第二百九話【その魂の眠る場所】
「……よし、こんなもんかな」
それから一時間と少し掛けて、僕達はユーリさんのお墓を綺麗にした。
まだ新しい墓石は、磨けば大抵の汚れも落ちてくれる。
でも……やっていて思ったこと、悲しかったこともある。
その墓石には、名前以外何も刻まれていなかった。
そう、紋章が無かったのだ。
最期の最期まで大切に抱えていた太陽の紋章が——マーリンさんの“しるし”が、その人のお墓には刻まれていなかった。それが寂しかった。
「マーリンさん、このこと知ってるのかな……? 知らない……よな。だって、ずっとアーヴィンで……」
「……どうでしょうね。でも、報告はした方が良いわ」
告げ口みたいで気が引けるけど、イルモッド卿の扱いについては知らなければならない方だもの。と、ミラはしょんぼりしてそう言った。
そのしょんぼり具合はかなり大きなもので、エルゥさんとお別れする時や、マーリンさんと離れ離れになってたのに気付いた時と変わらないくらいだ。
コイツの中でも、ユーリさんは偉大な人物になっていたのかな。
「んじゃ、マーリンさんとこ行ってみるか。サボってないかチェックする必要もありそうだし」
「アンタはまた……もう」
強く怒らない辺り、ミラもそれは危惧してるんだな。
マーリンさん……貴女、いったいどれだけグータラな生活を送っていたんですか……? ミラにまるで信用されてないじゃないですか。
もう一度王宮の中へ入り、そして僕達は廊下の段をひとつ上がる。
ここへ来ると誰ともすれ違わない。目的地まで一直線に、僕達は気持ち早歩きで……
「——ミラ=ハークス。それに、アギト。君達も魔女に用事か?」
「フリードさんっ」
誰もいない、来ない筈の道で僕達を呼び止めたのは、黄金騎士フリードだった。足音も無かったからちょっとびっくりしたのは内緒。
どうやらフリードさんもマーリンさんに用があるらしい…………あっ。も、もしかして……先日の暴行罪を訴えに来た……とか……?
エルゥさんの手料理を食べ損ねた上に、その……こう……フリードさんのフリードさんが使い物にならなくなった……とか……
「あ、おっ、ど、どうぞ、お先に。俺達はマーリンさんの仕事の進捗を確認しつつ、終わってたらご飯に誘おうと思ってただけなんで……」
「ああ、いや。己の用事もそう長くは掛からない。君達の話が終わった後、食事に出掛ける支度をしながらでも出来るものだ。君達から入ってくれ」
えへ、えへへ。そ、そうですか。いかん、まだ緊張する。
やっぱり凄い人だし、立場もあるし、それに……男前だし……な。
こう……いけないドキドキが……っ。違う、僕は女の子が好きなんだ。それこそマーリンさんやエルゥさんが。
違うんだ、違うと言ってくれ。決して、フリードさんになら……とか考えてないと言ってくれよ僕の脳みそおぉぅん!
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。失礼します、マーリン様」
僕の勝手なひとりコントを他所に、ミラはしれっとそのドアを叩いた。
はーい。なんて上機嫌な返事を聞くに、どうやら余程待ち遠しかったらしい。
ただ……仕事が終わってるかどうかは……ちょっと判断しづらいですね。
「ミーラちゃーん! んふふ、えへへー。良い子良い子」
「わぷっ、えへへ。お仕事終わりましたか?」
ばっちりだよ! と、珍しく素直にそう答え……本当に終わった?
この人なぁ、前科があるからなぁ。終わってもないのに、勢いで誤魔化して遊びに行こうとした前科が。本当に終わってるのかなぁ。疑わしい……
「こら、バカアギト。終わったって、今度は完璧に。そんなんだとご飯連れてってあげないぞ」
「ああっ、それは卑怯! 分かりました、今日のところは信じますって」
ずっと信じておくれよ! と、こう……いや、そういう意図が無いのは分かった上で……でへ、プロポーズみたいなこと言われた。
でへへ……一生信じますぅ……でへ。健やかなる時も、病める時も、ずっと側で信じていましゅぅ……
「むぐ……えへぇ……はっ。そ、そうだ、マーリン様! あの、中庭にあるイルモッド卿のお墓はご存知ですか? えと……そのお墓について……お耳に入れておきたいことが……」
「うん? ユーリの墓? ああ、知ってるよ。まったく、裏切り者の墓をよりにもよって王宮の敷地内に建てるなんてね。何考えてんだ、あのバカ王は」
バ……え? い、今なんて⁈
あのお墓を建てたの、王様だったの……? あのお墓、マーリンさんが建てたわけじゃなかったの⁉︎
いや、そりゃ……まあ……そうとは限らないだろうけどさ。でも……勝手にマーリンさんがやったのだとばかり……
「……よく分かんないんだよね、アレ。王はさ、確かにユーリの墓を建てた。でも同時に、ひとつの噂話も流布した。ユリエラ=イルモッドは星見の巫女を騙し、そしてあらぬ噂を流し、その立場を利用し、この国を転覆させようとした……って」
「っ! そ、そんな根も葉も無い……」
根も葉もありまくっただろうが。と、マーリンさんは呆れて僕の頭を小突いた。い、いや、そうじゃなくて。
そりゃ……確かに、結果だけ見たらそう捉えられなくもないけどさ。でも、あの人はそんなつもりじゃなくて……
「やってることがチグハグだよ、ほんと。お墓、ぐちゃぐちゃだっただろう? まったく、アイツらアレで僕に気付かれてないつもりなんだぜ? 本当にどいつもこいつも、僕を甘く見過ぎなんだよ」
「……知ってたんですね。お墓、みんなに……っ。だったら——」
口を挟む気は無いよ。と、マーリンさんはそう言って、すっかり甘え切っているミラの背中を撫でた。
ぐりぐりと顔を喉元に擦り付ける小さな生き物を、大切に大切に抱き締める。
なんだよ……っ。今はミラが——僕達がいるから、昔のことは忘れて生きていくつもりとでも言うつもりかよ。
「……ほんと、アホな連中だよ。しかし、君も相変わらずだ。バカアギト、君もこっちにおいで」
「……本当に何も注意しないんですか……?」
しないしない。してたまるか。と、マーリンさんは笑って僕の頭を撫で……ちょっとだけ撫でて、すぐにミラの方に戻ってしまった。
ちょっ、撫でるならちゃんと撫でて。最近スキンシップ減り気味じゃない? 寂しい。本気で寂しい。
うわぁん、やめてって言ったのは僕だけど、本当にやめないでよぅ! 照れ隠しだってくらい分かってたでしょ!
「ふぁ……んふ、えへへ。そうだ……外で……フリード様が……むにゃ……」
「フリードが? なんだろ、珍しい」
フリードさんも話があるそうです。と、半分寝ながら伝えるミラちゃん。でもね、それするとね、マーリンさんは手が離せなくなっちゃうんだよ?
仕方がない子だなぁ、もう。よし、僕が引き剥がして……いででででっ⁈ なんで僕には噛み付くんだよ!
「食堂で待ってておくれ。フリードに話を聞いたらすぐに行くから」
「はい。ほら、行くわよバカアギト。遊んでんじゃないの」
おま、誰の所為で。
首を押さえてしゃがんでいた僕を急かし、ミラはマーリンさんに一礼して部屋を出た。
僕も急いで後に続くと、どうにも真剣な顔のフリードさんとすれ違う。
結構大ごとっぽいんだけど……本当にすぐ終わるのかな。と言うか、終わらせちゃって大丈夫なのかな……
「……やっぱりすぐに終わる話とも思えないし、もうちょっとだけブラついとくか。何も食べないで食堂にいるのも邪魔だろうし、そもそもお前が我慢出来なさそうだし」
「我慢くらいするわよ! このバカアギト! でも……そうね」
あんまり遠くに行かない範囲で。と、僕達は進路を食堂から少し逸らし、もう一度王宮の中を練り歩く。
広いのもそうだけど、やっぱり多目的な施設だからな。どれだけ見ても見終わらない、大勢の戦いがそこにはあるのだ。
アーヴィンに持ち帰るものを見定める……的な意図も、ミラにはあるのかも。
「おっ。おーい! アギトー、嬢ちゃーん!」
そんな中でまた声を掛けられたのは、さっきユーリさんのお墓で出会ったヘインスさんだった。
ユーリさんのことを誰よりも尊敬していた筈の……っ。
そんな彼すらもがお墓を蹴っ飛ばしたりしたのだから、王様の流した噂話ってのは相当影響力が強かったんだろうか。
「一緒に飯食おうぜ。明日は非番だからな、今日は飲むぞぉ! お前らも……お前らは酒なんて飲める歳じゃねえか。でも、美味いもんいっぱい準備するぜ?」
「あ、えっと……俺達はマーリンさんと……」
なんだ、巫女様の先約か。と、ヘインスさんはちょっとだけがっかりして……
ごめんなさい。と、僕は頭を下げたんだけど、それがなんでなのかちょっとだけ分からなくなった。
一緒に食べられなくてごめんなさい……だけじゃないよな。
あんなことしたヘインスさんとは、一緒にご飯なんて食べたくない、って。そう考えてる自分もいるんだ。
「ま、気が向いたら顔出せよ。嬢ちゃんの方はヤケに食うようになってたし、ちょっとくらい摘んでても入るだろ。
アギトだって、今じゃちぃとだけ有名人だからな。あのゴートマンをとっ捕まえたんだ。同期に自慢させろよ、俺はそのアギトに頼られたことがあるんだぜ、って」
「あ、あはは……そうですね。その、また近いうちに……」
じゃあな。と、ヘインスさんは僕達に手を振って、そんな彼の背中から僕は目を背けた。
ミラはしょんぼりした顔で僕の背中を撫でてくれて、なんとなく心が伝わってるみたいだった。
お墓の件で落ち込んでて、ヘインスさんに嫌な感情まで向けちゃって。
でも……それ以上に、やっぱり昔のことを忘れられてるのが寂しかった。
ミラの大食いも、勇者としての僕と一緒に働いたことも。全部……ヘインスさんは、全部忘れちゃってるんだな……って。当たり前なのに……
「おーい、ふたりともー。お待たせ。ほら、ご飯にしよう」
「マーリンさん……はい」
元気無いね。と、マーリンさんは僕の……ではなく、ミラの頭を撫でてそう言った。
なんで……なんで僕をなでなでしてくれないのぉん……っ。
でも、何も深くは聞かず、マーリンさんは僕達を引き連れて食堂へと……
「……? あの、マーリンさん? どこへ……」
「うん、ご飯を食べにね。食堂の空気も懐かしいかもしれないけどさ、やっぱり僕達はこうじゃないよね」
食堂を訪れて、それから少しの料理と飲み物を受け取ると、マーリンさんはそのまま王宮の外へと歩いて行った。
外で食べるの? ビアガーデン的な感じなのかな。いや、ビールは飲めないけど。
何も説明してくれないまま、マーリンさんはつかつかと歩いて行ってしまって……そして……
「はい、これ。それじゃ、行っておいで。僕が行くわけにはいかないからさ」
「……マーリンさん……? あの、行くってどこへ……」
もう知ってる筈だよ。と、マーリンさんはそう言って、そしてくるりと踵を返して建物の中へ戻ってしまった。
もう知ってるって……そんなこと言われても。それに、マーリンさんと一緒に食べるって……
「——アギト、あれ……」
「あれ……? あれって……」
ミラが指差したのは……いや、何も見えんが。
ちょっと暗いのと、それにそもそも広いし建物デカいしで全然何も見えん。
けど、ミラは何かを見つけたらしい。
僕から料理のお皿を引ったくって、飲み物溢さないようになんて注意だけ残して突っ走って行ってしまった。ちょ、こら。はしゃぐな。
「ちょっと、こら。あーもう……なんなんだよ。どいつもこいつも……」
マーリンさんもミラも自由気まま過ぎる! と、文句を言いながらも付いてくしかない。
ジュースとお茶を溢さないようにゆっくり走って、そして……ミラが飛び込んでいった先は、ユーリさんのお墓のある中庭で。そこには——
「——お、アギトもやっぱり来たんじゃねえか! ほら、座れよ! うちの大将を紹介するぜ!」
「……ヘインスさん……みんな……」
綺麗に磨かれた墓石と、それを取り囲むように……いいや、違う。それを誰かから隠すように輪になって座り込んだ大勢の騎士の姿があった。
大量の料理とお酒、それに喧しいくらいの話し声。やっぱり、墓前ですることじゃないように思える。ただのどんちゃん騒ぎに見える。
でも、その墓前にはちゃんと、綺麗な器で料理もお酒も供えられていた。
「ありがとな、掃除してくれて。でも、それじゃダメなんだ。ここはうちの大将の墓……なんだけどな。一応、裏切り者ってことになってるからさ。あんま綺麗にし過ぎてると、巫女様が拗ねるんだ。僕を殺そうとしたやつだぞ! なんてな」
「っ。ああ……そっか。それで……」
気付かれてないつもり……って、こういうことか。
ミラは既に満面の笑みを浮かべてご飯を食べていた。
ヘインスさんも、みんなも。ユーリさんを中心に、全員が笑っていて……
もし……もしもの話だけど。
レヴがそうだったみたいに、この世界の表面に存在していない人からは、僕の記憶が失われてなかったとしたら。
「……お疲れ様です、ユーリさん」
目を閉じて両手を合わせてみても、別にあの人の声は聞こえてこない。聞こえるのは宴会の騒がしさだけ。
でも……ちょっとだけ。もしもの話を信じるならば、僕は貴方にありがとうを何度も伝えたい。
何度も、何度でも。




