第百六十五話【信じられる人達】
その日の晩……と言うか、一日中。ベルベットくんがマーリンさんと目を合わせることは無かった。
ずっとずっと不満げな顔で、何かある度に拗ねたように鼻息を荒げるばかり。
おおかた予想は付くけど、マーリンさんももうちょっと上手くやれば良かったのに。
でも……もう、嘘をつきたくない……って、そう思ったのかもしれない。
「……俺もまだ……信じられないですよ。あの時の頼もしいみんなが……」
「うっ……あはは、そうだね……」
世界を救った勇者の一行、その三名。誰もが揃って絶不調……どころか、ミラとマーリンさんに至っては力の殆どを失っているのだ。
それもこれも僕との記憶が失くなった所為だ……ともなれば、自己嫌悪や責任感よりも先に猜疑心が生まれてしまうもんだ。
もしかして……この人達、実は最初からポンコツだったんじゃないのか……? と。
いや、マーリンさんは最初から最後までポンコツたっぷりだけどさ。
「明日、お見舞いに行っておいでよ。僕の通行証貸してあげるからさ。
フリードもきっと……ううん、間違いなく。もう一度君に会えば何かを取り戻す。ミラちゃんの容体は、何も無くったって気になるところだろうしね」
「そう……ですね。アイツ、また凹んでるんだろうなぁ……」
ミラは魔術を使えなかった。いいや、発動した魔術がトラブルを起こしたのだ。
あの時と——フルトから出発したばかりの時と同じ。ハークスの力、雷魔術だけが使えなくなってしまう。
或いは、今回はそれに限らないかもしれない。
ただでさえ自信を失くしてるからな、近頃のアイツは。励ましてやらないと。
「そうと決まったらもうおやすみ。お見舞いに行くのとは別に、きちんと仕事だってするんだよ? 今の君はなんの立場も無い、勇者見習いとしての特権はどこにも無いんだ。もっとも、そんなものあっても僕が許さないけどね」
「…………自分はだらだらしてるクセに。分かってますよ、俺だってそんなつもりありませんし。エルゥさんの手前ってのも半分。それに、今の俺はアイツの兄弟子ですから」
みっともない真似はしませんよ。と、そう答えると、マーリンさんはどこか微笑ましげに目を細めた。
くっ……成長したなぁ、あんなに頼りなかったのに。みたいな視線……っ。嬉しい……っ。
悔しいとか、バカにするなとか、子供じゃないんだぞとか。そう思わなくちゃいけないのに……ちょっと嬉しいのが腹立たしい……っ。
「……アギト。もう二度と……二度とあんなことはしないでね。君の命はふたつの奇跡の元に成り立っている。三度目は……きっと……」
「…………ごめんなさい。それじゃ、おやすみなさい」
うん、おやすみ。と、マーリンさんは小さく手を振って、そしてきっと……僕がそのドアを閉めるまでこちらを見ているのだろう。
ふたつの奇跡……か。
ベルベットくんやハーグさんのいる部屋のドアの前でぱしんと頰を叩く。反省しろ、この大バカアギト。
最善だと思った、そうしないとみんなが死んじゃうかもしれないって思った。
だから……では許されない。
僕はその罪を——遺してしまう毒をよく知っている筈だ。
もう二度とあんな思いをさせてはいけない。もう二度と——みんなを残して死んじゃうようなことだけは————
「あら、アギトちゃん。随分暗い顔ね、巫女ちゃんに怒られちゃった?」
「い、いえ……そういうわけじゃ……」
慰めてあげるわよ! と、ハーグさんは部屋に入ってきたばかりの僕に、両手を広げて迫って————怖——っ⁉︎
ネタ的な意味じゃなくて、ムキムキの坊主頭が迫ってくる絵面こっわ‼︎
ピンク色の髪と柔和な笑顔もそれを全然中和してくれてなくて、むしろ威圧感を増してしまっているとさえ思えてくる。
夜に見るハーグさん、普段の三割増で怖いな……
「……そう言えば、レイから聞いたわよ。昔のこと、全部とは言わないけど打ち明けたって」
「っ! はい、伺いました」
どう思った。と、ハーグさんはちょっとだけ笑ってそう尋ねる。
どう……って、そりゃあ……。寂しい話だと思った。
悔しいって、悲しいって。きっとそう思って、苦しかったのだろう……と。
「……私達は護りたかったものを護れなかった。護る筈だったものを護れなくなってしまった。
アギトちゃん、よく覚えておいて。それでも、私達は前を向いて進まなくちゃならない。立ち止まったらいけないの。それがどれだけ苦しいことでも、ね」
「……えっと……?」
いつか分かってくれたらそれで良いわ。と、ハーグさんはそう言って、そして…………何の躊躇も無く僕の股間に手を伸ばしてきた。 やめろ——っ! 本当にそれはダメだって!
必死で抵抗すると、んもう! いけず! と、何がなんだか分からない拗ね方で口を尖らせる。
コイツ……っ。僕にもっと力があってもっともっと勇気があったらぶん殴ってやるところだ……っ。
「自分が信じるものを信じてみなさい……って、みんな言うでしょうけど。でも、私からは敢えてこう言うわ。
自分が信じたものを疑って、誰かが信じたものも疑って。全部全部疑って、それでも尚信じたいと思ったなら諦めてそれを信じなさい。
人は何も信じずには生きられない。でも、何もかもを信じるには弱過ぎる。
ならせめて、信じるものの厳選はしっかりとなさいな」
「……厳選……ですか……?」
そう。と、ハーグさんは頷いた。
今はここに居ないけど、レイさんも同じ考えなんだろうか。
ベルベットくんは……もう寝てるのね。
そんな考え方は初めてと言うか……他の人から聞いたこと無かったから、僕はちょっとだけ混乱してしまった。
「アギトちゃんは素直過ぎるから、誰かが利用しようと近寄ってくることもあるでしょう。だから、傷付かないように疑いなさい。
私のことも、レイのことも。エルゥも巫女ちゃんも、勇者ちゃんも。大事だと思ったら、まず疑いなさい」
「……大事だと思ったら……」
不意に思い出したのは王様の笑顔だった。
今までに出会った中で最も偉大な人物。その人の優しい微笑みだった。
かつて僕達を咎めた時の——聞かん坊だった僕達を叱った時の、優しい大人の笑顔。
信じる為に疑う。あの人はそう言って、僕達にマーリンさんを疑わせた。
魔人の集いに加担しているんじゃないのか、あの鉄の馬車はマーリンさんの仕業なんじゃないのか。そう嗾けて、そしてそれを否定する材料を必死に集めさせた。
ハーグさんの言葉の意味が、その瞬間にふと溶け込んでくる。
「それじゃ、アギトちゃんももうおやすみ。明日は私の手伝いをして頂戴。お昼過ぎから出掛けるから、ちゃんと体を休めておくのよ。それとも、英気を養う方が良いかしら?」
「——っ⁉︎ 寝ます! 明日に備えてガッツリ寝ます! お休みなさい!」
まっ! そんなに張り切られたら期待しちゃうわね! と、もうこの人には何を言ってもこういう反応をされるのだろうなと諦めさせてくれる言葉を無視し、僕は大急ぎで布団の中に飛び込んだ。
まだ……まだ失うわけにはいかない……っ。いや、未来永劫失うつもり無いよ! 後ろの純潔は……何があっても守り通すんだ…………っ!
夜中にこっそり襲われないかとビクビクしながら眠り、そしてやや寝不足気味なまま朝を迎えた。
ベルベットくんはもう起きたらしい。ハーグさんも……下でご飯作ってるかな。
僕だけが残された部屋の中で、昨晩のように王様の顔をもう一度思い浮かべる。
「……期待に応えられなかった……っ。もう二度と、あんな人に期待を掛けて貰う機会は無いかもしれないけど……」
マーリンを頼む——と。
世界を救う勇者として以前に、あの人の隣にいるひとりの友人として。弱くて脆い彼女のことを、しっかり守ってくれと——信じて最後まで隣にいてくれと頼まれているんだ。
僕はそれを成し遂げられなかった。
あの人が本当に特別凄い人だったから得られた二度目の奇跡を、僕はしっかりと自覚して生きていかなくちゃならない。
弱くて脆くて凄いあの人の全てを対価に、今の僕は生きているのだから。
「……っとと、急がなくちゃ。お昼過ぎからハーグさんのお手伝いだったよな。ってなると……」
朝ごはん食べて、大急ぎで王宮へ向かおう。
まだボサボサなままの髪も梳かさずに部屋を飛び出すと、ごはんよーっ! と、満面の笑みで起こしに来ていたハーグさんと鉢合わせた。
「んまあ! もう、子供みたいな頭して。うふふ、梳かしてあげるからこっちのいらっしゃい。それと……んふふ、腰まで蕩かしてあ・げ・る・わ」
「————ッ⁉︎ い、いえ! 自分でやれます! 自分でやります! ご飯いただきまーすっ!」
いけず! と、もう何度目かも分からない言葉から全力で逃げ、そして僕は食卓へと命からがら辿り着いた。
そこにはもうみんな……レイさんはやっぱりいないけど、四人ともが揃っていた。
夢中でがっついてるベルベットくん。台所の片付けをしているエルゥさん。そんなエルゥさんの隣でデレデレしながらお手伝いしてるマーリンさん。
それと、僕の背後ににじり寄ってくるハーグさん。
最後のひとりだけちょっと余分だけど、実家みたいで居心地の良い僕の今の居場所。
「……アイツもここにいたらな」
「おはようございます、アギトさん。冷めちゃう前に召し上がってください」
あっ…………きゅぅん。心臓が——心臓が死ぬ——っ。
メイド服着てくれないかな……っ。エルゥさん……メイド服着てくれないかなぁ…………っ!
今日だけはアギトさんの専属メイドです! アギトさん……いえ、ご主人様。なんなりとお申し付けくださいにゃん。なんて…………ふう。いや、流石に時代錯誤過ぎるだろ。
今朝も腕によりを掛けたわよ! と、ハーグさんを筆頭に、エルゥさんもマーリンさんも笑って胸を張るもんだから……いただきまーす! 僕もベルベットくんよろしく朝ごはんにがっついてしまった。
美味いよこれ! このベーコンと卵の…………え? これはハーグさんの……あっ! こ、こっちの彩り鮮やかなサラダも、女性的で凄く素敵な…………えっ? これも…………ハーグさんの……?
違う……違うぞ……っ! そんな期待した顔で迫ってくるなピンク坊主……っ! やめ——だめ——らめぇ————アーーーッ‼︎




