女が別人である事を思い出す。そうだ、今はゲンさんのたわけた請求書など相手にしている場合じゃない。一刻も早くこの少女を母親の元へ送り届けなければ。
「へー、迷子っすか。なら任せてください。俺、ここの出身なんです。街のことならアギトさんよりずっと詳しいですから!」
「お、おお! 頼もしいです!」
事情を話すと、彼はリユちゃんの目線にまでしゃがみこんで色々と話を聞きはじめた。うん、僕の時と違って、すっかり緊張が解けているから色々すらすら情報が出てくるぞう。僕のおかげで、僕のおかげで! すっかり緊張が解けているからだろう。うん、間違いない。
「とりあえず、入ってきた門へ行きましょう。南門から入ってきたみたいですね、この子は」
そう言ってオックスさんは、リユちゃんの手を引いてさっき来た道を戻っていった。南門……と言うことは、僕らが入ってきたのと同じ門……だろうか。ずっと北上してたわけだし。ならばミラが戻っている可能性も少なくは無い。すっかり懐いて見えるリユちゃんの背中にほんの少しだけジェラシーを感じながら、僕も彼を見失わない様にしっかりついて行く。
「ミラさんって市長なんですよね? それが秘書も一緒に街をしばらく空けちゃって、大丈夫なんですか?」
「うっ……ま、まあ色々あって…………もう俺達は市長でも秘書でも無いんだよ……」
少しだけ青ざめたオックスさんに、僕は必死で弁解する。クビじゃないです、決してクビとかリコールとか、解任じゃあないんです。
「そんなわけで……オックスさんこそ俺にさん付けなんて使わなくてもいいですよ……?」
「あはは、なあんだ。オレすっげえ緊張してたのに。でもアギトさん歳上っスよね? ならやっぱりオレのことは呼び捨てにしてくださいっス」
オックス……はそう言って笑った。そうか……それだけデカくて歳下か……そうか。
「じゃあミラちゃんも、もう役人さんじゃないんスね。いやあ気が楽になったなった」
「ミラちゃん…………オックス? お前……何歳だ?」
十四っス! 彼は元気に答えた。そうか……歳下か……そうか……
「…………ミラは今年で十六歳だ……それから、ミラの前で歳の話はするな。絶対拗ねる。絶対に歳下だってバレるんじゃないぞ……」
「…………ミラさん……歳上だったんスね……了解っス……」
こんなにも理不尽な話があるだろうか。かたや童女だとか呼ばれてしまう、満十六歳になる子供っぽい少女。かたや顔こそ幼いものの、立派な体格で大人顔負けの高身長な少年。世界とは不公平なものだとつくづく思う。アギトの身体も、残念ながら背は高くないから……
それから三人和気藹々と話しながら、見覚えの少しだけある門に辿り着いた。彼の予想は的中したみたいで……
「アギトーーーーっ! アギトーっ‼︎ アーギートーーーっ‼︎」
どこからとも無く、聞き覚えのある子供の叫び声が聞こえて来た。ああ、遠方を見れば確かにミラの姿がある。しかし、珍しく走ってこないのは何故だろう。答えは、人混みを搔きわける彼女の隣にあった。
「あっ……お母さん! おかーさーんっ!」
「リユ⁉︎ ああ良かった……お二人がリユを? 何とお礼を言ったら良いか……」
こうして無事、僕らと親子はそれぞれ再開することが叶った。それもこれもオックスのおかげなのだが、肝心のオックスは何故か少しだけ離れたところでこちらを伺っている。はて、どうしたのだろう。感謝の言葉などいくらかけても足りないくらいいっぱいあるのだから、是非こちらへ来て欲しいのだが。
「わーーーん! ばかっ! 馬鹿アギト! 勝手に……ずびっ……勝手にどっか行っちゃダメじゃないっ! ぐす……」
「…………歳上……なんスよね……?」
残念ながら。と、僕は目を伏せるだけだった。リユちゃんが心配して狼狽える程周りの目も憚らずに泣き噦るミラに、オックスは少しだけ引いている様に見えた。分かります……分かります、その気持ち。あの時見たミラとコレのギャップについて行けない、痛い程分かりますとも……その気持ちは……