第百八十九話【勘違い】
目的地にはすぐに、それもなんの問題も無く辿り着いた。
優しく風が吹く度に、目覚めたばかりの時に感じた青臭さを感じる。
けれど、目印も特別な引力を持ちそうなものも何も無い。ただの草原が僕達の周囲には広がっていた。
「……ちょっと懐かしく感じるね。別に、ここで何かしたわけでもないのに」
「もしかしたら、何かあるのかもしれませんね。私達はこの場所に紐付けられて縁を結んだわけですから、無意識にこの場所を特別だと認識しているとか」
僕もミラも、有り体に言えばガッカリしていた。
ここへ来たら何かがある、世界を救うヒントがある。と、そんな楽観的な考えでやって来たわけじゃない。
何も無いだろう、無駄足になるだろうと分かった上で、それでも僅かな可能性を求めてやって来た。
予想通りの空振りだったとして、それでも残念だと肩を落としてしまうのは仕方がないんだよ。
「んー……ワンチャン何かあったらなぁと思ったけどね。流石のマーリンさんも、ふたり召喚するので手一杯。追加で物資を送ったりは無理……か」
「いくらなんでも……ですね。慌ただしく村まで移動しましたから、何か落し物があったら……くらいには期待してましたけど」
何も無し、か。
うん、分かってた。分かってたから……はあ。凹むなぁ、どうにも。
今からまた別のところへ向かうとして、それでもきっと何も見つからないだろう。
より正確に言い表すのなら、何かがあっても気付けないだろう。
循環の外から滅びがやってくるという話だったのだから、つまりこの世界の表面をどれだけ探しても見つかりっこないという話なのだ。
となると……うーん。
「もう一度、あの祭壇に行ってみる? あそこは神様が生まれた場所……神様の言う、循環の外と繋がった場所だ。
ここに来たのだって、僕達がやって来た場所だから——外と関係した場所だから、だよね」
「……アギトさん。その……凄く失礼なんですが……ごく稀に鋭い指摘をなさいますよね。いえ、その……普段が……」
凄く失礼だと思ったら胸の中にしまっておいて貰える⁉︎
割と容赦無くボロクソ言われてしまった……な、泣くぞお前……っ。
どうやらミラは本気で驚いたらしくて、目を丸くしたまま首を傾げて地面をつま先でほじくった。
「もし、何かが私達の所為でここに来るのならば……と、それを考えていました。もしもここに術式の痕跡があったなら、罠を張って待ち構えるつもりでした。ですが……」
「魔力痕すら見当たらなかった……と。じゃあここは、一応は因縁のある場所ではあるものの……」
もう私達の世界とは繋がっていないのでしょう。と、ミラはそう言った。
ふと思い出すのは、ちょっと昔にマーリンさんがしてくれた話だ。
僕達の精神はずっとマーリンさんに見張られていて、時間が来たら回収されるという話。
それがこの場所を経由したものでないとしたら……ああ、いや。そうか。
「……ふたつ目の世界、俺達は召喚された地点からそこそこの距離を移動してる。三つ目だって、歩かなかったから実感は薄いけど、かなり飛び回った。
じゃあ……マーリンさんと俺達を繋いでいる縁は、召喚地点を経由したものではない……とか」
僕の考えは意外と的を射ているのかもしれない。
ミラはちょっとだけ驚いて、そしてすぐに納得した顔で頷き始めた。
お? おお? なんか今日の僕、かなり冴えてない?
もしかして、僕の冴え渡る知性で世界救っちゃえるんじゃない⁈
「……となると、私達のいる場所に——それがたとえこの場所から遥か遠くであろうとも、私達のいる座標に何かが訪れる……という可能性もありますね。うーん……でも、そんなのがあるとしたら……」
神様はやっぱり私達を追い出してますよね。と、ミラは頭を抱えてしまった。
そう……なんだよな。それをすると他の場所が危ないから、せめて自分で解決しよう……とか。そう考えたなら……いいや。
「神様にとってはあの村こそが大切なんだ。あの村の人達を危険に晒して他の村を守る……ってのは、正直考え難い。と、すると……うーん?」
原因は僕達じゃない……? なら、やっぱり神様以上の強敵が現れて……?
うぐぐ……考えても考えても同じ場所をぐるぐるしてる。
僕もミラもウンウン唸り過ぎて、眉間にシワが寄ってしまっていた。
それがまた似合わなくて……と、どうやらこれまた一緒に思ったらしい。
僕達はお互いに顔を見合わせ、声を上げて笑いあった。
「……もうちょっと……気の済むまで調べたら帰ろう。そして、なんかもう……めちゃめちゃ質問攻めにしてやろう。神様め、人間の好奇心を甘く見たことを後悔させてやる」
「な、なんだか悪人みたいなこと言いますね、アギトさん……。でも……そうですね」
術師の好奇心は魔王をも生み出しましたから。と、ミラはかなりブラックなジョークをぶち込んで笑った。あはは……わ、笑えねえ……っ。
そう言えば、あの魔王も元々は魔術師だったんだよな。
人間よりも魔獣の方に希望を見出した魔術師……と、そんな話だった。うん……うん?
「……そうだ、魔王だよ。この世界には魔術があった、けれど失われた。
失われたけど……それが他の場所でまで失われたかは分からない。
じゃあもし……神様よりも人間を——人間の扱う魔術を重視した魔王が生まれたなら……」
「——っ! それは……あり得ない……と、実物を目にしていますから、とてもそうは言えませんね。あれ程の傑物が偶然にも……薄い確率なのかもしれませんが……」
だったら……っ!
大急ぎで村の外へ——村の人達の活動圏外へ行ってみよう!
文字通り外の世界に目を向けたなら、或いはあっさりとその答えが見つかるかもしれない。
村は山と草原に囲われている。草原の先は……ミラの目で何も見つかっていないのならば、行ってすぐに帰って来られる場所には何も無いのだろう。
なら、山を越えて——
「——おーい、アギトさーん! ミラさーん!」
「……? ベグさん……?」
行ってみようとテンションを高めていた僕達の耳に、聞き馴染んだベグさんの声が聞こえてきた。
どうしたんだろう、迎えに来てくれたっぽいけど……
「こんなところにいらしたんですね。神様がお呼びです、どうかお戻りください」
「神様が……?」
戻って来い……だって? 僕もミラも顔を突き合わせて驚いた。
あんなに放任主義だったのに、ここへ来ていきなり……
もしかして、僕達が勝手なことしたから滅びが前倒しにやって来てしまった……とか⁈ そ、それはまずい!
「い、急ごうミラちゃん! もし……もしヤバい案件だったら……」
ここへ来て大ポカとか許されない!
僕もミラも大急ぎで……でも、ベグさんと逸れないように走り出した。
神様が言うには、あの化け物は村と村の人に反応して現れるって話だった。
もし村がピンチなら、加護もこっちに回している余裕が無いかもしれない。
無防備なベグさんひとりがあんなのと向き合ったなら……っ。
ミラに任せっきりじゃなく、僕も全力で周囲を警戒しながら村へと戻ろう。
幸い、化け物は現れなかった。
村に戻ってすぐ、僕達はベグさんと別れて御神木の下へと駆け付ける。
するとそこには、珍しくぼんやりと佇んだ神様の姿があった。
僕達の帰りを待っていた……ってこと?
「神様——っ! ど、どうかしたんですか⁈ 急に戻って来いだなんて!」
血相を変えた僕達を前に、神様は目を丸くして驚いていた。
そして、すぐに頬を緩めて笑い声をあげる。うん? うーん……? あの、いったいどういう……
「……そうか。いいや、仕方の無いことだろう。君達はこの世界の人間ではないのだから」
「……? それは……?」
こちらの話だ。と、神様はそう言って、そしてゆっくりと御神木にもたれかかった。
そしてすぐにまた笑い出し、随分と楽しそうに僕達の顔を見比べ始める。あの、だからいったい何が……
「休めと言ったのに、全く聞かん坊だな君達は。今日、君達がすべきことは何も無い。同時に、何をしても明日の未来は変わらないのだ。
故に、せめて私の自慢のこの村を堪能するように伝えたというのに……」
村の外へ出掛けようだなんて、まったく歓迎し甲斐の無い客人だ。と、神様は困った顔で僕達を見つめる。
えっと……じゃあ、別にピンチとかは何も無くて……?
「あまり遠くへ行くんじゃない、帰って来られなくなったらどうするんだ。
君達がすべきことは、明日訪れる終焉を退けること。その資質も強さも、私は既に見極めさせて貰った。
君達になら十分に任せられる。だから、今日はゆっくりと休みなさい」
「……神様……」
問答も必要無い。君達は既に答えを持っている。と、神様はそれだけ伝えると、今日は御神木に登らずそのまま目を瞑ってしまった。
神様も眠るのかな……? なんて、そんな疑問はすぐに解決する。
すうすうと寝息を立てる姿は、ミラと変わらないくらいの子供に見えた。
「……既に答えを……か」
じゃあ……やっぱり、僕達の考えた通りの終焉が……?
でも、神様はそれを僕達なら乗り越えられると信じてくれているらしい。
初めて出会った時を思えば、なんとも無防備で威厳なんて感じさせない姿だろうか。
けれど……僕はその寝姿さえも敬愛すべきもののように感じた。
違うやい、寝顔フェチじゃないやい。
神様は流石に守備範囲外。ガチもんだからな、ネタにも出来ないよ。
「……じゃあ、戻ろっか」
ここまで神様に言われたのでは仕方が無い。
質問攻めにしてやるというさっきのやる気もすっかりしぼんで、僕達は揃って部屋に戻った。
戻ってみれば、そこには既にベグさんが準備してくれた果物がいっぱいあって、部屋の中を甘い匂いで満たしてくれている。
これはよく眠れそうだ。ミラも……ちょっとは安らいでくれたら良いな。
「ちょっと早いけど、終焉は夜明けと共に来るって話だしね。もう寝ちゃおう」
「そうですね。明日……ですからね」
この数日ずっとずっとそわそわしてた原因が、もうすぐ目の前まで迫っている。
果物を齧って小腹を満たすと、僕達はすぐに布団に入った。
少なくとも、日の出より一時間は前に起きたい、起きて心の準備をしたい。
目を瞑って、そして全身にぎゅーっと力を込める。そこからふっと力を抜けば、身体は薄い布団にも沈み込んで行くみたいだった。
甘い匂いも手伝って……今日はもう……眠……
アギトさん。と、声が聞こえた。
意識は驚く程パッチリと冴えた。
緊張感からなのか、それとも質の良い睡眠のおかげなのか。眠気や怠さはどこにも存在しなかった。
「……そろそろ……です。御神木の下へ向かいましょう」
「……うげっ。もしかして……」
やべ……早起きはしたけど、思ったよりは寝過ぎちゃった。
窓からを外を見れば、ちょっとだけ月が薄くなっているのが分かった。
夜明けが近い、心の準備してる暇が……っ。
「うぐぐ……いや、結果オーライ。身体はめちゃめちゃ軽い。これなら……」
「やりましょう、アギトさん!」
ミラも、心なしか昨日より元気に見えた。
眠れたのか、それとも空元気なのか。どっちかは……今日は見分けられなかった。それだけミラも集中してるってことだ。
大急ぎで身支度を整え、僕達は御神木の下へと急ぐ。日の出は……やべっ、マジでもうすぐだ!
「アギトさん、ミラさん。おはようございます」
「ベグさん。それに……みんな……」
御神木へと向かえば、そこには村人がみんな集まっていた。
今から終焉が来る。だから……えっと。神様が、自分の目の届く範囲にみんなを集めた……とか?
でも、その神様の姿がまだどこにも見当たらない。いったいどこに……
「皆、揃っておるな。そして……ようやく現れたな、異界の客人よ」
きょろきょろと辺りを見回していると、御神木の上から声が聞こえた。
凄く呆れた言い方で、僕達が遅刻ギリギリだったのを咎める先生の言葉みたいだった。
そんな神様に、村のみんなは笑って僕達を見ている。
うう……や、やめてよ恥ずかしい……。じゃなくて!
「神様! そろそろ……っ。そろそろ時間ですよね……? いい加減教えてください! いったい何が——この世界には、いったい何が来るって言うんですか!」
そうだな。と、神様はそう呟いて、そして黙り込んでしまった。
村の人達には終焉のことは伝えられていない。だから、なんだか深刻そうな空気になったぞ。と、やや不穏な顔色を浮かべ始める。
そうだ、ここからは危険が迫る……筈なんだ。
その為に神様は僕達を鍛え、共に戦うに値するかを見極めて……
「————では————剪定を開始する————」
——御神木を見つめていた——
けれど、目の前には土があった。
——勇気を振り絞ってここに立っていた——
けれど、膝を突いていた。
——誰もがその姿を待ちわびた——
けれど、誰もが顔を上げられなかった。
————そこに——神がいる————
どうやら、僕は何かを勘違いしていたらしい——




