第百八十二話【神様の言う通り、には】
集めた泥を畑や窯場に持ち込んで、それで御神木へと報告に行く……予定だった。
それがすんなりそうとはいかなかったのは、これまで一度もそのすんなりという経験をして来なかったからだったのかもしれない。
「……? ミラちゃん?」
御神木への道すがら、ミラは何度も足を止めて山の方を振り返るのだ。
あの山に、森に何かあったのか。
それとも、この村の外に何かがあると予想しているのか。
とかく重苦しい表情で、何かを憂いている様子だった。
「……アギトさん。このままで……神様の言う通りにだけ動いていて大丈夫なんでしょうか」
「それはまた……難しい話をするね」
私達はまだ、なんの情報も得られていません。ミラのその言葉には僕も頭が痛くなった。
この世界には滅びが訪れる。それも数日後、わずかな猶予しか残されていない。
そして、それはこの世界の理から外れたものである。
それに対して僕達は、力を見せるという解決策を取る必要がある。
分かっているのは——教えて貰ったのは、纏めてみるとこれっぽっちにしかならない。
「その上どれもこれも……か」
僕達にはまだ具体的な対策が立てられていなかった。
どの情報も、活用するには枠組みが大き過ぎる。
時間が無い。
とんでもないのが来る。
それと戦う必要がある。
こんな情報では、今出来ることなんて取り敢えず身体を鍛えて戦いに備えるくらいなもんだ。
それも果たして効果があるのかどうか……
「私達には私達のやり方がある。それがどれだけ遠回りで効率の悪いものだとしても、足掻かなければ何にもなりません。
少なくとも、あの化け物の出所——アレがなんであるのかをしっかり把握するくらいのことはしないと」
「化け物が……って、アレは神様が……」
この世界の循環のひとつだ……とかなんとか。
アレはアレで自然現象……って言いたかったのかな? だとすると、アレへの理解は僕達では難しい。
そんなもの僕達の常識には存在しない。
存在しないものが当たり前だと言われれば、やはりそれには反発したくなるから、ミラの気持ちはよく分かる。分かるけど……
「アレには不思議が無いんだ……って、そう言われちゃったらさ。俺達がどれだけ疑って掛かろうと、この世界のアイツらには不自然さや違和感なんて見つからないのかもしれない。
どうして滅びを繰り返していたのか、どうして獣人が生まれるのか。今までにだってそういう根本的な違いはあった、これもきっと……」
「だとしても……です。それでも、今まではそれがなんなのかを確かめようとしてきました。一度も手が届かなかったからと、ここではそれを諦めるだなんて……」
それではマーリン様に申し訳が立ちません。と、ミラはそう言うと、踵を返して村の外を——山を目指して歩き出した。
マーリンさんに……か。それを言われると……僕も弱いんだよなあ。
「……はあ。もう、しょうがないなあ。待ってよ、ミラちゃん。俺も行くから。土産話、神様がいたってだけじゃきっと怒鳴られるだろうしさ」
僕の返事を聞くと、ミラはちょっとだけ表情を明るくして歩くスピードを速めた。
こらこら、速歩きなら良いけど走るのはダメだぞ? お前、それで僕が何回ボロボロにされたと思ってるんだ。
覚えてないかもしれないけど、そういう経験があったかも……くらいには認識してろ。
さっきとは違う、村の人は誰も出歩いていない中を僕達はひたすら歩いた。
山の中にはどれだけの化け物がいるのか。そして、その化け物は何をしているのか。
確認したいことはいろいろあるけど、まず根本的なところから。
神様は違うって言ってたけど……
「……まず、アレが生き物なのかどうか……からだよね。何を食べているのか、どうしてわざわざ村へ迫って来るのか。災厄を運ぶ……って、神様は言ってたけど……」
「やはり、概念的なものの可能性が高いです。もしそうだとしたら、非常に厄介です」
いえ、そうでなくても厄介極まりないと思うんですが。
と言うか……あれ? 僕さ、ホイホイ付いて来たけど……めちゃめちゃ危険な場所に向かってない?
だって、まだ神様から加護を貰って……
「安心してください、アギトさん。アイツらの特性……戦い方はなんとなく把握しました。頑丈で力も強いですが、知性のようなものはあまり感じません。そうであれば、私の最も得意とする相手です」
マーリン様にも昔怒られましたから。と、ミラはなんだか自虐的なことを言って胸を張った。
それでどうして自信ありげなんだ……とは聞くまでもない。
そう、かつてマーリンさんは言った。ミラは戦うべきではない、向いてない、と。
レヴによって設けられた魔力制限と、それに見合わない高出力な魔術。
洗練された強化魔術と武術による高負荷な戦闘スタイルと、それに耐えられない小さな身体。
常に限界ギリギリで張り詰めているから、少し搦め手を使われると途端に歯車が狂ってしまう。
かつてのアイツが誰よりも凄いヒーローに見えた理由。
そして、にも関わらず苦戦を強いられるケースが多かった原因だ。
「……聞いてるよ、それも。可変術式を組み上げるまでは、本当の本当に危なっかしい子だった……って」
「うっ……で、でも! 今は違いますから! それまでの得意と、そしてそれから積み上げた不得意の克服で、私はずっとずっと強くなりました」
それこそ、勇者と呼ばれて世界を救う程に、ね。
うん、分かってる。ミラの強さも弱さも大体分かってる。
でも……でもね、そうじゃなくて……
「…………違うんだよ、ミラちゃん。いくら君が大丈夫でも……お、俺が大丈夫じゃない…………っ!」
「あ、あはは……ちゃんと守ります、安心してください」
それが大丈夫じゃないんだよ! 僕はお前を守りたいの! お前に守られてばっかりが嫌なの! と、そんなわがままをぶちまける余裕も無い。
さて、本格的に背中に滝が出来始めた。冷や汗と言うか、これはもう脂汗だ。今にもゲロ吐きそう。
「……深追いしないこと。日が暮れるまでには村に戻れるようにすること、絶対に怪我しないこと。
君の目も耳も、本能も。危険を察知する能力はずっと見て来たからね、信頼してる。何かあったらすぐに逃げられるようにすること。いいね?」
「任せてください。こう見えて勇者ですから、世界を救う前に倒れたりはしません」
もう二度と。と、ミラは少し寂しげな顔を僕に向けた。
それは——っ。ぐっと胸が締まった。それは……ひとつ目の世界、終焉を目の前にして倒れてしまったことを言ってる……んだよな。けれど……っ。
なんか、ミラが覚えてないのを良いことに、言いたい放題しちゃった気分だ。
世界を救う役目を放棄して倒れたのはお前じゃないか、このバカアギト。
「……では、そろそろ気を引き締めましょう。アイツらがどういう理屈で発生するのかも分かりませんし」
「うん、分かった。後ろは俺が見張るから、ぜひ全力で守って欲しい。出来ることなら俺にも強化とか魔具とか……」
行きましょう。と、ミラは僕の訴えをすっぱり棄却して前を向いた。
その背中にはもうじゃれ合う余地なんて残されていなくて、なんだか僕ひとり取り残された気分だった。ぐすん。
でも……お前がそうするなら、僕だって気合い入れなきゃダメだよな。
ぴりぴりとした緊張感の中、僕達はほぼ無言で山の中腹まで登って来ていた。
そう、中腹まで。
泥を取ったのは麓の辺り——あの化け物が出て来た地点をとっくに通過したのだが……
「……ミラちゃん、ストップ。ちょっと様子がおかしいと思う。アイツら、どうして一向に出て来ないと思う……?」
「……眠っているから……と、そんな単純な話とは思えません。少なくとも、生き物であるなら敵の侵入を察知した時点で……」
これは様子が変だ。
やはり、アイツらは僕達の常識に無い存在なんだろう。
土の中から突然現れた……ということは、モグラのような生態なのかもしれない。
だとすると、あの眼はなんだったんだ。
光の届かない土の中で生活するのであれば、視力の代わりに嗅覚や聴覚が発達しているものだが。
それとも、アイツらはその僅かな光でも視界を保てるように進化した……とか?
「生物として考えるとかなり矛盾だらけだよね。山には果物も野草も生えてる、動物だっている。食料目当てだとしたら、村を襲う理由なんてどこにも無い筈だ」
「……もう少し進んでみましょう。神様の言った通り、アレは生き物ではない。悪い出来事を運び込む、伝承に現れる悪魔のようなもの。それが確かだとしたなら……」
その出所をしっかり探る必要があります。と、ミラは鼻息を荒げた。
そう、その出所を——差し向けているやつを見つける必要がある。
この世界の循環だ……と、その言葉を鵜呑みにして、あれはこの世界では当然の自然現象だと、そう納得するのもきっと悪いことじゃない。受け入れるってのも時には大切だからね。
でも……それじゃあ腹が収まらないって話でここに来てるんだ。だったら徹底的に……ね。
「ちょっとだけペースを上げます。このままだと日暮れに間に合いませんから」
「あはは、忘れないでいてくれた。流石、頼りになるなぁ」
ちょっとぶりに歯を見せて笑ったミラと並んで、僕達はだんだん勾配のキツくなっていく獣道を登り続けた。
頂上まで……は、流石に無理かもしれない。それでも、きっと何かが見つかると信じて。




