第二百二十一話【思い出したなら】
何も悪いことは起こらない。そう祈る反面、王宮への——王都への信頼から不安が強くなる。ここのセキュリティは本当に凄い。故に……
「ミラ! あんま離れ……っ。違うだろ、バカアギト……っ!」
俺はいいから先に行ってくれ! と、既に小さくなってる背中にそう告げると、ミラはちょっとだけこっちを振り返って更にスピードを上げた。
屋内という狭い場所を走らせたら、アイツの右に出るものはいない。
それに、今のアイツなら並の魔獣や魔人に遅れを取ったりしない。不安はあるけど、任せられる。
この王宮にも、かつて魔獣が侵攻してしまった。
だからこそ、その防御は僕の知っているものより更に固くなっている筈だ。
それなのに突破してきた奴がいる……となると、それは果たしてどんな化け物なんだろうか。
ベルベット君やマグルさんのように姿を消してきたか、それとも地面を掘ってきたか。
或いは空から……? と、考えごとをしていると、少し止まれとマーリンさんに袖を引っ張られた。な、何そのかわいいの……
「もし……もし、魔人の集いだった場合……いや。もしもあの魔女が現れた場合。君だけはなんとしても逃げ延びろ。最悪なのは、アイツが君の正体に気付くことだ。君を繋ぎ止めている術式ごと破壊されたら、或いはもう元の生活にも戻れなくなるかもしれない」
君を戻す準備はもう出来ている。精神が安定してさえいれば、いつだって。と、そう続けて、マーリンさんは廊下の段を降りる直前で足を止める。
そして周囲に人がいないのを確認して、またその先を説明し始めた。
「僕が死んでもマグルがいる。アイツなら準備を見るだけで察してくれる筈だ。最悪の最悪は、君が全てを失ってしまうこと。僕のわがままで君をまた死なせるなんて、とても赦される業じゃない。僕やミラちゃんより、何より自分を優先に……」
「ちょっ、縁起でもないこと言わないでください! 死なないですし、死なせません! そうやってきたでしょうが!」
ってか、言われなかったらそんな怖いこと気付かなかったのに! 言われちゃったからすっごい足震えてきちゃったじゃないか! うう、ぶるぶる。
真面目な話をしてるんだよ! と、マーリンさんはちょっとだけ怒ったけど、それでもすぐに笑ってくれた。
そうだ、それは勇者的じゃない。
確かに、秋人の生活に戻れないというのは大問題だ。
けど、だからって仲間を見捨てて逃げるのは、アギト的にもあり得ない。
「ちゃんと守ってくれますよ、俺の妹は強いですから。役立たずのお兄ちゃんも、ポンコツになったマーリンさんも。王宮も、王都も、この国の全部も。守ってくれます」
「……誰がポンコツだよ、このバカアギト」
泣き言言って悪かった。と、マーリンさんは僕の背中を押した。
廊下から飛び出して、そしてミラの後を追う。もうその姿は見当たらなかったが、しかし行き先はなんとなく分かる。
騒がしい方、人の逃げてくる方。騎士の向かう方。その先に、或いはあの魔女が——
「————出てきやがれバカ勇者ども——っ!」
バ——名指しでディスられた⁉︎
王宮内は想像以上の騒ぎになっていて……つまり、僕が思っていた以上の厄介な侵入者に手こずっていて、しかし……被害らしい被害、血の匂いはどこからもしなくって。
負傷した人を運び出す人の姿も、どこにも見当たらなくて……?
マーリンさんと一緒に首を傾げ、しかし名指しされてしまったので身を隠しながら廊下を進む。
バカ勇者ども……ってのは、バカ勇者——ミラ一行ということだよな。
となると……やっぱり、ゴートマンをとっ捕まえられたのが気に食わなくて、魔人の集いが反撃に……
「……っ! あの男……はあ。なんて人騒がせな……ああ、いや。もしかしたら、本当に敵方に寝返った可能性も無くはないのかもしれないけど。でも……」
どうやら事態は収束しそうだよ。と、マーリンさんはそう言って、そして僕の手を引いて物陰から飛び出した。
え? え? あの男……?
マーリンさんもマーリンさんで視力良いからな。ちょっと僕にはまだ見えないんだけど……どうやら敵ではない……かもしれない……かもしれないらしい?
見れば、なんだか慌てふためく騎士と、ミラと、そして取り囲まれた老人の姿が……
「——っ! ゲンさん⁉︎」
退けオラァ! 邪魔すんなボケどもがァ! 仕事しろこの税金泥棒がぁ! キン○マ付いてんのかゴラァ! と、それはそれは止めどなく溢れる暴言と共に暴れ狂っていたのは、ガラガダの隠居老人——オックスの師匠、ゲン老人だった。
どうやら、腕っぷしだけで王宮の防御を突破してきたらしい。あ、相変わらず無茶苦茶な……
「——っだぁあ! 邪魔だってんだこの三下が! 俺ぁ勇者に用事があんだ! あのバカはどこだ! どこにいやがる!」
「ご、ご老人! 私ならここに! ゲン老人! 私はここにいますっ!」
頭に血が上り過ぎているのか、ゲンさんは目の前でぴょこぴょこ跳ねるミラが見えていないらしい。いや、ワンチャン本当に見えてない。
ゲンさんを取り押さえようとしているのは屈強な騎士で、その壁に阻まれた先のミラはほんとうに小さい女の子で。
うん、本当に視界に入ってない説が……? 或いは、ミラに対する嫌がらせの一環か。
どっちにせよ、確かに事態は収束しそうだ。
「——っ‼︎ いやがった! 退けってんだオラァ! 一発ぶん殴んなきゃ気が済まねえんだ!」
取り押さえろ! これ以上進ませるな! と、より一層大きな声が上がったのは、ゲンさんがこちらに——マーリンさんに気付いたからだった。
一発ぶん殴らなきゃ……って、マーリンさんを⁈ なんで⁉︎ なん……あ、いや。待てよ? もしかして……
「……オックス連れてったこと、どっかから漏れたとか……? それも他の部隊も連れずに、危険極まりない集いのアジトに連れてったわけだから……」
「うっ。ぼ、僕か……あの怒りの理由は……」
可能性は十分に。
しかし、だからと言って殴らせるわけにはいかない。
マーリンさんは見ての通り、細くてちっちゃくて弱っちいのだ。
ゲンさんが本気でパンチしたら……もげる。
多分、肩パンなら腕が、ボディなら脇腹が、顔面なら首から上全部が。ほぼ間違いなくもげる。と言うか、女の子を殴るんじゃないよ。
しかし、マーリンさんもマーリンさんで真面目な人だから。
力尽くで拘束を振り切って近付いてくるゲンさんから逃げようともせず、黙って罰を受け入れようとしていた。
「——まずい! 巫女様! お逃げください!」
「————っ」
そして、遂にゲンさんは騎士達を踏み越えてこちらに飛び掛かってきた。
ミラは……人が多過ぎて埋もれちゃったらしい。アイツ、人混みだと役に立たねえな。
見れば、マーリンさんは逃げもせずに歯を食いしばっている。この殴られる準備万端子ちゃんがよぉ!
こ、こうなったら僕が守るか……? そうだ、守れ。マーリンさんは大切な人だ。
僕にとって、だけじゃない。この王宮内で、マーリンさんを大切に思っている人がどれだけいると思ってる。
僕もぐっと歯を食いしばり、そして僕は鬼の形相をしたゲンさんの前に立ちはだか————
「——何死んでやがんだ——このバカアギトがァ————ッッ‼︎」
「————ぴゎ————」
メリメリメリィ——っ! と、すっごく嫌な音が頬のあたりから骨伝導で伝わってきて、そして僕の体は思いっきりぶっ飛ばされた。
受け身なんて取る暇も無く床を転げ、そしてグワングワンと視界を揺らす。
死——。死んだかと思った……ってか死ぬ……っ。
ミラに蹴飛ばされるのよりもやばい衝撃が、僕の顔面を襲って……?
「————ゲン……さん……?」
まだ意識がぐらんぐらんと安定しない中で、ゲンさんは僕の胸ぐらを掴み上げた。
そして……涙を流して抱き締めた。え……っと……?
「……何死んでやがんだ……っ。なんで……っ。よく……よく戻ってきた……アギト……っ」
「……ゲンさん……っ! ゲンさん……まさか、俺のこと……っ!」
ちぃと前に全部思い出した。と、ゲンさんはまだ考えが纏っていないのか、ぐちゃぐちゃと積み上げられた感情を単語にして吐き出し始める。
死んでんじゃねえよ。よく勝った。どうして忘れてたのか分かんねえ。よく戻ってきてくれた。と、彼の言葉は、周囲にいる人々にはとても理解出来るものじゃなかっただろう。
言葉だけじゃない、この騒動——行動も、全部。でも……その意味を理解した僕は……
「——ゲンさん——っ! ゲンさん……そうだ……そうだよ! 俺は戻ってきたんだよ!」
「おお……おお——っ!」
僕もゲンさんと一緒に涙を流し、そして笑い合った。
ゲンさんは僕のことを思い出したんだ。王様がそうだったように、僕達のあの戦いによって、ちゃんと記憶は取り戻されてたんだ。
それが分かったら、なんだか物凄く嬉しくなって……
「……ご老人、それにアギト。こんなとこで出来る話じゃないだろう。僕の部屋に行こう」
すまない。僕の客人だ。通行証を渡し忘れていた。と、マーリンさんは騒ぎをとりあえず収めようと、僕達にも移動を求めた。
ぐす……いかん、また涙が出てきた。オックスにも、フリードさんにも思い出して貰えてないけど。でも……でも、こうしてちゃんと誰かが思い出してくれたんだ。
またマーリンさんの仕事部屋に戻るまでの間、僕はゲンさんと一緒に泣き続けた。ミラは、それを見て嬉しそうにはしゃいでいた。




