第百五十三話【正義の意味】
しかし難儀なものだ。レイさんはそう呟いて、そしてつるつる頭を抱えて唸り始めた。
呟いたと言っても、元々声の大きな人だから。僕にも当然丸聞こえで、本人もそれを気にしてる様子は無い。
難儀なもの……とは、説明が難しいということだろうか。
大雑把になると事前に言われてるし、やはりそういうことなんだろう。
きっと彼は、話して良いことと話してはいけないこと——そして、話すべきことと隠すべきことを吟味しているのだ。
「……よし! まずは……ふんむ。やはり順を追って説明すべきだろうという結論に至った。というわけで、長くなるが構わんか?」
「はい、大丈夫です。レイさんが差し支えないなら、是非」
そうか。と、歯を見せてニカッと笑う姿は、魔獣を相手にしている時の果敢な姿とは程遠い、無邪気なものだった。
ごほんとわざとらしい咳払いをすると、レイさんはなんだかマーリンさんじみた気取った口調で己の過去を語り始める。
「我らは元々、ここ王都よりそう遠くない街を拠点に魔獣を狩っておった。
それまでは各地を移り歩く冒険者然とした生活だったのだがな、その地は魔獣の数も多く、収入を得るには都合が良かったのだ。
当然、人々に求められたからというのもある」
声が掛かれば、三日歩いた先の野山の魔獣も狩ったさ。と、聞かされる豪快な武勇伝は、その外見とあまりにもマッチし過ぎていて、説得力云々を気にするまでもなく信じさせるものがあった。
元々は冒険者だった……ってのはここか。しかし、その後には……
「そうして魔獣を狩っているとな、あらゆる方面から声が掛かるようになった。
騎士として街に常駐して欲しい、憲兵として遠征に加わって欲しい。
どれも金銭面で非常に魅力的だったが、我らはその地に残ることを決めた。
居心地が良かったというのもひとつ。そして、その街の人々を裏切れなかったというのがひとつ。
根無し草だった我らからすると、そこは最早故郷のような住み心地となっておった」
だが。と、彼は話を一度切る。
ふむ。と、僕の様子を窺って、この先のことがどの程度予想出来ているのかを見定めている感じだ。
まあ……なんとなくだけど、分かってしまったよ。
彼はそれを——その先を、サプライズ性なんて含ませることなく、最初から覚悟させて聞かせようとしてくれてた気がする。
「だが、頼みがあれば断らぬ。その日の我らに舞い込んだ依頼は、遠い山の中腹に住まう魔獣の群れの討伐だった。
人里からは遠くも、しかし貴重な資源が採れるという。
持て囃され調子付いておった我らはそれを受け、敗走など微塵も考えずに突き進んだ。
そして、やはり当然のように勝利した」
山に住む魔獣は非常に獰猛なものだったが、しかし我らの敵ではなかった。自慢げに語るべき武勲に後悔を滲ませながら、レイさんは顔色ひとつ変えずにフゥとため息をつく。
この先に続く悪夢を、僕は知っている。彼らもまた……
「……戦いは三日に渡った。行って帰って二日、準備も含め七日間、街は我ら不在で身を守らなければならなかった。
魔獣の危険が多く、仕事が多いからこそ居着いた街だ。それが危険なことだとは分かっておった。
しかし、それだけで潰れる街でなかったことも分かっておった。
分かっていなかったのは、その街に我らが毒を盛ってしまっていたことだ」
我らの活躍により、その街には冒険者が寄り付かなくなっていた。
皆、食う為に戦っておる。稼ぎをあらかた掻っ攫われるとあっては、誰も街には近付くまい。
また、フゥとため息をついた。
偉丈夫も偉丈夫、オックスやフリードさんよりも更に大きな身体の男でも、トラウマと向き合うのはやはり苦しいらしい。
表情は崩さなかったが、彼の額には汗が浮いていた。
「勝利に酔いしれ街に戻れば、そこは最早人の住むところではなくなっていた。
たった七日、そこで過ごした時間を思えばあまりに短い。
だが、獣が弱きものを蹂躙するにはあまりにも長い。
我らは故郷を失った。家も、財産も、友も。手にした莫大な報酬を持って、我らは途方に暮れたさ」
その時、根無し草が根を切られる痛みを初めて知ったのだ。彼の言葉には、もう悲壮感は無かった。
過去の話、通り過ぎた後悔。マーリンさんがかつての冒険を語ったのと同じ、それはあくまでも過程という位置付けなんだろう。
でも……僕にはそれが凄く苦しいものだった。
僕達は——ミラは、故郷を全て失うという最悪の事態は免れた。
けれど、それでもダリアさんを失って……っ。
それでさえあれだけ痛んだというのに、当時の彼らはどれだけ苦しんだのだろうか。
「その日の後悔を胸に、我らは再び根無し草として転々とし始めた。
だが……どうにもな。一度覚えた味が忘れられず、どこかに腰を落ち着けたくなった。しかし、また全て失いかねない。
葛藤の中で得た答えは、共に並ぶ強き仲間を探すこと。
王都の騎士団に目を付けたのは、そういった自己保身からだった」
騎士として、憲兵として。求められた場で常に戦い続けた。彼の考えはまさしく正解だったろう。
これだけ大きな街ならそう簡単に滅ぼされない。
騎士ともなれば、共に戦い、護ることも出来る。
目の届かないところで……というのは起こり難い。
ゼロとは言わないけど、ずっとずっと安心出来る筈だ。
「そうして武勲を挙げ続け、一時は団長の座に就くこともあった。
だが……そうなった時、我らはその恐怖を思い出してしまったのだ。
共に並んでいた筈の仲間達が、気付けば護るべきものにすり替わっている。
また——全て失ってしまいかねない——と」
勿論、それはただの幻想だ。
皆強い、護らずとも生き残る力がある。
それに、我らに手落ちが無ければ護ることも容易い。そう続けたが、しかし彼はやはり頭を抱えた。
フゥ。フゥ。と、少しため息が増えたのは、ここから先にも苦悩が続くことを匂わせた。
やっと落ち着いた、落ち着ける場所に辿り着いた……って感じなのに。
彼らの強さは、こうまでしても平穏を手に入れられないものだったのか。
「やはり、根無し草には根無し草らしい生活が相応しい。そう考え、我らは騎士団を抜けた。
惜しむ声も多かったが、しかしここは大きな——強い街だ。
ならば、我こそが——と、皆こぞって昇進を望んだ。
そんな頼もしい仲間を見れば、なんとも励まされた気分だった。
そして我らはまた冒険者の身に成り下がる……筈だった」
「……その時、今の仕事に……」
そうだ。と、レイさんはこれまでで一番険しい表情で頷いた。
失った。そして、その恐れから立ち竦んだ。これまでの話は、語られていないだけの多過ぎる武勇伝を除いて、凄くつらくて苦しいものだった。
だけど、ここからは今に繋がる——明るい話に繋がるものだと、勝手に思い込んでいた。
だから、彼のその表情は凄く不穏で、身構えさせるものだった。
「王宮を離れる筈だったその日、我らは召喚された。職務の放棄、契約の不履行ということで、軽い罰則を与えられるという話だった。
それは覚悟しておったし、当然のことだと受け入れた。
だが……違ったのは、その法廷の場に王の姿があったことだ」
王様の……? 召喚という言葉に一度は動揺し、身構えるのを忘れたところに意外な名前を放り込まれる。
そう……か。そうだよな。何も魔術的な意味だけを持つ言葉じゃない。彼らは被告人として裁判に掛けられた……という意味だ。
はあ……い、いかん……変なとこで動悸が……
「償いの形として、我らには三つの方法が提示された。
ひとつ、元の席に戻ること。もう一度騎士団を纏める立場に戻り、責任を全うすること。
ふたつ、罰金を支払うこと。
そして三つ。これは王よりの直接の言葉だった。
騎士団に属さず、個人として王に仕え、戦うこと。
あまりに名誉なその言葉に、舞い上がり……そして、小さな勘違いを抱いてしまった。意味を理解せぬままそれを受けてしまった」
王様に……直接…………っ⁈ お、思ってもみない方に舵が切られたぞ……っ⁉︎
と、ということは……いつも邪険に扱ってるハーグさんも、王様の直属の…………っ!
い、いかん……あの頃の——それも、玉座の間で拝謁する時の王様の姿が脳裏を過る。
こ、怖い……知らずのこととは言え、王様が直接雇い入れた人にいつも…………ぶるるっ。
だが、勘違い……とは……
「そして、我らは自由に飛び回る義務を得た。何処にも属さず、根無し草として戦い続ける責務を。
変わらぬと思っておった。明かせぬ肩書きと、そして安定した収入だけを得て、そしてかつてのようにふらふらと生活するものだと思っておった。
だが、違った」
フゥ。と、一番大きなため息をついて、レイさんは街の中心を——ハーグさんやエルゥさんのいる方をじっと見つめた。
ゆっくりと目を瞑り、穏やかな声でその勘違いというのを説明し始める。
「冒険者として、己を——己と、そしてひとつの故郷を護っていた。
騎士として、その長として、国と部下達を護っていた。
だが、それからの——今の我らは、秩序を護っておる。
法を、善を護る。その意味が、それまでと大きく変わることを知らなかった」
「秩序……法、ですか? でも、それって結局は弱い人を護るっていう元々の……」
然り。だが、それとは少し違う。と、レイさんは笑った。
笑って、僕の頭をばすんばすんと撫でた。撫でられたにしては随分痛かったけど、でも……どこか寂しげと言うか、羨ましそうな目で見られた気がした。
「我らが護るものに形は無い。我らが護るものは人ではない。法を護る、善の在り方を護る。その為に——人を見殺しにすることもあった」
語られたのは、想像していなかった苦しみだった。
悪党を取り押さえる為に、無辜の民が襲われるその時をじっと待ったこともある。
彼らが殺されるのを見届けてから——悪が罪に変わってから、ようやく我らは戦うことを赦された。
簡単な話だ。法を護る、善を護る。その為に、決して罪を負ってはならない。
まだ罪を犯していない悪人を裁く権利は誰にも無い。
故に、罪人になるのを待たねばならない。
例えそれが、護りたかった筈の人々を傷付ける結果になっても。
「勿論、現場に居合わせれば未然に防ぐことも出来よう。だが、それでは悪党は悪党のまま——無罪のまま野放しにされてしまう。
我らの仕事は、悪人を罪人へと貶め、そして裁くこと。
どれだけ嘆こうとも、もう後戻りは出来なかった。
我らは鎖を着けられていたのだ。王という圧倒的な強者によって」
「……っ。そんな……」
だがな。と、レイさんはやっと……やっと、いつもの豪快な笑顔を見せてくれた。
そして、またバシンバシンと背中を……痛いってば!
捥げる! 手足を残して胴体が捥げる! 慣性の法則で胴だけすっ飛んで行っちゃう! 実写版だるま落としなんてスプラッタ、誰も望んで無いよ!
「……だがな、エルゥを見て——ミラ=ハークスを見て。フルトで希望に満ちた若者を見て、我らは救われた。
我らはもう人を護れぬ。だが、代わりに護って行く若者がこうも育っておるのだ、と。
それからだ、ハーグがまた笑うようになったのは」
「……っ! そう……だったんですね。えへへ……なんか、何故か俺が照れくさいですね。ミラちゃんと最近よくつるんでるからかな……?」
だっはっは! と、また頭を撫でられ……ち、縮む……っ。或いはめり込む。
力加減をどうにかしてくれないかなぁ、本当に。いつかどこかの骨が砕けそうだよ、もう。
「だっはっは! 何を人ごとのような顔をしておる! アギトという男にも、我はその希望を見出したさ!」
不思議な男だ。会って日も浅いというのに、まるでその活躍を見た覚えがあるかのように信頼出来る。と、レイさんはわざとらしく目を丸くして、驚いたって顔で僕を見る。
そ、それは……えへへ。忘れてても残ってるものってあるのかな? たまたまかな? あるなら……えへへへぇ。
「さあ、では働くとしよう! 目の届くところならばなんだって護るさ! だーっはっは!」
「だ、だっはっは! 相変わらず頼もしい限りですよ、本当に」
だーっはっは! と、ふたりで同じ笑い方をして、僕達はやっと辿り着いた瓦礫だらけの街外れで、その災害の後片付けに尽力する。
これは、僕が招いた結果だ。
だけど……それだけじゃない。その罪の意識だけで護りたいわけじゃない。
みんなが護りたいものがここにある。だったら……勇者としてまた立ち上がれるように。
僕はハーグ・レイ兄弟が護れなくなってしまったものを、小さな体の弱っちい力だけど、それでも必死に護っていこう。
勿論、アイツのことだって。




