第百九十八話【僕達の街、勇者の街】
クリフィアを素通りし、そして二日掛けてキリエの手前まで進んだ僕達は、そこでまた王都の馬車に拾って貰って北上を続けた。
かつて歩いた道とは全く違う道を四日掛けて進み、そして汽車に乗り換えて一日。やっと僕達は……
「戻って来たわね、また。随分と久しぶりに感じるわ」
「ちょっと前までこっちにいただろうに、そんなにアーヴィンの居心地が良いのか? それとも、アーヴィンは良いとこだぞってPRか?」
僕のちゃちゃに、ミラは無言でローキックをかましてきた。
いって。でも、昔に比べたら全然痛くない。
不調か……? と、そんな疑いも持ったが、どうやら違いそうだ。
まったく掠りもしない言葉だったから、怒ってすらないんだ。
ミラの言葉の真意は、僕だってちゃんと理解してる。
うん、久しぶりだ。“僕達”がこの街に戻って来たのは。
「……ふぅー。やっぱり……き、緊張するな、この街は。いや、この前は全然そうでもなかったんだけど……」
「今回は前とは違うんだもの、当たり前よ。さ、行きましょう。さっさと準備して、さっさと殴り込むわよ」
物騒。相変わらず物騒なんだよ、お前は。
そうだ、今回は前回とは違う。
召喚に必要なものがあったから、前回はただの一般人としてここに来た。
だけど、今回は違う。
僕は——僕達は、もう一度この国を守る勇者としてこの街にやって来た。
かつて抱いた緊張感や誇りも再び押し寄せてくる。
この街での僕は、立派な勇者でなくてはならない。
たとえそれが、誰も覚えてないものだとしても。
「まずはフリードのとこに行こう。そろそろ快復して仕事も再開する頃だ。もしかしたら入れ違いに……なんてことの無いように、キチンと手紙を送ってあるから安心して欲しい」
「っ⁈ 貴女、本当にマーリンさんですか……? 怪しい……いつもなら行き当たりばったりで、連絡なんて全然しないのに……」
ズバァン! と、お尻からしてはならないくらい大きな音がして、同時に僕の身体は数メートル飛んで地面を転げた。
いっっっってぇ——っ! 容赦が——っ! ミラちゃんの容赦が微塵も感じられない!
「バカアギト——っ! そういえばアンタ、私がいない間に随分マーリン様に失礼な態度取ってたじゃない。いい機会だわ、しっかり反省させてやろうかしら」
「いっつつ……ぐぉお……っ。お、お前だって! マーリンさんはサボり癖があって困るとか言ってたくせに!」
さぁ。記憶が無かったから分かんない。と、ミラは悪どい顔でとぼけてみせる。
うぐぐ……や、やっぱり記憶が無い方が安全だ……っ。
コイツ、完全に元に戻ってる。元の悪ガキ大将に戻ってしまっている……っ。
「……はあ。ったく、ちょっと前まではアギトさんアギトさんって、犬みたいで可愛かったのに……ごふぁっ⁉︎」
「誰が犬よっ! このっ!」
ボゴン! と、やっぱり鳴っちゃいけない音がお腹から鳴って、僕はその場に力無く倒れ伏した。
し、死ぬ……殺される……っ。暴力ミラちゃんが……前の旅の間も、一時は鳴りを潜めてた暴力的なミラちゃんが帰って来てしまった……っ。
「……それとも、忘れたままの方が良かった? 全部忘れた無害な私の方が」
「……そんなわけあるか、このバカミラ。だったらあんな思いしてまで戦わなかったよ」
当然。と、ミラは僕に手を差し伸べて、そして勢いよく引っ張り起こした。
いたいいたい、肩が外れる。うぐぐ……お前、気の所為か昔よりパワフルじゃないか……?
まあ、リミット全部外れてからはあんまりじゃれてる暇も無かったし、その差だと思えばこんなもんなのかな?
「ほらほら、遊んでないで早く行くよ。それからアギト。ミラちゃんからのお説教だけで罰せられた気分になってそうだけど、僕からも後で怒るからね。覚悟しておくんだよ」
「うげっ……だ、だって事実じゃないですか……」
こいつ! と、ミラもマーリンさんもふたりして僕のお腹と背中を殴り始める。
痛い痛い、ふたりともじゃれてるパンチの強さじゃない!
いやはやしかし、こんなやりとりも懐かしいものだ。
もうかれこれ一週間近く経過したが、まだミラが僕をバカアギトと呼ぶ度に嬉しくなってしまう。
ついつい浮かれ気分でじゃれてしまうのも、きっと僕だけが望んでやってるわけじゃないんだろう。
ふたりだって、絶対に懐かしくて嬉しい筈だ。
王宮へと向かい、そしてマーリンさんとミラは通行証を見せて中へと入って行った。
うん、マーリンさんとミラは。
僕は……ぐすん。通行証、余ってないからね。
ミラはなんだかんだで持ってるけど、僕はいつもマーリンさんかハーグさんのを貸して貰ってたから。
しかし……分かってるけど……
「……暇、寂しい……ぐすん。こんなことなら、エルゥさんのとこで待ってるって伝えれば良かった」
何が悲しくてひとりで待ちぼうけなんじゃい、もう! と、駄々をこねても始まらない。
別に……ここで待つのに文句は無いけどさ。ただ……
「……後悔があるとしたら……」
この場所には、強い後悔がひとつだけ残っているから。
ここは——この門は、かつてミラを裏切ってしまった場所だ。
僕の弱さが招いた悲劇のひとつ。ユーリさんの離反、それに魔獣の侵攻。
あの時、ミラがユーリさんに貫かれたのが……
「……っ。ユーリさん……貴方は……」
裏路地を入った先、ダンジさんと共に匿って貰った小屋の床に、貴方は太陽の紋章を彫り込んだ。
それはもしかしたら、僕では想像も出来ない理由なのかもしれない。
でも、貴方はきっと、それを忠誠心から彫った筈だ。
でなければ、最期のあの表情に説明が付かない。
ユーリさん、貴方はずっとずっと——敵だと言ったその時も、マーリンさんへの忠誠心を捨ててなんていなかったんですよね。
「おーい、アギトー。ちょっと交代。フリードが君を呼んでる。正確には、勇者を呼んでいるよ」
「あっ、マーリンさん。交代……? フリードさんが……俺を……?」
ふたりが王宮に入って少しすると、マーリンさんだけが飄々とした態度で戻ってきた。
なんだろう、悪巧みの予感……いたいいたい、ほっぺをつねるんじゃない。
つねる……やめないでぇ! もっと……もっとスキンシップを……じゃなかった。
相変わらずコンプライアンスも防犯意識も悪気も何もあったもんじゃないって顔で、マーリンさんは門番の目の前で僕に通行証を投げ渡す。雑に扱うんじゃない、こら。
「僕はまたエルゥのとこにいるから、終わったらおいで。吉報を待ってるよ」
「吉報……ですか? えっと、それは……」
行けば分かるよ。と、そう言ってマーリンさんは早足で街に消えていった。
あの人、さてはエルゥさんに早く会いたいだけだな……? まあ……気持ちは分かるけど。
しかし、ふーむ。吉報……とは?
王宮へ入ると、すぐにミラが案内に来てくれた。
そこはロダさんにお願いしたかったと言うと、ミラはちょっとだけ拗ねてすぐに笑った。
この場所で一番お世話になった人は、間違いなくロダさんだ。
次点で王様。マーリンさんは三番目。
そんな僕の言葉に、ミラは殴りも蹴りも噛みもしなかった。お前も同意見か……そうか……
「失礼します。アギトを連れて来ました、フリード様」
そうして案内された部屋の前で、僕はまたちょっとだけの緊張感を覚えた。
フリードさんも僕のことなんて覚えてない。そして、僕をもう親友とは呼んでくれない。
ただの凄い人、雲の上の存在。
自称勇者の僕とフリードさんでは、こうして部屋に招かれるのもおかしな話なんだ。粗相をしたら……っ。
「失礼します。フリードさん、お久しぶりです」
「ああ、久しぶりだな。息災そうで何よりだ、アギトよ」
やっぱり……思い出したりはしてない……か。
ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、期待してた自分がいる。
ミラの記憶が戻ったんだ、誰か他の人の記憶も戻ってないかな……って。
でも、少なくともフリードさんは違ったみたいだ。
落ち込むようなことじゃないとは分かってるんだけど、どうしてもショックはあるから……
「話は魔女から聞いている。もう一度、集いのアジトを叩く——と。己の身体ももう治った。確かに、仕掛けるなら今だが……」
だが……? フリードさんはそこで言葉を濁し、そして目を伏せて黙ってしまった。
まさか……まさか、フリードさんともあろう人が躊躇してるのか……?
あの時、あの場所で。あの魔女ひとりに僕達は全滅させられた。
たまたまベルベット君が後方で待機してて、たまたま気付いてくれて、たまたま僕達を避難させる力を持っていたから生き残った。
でも、本当ならあの場で全員……っ。
だから……だからって、フリードさん程の人が……
「……己は弱くなった。あの後も鍛錬を続け、それをより自覚した。
もう、己にはかつての強さが——強さの源たる心が残っていない。
だが、魔女が言ったのだ。その弱さを払拭するのは……アギト、君なのだと」
「…………っ⁉︎ お、俺……ですか……?」
待ってよ話が違うじゃない!
そう、そうだ。マーリンさんはそう言った。
フリードさんは一種の燃え尽き症候群で、モチベーションを高く保てなくなっているんだ……って。
その原因は、僕との記憶が失くなったからって。
でも! それでもフリードさんはひとりで復活するって! 時間が経てば元通りになるって! 言ってたじゃんか! アーヴィンに帰る前に!
「アンタが決めなさい、アギト。マーリン様からの伝えるように言われてるわ。今回の作戦、フリード様を連れて行くかどうか。黄金騎士の力を信じるかどうか。それをアンタが決めるのよ」
「…………ッッ⁈ おっ——俺が——っ⁉︎ フリードさんを信じるか……っ⁉︎」
信じる以外にあるの⁉︎ ポロッと口から出た言葉に、久しぶりにバカアギトを自覚した。
待って、違う。ちょっとタンマ。
これは……アレだな? 僕は今、試されているんだ。
フリードさんに自信が無いと言わせ、そしてもう戦えないんだみたいな空気を出させる。
それを前にした僕が、果たしてどれだけ勇者らしい言葉を選べるのか……と。
そう、そうだよ、間違いない。吉報をとか言ってたし。
そもそも、フリードさんが弱気発言とか。あり得ない、解釈違いも甚だしいです。
「……こ……れは、またマーリンさんも意地の悪いことしますね。危うく引っ掛かるところだった。さっきのはノーカウントで。ごほん。俺が出す答えは、ずばり……」
ずばり……と、そう言ってから我に帰る。
え? でもさ、言える?
フリードさんなんてアテになりません。もし戦えないと言うのなら、俺達だけで倒してきます。とか、お前言える?
無理じゃね? だって、フリードさんだよ?
マーリンさんと双璧を成す、この国で最も頼れる人物ナンバーワンの……
「……ずばり……ずばり……。えっと……フリードさんにも来て欲しいです。で、でも! 戦うのは俺達が!
いざというときの保険……じゃなかった。見守ってて欲しいです! 俺とミラが、勇者としてこの国を守っていけるのかどうかを」
僕のやや情けない答えは、部屋全体に沈黙を引き入れた。
あ、あれ……? また……また間違えた……?
恐る恐るミラの方に視線をやると、なんだか誇らしげに胸を張って……え?
「……ふっ。そうか、そういうことか。魔女め、どういう腹かと思えば。
良いだろう、同行する。そして、己は見に徹しよう。見定めさせて貰おうか。君の言う、勇者たり得る資質と言うものを」
あ、あれ……? えっと、これは……成功で良いのよね? 正解引いたってことで良いのよね?
まだ困惑している僕をミラが強引に引っ張って、そして僕達はフリードさんの部屋を——王宮を後にした。
え? え? ネタバラシ! ネタバラシプリーズ!




