第八十四話
僕らは無事、明るいうちに街に辿り着いた。高い柵と見張り番にグルリと囲まれた大きな街。街に入る前から機械油の臭いが漂う工業街、名をボルツ。ガラガダと同じく鉄鋼に恵まれ、かの街とは違う方向に発展した機械の街。と言っても、ロボットや自動車が走っているわけでは無いのだろう? と、僕はタカを括って門を潜ったのだが……
「なっ…………?」
「なっ…………!」
確かにそれは、近代的な機械産業では無いのだろう。だがそこ有ったのは、想定を遥かに超えた熱量と熱気。鉄を打つ音、人の怒号、車輪が地面を抉る音。アーヴィンにもガラガダにも、こんなに人が溢れかえるイベントは無いだろう。だって隣のおチビさんも驚いて……
「アギト! ほら行くわよアギト! 早く! 早く早くっ‼︎」
「ちょっと……ちょっと! そんなに走るな! 逸れる! 迷子になるからっ‼︎」
右を見れば人と鉄と炉。左を見れば人と鉄と金床。叩きつける大鎚の音に声が掻き消されて……ああもう! ミラは言うこと聞かないし! 人が多すぎて全然追い付けないし! 何をそんなにテンション上げているんだお前は!
「ちょっ…………ミラッ! ミラーッ‼︎ 待てって……待てって言ってんだろーーーッ‼︎」
マズイ……彼女と逸れるのは非常にマズイ。遊園地に来た子供の様にはしゃいで走って行ってしまう少女のフットワークの軽さに、とてもじゃないがおじさんは追い付けない。と言うかもう後ろ姿を目で追うのがやっとで……やっと僕の声が聞こえたのか、オレンジ頭の少女は立ち止まって何かを探してキョロキョロと辺りを見回して——
「よっ……ようやく追いついた……なんだよ! 何を探してるんだ…………よ?」
「ひっ……誰…………ですか……?」
必死で追い付いて手を握った相手は見知らぬ少女だった。うん、そうか。目で追えているつもりになっていたが……ダメだったか。とか言っている場合では無いのでして。
「ごっ……ごめんなさいぃいいい‼︎ 人違いでっ! 人違いでしたぁああ‼︎」
決して! 決して誘拐とかでは無いのです‼︎ 信じてください道行く人達! 僕はやってない! それでも僕は! 誘拐って無い‼︎
「あっ……待って! 待ってください!」
急いで立ち去ろうとする僕を、その少女はとても心細そうな顔で引き止めた。待て、と言われては待つしか無い。言うことを聞かなければ、僕は誘拐犯の痴漢だとでっち上げられても言い訳できない状況にあるのだから……
「お母さんを…………お母さんを知りませんか……?」
「お母さんって……もしかして君……」
今にも溢れそうな程いっぱいの涙を目に浮かべてそう言う少女に状況を理解する。彼女は今、僕と同じ迷子なのだ。いや、不安の度合いで言えば大人の僕など比較にならないだろう。ミラと同じくらいの……名誉の為に弁明をすると、彼女は実年齢よりも幼…………若く見えるが、立派に十五歳である。それも満十六歳の。だが、見た目の話ならもう少し幼い。この少女は大体それと同じくらい。大体十歳から十三歳と言ったところか。成長期は人それぞれなのだから。大切な事なのと彼女の名誉のためにもう一度言うが、成長期は人それぞれなのだから、このくらいの子供の年齢は外見からは推し量り難いものがある。別に僕に社会経験が無いから、人の外見から年齢を判断する能力が備わっていないとかでは無い。多分。
「お母さんと……っ! お母さんと逃げて来て……ひぐっ! ここは安全だからって……ぐすっ……」
「あっ……あっ……泣かないで……泣かないで……」
ダメだ……子供のあやし方なんて分からない、分かるわけもない。堰を切った様に泣き始めてしまった少女を前に狼狽えることしか出来ない僕と、僕らなど気にもかけてくれない往来の人々。忙しなく走り回っていて僕らになどかまっている時間はないのだろうが、少しだけ寂しい……と言うか助けて欲しい。こんな時に歳が近い………………様に、ぱっと見は、そう見える。ぱっと見の話ですよ? 見た目の割にはお姉さんなミラが居てくれれば助かるんだが……見た目通り子供だから、はしゃいで何処かへ行ってしまっているんだ。
「と、とりあえず行こうか。ここじゃ人が多すぎてお母さんも探せないよ」
「ぐすっ……うん……」
少女の手を握って、僕は人ごみを抜けて大通りから少し離れた路地にやって来た。ちっ! 違いますよ! 犯罪の匂いとかしませんから! 通報とか必要ありませんからね⁉︎
「しかしどうしたものか……そうだ、お母さんの特徴とか……写真とか無い?」
少女は泣くばかりで何も答えてくれない。それでは探しようも無い。と、彼女に詰め寄るわけにもいかないし……どうしたものか。迷子センターとか無いだろうか。あるんなら是非この子のお母さんとうちの子を呼び出して欲しいんだけど。
「ねえ、名前は? 君の名前と、お母さんの名前。僕はアギト。一緒にお母さん探そう。ね?」
「ぐす……リユ……お母さんはトイモ……」
リユ、トイモ。拡声器でもあれば話は別だが、とても呼びかけた程度じゃ見つかりっこ無い。それでも探している、探す手立てがある、と言う風に演じなければ少女の不安は取り除けない。ゆっくり歩いているうちに何か案を考えねば……
「そうだ。待ち合わせ場所とか決めてない? なにかの像の前で集合とか……」
少女は首を横に振った。ハチ公でもポチ公でもこれじゃあ役には立たない。
「……逸れる前に行った場所は? ご飯屋さん? それとも本屋さん?」
首を横に振った。覚えていない、のではなく来て間も無く逸れてしまったのだろう。
「じゃあ……どこに行くとか。何を買いに行くとか、何処に泊まるとか。お母さん何か言ってなかった?」
「…………ここは……お父さんのふるさとなんだって……でも…………お父さん……死んじゃって……ひっぐ……」
また大粒の涙を流し始めたリユちゃんを、僕は大慌てで慰める。とても辛いことを言わせてしまった。そうだ、この世界において人々の安全には、いつでも簡単に侵されてしまうという危険がすぐ隣に潜んでいるんだ。お母さんと、と言っていた時点である程度は察してやらなければいけなかっただろう。流石にその質問だけでそうなるとは、予測を立てるのも難しいところではあるのだが……
「…………うぅ……ミラさえいれば……」
ミラなら……あの嗅覚なら、もしかしたらこの少女についた母親の匂いで探せたかもしれないのに……流石に無理か。無理だろうか? だが今はそのミラも探さなくちゃいけなくて……ああもう! なんで一人で走り出しちゃうかなぁ‼︎
「ミ……ラ……? お兄ちゃんも迷子なの?」
「え……? う、うん。そうなんだ。一緒に来た人と逸れちゃってね。もしかしたら、トイモお母さんと一緒にいるかもしれないね」
お兄ちゃんもお母さんと逸れちゃったの? と言う少女の無垢な質問は全力で否定させていただいた。あれはママじゃない。初対面で随分抱擁力がある事は知ったが、あれは決してママではない。ママはもっとオッパイが大きおっと誰か来たようだ。あまりに必死に否定する僕が可笑しかったのか、僕が説明した迷子の少女の話が面白かったのかは分からないが、リユちゃんは少しだけ笑顔になってくれた。
「……ねえお兄ちゃん。リユもミラちゃんに会ってみたいな」
「あ、ああ。もちろん。一緒に探してくれたお礼に幾らでも触ってって良いよ。多分、ご利益は無いけど」
少しだけ調子を掴んだのか、この子を笑わせることくらいは出来るようになった。しかし肝心の人探しは難航している。子供の頃行った縁日の倍は混み合っている表通りではとても不可能だ。人ごみを少し遠目に眺めながら僕らは脇道を進み、遂に街の外れ——僕らが入ってきたのが南門だとすれば、きっと此処は西門に当たるのだろう。はじめましてな街の出入り口に辿り着いてしまった。
「そうだ、リユちゃんが入ってきたのはこの門?」
「……んーん、わかんない」
それもそうか……。僕はさっき見たのと殆ど変わらない景色に肩を落とす。何か……何か手掛かりになりそうな……
「あれっ? アギトさん? アギトさんっ! アギトさんだ! アギトさーんっ‼︎」
やたらと名前を連呼する男の声がした。しかしその声には聞き覚えがある様な……無い様な……無さそうな…………あった気がする様な…………?
「アギトさん! お久しぶりです! ガラガダではお世話になりました!」
「ガラガダ…………」
僕……俺と言う方が正しいか。アギトよりも大きな身体の、刈り上げた短い金髪碧眼の少年。ガラガダで……お世話に…………
——無事かテメェらァ! オックス! イェンティラ! アルゴバ! キーバック!——
「あっ……ああ! オッ…………オックス……さんです……よね……」
「……俺ら四人の事、ごっちゃな上うろ覚えですねさては…………」
推定オックスさんは自己紹介を経て確定オックスさんへと昇格する。ガラガダにて共に蛇の魔女の魔の手から逃げ延びた仲間、クソジジィことゲン老人の弟子四人のうちの一人。好印象な明るい少年オックスと僕は再会を果たした。