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異世界転々  作者: 赤井天狐
第五章【金と鋼】
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第二百十九話【英雄】

——美しきものと靭きもの。然して全ては輝きを増す。

 輝かしさ故に剛く、逞しさ故に眩く————


 力を貸せ——

 それは、無敵の英雄から力を失った巫女への助力の要請だった。

 その場にいた誰もが——いいや、この国の誰もが信じられないことが起きているのかもしれない。

 そのくらい異様な空気が流れていた。

「——ちょっと場所を変えようか。王宮へ……僕の仕事部屋へ——」

「——いいや、此処で良い。此処が良い。その為におれが出向いたのだ」

 ここが……? と、マーリンさんは首を傾げる。

 確かに、その意図は読めない。

 フリードさん程の人物が助けを求める案件となれば、とても公に出来る話ではない筈だ。

 それをこんな街中の、それも一般人の多くいる家屋でなんて……

「だったらせめて部屋へ行こう。お前がどんな話を持って来たか知らないが、英雄には英雄の義務がある。お前は強くなくちゃならない。弱みを衆人に晒してはならない」

 話は聞く。けれど、それは僕とふたりきりの場所ですべきだ。と、マーリンさんはふらふらと立ち上がった。

 まだ痛むんですか……腰……。だらけきった生活の報いですよ、それは。っとと、それはよくて。

「じゃあ、マーリンさんの分はご飯残しておきますから。一番奥の部屋で……」

「——いいや。魔女、お前だけに聞かせて解決する話ではない」

 そう言ってフリードさんは、顔をゆっくりとミラの方へと向けた。

 マーリンさんだけじゃダメ……ミラの力も必要だ……と?

 確かに、今のマーリンさんは戦う力なんて残ってない。

 となれば、やっぱり勇者ミラにも手を貸して欲しいと思うのは道理だけど……

「……エルゥ。私達が出ましょう。アギトちゃん。ご飯、三人分残しておいて頂戴。

 それから……お客さんが来ると困るわよね。玄関に私が残るから、それなりの場所で話をするように。それで良いかしら、黄金騎士さん」

「……感謝する」

 行きましょう。と、ハーグさんはまだ混乱しているエルゥさんの手を引いて、レイさんと共に出て行ってしまった。

 三人分……? 出て行く必要があるのはエルゥさんと兄弟だけ……ってこと?

 ミラと、オックスと……僕も残って良いの? 僕は出た方が良いんじゃないの?

 そんな疑問に答える必要無しと言わんばかりに、フリードさんは重苦しく口を開き始めた。

「——魔女——お前は知っているのか——っ。己から欠けたものを——己が奪われたものを——」

「——っ。フリード……お前……」

 ギリ——と、奥歯を噛み締め、フリードさんは睨み付けるように——けれど、どこか懇願するようにマーリンさんを見つめる。

 欠けた——奪われたもの……? マーリンさんとミラはどこか心当たりがあるみたいで、置いてけぼりな僕とオックスを他所に、三人は重々しい空気の中で話を続けた。

「……確かに、お前の言う通りだった。己の中には空白がある。己には思い出せぬ何かがある。そして……それこそが、己を腑抜けにした原因だった。答えろ、魔女。お前は何を知っている。お前は——」

「——ちょっと待った。フリード、先に確認したいことがある」

 焦った様子のフリードさんの言葉を遮り、マーリンさんは真っ直ぐにその姿を睨み付けた。

 怒ってる……わけじゃないけど、どこか冷たい表情だ。

 巫女として騎士の指揮を取っていた時の顔とも違う。

 なんだか……ちょっとだけ寂しくなる表情だった。

「その違和感に気付いたのはいつだ。いいや……その違和感を気にしなくちゃならなくなったのはいつからだ。

 ずっと分かってた筈だ、その穴の存在には。けれど、お前はそれを無視して突き進むことを選んだ。

 それがどうして、何があってそんな弱気を見せるようになったんだ」

 マーリンさんの言葉は、少しだけ棘があるように感じた。けれど、どこか懐かしいものにも感じた。

 きっとこれは、対等な——マーリンさんとフリードさんの間だから、こういう言葉が選ばれているんだろうというだけ。

 きっとこの問答は、かつての旅の間に繰り返されたものと同じ。

 導く相手としてあった僕とミラに何度も繰り返した、指導としての言葉と同じものだった。

「……そうだ、最初から気付いていた。そして、それが何を意味するのかも——己にとって毒であることも気付いていた。だが、それに足を取られたのは……」

「…………? っ⁈ わ——私ですか——っ⁉︎」

 苦々しく眉をひそめたフリードさんが目を向けた先には、心配そうに彼を見つめていたミラの姿があった。

 ミラを見て、何かに気付いた……ってことか。それは……ええと……

「ミラ=ハークスの在り方にはずっと疑問を抱いていた。彼女はもっと強かった筈だ……と。共に魔王を討ちし勇者が、こんなにも弱々しい筈が無いという願望もあったのかもしれない。だが、やはり違和感はあった」

 勇者の姿はもっと気高く、そして逞しいものだった。

 その背中には自信が溢れ、その瞳には明日が映っていた……筈だった。

 フリードさんはそう続けて、そして堪えきれなくなったように目を伏せる。

 魔王を前にも一度として挫けなかった、顔を下げなかったフリードさんが、何かから逃げるみたいに目を背けてしまった。

「——だが、そんなものは全て消し飛んだ。先日の一件……いいや、その前日から。

 己の目には、全く知らぬ少女の姿が映っていた。

 ミラ=ハークスの持っていた冷静さも、謙虚さも、思慮深さも。何もかもを違えた、まるで別人である少女を、あろうことかお前が——魔女、お前がその名で呼んだのだ。そして……っ」

 己も、それを当たり前だと受け入れたのだ。フリードさんはそれっきり黙ってしまって、重たい沈黙が部屋を押し潰してしまいそうだった。

 先日の一件……ミラの記憶が戻って、そしてゴートマンを捕まえた日。フリードさんは、その日に何かを感じたんだ。

 記憶の中のミラと、目の前のミラの違いに。

 そして、違う筈のミラに違和感が無いことに、彼は強く疑念を抱いたらしい。

「……それで。答えは出たのかい」

 そんな彼に向けて発せられたマーリンさんの言葉は、まるで意味が無いもののように感じられた。

 答えが出ないからここに来たんじゃないの……? と。

 でも、そんな間抜けは残念ながら僕だけだったらしい。

 フリードさんがもう一度顔を上げると、その場にいた全員が——僕以外の全員が、納得した表情を浮かべる。

「——お——俺……ですか……?」

 僕に向けられていたのは、黄金騎士の悲痛な面持ちだった。

 何かを思い出せない。けれど、それが大切なものだったのは分かっている。

 事情を知る僕からはそういう風に見えてしまうけど、本当のところはどうなんだろう。

 もしかして僕は、この人を深く傷付けてしまっているんじゃないのか。そんな罪悪感が湧いてしまうくらい、切なげな表情だった。

「……はぁ。流石だね。鈍感も鈍感、人の気持ちなんてまるで理解出来ない木偶の坊。それでも、無意識に真理へと手を伸ばす嗅覚は本当に流石だ。呆れたよ、この大馬鹿が」

 マーリンさんはすっごく辛辣な言葉を投げ掛けて、けれど優しく笑って椅子に腰掛けた。

 がたっと椅子が少しズレてしまうくらい勢いよく、倒れそうになった身体を預けるように。そして、もう一度大きなため息をついた。

「……それで、お前はどうしたい。その様子じゃとっくに気付いてるんだろう? お前は此処に——いいや。僕に、いったい何を求めてやってきた」

「——力を——その目を貸せ、魔女——っ。此処、王都でお前がよからぬことを企てていたのは知っている。それに己を——その儀式に己を加え入れろ——魔女——っ!』

 ぶわっ——と、腕に鳥肌が立って、背中の毛穴から冷たい汗が湧き出たのが分かった。

 フリードさんはどこまで知ってる、どこまで気付いてる。

 この人が王都に来たのは、最初の遠征の直前——三度目の召喚の後だ。

 それから彼がこの街にいる間、僕達はアーヴィンに戻っていた。

 術式も当然ここでは行われていない。なのに……

「……それじゃあまだ半分だ。力を貸す理由——何かを埋めたいという願望、そのもう半分。その答えが出ていないなら、僕はお前に力を貸すわけにはいかない。

 答えろ、フリード。護国の英雄でも、黄金騎士でも、ましてや敗戦の兵でもないお前自信が、いったい何を求めたのかを」

「——己は——っ。己はかつて、彼を親友ともと呼んだ。唯一無二であった、そうでなくてはならなかった。

 だが、違った。己の中には何かがあった、もうひとりの親友が在った。

 そしてそれが——この少年の見せる輝きと似ていたのだ——」

 初めて出会った時、その弱さに呆れ果ててしまった。

 何をも害することなど出来ぬ、あまりに無防備で無力な存在に思えた。

 そして、それは事実だった。

 フリードさんは僕をしっかりと見つめたまま、拳を震わせて声を荒げる。

 怒ってる……らしい。

 それは……僕に? いいや、違うみたいだ。

 だって、みんなも同じ顔で僕を……

「——だというのに——っ! もう一度(まみ)えれば、まるで彼のような匂いを発したではないか!

 他の誰よりも気高くあった彼と同じ空気を、あろうことか何者でもない少年が発した——いいや、己がこの少年から感じ取ったのだ!

 そして——そんな彼に背を押され、ミラ=ハークスは強い輝きを放って見せた。

 故に、己は確信した。魔女、お前が見せたかったものは——あの日、あの場所で。ベルベット=ジューリクトンに連れられた無力な少年は、己の欠落を埋め得る一片だったのではないか……と」

 あの日……再召喚されてから初めてフリードさんとオックスに出会った日。王都へと向かう道中に突然現れた分岐ルート。

 あのイベントこそ、マーリンさんの企みだった……と?

 僕が目をマーリンさんに向けたからだろうか、ミラもオックスも釣られて彼女へ目を向けた。

「……はあぁ……。アギトくらい鈍いのも考えものだけど、お前の鋭さもそれはそれで面白みに欠けるね。

 分かった、手を貸そう。幸い……と、言うべきだろうね。手札はまだ揃ったままだ」

「——っ! 魔女——では——」

 ただし、条件がある。と、マーリンさんはまた冷たい目をフリードさんに向けた。凄く凄く冷たい……かなり無理をしてる表情を。

「——機会は一度きり。それ以上は不可能だと思え。折れて錆びて、今にも朽ちそうなその黄金の剣で、お前はもう一度世界を救う自信はあるか——」

 マーリンさんの問いに、フリードさんは即答した。

 何を迷うことも無く、憂うことも無く。力強く頷いて、そしてもう一度胸を張る。

 僕から見えるその背中には、まだかつての強さは映されていなかった。


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