第百五十八話【ゴートマン】
強さというものを定量化するのなら、それはきっと人々をどれだけ安心させられるかという測り方になるだろう。
黄金騎士フリード。その人の強さ——安心感は絶大だ。
かつて世界を救ったひとりというネームヴァリューだけじゃない、僕はこの目でその活躍をじかに見ているのだから。
最初に出て来た魔狼を皮切りに、現れる魔獣の尽くを蹴散らしてみせる。ミラやマーリンさんが魔術を使うまでもなく、僕達は無傷のまま目的地付近まで登って来ていた。
「フリード。話じゃそろそろだろう? だったら、一度ここらで……」
「いや、必要無い。己が押し通り、そして蹴散らす。策を講じるのならば出発よりも前に、実行に移すのならば敵の逃亡の予兆を感知した時にしろ」
良いカッコしいめ。と、マーリンさんはぶつぶつ文句を言っていたが、しかしそれ以上の反論はしなかった。彼女も分かっているのだ。
ここはフリードさんひとりで全く問題無い。過信や慢心による窮地なんて、それこそありえない。
僕達の前にいるのは黄金騎士フリード。他の誰でもなく、自分に厳しいその人なのだから。
「こうなると……心配なのは後ろだけですね。ベルベットくんいるけど、あの子だってまだ子供だし……」
「こらこら、バカアギト。ベルベットよりももっと頼って良い連中がいるだろうが。あんまり僕の部下を軽んじないことだ」
そ、そこは別に軽く見てるわけじゃないですけど……でも、確かに言われた通りかも。
僕はいつもミラやマーリンさんみたいな特別な人間の背中を見ていた。
圧倒的も圧倒的。ふたりの魔術は、鍛え抜かれた騎士の一撃よりも遥かに効率良く的を蹴散らす。
けれど、それがイコール騎士よりも術師の方が強いという話ではない。
だって、もしそうならクリフィアはもっともっと大きな街だっただろう。
フルトに集まっていたのも、冒険者ではなく術師だった筈。
昔のミラの口ぶり……強化魔術を自分に掛けるなんてことをする術師が殆ど居ないって話と、それからフリードさんによるマーリンさんの評価を思えば、やはり魔術師は戦うという分野には適していないと考えるべきだ。
「…………あれ? じゃあ、ベルベットくんが危ないんじゃ……」
「ば、バカアギトだなぁ……本当に……」
今日の君は一段と察しが悪いじゃないか。と、マーリンさんは割と本気でびっくりした顔でそう言った。そう……言われてしまった……ぐすん。だ、だって……
「うちの部下は当然優秀だ。君達が今までに見て来た冒険者や傭兵よりも。それに、田舎の騎士やならず者となんて比べるまでもない。それと同時に、やっぱりベルベットも特別なんだよ」
場数を踏んでる分、ベルベットよりも更に頼りになるというだけ。あの子は僕と同じタイプだと思えば良い。と、マーリンさんはちらりとミラに視線を向けてそう言った。
ああ、えっと……成る程、ちょっと理解。
ベルベットくんは前線で戦うタイプじゃない。いざという時はひとりでもなんとかするけど、基本的には守られながら戦うタイプだ……と。
「何も考え無しに編成を決めたわけじゃないとも。僕達の誰よりも、あいつこそが適している。残した部隊を最も強固に出来るのが、他ならぬベルベット=ジューリクトンというわけだ」
成る程。と、感心していると、マーリンさんが一瞬だけ険しい顔をした。
こ、今回はちゃんと理解出来ましたよ⁉︎ と、あんまりにも的外れで呑気で間抜けな勘違いをしている僕の耳に、ぎぃい! という断末魔が飛び込んで来た。
マーリンさんの表情が穏やかになってから慌てて振り返ると、そこには随分と形の歪な魔獣が転がっていた。
「ほら、ちゃんと前向いて歩きたまえ。そんなんだと転んじゃうぞ」
「ぐっ……す、すみません……」
せめて魔獣に襲われるとかにしてくれませんか。
ええ、分かってます。何が迫っても僕に怪我なんてさせない自信があるんだ。
魔獣程度じゃ、フリードさんにミラにマーリンさんという強力過ぎる布陣を突破出来ないだろう。
でも……子供じゃないんだから、転んじゃうとかそんな注意の仕方は無いでしょうよ……
「フリード様。話にあった洞窟が見えてきました。敵影は……今のところは無さそうです」
「了解した。魔女、アギト。ミラ=ハークスを見習って少しは真面目にやったらどうだ」
呑気に談笑する余裕を作ってるのはお前だろうが。と、マーリンさんはよく分かんない文句を言って、そしてすぐに真面目な顔を取り戻した。
いかん……っ。フリードさんに嫌われる……ただでさえ変なこと言ってちょっと咎められてるのに……っ。
一度は親友と呼んでくれた相手だけに、仲良くなれない——嫌われてしまうというのだけは絶対に避けたい。心が折れる気がするので……
「しかし……フリード。本当に休まなくて大丈夫かい? ここは敵の懐で、当然もっともっと激しい抵抗を予想していたわけだ。それがどうだ、今の有様は」
「……何が言いたい、魔女よ」
負け惜しみ……ではなさそうだ。
マーリンさんはいたって真面目に、現状に対する疑問を口にする。
魔獣はそこそこ現れているものの、確かに連中からの反撃らしいものはまだ無い。
その魔獣も、差し向けられたってよりは、ここらに住み着いていただけって雰囲気だ。
言われてみれば、確かに少し無警戒と言うか……無抵抗と言うか……
「一度ペースダウンだ、フリード。万全を期すとは、何もこっちの都合だけの話じゃない。相手の計算を狂わせる、主導権を握らせないことも大切だろう。この感じ、スイスイ登って来いって挑発されてるようにも思えるよ」
マーリンさんのそんな提案に、フリードさんはいくらか悩んでから頷いた。不服そうだなぁ。
だけど、全く筋の通らない話じゃないから飲み込んだんだろう。
かつての戦いを思い返せば、この順調さは確かに不気味だ。
「洞窟へ近付くのは少し待って欲しい。こんな時ザックがいればね、偵察も出来るんだけど。流石にチビを危険地帯に向かわせるわけにもいかない」
ミラちゃん。と、マーリンさんはその小さな肩を叩いた。
それに対してミラは、任せてください! と、鼻息を荒げてずんずん歩いて…………行こうとするのを、マーリンさんに引き止められた。
そういう話じゃなくて……と、そう言うちょっとだけ呆れた顔は、さっき僕に向けられてたのと同じだった。
「中の様子をここから確認して欲しい。入り口に妙な魔術痕が無いかとか、空気の流れは変じゃないかとか。まったくもう、ちょっとだけアギトに毒されてるよ」
ちょっと。人のことを悪口に使わないでよ。ミラもミラでそんな微妙そうな顔しないで。もっとちゃんと……嫌がるならちゃんと嫌がって、中途半端が一番キツイ。
「……うーん……ちょっと、難しいです。洞窟の中が複雑に入り組んでいるのか、風が通り抜ける音が聞き取りづらいですね」
少しだけ爆破しても良いですか? というミラの物騒極まりない発言を、マーリンさんは咎めること無く快諾した。
ちょ——っ⁉︎ そんな軽いノリで爆破すんの⁉︎ と、慌てたのは僕ひとりみたいで……
「——爆ぜ散る春蘭・改っ」
放たれたのは、小さなミラの小さな頭よりも更に小さな火球だった。
それは洞窟の入り口辺りまで飛んで行って、そしてバスンという音を立てて爆ぜて消えた。
それを見届けると、ミラはなんだか目を瞑って……
「…………中には誰も……いえ、何もいなさそうです。少なくとも、動くものは何もありません」
「流石、相変わらずびっくりするくらい感度良好だね」
えへへと笑うミラの、その鋭い聴覚を使った探知だったらしい。
お前……もう、ソナーじゃん……っ。前からそういうのやってることもあったけど、もう完全に人間の域を出ちゃってるやつだよ……
「よし、なら進もう。或いはとっくに連中は逃げ出した後なのかも————」
「————っ! 魔女——っ!」
ぼゎん——と、なんだか不思議な音がして、そしてすぐにフリードさんの金色の髪が視界を覆った。
さっきまでと景色が少し違う。どうやら僕とマーリンさんは、フリードさんに抱えられて、何かから守られたみたいだ。
その何かというのが————
「————っ。あいつ……ゴートマン——っ」
さっきまで僕とマーリンさんがいた場所に、白衣姿の男が立っていた。
その悍ましい空気を、僕は一度たりとも忘れたことは無い——忘れられた日は無い。
白衣のゴートマン——僕達の前に現れた、ふたり目のゴートマンだ。
「——黄金騎士、フリードリッヒ。数奇なこともあったものだ。貴殿はまごうこと無くこの国で比類無き傑物だろう。しかし——日が悪かったな。今日という日に限り、貴殿さえもが死に至る」
「——ほう。おもしろい——」
————バウ————ッ! と、空気が震え、そしてその金の髪はまるで光のようにピンと張って、僕の視界を両断する。
アイツがどこから現れたのか、どうしてミラに見つからなかったのか。湧き出てくる疑問は尽きなかったが、それでも……
「——ォオオ——っ!」
「——はぁああ——ッ!」
ゴートマンの拳は空を切り裂き、反対にフリードさんの拳はゴートマンの必死の防御によって防がれた。
優っている。あの白衣のゴートマンよりも、明らかにフリードさんの方が優れている。
ゴートマンの鋭い一撃に、より鋭い——疾い一撃で対応している。
マーリンさんは凄く警戒心を強めた様子だったが、それでも不安そうな顔はしていない。
ミラも、いつでも援護に飛び出せるように構えているが、その人の邪魔にならないように引っ込むことを優先している。
僕なんかの勝手な判断がどこまでの信ぴょう性を持つかは知らないが、この時点で既にフリードさんは勝っている。
どう見ても負ける要素なんて見当たらない。そう思って……分かって、考えているのに……?
「…………日が……? アイツは……いったい何を……」
直前にあの男が口にした言葉が引っ掛かっていた。
今日に限っては……って、何を……?
みるみるうちに優勢に傾いていく戦況に浮かれる傍ら、どこかで——胸の中のどこかで、僅かながら不安が芽生え始めていた。




