第二百二十一話【延長戦とエクストラマッチ】
もう一度みんなの前に戻ると、フリードさんもオックスもミラに詰め寄っていた。
さっきの話が本当だとして、いったいどうやってそれを取り戻した。世界を救えと言ってたけど、具体的には何をする。
そんな当たり前の疑問を、たじろぐばかりの少女に問い続ける。
「こらこら。その説明なら今からしてやるから、ちょっと落ち着きなさい。フリード、オックス。自分の物理的な大きさを考えなよ」
威圧感が凄いんだぞ、まったくもう。と、マーリンさんはそう言って、ミラをふたりの間から引っ張り出した。
おや……? なんだかマーリンさん、ちょっとだけ不機嫌です?
ムスッとした顔でため息をついたり、どうにも落ち着かない様子で脚を揺らしたり。ふーむ……?
「……さて、お前の覚悟は分かった。幸い……いいや、僕としては不幸なことに、か。アギトの協力も得られたしね。手早く本題に入ろう。これからすべきことと、そしてその先ですべきことを」
まずは……と、マーリンさんは僕とミラの腕を掴んで引き寄せた。
興奮気味なふたりの前に引っ張り出されてしまって、どうにもこうにも居心地が悪い。
でも、流石に今回は他人事スタンスでいられないからね、仕方ない。
「記憶を取り戻すにあたって、まずその理屈を知っておいて貰いたい。お前からしたらどうでもいい、つまらない話かもしれないけど、理論の理解と確認は重要だ。こと繊細な術式を行おうと言うのだから、被術者の協力も欠かすことは出来ない」
そんな前置きでフリードさんを牽制すると、マーリンさんはそのまま説明に入った。かつて僕にもしてくれた話だ。
召喚術式とは、多量の魔力と情報によって構成される、通常の魔術とは根本的な目的、アプローチまでもが異なる特殊な術式である。
それの詳しい解説は一度省いて、ロクでもない方法でのみ達成出来る馬鹿げた魔術だと思ってくれれば良い。
召喚術式によって生贄にされた情報——記憶は、必ず別の形、場所で消費される。
そしてその際、情報は必ず情報という形で——完全変質は行われず、あくまでも情報、知識、歴史という形で消費される。
そして、それが必要とされる状況は限られる。
緊急性が高く、かつその条件を満たすもの。
それは変革——改革、つまり世界の進化である。
世界が進化を望み、そして外部にその希望を求める。
通常ではあり得ない。あり得てはならない。
世界とは概念であり、しかし物理的な存在の集合でもある。
そうなれば、その成長は必ず内側に存在するエネルギーによって行われるだろう。
それを外に求めるということは、つまり内側が危機に瀕しているということだ。
「よって、この召喚で訪れる世界は、必ず危機的状況に——それも、この世界では感じられない程の脅威に見舞われている可能性が高い。
事実、このふたりが訪れた世界は、どれもこれも超自然的な終焉に見舞われていた」
だから、根本的なところから発想を変える必要がある。と、マーリンさんはそこまで一息に言い切って、そしてつかつかとフリードさんに歩み寄り……
「——お前のこの筋肉も! 武術も! 強い心も! 何もかもが意味を成さない、謎掛けみたいな世界だってあり得る。いいや、ふたりはそんな世界にも訪れた。
お前がどれだけ強かろうと、世界そのものが崩壊したんではなんの役にも立たない。
知恵、知識、機転。それに度胸と適応力。時間をやる、もう一度昔のお前に戻ってこい! 魔王を討つなんて考えてなかった頃——三人でただ歩き続けていた頃のお前を!」
両手で顔を掴んで、ガツンと頭突きをしてそう言った。
しかし、やっぱりダメージはマーリンさんだけが受けてしまって、ふらふらとよろめいて、倒れるように椅子に腰掛けた。
分かってたことだろうに、どうしてそんな暴力的になるの……
「いてて……この石頭が。ちょっと解してこい、どんなやり方でも良いから。
この十七年……いいや。あの十六年の間に、お前は凝り固まり過ぎてる。強くなること、魔王を倒すことだけを考えてたんだ。
そういうの全部取っ払って、子供の謎掛けに本気で取り組むくらいの柔らかさを手にしてこい」
「……それで、己のこの空白が埋まるのだな……?」
そこは運次第だよ。と、マーリンさんはうんざりした顔でそう言った。
さっきも言った通り、結果については全て運頼みだ。
超常を踏み越えて、人の域を飛び越えて。そうして得られるのはくじを引く権利だけ。
普通なら挫けて逃げ出すような途方も無い話だ、と。
「……それを乗り越えて、この子達はここにいる。お手本にして励むと良い」
ちょっ、それは言い過ぎだって!
フリードさんはマーリンさんのそんな言葉を真に受けて、なんだかありがたいものを見るみたいに僕達を観察し始めた。
う、うぐぐ……言えない……ほとんど失敗して帰って来てるなんて言えない空気……っ。
「現地で何をするのかは行ってみるまで分からない。あとは術式の説明だけど……これは日取りが決まってからの方が良いだろう。
一度自分を完全に壊してこい。無駄を省くとか、効率良くとか、そんなの気にせずゼロから組み直せ」
まず三日やる、仕事もせずに遊び呆けてこい。と、そう言ってマーリンさんはフリードさんを追い払った。
仕事もせずに……は、色々まずいんじゃ……?
その間はマーリンさんがまた指揮を取る……とかかな。だとしたら、今度は術式の準備に遅れが出るような……
「……と、いうわけだからさ。ちょっとだけうちの馬鹿どもを手伝ってくれ、オックス。
そもそも好き勝手やってる連中だからさ、指示なんて有事でもない限り必要無い。
でも、それはそれとして、フリードひとり分の人員は補ってやらないと。だから——」
「——ちょっと待って欲しいっス——」
マーリンさんの話、お願いをぶった切って、オックスは声を上げた。
追い払われて出て行こうとしていた……もとい、三日の準備期間をフルに使おうと支度を始めていたフリードさんに視線を送り、オックスは凄く凄く強い顔で彼を引き留めた。
いいや、彼と——フリードさんと、マーリンさんを。
「——オレも——オレも行かせてください! オレだってこのわけ分かんないもやもやを取っ払いたい。オレだって、無くなってるっていうアギトさんとの思い出を取り返したい。オレだって——オレだって戦いたいっス——っ!」
「……オックス……」
彼の名を呼んだのは僕だけじゃない。マーリンさんも、ミラも。
驚いた……わけじゃない。でも、呆然としてしまった。
オックスは強いやつだし、自分に足りないものが手に入るとなれば、貪欲に突き進むやつだ。
それが分かっててなお、この発言は意外と言うか……想定外だった。
だってそれは、憧れの存在に対して挑戦するって意味を含んでるんだから。
「オックス……ごめん、流石にそれは難しい。
アギトはまず絶対条件だ。そして次に、ミラちゃんも外せない。
経験も、適応力も、それにアギトとの連携も。今回の作戦において、ミラちゃんの持ってる全ての能力が欠かせないものになる。
そして……僕はこれまで、この術式で三人以上を送り出したことが無い。
どれだけの無茶をしたとしても、枠はあとひとり分が精一杯だ」
「——だったら——っ! オレがフリード様の代わりに行きます!」
オックスの肩は震えていた。
いいや、肩だけじゃない。手も、脚も。強い緊張で身体が強張ってるんだ。
定員三人は僕も初耳だけど、それは当然オックスもだ。
でも、引かなかった。
フリードさんと並んで世界を救う、きっと自分も彼と同じくらい役に立ってみせる。
そんな覚悟に弾みが付いて、フリードさんよりも自分が役に立つと、そう言ってしまった……訳じゃないらしい。
引くに引けない男の顔じゃない。
オックスは本気で——そして、冷静にマーリンさんを見つめていた。
「さっきの話じゃ、強さより大事なものがあるってことでしたよね。なら、オレにだって出来る筈っス。オレだって譲れない、オレだって諦められない。
それに、ミラさんと……アギトさんとも。オレは一緒に旅をした。フリードさんよりずっとずっと長い時間を一緒に過ごした」
だったら! 連携が取れるって意味では、オレの方が適しててもおかしくないっス! オックスのそんな言葉に、僕もミラも戦々恐々としていた。
だって、そんなの知らないんだ。
こうも明確にフリードさんへ敵対心を向けたやつを、僕達は知らない。
だから、フリードさんが怒るのか、それとももっと他のリアクションを取るのか。それが分からなくて……
「——魔女——。三日後、お前が決めろ。オックス=ジュードの言い分はもっともだ。今の腑抜けた己では、なんの役にも立てぬ可能性がある」
「——っ! おい、馬鹿フリード! いくらなんでもお前とオックスとじゃ——」
————己は負けぬ————。フリードさんは一度として振り返らずそう言って、そしてそのまま出て行ってしまった。
今のは……お、怒ってた……わけじゃないよね……? だとしたら……えっと……
「————っ! 三日っスよね! オレもまたここに来ます! 待っててください!」
「えっ? あっ! おい! オックス! もう! 僕の意見は無視かよ!」
オレも絶対負けないっス! と、オックスまで飛び出して行ってしまって……取り残された僕達は、唖然呆然って顔を突き合わせるしか無かった。
「……あれは……フリード様は、オックスを認めてた……ってことでしょうか?」
「そんな良いものじゃないよ、まったく。子供みたいになれとは言ったけど、子供みたいな喧嘩をしろとは言ってないぞ、もう」
オックスはもしかして、フリードさんを越えようなんて考えてるのかな。
憧れじゃなく、ひとつの目標として。
それをフリードさんは、生意気だなんて言わずに受けて立とうとしてくれた……とか。
た、体育会系だなぁ……ふたりとも……。でも……
「……競争意識が良い結果を生んでくれると信じよう。信じ……はあぁ。
これで当人同士の間で、オックスの方が良いだなんて話になったらどうしようか……っ。
あの子には申し訳ないけど、幾ら何でも力不足だよ……」
え、いや……それ言われると僕の立場無いんだけど……?
と言うか、その力不足なオックスよりよっぽど役に立たない僕に、世界救ってこいだなんて命令してましたけど⁈
終わったと思ってた異世界の救済は、もう少しだけ続くらしい。
まだトラウマを増やすのか……という感情とは別に、嬉しいって感情が密かに芽生えていた。
怖いし、つらいし、早く秋人にも戻りたいけど……やっぱり、嫌な思い出ばかりじゃないから……かな。楽しみだと思う自分がいた。




