第百八十八話【バタバタしてたから】
また今朝も日の出前に目が覚めた。
昨日もあんなに疲れてた、それに寝不足だった筈なのに。それでも、やっぱり目が覚めてしまった。
「おはようございます、アギトさん。やっぱり、今日も……」
「……うん、おはよう。そうだね……今日も……」
眠たさはまだある。けれど、眠っていられないという焦りが僕を突き動かしている。
ゆっくり体を起こせば、やっぱり眠れなかったらしいミラが声を掛けてきた。
暗くて分かり難いけど、ミラも随分疲れた顔をしている。
コイツ、こっちに来てから一度もまともな睡眠をとってないんだ。
明日にはもう最後の瞬間が来てしまう。なんとか……なんとかして体力を回復させてやらないと……っ。でも……
「……アギトさん? どうかしましたか?」
「……ううん、なんでもない。今日も気合い入れていかないとね」
僕には何もしてあげられない。
また狼男にでもなれたなら、その時はきっと寝かし付けてやれるのだろうか。
それ以外でも良い、じゃれついたり甘えたり出来る理由さえ作ってやれれば……っ。
いっそ、そのことを打ち明けて無理にでも抱き締めて眠ってみようか。
いいや、そんな力技でどうにかなるとも思えない。やっぱり、僕に出来るのは……
「もし……もしもとんでもない化け物と戦うことになったならさ。その時は、俺も一緒に戦いたい。神様の加護は、やっぱり貰えないのかもしれない。足手纏いにしかならないかもしれない。でも……それでも……」
ひとりで待ってるのは苦しいんだ。僕の訴えに、ミラは良い顔をしなかった。
もう、コイツの中で僕という存在がなんであるのかがはっきりしてしまっている。
最初の頃は結構頼りにしてくれてた。でも、もうダメだ。
もう、なんの力も無いって気付いてる。
戦わせちゃいけない、守ってやらなくちゃいけないって。
「……また、結界陣を作ってみますか? この世界に魔術が現存しない以上、効力は殆ど望めませんが。時間に余裕があれば、今日は魔具を作りましょう。私も魔力が切れた後の備えは欲しいですから」
「っ! ありがとう、ミラちゃん」
そんな子供の駄々みたいな僕の主張に、ミラは笑って答えてくれた。
俯いて、考え込んで、それでも最後には笑顔を作って。なんとよく出来た妹だろう。
紙とインクの代わりになるものを探さないとですね。と、ミラはそう続けて、そしてその候補になりそうなものをふたりで考えるのだった。
紙はある、けれどアーヴィンで手に入るものよりもずっとずっとゴワゴワしていて脆い。
で、インクがネックだ。これは……墨と油で作るしかないだろうか。
この村にも文字はある、けれど本という文化はまだ無い。精々収穫物を記録する程度にしか使われていない。
きっとこれも魔術と同じ、神様のおかげで必要ではなくなったから廃れつつあるものなのだろう。
魔具の候補も色々考えた。相手はこの世界の循環から外れたもの、文字通り規格外の存在。
だとするなら、最早人間を相手取るだなんて考えない方が良い。
災厄を運ぶというあの化け物ですらそのサイクルの内側だと言うのなら、もっともっと……それこそ紅蓮の魔女や魔王のような、とんでもないのが現れるやもしれない。
と、すると……なんて。アレコレ考えても、今のミラに作れるものは限られているから。
「……陽、昇ったね」
「行きましょう、アギトさん。今日もきっと、村の人にとって欠かせない仕事を手伝うのでしょう。短い間ですが、お世話になりっぱなしですから。今日が最後と思えば、力も一層入ります」
すっかり陽に照らされた明るい部屋の中で、青い顔をしたミラはフンスと鼻を鳴らして気合いを入れた。
そんなにボロボロな顔で力が入るだなんて言われてもな、こっちは気が気じゃないよ。
でも……その通りではあるから。
「うん、行こう。神様にはまだ聞きたいこともある、きっと今日もそれはまた増える。となったら、問答の時間も長く取って貰わなくちゃ。気合い入れて、全速力でサクッと終わらせて御神木に戻ろう」
はい! と、気合い十分な返事をしたミラと共に、僕は部屋を飛び出して御神木へと急いだ。
明日の夜明けと共に、終焉はやってくる。
気が重い、心臓がズキズキと痛む。
前を向く為に気合いを入れたのに、それがどんどん悪い方に作用する気さえする。
でも、止まらない。
ここで絶対にミラの記憶を取り戻すんだ。
これ以上マーリンさんに負担を掛けない為にも、絶対に。
絶対に今日という日を——
「今日はゆっくりすると良い。覚えていると思うが、明日の夜明けと共に終焉はやってくる。
ふたりとも、ここへ来た時を思えば表情が随分暗くなった。
緊張、不安、恐怖。そして、それに伴う疲弊感。それでは万全とは呼べない。よって、今日は休暇としよう」
全身全霊で絞り出した気合いは、神様の言葉によって行き場を失った。
そ、そんなぁっ⁉︎ 僕もミラもめちゃめちゃやる気出してここまで来たのに、そんな緩い感じで今日を過ごしたくないよ!
「しかし顔に出るな、アギトは。私の場合は出ずとも分かるのだが、それにしても……筒抜け過ぎるよ、それでは」
「うぐっ……で、でもっ。もう時間が無いんですよ? だってのに、そんなゆっくり休めとか……」
芋を掘って世界が救えるのなら苦労は無いとも。と、神様はとんでもなく無責任な正論をぶちかまして笑った。
芋を掘らせたのはあなた! ちょっと! 昨日の頑張りを意味無かったって言うのやめて!
内心これで世界が救えるのかなあって不安だったけど、それでも神様の言うことだからと頑張ったんだから!
「君達は既にこの村について十分に理解を深めただろう。全てを知るのは叶わなくとも、現状と、そして抱えている問題については見知った筈だ。
であれば、君達に出来る準備は全て終わった。
土台不可能なのだ、こんな短期間で世界を救う準備をするなどとは。
であれば、せめて私の自慢のこの村をよく知って貰おうと思ってね」
「な、なんて元も子も無い……っ。でも……本当にそれで……」
元より出たとこ勝負だ。と、神様は笑ってそう言ってのけた。
なんてげんなりする言葉だろう、高めに高めたモチベーションはどこへ持っていけば良いんだ。
困ったことに、本当に神様の言う通りなのだ。
たった五日六日では大した準備は出来ない。
結局、今朝だって魔具や結界を準備しようとして、けれど何に対策したら良いのかが分からなくて。
最初から出たとこ勝負のつもりだった……というのが本心なら、現れる強敵は僕達の想像以上に厄介なものなのかも。
「では、また晩に問答の時間だけは設けよう。きっと最後になる、この村について知りたいことがあればなんでも尋ねると良い。
そして、良い場所だったと思って帰って欲しい。この世界が救われようと救われまいと、私が第一に願うのはそこだ」
「……親バカも大概ですよ、まったく」
仕方が無いさ。私はこの村の誰よりも長くここにいるのだ。神様はそんな言葉を笑って残して、そしてするすると御神木に登って行ってしまった。
ほ、本当に最後の最後でやること無しかよ……っ。
となったら……どうしようか。言い付け通りにしっかり体を休めるか、それとも手当たり次第に魔具を準備するか。
答えは……うん、決まってたね。
「では行きましょう、アギトさん。何もしなくて良いと言うのなら、何をしても良いと言われたようなものです。
きっと村の人は、今日もあの化け物を追い払いに行く筈です。なら、その手伝いをしましょう」
「……うん、そうだね。ミラちゃんならそう言うと思ったよ」
えへへと笑うミラに先導され、僕はまた村のはずれを目指して歩き出した。
ほんとは止めて、休ませなくちゃいけないんだろうけどさ。でも、それはコイツには無理だ。
義務感と責任感の強さがそうさせるのも勿論ある。けど、元々そういう人間だから。
ミラにとって、誰かを守るってのは当たり前の行為だ。
手が空いたなら必ずみんなのところへ向かうし、敵がいたら必ず蹴っ飛ばす。
勇者以前に正義のヒーローだからな。
村から出て少し歩くと、やはりみんなはあの化け物と戦っていた。
そして……これまたやはり、戦況は圧倒的過ぎるくらい優位に進んでいた。
約束された勝利。攻撃も回避も全てが予定調和、ひとつの間違いすら紛れる余地の無い安全な戦場。
追い付いて戦い始めて、それからほんの僅かな時間で化け物は全て退治されてしまった。
「今日はお休みの日だと伺っていましたのに、わざわざ手伝っていただいてありがとうございます。また果物を準備しますから、お部屋でお待ちください」
「ありがとうございます、ベグさん。でも……」
でも……。言葉に詰まった僕にベグさんは首を傾げた。
果物は食べたい、そしてもう帰ってゆっくり寝てたい。ミラと違って僕はグータラするのに抵抗が無いからね。ではなく。
言葉に詰まった理由は、ミラの背中に好奇心がちらちらと見え隠れ…………デカデカと見えっぱなしになっているからだ。
「……まだ、もうちょっとだけやることがあるんで。俺達はもうちょっとだけ外にいます。お疲れ様でした、気を付けて帰ってください」
はい、ではまた。と、みんなぞろぞろと村へ戻って行く。けれど、僕達は戻らない。戻れない……が、正解?
まったく、こんな時に……明日が最後だって言われてるのにさぁ……もう。
「……どこへ行くの? 確かめたいことがあるなら一緒に行こう。最後だからね、今日が。土産話、もっともっと集めておかなくちゃ」
「……アギトさん。ありがとうございます」
深々と頭を下げたミラの提案は、最初にいた場所——召喚地点へ一度戻るというものだった。
そこに何がある、どんな可能性が残っているのかというアテは無いみたいだった。
でも、ミラは何かが気になったらしい。
こうなったら止まらないんだし、どうせ家に帰ってもコイツは寝れないんだ。じゃあ、行くしかない。
「最初からドタバタしてて、村の外ってあんまり見てなかったもんね。行こう行こう。行って……何があるかは知らないけど、とりあえず行ってみよう」
「はい!」
ふらふらした足取りなのに、ミラは元気一杯に歩き出した。
そこにはきっと何も無い。なんとなくだけどそれは分かってる。
でも、一度は訪れた場所の記憶が何も無いってのは気持ちが悪いもんだ。
とりあえず、ミラが元気になるなら……と、僕はそんなゆるーい打算でその小さな背中を追い掛ける。
あっ、ちょっ……ふらふらしてるクセに歩くの速いよ! 待てこら! おい! ちびっ子!




