第二百十六話【進化を続ける魔の獣】
王宮に不審者が殴り込んできた事件……もとい、ゲンさんがやってきた件から二日が経った。
ハーグさんとレイさんが挨拶に行く間も無く、ゲンさんはやって来たその日の内にガラガダへ帰ってしまったらしい。
けれどオックスが言うには、怒って帰った様子じゃなかった、とのこと。
どことなく晴れやかで、満足げだったそうな。
なら……やっぱり、ハーグさんの言ってた通りなのかな。
さて、そんな一悶着……もとい、少し寂しい再会も終え、僕とミラはマーリンさんの言い付けで王都を離れていた。出てけって言われたわけじゃないやい。
簡単に言えば、昔やってたのと同じ。勇者として、またあの人の命令に従って働いているのだ。
「んんーっ。やっと着いたわね。さーて、何が出てくるのかしら」
「やめろ。おい、バカミラ。何も出ないのが一番良いの。何も出なかったから何もせずに帰ったが一番良いの! 変な期待の仕方するんじゃない!」
相変わらずね。と、ミラは人を小馬鹿にしたように笑った。
出るとか出なくていいとか、何に揉めているかと言うと……
「おーし、荷物下ろせー。今日はちび勇者様が同行してくださったんだ、まあまあ危ねーって巫女様も思ってんだろ。気合入れてけよー」
「……ヘインスさん、そのちび勇者って呼び方やめてあげてください。その……俺が噛まれるんで……」
おお、悪い。と、ミラに首元を噛まれている僕に謝ったのは、太陽の騎士団所属、割と仲良しな友達のヘインスさんだった。
今日、僕達は昔も調査にやって来た湖を訪れていた。
今回も目的は、生態調査と魔獣の討伐。早い話が昔やった仕事の延長。
けれど、あれからもう一年近く経つ。
その間にも騎士による調査はあったわけで、それでもマーリンさん直々に命令が下ったってことは……
「わりぃな、アギト。今回のヤマ、本当は俺達だけで片付けたかったが……巫女様の不安は、つまり悪い未来の予知みたいなもんだ。厄介なのが巣を作ったっぽい」
「うぐ……やっぱりそうなりますよね……」
調査はしていた。けれど、ここだけに掛かりっきりにはなれない。
つまり、前の調査から今日までの間に、凶暴な魔獣がこの湖を根城にしてしまった可能性が高い……と。
もちろん、今のマーリンさんには星見の力なんて無い。だから、そういうデータをどこかしらから入手したんだろう。
その出所は不明だけど、ソースがあるとなると信ぴょう性はなかなか高いわけだ。
「そんなに青い顔しないの。今の私なら、魔竜だろうが魔人だろうが、魔王だろうが蹴散らせるわ。安心して見てなさい」
「おっ。流石に言うことが違うな、勇者様は。頼んだぜ、嬢ちゃん」
ちびっ子に危ないことさせたくなかったが、派遣してくださったってことは俺達だけじゃ無理だって判断なさったんだ。と、ヘインスさんは甲冑の胸に彫られた紋章に手を当ててそう言った。
ふぐぅ……どうしても戦う流れなのね……っ。仕方ない……全然納得してないし、これっぽっちも認めたくないけど……覚悟を決めるか……
「ミラ。絶対に無茶だけはするなよ。そりゃ確かに、お前は化け物みたいに強くなったけど、それでも弱点は変わらないままだ。魔力が増えても、同じように出力も増えまくってる。相変わらず身体はちんまいまま。自己治癒があるとは言え……」
「ちんまい言うな! 分かってるわよ。でも、だから何よ。私は勇者で、ここには守るべき人達がいる。私の肩には、マーリン様とフリード様の期待も乗っかってるの。負けないわよ、負けちゃならないんだもの」
ミラはそう言うと、真面目な顔で湖を睨み付けた。
ん……? あれ? 湖……なの?
いや、確かに湖に来てるけど……前はその周辺の林で……
「……も、もしかして……? み、みみみミラさん……つかぬことをお伺いするのですけど……まさか……っ」
「ええ、そのまさかよ」
——バシャァン! と、大きな水飛沫が上がると、そこにいた全員——ミラも含めた全員が警戒態勢を取った。
ま——まままままさか——っ⁉︎ 目を凝らせば、そこにはあまりにも巨大な影が映っているではないか。
湖に住む魚にしてはあまりにも巨大過ぎる影が——
「——まさか——水棲の魔獣——っ⁉︎ なんで! だって魔王は——」
「落ち着きなさい、このバカアギト。魔王の影響で変質したマナは、まだ完全には戻り切ってないのよ。以前ほど強力じゃないにしても、まだ力を残してる。途中だった進化を成し遂げるくらいにはね」
総員隊列を組め! と、ヘインスさんの指示で若い騎士団は盾を構えて、僕達の前に二重の列を組んだ。
いつ攻撃されても平気なように……ということなのだろうか。
それは……全く未知だから、そういう大掛かりな警戒しか出来ない……ってこと?
それとも……その攻撃性が既に確認されてて……
「——揺蕩う雷霆——っ!」
バチィ——ッ! と、聞き馴染んだ言霊と甲高い雷鳴を残し、僕の側から小さい影が消えた。
それは青白い一筋の光となって、騎士の壁を跳び越え湖へと突き進む。
ビシィ! と、強くスパークしながらもう一度地面を蹴り付けると、そのまま天高く打ち上がって——
「——っ⁉︎ みんな伏せて! あと槍捨てて!」
「————九頭の柳雷————っ!」
——金物がこっちにいっぱいあるだろうがよぉおおおお————ッッ‼︎
文句なんて当然言う暇も無く、打ち上げられた一筋の光は強く明滅し始める。
なんとなく……と言うか、それしかアイツには無いから。
僕は大急ぎで、金属製で尖ってて、いかにも雷が落ちそうな槍とか剣とかを手放すようにお願いした。そして——
——バツッ——と、空気は切り裂かれ、そして衝撃とともに極太の光線が湖へと撃ち下される。
ちょ——生態系! よく分かんないけど、そんなことしたら普通の魚もみんな死んじゃうんじゃ……なんて間抜けな心配をした次の瞬間。
光の線から人の形に戻ったミラが着地するのと同時に、湖はもう一度大きな水柱をあげてその影を吐き出した。
「——っ。気を抜くな! 攻撃は嬢ちゃんに任せて、俺達は荷物とアギトを死守だ!」
ヘインスさんの指揮に全員槍を拾い直し、そしてもう一度強固な壁を僕の前に組み上げる。
だが、屈強な兵士による二重の壁の後ろにいるにも関わらず、飛び出して来たその姿は僕の目でも確認出来た。
カエルのような魚のような、大きな水掻きの付いた四肢と鱗を持ち合わせた巨大な魔獣が姿を現したのだ。
「——っしゃぁああ——っ!」
「——っ⁉︎ 何してんだ嬢ちゃん! 幾らなんでもその体格差じゃ——」
魔獣はかなり苛立っている様子で、バシュバシュと……鼻……? 呼吸孔から水飛沫を上げながらミラを睨み付けていた。
そんな魔獣を前に、あろうことかミラは真っ正面から突進していく。
ヘインスさんの言う通り、それは作戦として無茶苦茶だ。
ってか! さっき確認しただろうが! その体格差こそがお前の弱点だって——
「——弾ける雷霆——ッ!」
——パァン——っ! と、まるで銃声みたいな大きな音がして、そして僕達の不安なんてお構いなしに魔獣は吹き飛ばされた。
その巨体が悠々と宙を舞って、そしてそのまま地面に叩き付けられる。
ミラの渾身の体当たりは、いつもみたいに鱗を突き破るのではなく、おもちゃの積み木を蹴っ飛ばすように魔獣を弾いた。
「もう一回——っ! 弾ける雷霆!」
もう一回という掛け声とは裏腹に、ミラは何度も何度も……可哀想になるくらい体当たりを繰り返す。
ミラと比べたら、高さだけでも倍以上はある筈のその巨体を、まるでサッカーボールみたいにドリブルして……そして、遂に魔獣は動かなくなってしまった……じゃない!
動かなくなるまで痛め付け……でもなくて。遂にミラは魔獣を倒したのだった。
「……絶命……は、無理か。でも、これならやれるわね。アギト! 荷物持って来なさい!」
「お、おう! おう? 荷物……?」
はてな?
そういえば、さっきヘインスさん達が僕と一緒に何かを守ろうとしていたな。
到着と同時に忙しなく下ろした荷物が、そういえば馬車の中にあったような……
「……? おーい、これそのまま持って行けば良いのかー? とは言っても、このサイズを持ち運ぶのは……」
荷物荷物……と、手を掛けたのは、結構大きい木箱だった。
僕の胸の辺りまであるサイコロ状の箱を、とてもじゃないけど簡単には運べない。
もう魔獣は倒したのだから、開けて中身だけ持って行くんでも良いだろう。
そう思って僕は木箱を蓋していた麻縄を解いて…………
「——開けるのが遅ーい! げほっ! げほっ! バカマーリンめ! せめて空気穴を作っておけ!」
「——ご、ごめーん——っ⁉︎ え? あれ? んんっ⁈ べ、ベルベットくん⁉︎」
開かれた箱から飛び出したのは、なんとも元気な男の子……ベルベット=ジューリクトン少年だった。ごめん、なんでこんなとこにいるの……?
そしてどうやら、その疑問は僕だけのものじゃないらしくて……
「……あの箱、巫女様から直接お願いされたものだったよな……? 調査に必要な機材だ……と」
「人身売買……の、商品と間違えて渡された……?」
「待て、巫女様のことだ。何かこう……常人では躊躇してしまうような、突拍子も無い馬鹿げた暴走をしていらっしゃるのかもしれない……」
耳に届いたのは騎士達のざわめきで、ヘインスさんも含めた全員が、あまりにも場違いな少年の登場に呆気に取られていた。ただひとり、ミラを除いて。
「ベルベット、出て来たなら話が早いわ。手伝って」
「手伝うのはお前の方だ、ちびハークス! 俺の邪魔はするなよ!」
誰がちびよ! と、ミラは大急ぎでこっちに走ってきて……何故か僕に噛み付いた。痛い痛い! なんで! 色々となんで⁉︎
ちょっと問題がややこしそうだから口を挟まないでおこう……みたいな空気のみんなに代わって、僕はミラとベルベット君に事情の説明を求める。
あと、出来ることなら事前に教えておいて欲しいとも。
「水棲魔獣の可能性をマーリンから聞かされてな。アイツはもう巫女じゃないが、それでも研究所は健在だ。だから俺に命令したんだ、一緒に行って検体を解剖して来い、って。でも……」
「マーリン様はもう星見の巫女の立場に無い。そして、今回は国の事業——マーリン様でも好き勝手出来ない分野よ。勇者である私とその付属品のアンタをねじ込むことは出来ても、私設の研究所員を同行させる権利は無かったの。だから……」
荷物に紛れ込ませて侵入させた……と?
いや、おかしい。もっとマシなやり方があった筈だ。と言うか、ベルベットくんなら姿隠して地中から追い掛けて来れたよね⁉︎
もしかしなくても……未知の魔獣の可能性にワクワクし過ぎて、マーリンさんの口車に乗せられちゃったのでは……?
あの人、ただ面白そうだからってだけで企画してるよね⁈ と、ツッコミたいことも色々あったけど、ミラもベルベットくんも楽しそうだから黙っておくことにした。
それから数分で巨大な魔獣は生きたまま解剖され、ドクンドクンと脈打つ心臓をぞんざいに地面に放り出されて調べ尽くされてしまった。
ごめん……もうちょっと優しく、そして穏やかにやってくれる……? うぷっ……き、気持ち悪い……




