第七十九話
小さい頃、僕は遠足が嫌いだった。友達がいないからじゃ無いやい! その頃はまだいたわい! いつも通りが好きだったのだ。いつも通り学校に行って、授業を受けて。放課は目一杯遊んで、帰ってからも遊んで。いつもと違う事に楽しそうな皆に、こんな事を考えている自分だけが取り残されてしまった様で寂しかった。あと、乗り物酔い。というか半分以上これ。しかし、時はもう二十年以上流れ……
「いやあ……デンデン氏……緊張してお腹痛いんですけど…………もう帰ってもいいですかな?」
「ツレないですなぁアギト氏。そんなの…………拙者もでござるが……?」
何も進歩していない! むしろ退化してるじゃないか! 駅で合流した僕とデンデンさんは、少し混み合う電車の中、青い顔を突き合わせながらそんな事を話していた。会ったことの無い人とのオフ会……考えるだけで上からも下からも汚いものが出てきそうだ……うう。変化は苦手なんだよ、変化は。変わりたいとはそりゃあ願ったし行動もしているけど、苦手なものは苦手なままだし緊張するものも緊張するって……ううっ……胃が痛い。果たしてこのオフ会大丈夫なのだろうか……?
「あ、アギト氏……ほ……骨は拾ってくだちぃ……」
「ゲロまみれで良ければ……」
本当に……大丈夫なのだろうか…………?
かれこれ電車に揺られて一時間以上。乗り物酔いは克服したみたいだが、別件でとても体調が悪い。これで待ち合わせ場所にあのちびっ子魔術師でも待っていれば一気に快復出来そうなものだが……現実はそう甘くはない。待っているのは顔も分からぬ、声も知らぬ。分かるのは名前とやっていたゲームと、その時のアバターくらいなもの。そんなシークレット仕様のゲーム仲間。いかん……やはりここは一度帰って態勢を立て直すべきでは……
「……あれ? もしかしてどろしぃさんですか?」
「ひょっ⁉︎ どどどっどおおおどろしぃたんは拙者の可愛いお嫁さんですぞ⁉︎」
お、落ち着けデンデン氏⁉︎ 真っ青な顔で挙動不審な行動をしていた僕らに、背後から女性の声が掛かった。ま、まままま待って欲しいのです! 怪しいものでは……怪しいものでは無いのです! 痴漢じゃないのです! 通報しないでっ‼︎
「背が高くてピンクのシャツで、ボーストグッズいっぱい付けた鞄持って待ってる……って、自分で私らに言ったんじゃないですか。初めまして、マルッペです」
「ままままままマルッペ氏⁉︎ 女性だったのですか⁉︎」
説明しよう。僕らのギルド、どろしぃたんと愉快な仲間達の中でも群を抜いた……否。その説明では足らず。ボーリングストーリーというコンテンツ内でも群を抜いた廃課金プレイヤー。札束の悪魔。自動掘削機能付きATM。付いた異名の数は知れず、またその存在を知らぬものも存在せぬと言われた古参プレイヤー。それがマルッペさんだ。デンデン氏が驚くのも無理はない。何故なら……
「……マルッペさん。言いにくいことなんですけどね? その……その歳で、あの時どうしてあんなに課金出来たんです?」
どう見てもまだ二十代半ば。ついこのあいだまで大学生してました、あるいは絶賛大学生してまーす、って感じの若い女性。うん……とてもじゃないが顔を見て話すのは無理だ。散々女の子相手の会話は積んだつもりでいたが、アレは所詮妹でしかない。うむ、無理。視界にずっとデンデンさん映ってる。ていうかそっちしか見れない。
「……企業秘密で」
成る程、企業秘密……うんうん。口が裂けても言えないことってあるよね。っと、いけないいけない。
「初めましてアギトです。デンデンさんがあんまりにもびっくりし過ぎて緊張どっか行ったよ」
「ああ、やっぱりアギトさんでしたか。イメージとは随分違うというか……いえ、悪い意味ではなく」
そんなに配慮して頂かなくても大丈夫ですよ。はっきり言っちゃって下さい。君、ネットと随分態度違くない? ネット弁慶すぎない? って。
「鬼竜さんは今電車降りたとこってリプ来てたから、アギトさんだろうなーって。思ってはいたんですけどね。いえ……その、悪口とか言うつもりじゃなくて……」
「良いんですよ……自覚はありますので……」
そう、自覚しているから今日来るのにちょっと抵抗があった訳で。しかしマルッペさん。とびきり美人という訳ではないのだが、愛想がいいというか愛嬌があるというか。大丈夫だろうか……側から見たら姫と取り巻きのオタク達にしか見えないのでは……?
「…………ところで、どろしぃさん?」
「どろ……ああ、デンデン…………氏…………?」
さっきから視界の端に常にいたのだが……うん? 様子がおかしい。ずっと俯いたまま顔を青くして……顔はずっと青ざめてたか。
「………………ざる……」
「……ざる?」
うどん? そば? もう今日のお昼ご飯の話? っていうか今日のお昼はファミレスって言ってなかった?
「…………お、女の子来るとか……聞いてないでござる……」
「……あー。私、割と男みたいな言葉遣いしてましたもんね。下ネタも全開だったし……」
正直に言ってしまおう。デンデン氏と全く同意見だ、僕も。まさかあの廃課金ユーザーが歳下の女性とは思わなかったし。僕がかろうじて平静を保てているのも、こうして僕以上にテンパってるデンデン氏がいるからこそ。すまない同士よ……僕が先に驚いていたら立場は逆だったのかも知れない……
「ところでその……デンデンって……?」
「ああ、えっと……どろしぃさんがそう呼んでくれって……」
僕ら二人は事前に知り合っていたこと、氏がリアルではデンデンと呼んで欲しいと言っていたこと。彼が話せない、彼が話したいであろうアレコレを僕は代わりに説明する。もちろん! 顔は! 全然見れないから! デンデン氏の方向いたままねッ‼︎
五分程するとデンデン氏も少し冷静になれたようで、さっきまで浅漬けのナスよろしく青く萎びていたとは思えぬほど元気になった。流石に長いこと一緒にゲームしてた仲だ、話さえ出来れば打ち解けるのにそう時間は掛からない。さて、そんな折、僕らのスマホに一斉に通知が来た。と言うことはグループチャットに返信があったのだろう。つまり……
「えーっと……背が高くて……ピンクのシャツで……ストラップだらけの……」
えーっと、確か鬼竜さんは……黒いTシャツでネックレス着けてて……背の高い……
「「あっ」」
ふと僕のスマホの画面が暗くなった。いや違う、僕を覆う様に影が出来たんだ。なんだいったい……誰か日傘でも……? あっ? デンデンさんの声と……もう一つ。息ぴったりなハモリを見せた声の出所は僕の背後だった。
「あの…………鬼竜氏で……ござる……ますか?」
ギルマスの弱々しい言葉に僕は恐る恐る振り返った。成る程、黒いTシャツだ。まさかそんなにパツパツになっているとは思いもしなかったが。成る程ネックレスを着けて。まさかそんなにいっぱい、それもゴールドばっかりとは思いもしなかったが。成る程、そう言えば。鬼竜氏は……数少ない男キャラだったな……
「は……初めまして……です」
遥か高みから、デンデン氏よりもさらに高いところから彼は僕を見下ろしていた。百九十センチは軽く超えているのだろう、それに身体つきが僕ら引きこもりとは一線も二線も画している。なんという厚い胸板、太い腕。そしてなんて厳ついお顔! 短く刈りそろえられた髪型もバッチリ決まって……すいません! 帰りの電車賃だけはご勘弁をっ!
「……は、初めまして。鬼竜です……今日は………誘ってくれて……ありが…………」
ん? なんて? 目の前のどう見てもヤンキーな男のものとは思えぬほど弱々しい、蚊の鳴く様な声が文字通り消え入った。す、すいません……よく聞こえなかったんですけど…………
「……よ、よろしくでござるよ! 拙者はどろしぃ……でやっていたのですが、デンデンとお呼びくだされ!」
相変わらずツマミの壊れたラジオの様に突然大きくなる氏の声に、僕以上に鬼竜氏がびっくりして……びっくり……? というかビクついているように……?
「よ……よろしくお願いしますっ!」
移動中に聞くこととなるのだが、彼はヤンキー漫画の主人公に憧れはしたものの、気が弱くてなりきる事が出来なかったとのこと。昔からこうして見た目だけ真似ていて、中身は僕らと……いえ、おとなしいオタクというだけで。共通点はそれだけで、まだ若い大学生だったんですけどね……おっさんは俺達しかいねえ……っ。