第百五十五話【増えれば良いという話ではない】
こっちに帰って来てから二日が経った。
まだ……少しだけ、キルケーさんとヘカーテさんの面影を追ってしまう自分がいる。
と言っても、それは別に今回が初めてというわけではない。
一番最初の時も、たまたまそういう人がいなかったってだけで、ついつい道具の存在を忘れた生活を送りそうになった。
ついつい鼻をヒクつかせて人を探しそうになった。
ただちょっと、今回は別れが急だっただけ。
そして、今までに無いくらい仲良くなった相手だったというだけ。
エヴァンスさんのことも、もっとちゃんとお別れ出来てたらきっと……
「…………はあ。逆ホームシック……とでも言うのかなぁ。ああもう……どこが実家なのやら……」
ここにはマーリンさんがいる。
エルゥさんもいて、ハーグさんもレイさんも、ベルベットくんもいる。
たまにへインスさんも顔を覗かせてくれるし、キルケーとヘカーテ……ああ、フクロウの方ね。それに、二羽に会いにミラもやってくる。
本当ならこんな、寂しいなぁ……みたいな感情を抱くわけもないんだけど。
っとと、そうそう。そのミラだけど、前回を思えば体調はすこぶる良いと言えるだろう。
ただ……その理由をマーリンさんから聞いているから、素直には喜べない。
ミラはそもそも、恐怖心から不眠症になっていた。
それはどうやら、かつての——僕と出会う前、一番最初の頃からそうだった、と。
アイツが僕にくっ付いて眠っていたのは、そうすれば心が休まるから。
ひとりじゃない、自分を肯定してくれる誰かがいるという安心感が、レヴに対する恐怖心を薄めてくれていたから。
今それなりに元気なのは、その依存先を新しく見つけたから……らしい。
キルケーとヘカーテ。ついこの間まで散々守って貰っておいて、今はその二羽の世話をすることで——自分が守ってあげなくちゃいけない存在を勝手に見繕うことで、無理矢理自己肯定感を高めている……とのこと。
もっとも、本人は無自覚で、防衛本能が勝手にそうさせてるのだろう……とは、マーリンさん談だ。
「あっ、こらっ。えへへ、待てってば。ヘカーテ、大人しくしてなさい。もう、キルケーを見習ってよ」
「ふふ、ミラちゃんもすっかりお姉さんだね」
そんなこんなで、僕の目の前では、もふもふした生き物をもこもこした生き物が撫で回している光景が繰り広げられている。
ちょっとだけ嫌がるヘカーテをブラッシングするミラ。
そのミラをだらしない顔で撫で回すマーリンさん。
そして、そんなマーリンさんの頭や肩に大量のチビザックが乗っかっていて…………
「…………いつかアレルギー起こしそうだな、ここ」
本当に申し訳無いが、かわいいでなし崩しにしてはならない気がするんだ。衛生面とか本当に大丈夫か?
そりゃ……ザックはさ、普通じゃないから。もしかしたらウンチしないかもしれない。
マーリンさんの分体だし、多分ウンチしない。だって、マーリンさんはしないもん。
え? しないよ。するわけないでしょ。美少女はウンチしないんだよ。ごほん。
だけど、フィーネ……が、マーリンさんの言う通り、買ってきた普通のフクロウだとしたら…………それは流石にウンチするよね。
で、キルケーとヘカーテも…………名前の元は美少女だけど、そもそも野生のフクロウな訳だから。
「……? おや、アギト。どうかしたかい?」
「……いえ、その……」
この部屋……気の所為かな、ちょっと臭いぞ……?
いえ、気の所為ではないです。鳥のフンがどうこうは別としても、そもそもとして獣臭が凄い。
動物園の匂い。そりゃそうだよね、だって……
「……マーリンさん。こんなこと言うのなんですけど…………室内飼いする動物じゃないですよね、そいつら。少なくとも、まだほぼ野生のキルケーとヘカーテは……」
「な、なんてこと言うんだ君は。こんなに可愛いのに」
だから、可愛いか可愛くないかの話はしてなくてだな。問題はその食性だよ。
考えてごらんよ、フクロウの主食を。
ペットフードですか? いえいえ、そんなものこの世界にはまだ無いですよね?
じゃあ、野菜や穀物ですか? 食べなくもないけど、メインじゃないよ?
じゃあ……何を食べてるかと言うと…………
「だって餌! 肉食ですよね⁉︎ しかも、完全室内飼育じゃないですよね⁉︎ じゃあ、外でバリバリ狩りしてますよね!
ネズミとか蛇とか……最悪小さい魔獣とか! そんなの食い散らかした口で…………くちばしで突っついてくるんですよ⁉︎」
「…………? うん…………そう……だよ?」
それが…………? と、マーリンさんもミラも首を傾げた。
それがどうかしたの? ですか。いや、どうかしたの? じゃないが。
ダメだ……コイツら、忘れてたけど野生児だった……
「汚いでしょうが——っ! ここ! エルゥさんの家! 借りてるの! 俺達は! その一室を!」
しかもここ、人がめちゃめちゃ出入りするとこだからな⁉︎
仕事の斡旋、働き手の誘導。ここでは主に、王都の復興作業についての仕事が——仕事と人員とが出入りしている。
その量はハンパじゃなくて、当然のように朝から夕方までエルゥさんは働きっぱなしなのだ。
僕もベルベットくんも、それにハーグさんもレイさんも。みんな持ち回りでそのお手伝いをしている。のに!
「——アンタ! 手伝いもせずにごろごろだらだらして! その上勝手にペットまで持ち込んで! それが更に増えて! もうちょっと遠慮と言うか…………っ! 常識は無いのか——っ!」
「な——っ⁉︎ し、失礼なやつだな君は!」
無礼極まりないのはアンタじゃ!
見ろ! いつもなら、マーリン様になんてこと言うの! ふしゃーっ! って噛み付いてくるミラも、すっごく気不味い顔で俯いちゃってるぞ!
ごめんね、お前のことは責めてないんだ。ミラは悪くないよ、体調悪い中でも、そこそこ元気な日は手伝ってくれるもんね。
でも! そこのお前! そこのやたら……こう……肉感的な…………えっ? ちょっ、マーリンさん? なんでゆっくり近付いて……
「言わせておけばコイツーっ! この口か! 大魔導士マーリンさんを無礼者呼ばわりするのはこの口か——っ!」
「いぎ——いででで——っ! まだ呼ばわりはしてない! 声には出してない! 勝手に心読んで先回りで怒らないで下さいよ!」
むきーっ! と、まるでかつてのミラみたいに……子供みたいに癇癪を起こしたマーリンさんだが……マーリンさんが暴れた所為で、さっきまでのんびりしてたザック達は大慌てで逃げ回ってるし、それに釣られてキルケーも驚いちゃったし、ヘカーテも翼を広げて威嚇してるしで……
「大惨事——っ! この現状こそが大惨事に他ならないでしょうが! こんなのを他所様の家で繰り広げるんじゃない!」
「なんだとっ⁉︎ 僕の可愛い家族になんてこと言うんだ!」
掛かれ! と、マーリンさんが指笛を吹くと、さっきまでパニックだったザック達が一斉に襲い掛かってきた。そ、それはずるい——っ!
やはりザックはザック、小さくなってもマーリンさんの半身に変わりない。
見事な連携攻撃で僕の服の中に木屑や綿ぼこり、それに食べかけの生肉を…………どえぇえええっ⁉︎ ちょっ——汚ねえ! だからこれが問題だって言ってんだよ!
「……マーリン様。その……確かに、エルゥの家にこうも大所帯でというのは……私も……」
「っ⁉︎ そ、そう……かな……? で、でも! エルゥにもちゃんと許可は取って……」
その許可、フィーネとザックだけの時のですよね? と言うか、キルケーとヘカーテの出所について説明してませんよね?
更に言うと、貴女の立場からお願いしたらエルゥさんが断れるわけないこと分かってますよね? と、僕のキレの良い三連撃の問いに、マーリンさんは閉口した。まったく、ロクでもないやつだ。
めそめそとわざとらしく泣き真似までして、しおらしく落ち込んでいれば僕が許すとでも…………
「……ま、マーリンさん……言い過ぎました、ごめんなさい。二羽についても、ちゃんと躾けていけば……」
ダメだ……ダメダメだ……っ。僕はどうしてもミラとマーリンさん相手には強気に出られない。
いえ、誰相手にも強気に出られた試しは無いですけど。
そんな僕を見て、ミラはすごく……こう……残念そうな顔で目を背けてしまった。
こいつ……っ。前のお前がこんな感じだったんだからな……? この人に甘々だったの、むしろお前なんだからな……?
「……いや、そうだね。もう巫女という立場に無い以上——それを捨てると決めた以上、相応の振る舞いをしなくちゃならない。どこかに部屋を借りて拠点を移そうか」
王宮の部屋でも良いけど、召喚する時にはまた別の場所を探さなくちゃならないしさ。と、マーリンさんは随分真面目な顔でそんなことを言った。
別に、もうひとつ通行証を貰えば良いんじゃ……え? そう簡単には貰えない……?
でも、前はロダさんがぽんぽん貸してくれて…………巫女様の連れてきた客人だったから、王命で外に出る必要があったから……? あ、はい。
「ということだから……探すなら早い方が良いよね。ちょっとエルゥに事情を話してくるよ。そろそろ下も落ち着いた頃だろう」
エルゥーっ。と、ちょっとだけ騒がし……ごほん。元気に名前を呼びながら部屋を飛び出してくマーリンさんだが…………僕にはもう結果が見えている。
なんてったって星見の巫女の一番弟子(公式による経歴詐称)ですから。ええ、間違いないです。
すぐにでも帰ってきて……そして、嬉しそうな顔で言うだろう。
「——出て行かなくていいって! えへへ! もっと一緒に居たいってさ!」
「…………このポンコツ……」
そりゃ……そりゃそうだよ……っ。
直接事情を話せばさ……そりゃ、気を遣うよ……っ。
なんで……? そういうの出来る人だったじゃない。
気配りと言うか、気を遣わせないようにって……自分から気を利かせられる人だったじゃない、貴女……っ。
そうでなくとも、エルゥさんは優しくて懐の深い人だから。
一緒に居たいって気持ちも六割……七割あるだろうけど、鳥を理由に追い出したりはしないだろう。動物も好きそうだったし。
でも、それはそれとして……鳥小屋は借りよう? さっきから背中を突かれて痛いんだ。
ヘカーテが……ヘカーテが生肉入れられたとこめちゃめちゃ突っついてきて痛いんだ。
こういうことがあるから……せめて、鳥は分けよう……? 背中が……せな——いってえっ⁉︎




