第二百十四話【ゲン・クラック】
ただいまー。と、呑気な僕の挨拶に、美味しそうな匂いとマーリンさんが出迎えてくれた。どうやら、買い出し班の方が仕事が早かったらしい。
まあ、お迎え班は余計な探し物があったしな。
道中もフラフラと勝手にどこかへ行こうとするゲンさんを必死に引っ張って、僕達はなんとかお昼ご飯の時間に間に合わせることが出来たのだった。
「もうご飯も出来るよ。荷物置いて、手を洗って、食器出すの手伝っておくれ」
「はーい。オックス、ゲンさん。案内するよ」
っス。と、やや元気が無いのはオックス。
と言うのも……ゲンさんがね。それらしく話を合わせてくれれば良いものを、道中も昔と変わらない感じでやりとりをするのだ。
僕を昔からの知り合いのように扱い、そしてオックスも当然それを知っている前提のように振る舞い。おかげで……
「……お、オックス……そんな目で見るなよ……」
「……すんません」
オックスの疑心暗鬼がすごい。
ただでさえ得体の知れない男になりつつあったんだ。そこへ師匠との謎の縁、それにその師匠の振る舞い、言動が不審ときたもんだ。いや、そんなの無くてもゲンさんは不審者なんだけどさ。
でも……オックスにとっては、やはり信頼のおける師であるわけで……
「かーっ。いつまでウジウジしてんだこのバカは。相変わらずでけえのは図体だけで、肝っ玉の小せえやつだなぁ。アギト、お前からもなんか言ってやれよ」
「……い、いや……オックスの反応が普通かなぁ……と」
お前の所為じゃい。
ゲンさんも自分の態度がオックスを困らせているのなんて分かってる筈だ。
じゃあ、何故やめないのか。それは……クソジジイだからだよ。というのが半分。
もう半分は……やっぱり、認めたくないんだろう。悔しいんだ、オックスが昔を覚えてないのが。
「オックスも、あんまり変に考え過ぎるなって。俺とゲンさんはちょっとした知り合いでさ。アーヴィンにいる時期が長かったから、たまたま縁があっただけで……」
「はんっ! そうやって半端に隠すからいけねえんだよ。どうせこのバカには考える頭なんざねえんだ。いちいち知らんぷり通すなんざ、それこそ無駄な気遣いってもんだ」
あーもう、ぜんっぜんフォロー入れさせてくれない。
不機嫌なゲンさんと不信感バリバリなオックスを連れ、荷物を下ろした僕達はもう一度食卓へと足を運ぶ。
ふわっと漂ってくる香辛料の匂いが食欲を刺激するのだけど……余計なストレスでむしろ減り続けるよぅ……
「おかえりなさい、アギトさん、オックスさん。それと、はじめまして、ですね。私はエルゥ。以前はフルト、今はこの街でお仕事の斡旋をしています、エルゥ・ウェンディです。よろしくお願いします」
「おうおう、なんとも可愛らしい嬢ちゃんが出てきたな。俺のことはゲンと呼んでくれ。いつもうちの弟子が迷惑掛けてるな」
いえいえ、迷惑なんて。と、エルゥさんはにこにこ笑ってゲンさんに頭を下げた。
うーん、やはり天使。エルゥさんの前には、ゲンさんの毒気も無効化されてしまうというわけか。
やっと和やかな空気が流れ始めた頃、両手にお皿を抱えたミラがやってきて……大急ぎでそれをテーブルに置くと、エルゥさんとゲンさんの間に割り込んできた。
「なんだなんだ、そう睨むなよ市長サマ。押し掛けられたあん時と違って、今は客として来てんだ。無粋な真似はしねえよ」
「……むぅ」
全く信用ならない。と、ミラはそんな顔をしてゲンさんを睨み付ける。
睨み付けるのだが……エルゥさんに、そんな怖い顔しちゃダメですよ。なんて頭を撫でられれば、すぐに普段のにこにこミラちゃんに戻って甘え始めた。
「おい、アギト。嬢ちゃんこんなだったか? いやまあ、最後に見たのも随分前だけどよ。なんてーか、俺の知ってる嬢ちゃんは……」
もっと世間体を気にして、無駄に背伸びしてるバカガキのイメージだったが……と、可能な限りの悪口をねじ込まないと気が済まないみたいなセリフで、ゲンさんは首を傾げて僕に尋ねた。そういうとこが警戒される要因なんだぞ。
しかし、ゲンさんの言うことも、ある意味ではもっともなのかも。
「……時期的にそういうタイミングだったってだけですよ。ガラガダでの一件の後も、あの戦いの前も。アイツは基本的にあんな感じ……ずっと甘えん坊のお子ちゃまのままです」
「……ま、お前さんが言うならそうなんだろう。しっかし、こうして見りゃ歳相応の可愛いガキンチョなんだけどな」
歳相応ではないです。一応、もう十七歳になるんで。
サボってないで手伝いなさい。と、たった今までべったり甘えていたミラに怒られて、僕もオックスもゲンさんも、それにつまみ食いをしていたダメな大人マーリンさんも、大急ぎで食器を準備した。
「皆さん揃いましたね。それでは、えへへー」
いただきまーす。と、エルゥさんの音頭でみんな一斉に箸を手に取った。いえ、フォークですけど。
大皿に盛られたメインディッシュは、衣に少し赤黒い粒の見える揚げ鶏で、胡椒や辛子のぴりっとした刺激がやみつきになる。
美味しいご飯を食べている間は、ミラの警戒も、オックスの不信も、ゲンさんのやっかみも、それにマーリンさんの情けなさ……は、健在だな。つまみ食いが祟ったのか、食指があまり進んでいない。
「うおっ、美味えなこりゃ。嬢ちゃん、どうせなら店でも開きゃ良いのに。これは商売になるぜ」
「えへへー、ありがとうございます。そうですねぇ……お昼時だけご飯屋さんに変えてみようかな……」
本気で検討するんじゃない。
あ、いや。いけるか……? もともとお昼って人来ないんだよね、みんなご飯食べるから。
だったら、その時間だけ受付閉めてご飯出しても……いやいや、どう考えても人手が足りないでしょ。マーリンさんがサボらず手伝ってくれるなら良いけど……
楽しいランチタイムはすぐに終わって……と言うか、ミラに終わらされて。みんな腹八分目で満足げな顔を浮かべている。
はてさて、それじゃあこれからどうするんだろう。
受付はもう一度開けるだろうし、それに僕とミラはマーリンさんと一緒にやることがある。
魔王についての情報整理と考察。第二階層の魔獣のデータも集めるんなら、ゲンさんやオックスにも声が掛かるだろうか。と、別に決定権なんて持ってないことを色々考えていると、ただいま。と、声が聞こえてきた。
男の声だが、妙に女性的な話し方。ある意味ここのもうひとつの看板、ハーグさんだ。
「あら、もうみんな食べちゃった? 玉ねぎが安かったから買ってきたんだけど、これで食後のスープでも……っ!」
「……? ハーグさん? どうかなさいましたか?」
ごとっ。ごろごろ。と、小ぶりな玉ねぎが床を転がる。
見れば、ハーグさんが片手に持っていた紙袋を落としてしまったらしい。
けれど、それを拾うそぶりも見せず、ただ呆然と一点を見つめて……
「——先生——っ。どうして……ここに……」
「——先——生——? まさか……それって——」
ダァン! と、大きな音がして、すぐに部屋の中には沈黙と緊張が流れ始めた。
音の出どころはゲンさんで、拳をテーブルに叩き付けた音だったらしい。
けれど、その顔に怒りや悲しみは窺えず、まるで心情の読み取れない無表情でハーグさんを睨み付けていた。
「……悪いな、アギト。俺はこれで失礼するぜ。嬢ちゃん……エルゥって言ったか。美味かった、ご馳走さん。バカアギトと市長サマ、それにダメ弟子のこと頼んだぜ」
ゲンさんはそう言って席を立ち、そしてハーグさんを押し退けるように出て行ってしまう。
待ってください! と、声を掛けたのは僕だけじゃなくて……
「先生——っ! 待ってください! 先生——っ!」
「先生……っ。ハーグさん……もしかして、アナタも……」
ハーグさんの呼び掛けにも足を止めず、ゲンさんはふらりと出て行ってしまった。
それを見てオックスも、片付けよろしくっス。と、飛び出して行ってしまった。
マーリンさんもエルゥさんもまだ混乱したままで、ミラもすっかりしょんぼりした顔でハーグさんを見つめていた。
「……ハーグさん。その……ゲンさんと知り合いだった……いえ。もしかして、あの人の下で……」
「……そう、ね。アギトちゃんにはレイが話してるんだったものね。そう、昔の話よ」
ハーグ・レイ兄弟。かつてふたりは、王宮の騎士団に所属していたことがある。
それがいつ頃の話なのかも知らないし、その時の詳しい話もあまり聞いてない。
けれど、それでも今のやりとりはそういうこと……だよな。
「昔の話……ずっとずっと昔、まだ私もレイも真っ直ぐだった頃の話よ」
「……聞かせてください。その……みんなに打ち明けるのが難しいなら、俺にだけでも。俺は……俺はゲンさんの過去もちょっとだけ知ってるから……」
ゲンさんは教え子を本当に大切にする人だ。その将来を、身の安全を本気で案じる人だから。
それがあんな態度をとったんだ、何か嫌なすれ違いがあったに違いない。
思い出して貰えたから、他の人に比べて特別な縁があるように思えたから。そんな自惚れからかもしれないけど、僕はふたりのわだかまりを解消したいと、本気でそう願ってハーグさんにお願いした。




