第百五十四話【また、その人の隣で】
日も暮れる頃に、僕達はすっかり店仕舞いな受付に帰宅した。
片付けでバタバタしているエルゥさんを手伝って…………と、そうして少しでも良い男ポイントを稼ごうかと思ったのだが、そのエルゥさんから手伝いを拒否されてしまった。いえ、悪い意味ではなく。
「…………しかしまあ……大所帯になりましたね」
「うん? ふふ、そうだね。おかえり、アギト。お疲れ様」
マーリンさんが帰ってきている。そして、僕が戻ったら部屋に寄越すようにと言われている。やっぱりどこか興奮気味に事情を説明してくれたエルゥさんのことは一度忘れて、僕は目の前の光景に頭を抱えてやや辟易としてしまった。
灰色の片翼を畳んで、座り込んでいるマーリンさん。
銀色の翼を広げて、ゆったりとあくびでもしてるみたいなフィーネ。
マーリンさんの周囲を取り囲むように並んでいるチビザック。
そして……そんな光景に混じり込んだ、灰色の翼を持つ、キルケーとヘカーテと名付けられた二羽のフクロウ。
別に、フィーネの友達が増えることは喜ばしい。
だけど……人ん家にこうもドカドカと鳥を……それも、キルケーとヘカーテに至っては野生の、躾けられていない猛禽類だ。
臭いとか糞とかの問題だってあるだろうに、勝手に連れ込み過ぎるんじゃないよ……
「ミラちゃんがね、どうしてもこの二羽は自分でお世話したいってわがままを言ってね。
だけど、野生動物をいきなり手懐けるなんて難し過ぎるからさ。ちょっとの間、僕のとこで面倒を見て、人に慣れた頃に任せてみようかな……って。
フィーネにはすっかり気を許してるからさ、一緒にいればきっとすぐに馴染むだろう」
「はあ……あのバカ。すみません、無茶苦茶な妹で……」
この二羽が特別な——あの世界で出会ったふたりの魔女を思わせる存在だから……というだけではないんだろうな。
今までもティーダやザックに対して嬉しそうな目で、なんとも対等なスキンシップを取ってきたから。
元よりある動物好きもあって、我慢が出来なかったんだろう。
しかしなんと言うか……本当にデタラメな妹だ。野生のフクロウなんて、普通は怖がるんだけどな。結構デカイし、爪とかおっかないし。
「僕からすればたった一晩——君達としてもおよそ十四日間の付き合いだが、そこはやはりミラちゃんならでは……なのかな。仲良くなるには十分な時間かもしれないが、しかしあそこまで執着するくらい縁を深めるなんて」
「あはは……まあ、事情が事情でしたからね。他に頼るアテも無かったし」
よりにもよってマーリンさんが敵として出て来たからね。寂しさとかつらさがいつも以上に大きなものだったのは間違いない。
と言っても、ミラならそういうの抜きに仲良くなっただろうけど。
特にキルケーさん。もう……それはそれはもう…………もっちもちだったからな……ごくり。
「……今思うと、あのふたりにはマーリンらしさがいっぱい詰まってました。今朝説明して貰った通り、俺の知ってるかっこいい人達のかっこいい部分がいっぱい詰まってた。
だから、アイツも普段以上に馴染みやすかったのかもしれませんね」
「ふふ、どうだろうね。でも……ミラちゃんから聞いたよ?」
君、その僕にそっくりだっていうキルケーって子にデレデレしてたみたいじゃないか。と、マーリンさんはなんだか意地悪な顔をしてそんなことをブッ込んできた。ち、ちが…………わ……ない…………けど……っ。
「そ、それはアイツも同じで…………じゃなくて。マーリンさんよろしくやたら距離が近かったんですよ! いや、むしろミラくらい! 俺がどうこうじゃなくて、キルケーさんがっ!」
「あはは、そんなに必死にならなくても良いのに。でも……ふふ、そっか。良いなぁ、僕も会ってみたかったな」
そんなに可愛かったんだ。と、マーリンさんはにやけ顔でそう言って、そして新顔のフクロウ達の眉間を指で撫でた。
なでなですりすりとすっかり懐いた様子の二羽を可愛がりながら、ようやくマーリンさんは真面目な顔を取り戻す。やっとだよ……呼び出しの用件はなんなんだ……
「さて、じゃあ本題に入ろう。ま、いつもと変わらないよ。ミラちゃんにやったのと同じように、君の調子も確認しておかないとね。具合的には、肉体的な異常の確認と、そして精神面の保護、回復だ」
「はーい……あっ。大丈夫だとは思ったんですけど、一応聞いておきますね。ミラ、どうでした?」
昔程じゃないけど、ちょっとだけ甘えん坊に戻ってたよ。なんて、マーリンさんはそれはそれは嬉しそうに語った。甘えん坊に……ねえ。
記憶を失ったミラは、マーリンさんにすら甘えなかった。けど、それは勇者としての立場があったから。
誰にも弱みを見せないようにしなくちゃいけないと、勝手に肩肘張っていたから。
だから、誰も見てないところでなら——ここ以外の世界でなら、多少は甘えられた。
ふたつ目の世界では、もふもふ感も相まって、僕が寝てる間だけくっ付いて眠っていた。
先の世界では、キルケーさんの…………その……マーリンさんっぽさの象徴みたいな……ね。
べったり甘えて、それはそれはデレデレした顔で埋まっていた。おっぱい星人め……
「ミラちゃんの話はまた後で。ほら、やることいっぱいあるよ」
まずは、その場でちょっと跳んで貰おうか。と、まるでカツアゲ少年みたいなことを言い出して、マーリンさんによる健康診断が始まった。
前回は、獣人になって運動能力が向上した影響をこっちに持ち帰ってしまっていた……出来ない筈の強い運動が出来るようになってしまっていた。
それは僕としては嬉しいレベルアップイベントっぽかったんだけど……曰く、それは肉体の限界を勘違いしているだけの、非常に危険な状態ということだったから。
今回もそういうのが無いか確かめていくのだ。
「うん、問題無さそうだね。じゃあ次は……」
ぎゅっと手を握ってごらん。
押さえておくから、ゆっくり腕を上げてごらん。
仰向けに寝転んで、手を使わずに起き上がってごらん。と、マーリンさんは色んな運動を——凄く簡単な、本当に動作確認って感じの運動をさせた。
なんと言うか……体力測定みたいだな。いえ、文字通り体力に異常が無いか測ってるんですが。
「……うん、一通りは良さそうかな。あとは、心の方だけど……」
いくつか質問するから、深く考えずに直感で答えてね。と、マーリンさんは優しく微笑んでそう言った。
そういうの苦手なんだよな。深く考えずにとか、直感でとか。いや、そんなの言われても考えますやん、と。
「じゃあいくよ。まずは……食欲はある? お昼ご飯、しっかり食べられた?」
昼間働いている時、気怠さを感じなかった? いつもより疲れたってことは?
次々に投げ掛けられる問いは、なんと言うか過保護なお母さんの質問責めって感じがして…………でへ、マーリンママ……じゃなかった。
ご飯はいっぱい食べた。普段通り、腹八分目。
気怠さなんて感じるわけない、僕の所為であんなことになっちゃってるんだから。
ずっと気合い入りっぱなし、でも変に気負った感じでもなかったかな。
疲れ……については、ちょっとだけあった気もする。
でも、元々ヘナチョコだから、原因が召喚と向こうでの生活に起因するものかは分からない。
そんな調子で次々と質問に答えて行って、そして……
「……ふむ。ありがとう、大体分かったよ。じゃあ、最後の質問だ」
「はい、なんでもばっちこいですよ」
妙に気合いが入ってるね。と、マーリンさんは苦笑いを浮かべた。
だ、だって……なんだか百本ノックって感じがして…………いえ、野球なんてやったことないですけど。
どれもこれも僕の身体を案じてくれての質問なんだが、そのテンポの良さもあって競技みがあったと言うか……テレビでよく見たクイズ番組っぽくて。えへ、ちょっと楽しかったんだ。
そんなバカみたいな理由で舞い上がっていた僕を、マーリンさんはジッと真面目な顔で…………っとと、いかんいかん。遊んでるんじゃない、ちゃんとやらなくちゃ。
「じゃ、最後。思ったままに、感じたままに答えて……ううん。何も答えなくて良い。見てれば分かるから」
「……? 答えなくて良い……って……っ!」
そう言って、マーリンさんは僕のことをぎゅうと抱き締め…………ほ——ほぁあ……おふ…………はふぅん。
ぎゅうっと抱き締められて、頭を撫でられて…………い、いかん……溶ける……理性が…………バブみ以外の全てが溶けて消えるぅ……
「——っ」
「……うん、これもゆっくり戻していこうか」
よしよし。と、マーリンさんはいつもみたいに甘い言葉を掛けて僕を抱き締める。
それが嬉しくて、恥ずかしくて、気持ち良くて。
そして……懐かしくて、ずっとずっと抱いていた恐怖心がゆっくりと溶け始めた。
「ミラちゃんですらちょっと変だったんだ、君も当然そうだと思ったよ。
お疲れ、アギト。ごめんね、また無理させて。ごめんね、よりもよって僕が君達の敵になんてなっちゃって。
もう大丈夫だよ、ここにいるのは優しいマーリンさんだ。たまに厳しいけど、基本的には優しくて頼りになるマーリンさんだよ」
彼女の言葉にいちいち涙が溢れて、つい昨日まで自分がどれだけ緊張した状態にいたのかということを思い知る。
ずっと……ずっと、怖かった。
マーリンさんが——僕達の大好きなマーリンさんが、すっかり変わってしまって……それが、こっちのマーリンさんにも何か影響があったらどうしよう……って。ありもしない恐怖に怯え続けていた。
恥ずかしい! やめて! って拒むなんて、ちょっと今は出来そうにないや。
「…………っ……マーリンさん……っ」
「うん、マーリンさんだよ。ここにいるからね」
優しくて、暖かくて、甘ったるい。
僕達をずっと守ってくれていた、ずっと甘やかしてくれていた、ちょっとダメな大人のマーリンさんがちゃんとここにいる。
今日だけ……今だけ。これが終わったら、またちゃんと拒むようにするから。
でも……今だけは。
マーリンさんの腕の中で、僕は安心感に包まれながら泣き続けた。まったく……情けない話だけどさ。




