第二百一話【疑う余地など】
僕達を乗せた馬車はしばらく揺れて、そして王宮の敷地内へと入って行……けはしないので、いつも使う門とは別の入り口の側に停車し、そしてマーリンさんだけが中へと入って行った。
フリードさんを呼んでくる。そして、昨晩急に準備させた物資を受け取ってくる。
勿論、マーリンさんひとりでそんな荷物運べるわけないから、それはあくまでも比喩表現。
荷物の乗った馬車と、フリードさんが乗った馬車が二台程来るんだろう。
「……何よ、緊張してんの?」
「逆になんでお前は緊張してないの……? なんでそんなに余裕ぶっこいてんの?」
今更何に緊張するってのよ。と、ミラは余裕綽々って顔で覗き窓から外を眺めていた。
今日は天気が良いなぁ。とか、そんなこと考えてんのかな? 気負った感じはもうどこにも見られない。
おかしい。僕達は……と言うか、コイツはこれからあのゴートマンと戦うのだけど。
と言うか! その場にはあの魔女もいるかもしれないんだけど!
「あっ、帰ってきた。マーリン様ーっ」
窓は門とは別の方を望んでいて、とてもそこからは見えない筈のマーリンさんの帰還を、ミラは誰よりも早く、そして嬉しそうに察知した。
そんなミラがするりと窓から抜け出すと、すぐにマーリンさんの声が僕達の耳にも届く。
だから、せめて出入り口(?)を使いなさい。荷物搬入用に大きく切り取ってあるんだから、窓よりずっとずっと広いでしょうが。
「みんな荷物持って。大きい馬車借りられたから、そっちに乗り換えて行くよ」
「はーい。借りられた……ってことは、借りられない可能性もあったってことなんかな……?」
馬車貸してって連絡入れてなかったのかな……? と、そんな不安から生まれた僕の呟きに、ベルベット君は苦い顔をしていた。
今更アレに変な期待をするな。と、そう言われたみたいだった。
今回は事前に連絡してくれてた。フリードさんにもアーヴィンを出る前に手紙出しててくれたし、もしかしたら……と、思うんだけど。甘いですか、そうですか。
借りてきたと言う大きな馬車に僕達の少ない荷物を運び込むと、すぐにフリードさんの乗ってるという馬車もやってきた。
一層大きなその車に、もしやかなりの戦力を借りられたのでは……? と、そんな期待も大きくなる。
あ、あれ? ベルベット君、どうしてそんなに寂しそうな顔するの? ど、どうしてため息をつくの⁈
そんなにマーリンさんって信用ならない⁈ ちなみに僕は信用してない。
「……魔女よ。お前の言う戦力とは、これで全てか?」
「全部だよ。ここにいる全員、今の君より百倍は強い」
ふらりと馬車から降りて来たフリードさんに、マーリンさんはとんでもないことを口走る。
ちょっ、何言ってんだアンタ。フリードさんの百倍強いって、そんなのもう人間じゃねえよ。
大慌てなのは僕とベルベット君だけで、マーリンさんもミラも胸を張ってその人の前に立っていた。なんでお前も自信満々なんだよ……バカミラ……
「……? すんすん……オックス! オックス! いるんでしょ⁉︎ オックスーっ!」
「えっ? オックス⁈ いるのか⁉︎」
なんだか鼻をひくつかせ始めたと思ったら、ミラは目をキラキラさせて馬車の中にいるらしい彼の名前を呼び始めた。
オックス、オックス。と、なんともはしゃいだ様子に、フリードさんは訝しげな目を向ける。
これは本当に、あのミラ=ハークスなのか……? とでも言いたげだ。まあ……無理も無いけど。
「あちゃー、バレちゃったっスね。お久しぶりっス、ミラさん。それにマーリン様も。アギトさんも、ベルベットも。久しぶりっス」
「オックス! 本当にオックスだ! 相変わらずこう……ミラ、お前の鼻はどうなってるんだ……?」
お手。と、手を出すと、ミラは何の容赦も無く僕のお尻を蹴っ飛ばした。
いってえ! 尻が……尻が三つに割れる……っ。
だって! おかしいだろ! オックスは馬車の中にいた、結構頑丈な木箱の中にいたんだ。
覗き窓があるとはいえ、走ってもないんだから風なんて抜けない、匂いなんて流れて来ない筈なのに。
やんややんやと文句を言うと、ミラはもう一発僕の脇腹を蹴っ飛ばした。おご——ふ……い、息が止まる……
「……なんか……感じ変わりました? ミラさんも、アギトさんも」
「何も変わってないさ。うん、この子達は何も変わってない。変わったとしたら、それは意外と君の方かもしれないよ」
息も出来ない僕の代わりに、マーリンさんがオックスの問いに答えてくれた。
変わったとしたらオックスの方……か。そうだ、その通りなんだ。
その通りなんだけど……それを知ってるのが僕達だけな以上、変わってるのは僕達の方なんだよな? 変なやつって意味で。
「……俺の方が……っスか。相変わらず、マーリン様にはなんでも見透かされてる気分になるっスね。でも、俺は何も変わってないっスよ。あの頃のまま、ミラさんと旅をしてた時のまま」
「……うん、そうだろうね。君は何も変わってない。そう思っていることが、僕から言わせればずっとずっと大きな変化だ」
マーリン様……? と、オックスは首を傾げる。
伝わりっこない。理解なんて以ての外だ。
でも、マーリンさんはそれが悔しいらしくて、遠回しで嫌味な言い方を選んでしまっているのかもしれない。
そんな彼女の姿に、一番落ち込んでたのはミラだった。
「ほら、さっさと乗った乗った。今回の目的と、それから作戦を伝える。ほら、そこでボサっとしてるバカアギト。君は一番大切な役割を持つんだから、シャキッとして」
い、一番大切な役割⁉︎ 聞いてない聞いてない⁉︎
大慌てな僕を他所に、マーリンさんはさっさと馬車に乗り込んでしまった。
それに続いてみんなも乗ってしまったから、僕も急いでタラップに足を掛ける。
大きな荷馬車に飛び込めば、その中にはとっくに真剣な空気が満ちていた。
「それじゃあ出発してくれ。さて、こっちもさっさと話を纏めよう。まず、目的から」
僕達の目的は、前回成し得なかった魔人の集いの本拠地を叩くこと。
それに伴い、白衣のゴートマンを退けること。
そして、もしも現れたならば……
「あの魔女相手にも抗戦する覚悟だ。勿論、敵う道理は無い。発見したら、みんな生存を最優先に考えること。ベルベット、その時はお前がみんなを避難させてくれ」
「……それは良いけど、話がちょっと違うぞ。アイツが出てきたら逃げるしかない、って。今だってそう言った、なのに……」
戦うつもりだってのはどういうことだよ。と、ベルベット君はちょっと不機嫌にそう言った。
僕もそれは気になる、と言うか気にして。
アレは本物の魔女だって、自分よりも格上の存在だって、そう言ったじゃないか。
敵う道理は無い、人間では太刀打ち出来ない。そうとまで評した相手に、抗戦する意思があるってのは……
「…………だって、ね。勝てない相手だからってさ、諦めるのは……」
「勇者のすることじゃないわよ。何が出てこようとぶっ飛ばす。私は最初からそのつもりよ」
ほら。と、マーリンさんはにこにこ笑って、ミラの頭を撫でた。
すると、たった今野蛮なことを言ったばかりのミラは、ごろごろと転げてマーリンさんにじゃれつき始める。
いや、全然勇者らしくない。それがもう全然勇者のすることじゃないんだけど。
でも……はい。そう言われたら……はあ。納得してないけど、付いてくしかないからな……
「そうと決まれば、作戦もそれなりに立てなくちゃならない。と言ってもさ、こうも少人数じゃやれることなんて大して多くない。
この間と一緒だよ。前線に出る隊と、後方で待機する隊に分ける。隊なんて呼べる人数にはならないけどさ」
そこはなんとなく分かってました。えへん。
何よりも優先すべきはベルベット君の安全確保。彼さえ無事ならあの魔女が現れても逃げられる……かもしれない。
となれば、ベルベット君は後ろの部隊だな。あとは、えっと……僕とミラは前……なんですよね…………
「前線は僕とミラちゃん、そしてアギト。それからオックスも来てくれ。
知っての通り、前回全員生きて帰還出来たのはベルベットのおかげだ。今回もベルベットには緊急時の為に待機して貰おう。そして、そのベルベットの護衛には……」
「ちょ——ちょっと待て——っ! マーリン! お前本気で言ってるのか! 俺がまた後ろで待ってるってのはまだ良い、良くないけど! でも!」
護衛なんて言って、もうひとりしか残ってないじゃないか! と、少年は声を荒げた。
あり得ない! 考え直せ! 死ぬつもりか! と、まるで罵詈雑言のような口調で、ベルベット君はマーリンさんを心配し続ける。
そして……そのすぐ横で、僕も心臓が大声を上げ始めていた。
「ま——まままままままままマーリンさん——っ⁈ そ、そそそそれってフリードさんが——フリードさんが俺達から離れちゃうってことですか⁉︎」
「えっ⁈ あれ、おや? 君、自分で言ったって聞いたけど。フリードさんは見守っててください、って」
アギト! と、ベルベット君に怒鳴られた。ひぃん!
言った。言ったけど! 違う! 違う! 違うんだって! そうじゃない!
「そ、それは言葉の綾ってやつで! 俺とミラとオックスで……? いや、違う。もうマーリンさんがクソポンコツの役立たずのすっとこどっこいだから、オックスに守って貰わなくちゃならないから……俺達だけでゴートマンの相手すんですか⁉︎ しかも、またあの魔女が——ぽぇ」
——誰が役立たずだ! と、マーリンさんが怒鳴るよりもほんの僅か前に、僕の身体は広い馬車の狭い空間を縦断した。おご……わ、脇腹が取れる……っ。
馬車縦断の旅決行の犯人は、やっぱり鬼の形相をしたミラで、ふしゃーっ! と、牙を剥いてこちらを威嚇していた。
「……ごほん。ベルベット、僕は本気だ。本気も本気、これが最良だと本気で思ってる。
お前を失えば僕達は必ず死ぬ。となれば、そこに最高戦力を注ぎ込む。
少なくとも、守るという点においては、そのバカの右に出るものはいない。それがたとえ、心の折れたヘタレだったとしてもね」
「——っ! マーリン——っ!」
ギリ——っと、ベルベット君は歯を食いしばり、そして拳を振りかぶってマーリンさんに向かって飛び掛かった。
だが、それを制止したのは、他でもないフリードさんだった。
たった今マーリンさんに侮辱された、ベルベット君の憧れの人だった。
「……請け負った。ベルベット=ジューリクトン。己は君を全力で守ろう」
「——っ。フリード様……っ! あんな——あんなこと言わせておいて良いんですか!」
フリードさんの言葉に、ベルベット君はマーリンさんを睨むのをやめた。
けれど、代わりに不服そうな顔を——つらそうな顔をそのフリードさんに向ける。
侮辱されたままで、バカにされたままで黙っていて良いのか。
貴方は偉大な戦士で、決して卑下される存在ではない。あり得ないのだ、と。
けれど、フリードさんは黙って首を振るだけだった。
「————っ。大体、そんなチビに何が出来る! この前だって、何も出来ずに倒されただけじゃないか! 何が勇者だ、何が術師五家だ! こんなチビに、あの白衣の男が——あの魔女が倒せるわけない——っ!」
少年の怒りはやがて膨れ上がり、そしてその矛先を再びマーリンさんへと——彼女の信頼するミラへと向けられる。
けれど、マーリンさんは困った顔で黙ってしまった。
ミラも、珍しくにこにこしたまま————
「——黙って見てなさい、ベルベット=ジューリクトン。格の違いを見せてやるわ」
——ズダン! と、音がして、そしてミラは少年を組み伏せて睨み付けた。
胸ぐらを掴んで押し倒し、前腕で喉を押し潰さんばかりに肉薄して、ミラは少年に笑顔を見せる。
ずっとずっとそうしてきたように、誰よりも不敵に、自分の勝利を疑わない笑みを。




