第百七十話【のんびり、の前に】
それなりに長い道のりを経て——しかし、かつての旅を思えばあっという間に、僕達はアーヴィンへと帰ってきた。
王都よりも広い空。ずっと小さな建物。
賑やかさは負けてない……つもりだけど、人の数は比較にもならない。
けど……長閑で優しい、僕達の故郷へとまた戻ってきたのだ。
「よーし、整列。えーと……いち、にい……」
整列、番号。と、マーリンさんは点呼を取り始める。
いち、にい、さん……と、自らの口で数字を発しながら、目の前に律儀に並んだチビザック達を指差しで数え始め…………ああっ! 飽きちゃったのか、何羽かがどっか行っちゃう!
「うん、まあ大体良し。フィーネ、おつかれ。ミラちゃん、キルケーとヘカーテを外には出さないようにね。見知らぬ場所に嬉しくなって戻って来られなくなった、なんて嫌だろう?」
そんな脅しめいたセリフに、ミラはちょっとだけ顔を青くしてケージを大事そうに抱えた。
ずっと一緒にいると言わんばかりにカゴごと抱き締められたキルケーは、足踏みしながら翼を広げて目を細める。
ビックリしただけ……なのか、それとも……
「さあ、帰ろう。しばらくは王都へ戻らない。召喚もこっちで行う。
マグルと工房の補助が無い分、準備は入念に行わなくちゃだけど、それでも前回、前々回に劣らない術式で、君達を送り出してみせよう」
そう言ってマーリンさんは僕達の前を歩きだす。
帰る……か。当然、彼女の足の向く先は僕達の家——改装された市役所だ。
ついこの間とんでもない強敵が現れたってのに、その足取りは随分軽いものに見える。
そして、それはミラも同じように……
「……やっぱりアーヴィンが好き? ちょっとだけ元気になったように見えるけど」
「えへへ……そうですね。やっぱり、ここが私の……」
私の……?
故郷? 守るべき街? それとも、王様の言葉を借りるならば、一番大切な家?
色々あった。考えられる選択肢は、良い意味の言葉だけでも無数にあった。
けど……ミラはそれを口にしなかった。
嬉しそうで、楽しそうで、凄く安心した様子なのに……どこか少しだけ寂しそうにも見えた。
「とうちゃーく……なんてね。僕の案内なんて無くても、ミラちゃんはこの街の隅々まで熟知してるか。でも……うん」
戻ってきたね。と、マーリンさんはその建物を見上げてそう言った。
初めて見た時よりもずっとずっと立派になった、キチンと役所としての機能も復活した僕達の家。
またここから旅に出る。そう思えば、なんだか無敵になれた気分だ。
いや……冷静に考えると、設備の整ってる王都の方が……
「では、私はこれで。えへへ…………その……はあ。溜まってる仕事もあるでしょうから……」
「うおぉ……み、見たこと無いくらいしょぼくれた顔に……」
しおしおと今にも枯れてしまいそうな程しょんぼり肩を落として、ミラは僕達に一礼して神殿へ向かう道に顔を向ける。
そうだよな、なんたって市長だもんな。
ううん、それだけじゃない。市長であって、地母神であって。そして、唯一残されたハークスの人間なんだ。
やるべきことはきっと沢山……
「違う違う、そっちじゃない。ミラちゃん、君が戻る場所はここだよ」
「え……? いえ、でも……」
いいからいいから。と、マーリンさんは小走りでミラに駆け寄ると、その小さな肩を両手で押して市役所へと押し込んでしまった。
お、おいおい……気持ちは分かるけど、アーヴィンから市長を勝手に強奪するんじゃないよ。
「あの、マーリン様……いえ、本来はここで仕事をすべきなのですが。今はまだ資料も道具も神殿に——」
「——おバカ。まったくもう、何を考えてるんだよ君は。仕事をしにここへ来たわけじゃないぞ」
むぎゅっと両手でミラの頰を挟み込むと、マーリンさんはニコッと笑って僕にも視線を向けた。
えっと……? まあ、そうだよね。ミラの心の傷を癒す為に……って。
魔術を——世界を救う力を取り戻す為にここへ帰って来て……
「……バカアギトだな、君も。一から全部説明しないとダメなのかい? そろそろ僕の考えることなんて全部分かるくらい、ずっと一緒にいると思ってたんだけど」
「いや……そりゃ、幾らかは分かりますけど。召喚の為に——次の世界を救う為に、ミラちゃんにまた元気になって貰おうって……」
そりゃ、そういうの抜きにも元気になって欲しいって思ってるだろう。
だけど、本質はどちらかと問われたら、当然義務感の方が強いに決まってる。
元気にしてあげたいよりも、元気にしなければならないで動くタイプの人じゃないか。すぐに抱え込む癖はよく知ってるつもりだ。
「……はあ。いいかい、よく聞いておくれ。僕は君に——君達に、原点に立ち返って貰いたくてここへ来た。自分は関係無いって顔してるそこのバカアギトにも、ミラちゃんにも、ね」
「原点に……?」
立ち返る……?
ええっと……つまり、今から徒歩でまた王都を目指す……と?
そんなことを考えていると、マーリンさんに凄く冷たい目で睨まれてしまった。
だ、だから……なんだってそんなにも高精度で僕の思考を読めるんだ……
「ミラちゃん。今から召喚までの間、君はただのミラちゃんだ。
勇者でも、市長でも、地母神でも、別世界を救う使者でもない。
この建物の中にいる間、君はただのミラ=ハークスに戻るんだ」
マーリンさんの言葉にミラは目を丸くして、そして何か言い返そうと……そう、言い返そうと言葉を探しているように見えた。
でも、勇者としての自覚を失うわけにはいきません。
市長として、地母神として。街のみんなに求められるなら手を差し伸べなければ。
何よりも重要な現在の任務を忘れるなんて、そんなこと出来ません。
きっとそんなところ……ああ。こいつの考えは全部分かるくらい、今のミラともずっと一緒にいるんだな。
「かつてのように魔術の研究をするのも良い。けれど、力を取り戻す為にと肩に力を入れちゃいけない。
新しく趣味を見つけても良い。ザックやフィーネ、キルケーにヘカーテのお世話をしながらのんびりするのも良い。だからね、ミラちゃん」
堅苦しいことは一度忘れて、楽しいを思い出す作業に打ち込んでみよう。そう言ってマーリンさんはいたずらっぽい笑みを浮かべ、そしてすぐに僕達の手を引いて階段を上り始めた。
後ろからぱたぱたとことこと付いてくるザックやフィーネと共に、それぞれの部屋の扉が並ぶ、少しだけ広くなった廊下へとやって来る。
「さあ、ふたりとも。今日は何をする? 僕としては……そうだなぁ。長旅で疲れてるだろうし、チビ達のブラッシングをしてあげて欲しい。勿論、フィーネもキルケーもヘカーテも、どの子も例外無くね」
やりたいことがあるならそっちをすれば良い。この子達の面倒はちゃんと僕が見るよ。と、そう言ってミラからキルケーを預かり、マーリンさんとフクロウ達は自分の部屋へと入っていった。
廊下の一番奥——お風呂場と、僕の部屋と、ミラの部屋。入り口から順に並ぶそれらよりも向こう——昔は荷物置き場だった部屋へ。
良かったら僕のところへ遊びにおいで……ってことなのかな、今のは。だったら……
「ミラちゃん、どうする? 俺は……うーん、どうしようかな。特にやることも無いし、ザックはやっぱり可愛いし、マーリンさんのとこに行こうかなー……って、考えてるけど」
私は……。と、ミラは考え込んでしまった。
息抜きすら考えないと出来ないくらい追い込まれてた……ってことなのかな。
それと、僕にもって言われちゃった。
ミラの心配ばかりで僕自身が疲れてた……って、あの人にはそう見えたのかな。
言われてみると……うーん、分からん。ミラの心配は何が無くともしてるから、自覚症状はまるで感じられないや。
「……じゃあ、俺は先に行ってるよ。ミラちゃんも良かったらおいで。確かにあの人の言う通り、ちょっと気負い過ぎてたのかもね。いや……俺は何かしたわけでもないんだけどさ……」
とにかく、ちょっとだけのんびりしよう。と、それだけ残して、僕もマーリンさんの部屋へと向かう。
チビ達と遊びたい、マーリンさんと一緒にいたい。そういう考えも当然あってのことだけど、半分は…………四……三割くらいは、それが一番ミラの心を癒せそうだったから。
僕も行くとなれば、ひとりは寂しいと付いてくる可能性が高い。
そんな打算もちょっと込みで、僕はそのドアに手を伸ばして……
「——アギトさん。少しだけ、お時間良いですか?」
「……うん、良いよ。何か俺に出来ること……ううん。一緒にしたいことがある?」
ミラは俯いたまま頷いた。
どうしても伝えておきたいことがあります。私の部屋に来て下さい。と、そう続けて、浮かない表情のままそのドアを開ける。
楽しいことをする、のんびりする。心の傷を癒すには、それよりもひとつ前の段階をこなさなくちゃダメそう……ってことか。
「……伝えなくちゃならないこと、か。ミラちゃん。俺はマーリンさん程君に詳しくないけど、それでも先に伝えておくね。もし、苦しくなったら……つらくなったら、いつでも止めるんだよ」
「……はい。ご心配お掛けしてすみません」
けれど、どうしても伝えなくてはならないんです。そう言うミラの目には怯えが見えた。
暗くて深い、ミラにとって一番見たくないものをこれから直視しようとしている。そんな覚悟を、僕は黙って受け止めることにした。




