第百四十七話【キルケーさん、ヘカーテさん】
キルケーさんとヘカーテさんは凄く真面目な顔で話し合いをしていた。
僕もすぐ近くにいるのに、ちょっと疎外感を覚えるくらいふたりの問題として悩んでいた。
けれど……それもだんだんと緩んでいって、気付けばふたりとも笑顔であれこれ語り合っていた。
もし……もしも、自分達が思い描いていなかった形での平和が実現するのなら……と。
マーリンさんとの和解……紅蓮の魔女を受け入れるという選択肢を、前向きに検討してくれているらしい。
「……良かったな、ミラ」
まだ……まだ、ミラは起きてこない。いいや、このまま一晩寝たきりでもおかしくはない。だって、いつもそうだったんだから。
起きてすぐに二度寝して、昼寝もして、そして夜もぐっすり眠る。
フルトでの入院生活の間、こいつは一日の三分の二くらいを寝て過ごしてた気さえする。
そして……それは僕の思い込みとか勘違いだと断じられないものだった気もする。
だから……不安は無い。
もし……もしもこのまま目を覚まさなかったら……とか。
もしかして、あの火傷で重篤な症状が出てしまって……とか。そんなことはまるで考えない。だって……
「……すぅ…………すぅ……」
凄く穏やかな寝息を立てて、幸せそうに眠っているのだから。
楽しい夢を見ている……とかだと良いな。
撫でても擦り付いてこないあたり、かなり深い眠りに就いてそうだから、夢さえ見てないのかも。
どっちにせよ、とてもそんな嫌な可能性を感じさせる姿じゃない。
体温も相変わらず高いし、脈も正常だ。
「アギト。ミラちゃん、まだ起きない?」
「ええ……はい。ただの寝坊助だとは思うんですけどね。怪我については完治してる、そして治せないであろう病気や呪いの類も……マーリンさんがそういうのを使うとは思えない。いや……使ってるのを見たことが無いってだけなんですけど……」
そっか。と、キルケーさんはちょっとだけ眉をひそめてミラの頰を撫でた。
きっと仲良くなってみせるからね。と、そう告げて、そしてきょろきょろと周囲を見回して……
「……マーリン、まだ……まだ、あのままかな。早くお話ししたいな。
きっと上手くいく、手応えはあったんだもん。アギトが教えてくれれば、あたしにも攻撃は防げるし。あとは時間さえ掛ければ……」
「…………アレ、本気でビックリしましたよ。まさか……はあ。折角の…………折角の俺の見せ場が…………」
えへへー。と、キルケーさんは笑って、そして僕の手をぎゅっと…………きゅん。かわええ…………じゃなくて。
今回の件、キルケーさんには色々驚かされっぱなしだなぁ。
そもそも作戦を受け入れたとこ…………なんなら即決で、むしろ僕達を引っ張ってさえいたとこも。
そこにも驚かされたし、それにマーリンさんを前にしてそれを貫き通したのもとんでもないことだ。
怖さもあるし、許せないって怒りもある。
でも、仲良くなるって方針を貫き通した、通し切った。
一度も反撃しなかった、背中を見せることもしなかった。
この事実は、次以降にも良い影響をもたらす筈だ。
そして……それを可能にした、完璧な結界魔術。
多分、そういうものは知らなかった筈だ。事実、イチから組み上げた感じは無かった。
あくまでも陣の結界を真似しただけ、だから無効化されるのが分かってる逆噴射も一応残されていた。
「いきなりであんなポンポン成功させて……うう……結構大変な、シビアな判定だと思ってたのに……」
「はんてい……? よく分からないけど……えへへ。何回も見てるからね、あのくらいは出来ないと」
でなくちゃとっくに死んでたよ。とでも言うのだろうか。どうやら言うつもりらしいな。
けど……にこにこ笑ってそれを喉まで吐き出して、そしてちょっと寂しげに俯いて飲み込んでしまった。
「……本当に……本当に殺されると思ってた。いつもいつも——ううん、さっきだって。マーリンはいつだって、本気であたし達を……みんなを殺すつもりでいた。
それが……もし、マーリンの望みじゃなかったとしたら……っ」
「…………アギト、ちょっと良いかしら。私達には私達なりのやり方もある。その……あんまり聞かせられない話もするだろうから」
と、言いますと……? 察しの悪い駄目男にもため息ひとつつかず、ヘカーテさんはキルケーさんの手を引いてどこかへと歩いて行った。
どこかへ……うん、すぐ近くだったわ。大きな木の陰、小さな崖の下にある洞窟へとふたりは入って行く。ああ、なるへそ。
「……僕には聞かせられない話……か」
がさつな解釈をするなら、マーリンさんの悪口といったところか。
この作戦の穴、問題。“マーリン“という存在を本当に肯定すべきか否か。
僕がすぐ近くにいたんでは出来ない話を、ふたりっきりでゆっくりとしなくちゃならない。
それは、部外者である僕達の踏み入れない領域だ。この世界の未来……キルケーさんとヘカーテさんの未来の話。
「……どんな結論を出したとしても……」
受け入れなくちゃいけない。
もし、ヘカーテさんがやっぱり無理だって言ったなら、その時は僕とミラだけでマーリンさんを説得しよう。
そして……上手いこと手懐けられたら……っ。
油断しきってくれていれば、きっとふたりの力なら殺せてしまえるだろう。
その時は…………ミラは遠くへやっておこう。
遠く遠く——そうだ、先に人里を探させておこう。
全部見届けて、それから何食わぬ顔で合流して。そして時間切れを待つ。
この世界を救う為には——ミラを救う為には、僕の満足を優先してはいけない。
仲良くなるのが最短ルートだとは思ってるけど、心理的に受け付けないとなったら強要は出来ないからね。
「…………はあ。ふいぃ……ああもう、豆腐メンタル……」
ばくんばくんと鼓動が大きくなる。ああ……もう……本当にメンタル雑魚、へなちょこだなぁ。
仮定の仮定、それもかなり薄そうな可能性だ。
それでも……それでも、自分があの人を殺す算段を立てなくちゃならないと考えると……っ。
ばくばくと脈は早くなる一方で、嫌な汗もそこら中から滝のように流れ出した。落ち着け……落ち着けバカアギト……っ。
「……こんなんじゃ……もしそうなった時、すぐにミラにバレるだろうが…………」
この心配だってそもそもよく分からない。
仮定の仮定の心配の更に後の心配とは、本当に僕は何をやってるんだ。
でも……今のうちにビビっておく方が良いのかなぁ。いざって時に震え上がってしまったら問題だしさ。
いやいや……だから、そういうネガティブ思考こそがビビリの原因であって…………
「…………聞かせられない……ってのは、僕にとって嫌な話……ってことなわけで」
別に、聞かれたくない話とは言ってないもんね……?
ごめん、ふたりとも。気が気じゃないと言うか……このままだとネガティブ脳が勝手に暴走して死にそうだから、聞き耳立てさせて。
ミラを背負って崖から身を乗り出して、そして中の様子を慎重に窺う。
け、決してやましいことをしているわけでは…………っ。
「……笑い声……?」
聞こえてきたのは、平和そうなふたりの声だった。
平和そうな声……という表現、どうなんですか……? でも、そう言う他に無い。
キルケーさんがふにゃふにゃ笑ってて、ヘカーテさんもそれを咎めない。
やっと再会出来た仲良しさんが、その嬉しさに酔いしれているって感じ。
平和も平和、嫌な話なんてひとつもしてなさそうな……
「……ねえ、キルケー」
「うん……? えへへ、しょうがないなぁ。おいでおいで」
おいで……? えっ⁈ お、思ってたより平和な…………ピースフルな——ラヴエァーンピィースな空気が満ちてます——っ⁉︎
大急ぎで——けれど音を立てないように位置を変え、僕は洞窟の中をじっと覗き込んだ。
ちょっと遠いから見えづらいけど…………いや、これ以上は危険だ。
ここはちょうど木陰、それに草も茂ってて向こうからは見つけられないだろう。ここで……ここで現場を張るぞ…………っ。
「よしよし……えへ、これも久し振りだね」
「……ん……そうね」
キルケーさんはにこにこ笑ってヘカーテさんを抱き締め………………否——っ! 否! 断じて否である——っ!
ごほん、失敬。わたくし、気高い厄介オタク——それも面倒なカップリング厨かつ百合厨ですので。現場はしっかりと——厳格に精査させて頂きます。
これは——キルケー×ヘカーテ——っ!
キルケーさんが嬉しくなって抱き着いているわけではい——っ!
ヘカーテさんから——ヘカーテさんから甘えているのだ——ッッッ‼︎
「ふふ……寂しかったよね。あたしも寂しかったよ。怖かったし、つらかった。でも……絶対生きててくれるって信じてた」
「…………当たり前じゃない。今までだってずっとそうだった。これからだって……ううん。これからは……きっと、そう遠くない先には、逃げ回る生活なんて必要無くなってるかもしれないけど」
キルケー。と、甘えた声を出して…………むふふ、でゅふ。どうやら、依存度が高いのはヘカーテさんの方だったらしい。
けど、どう見ても……だ。どう見ても…………どこからどう見ても、ヘカーテさんが受けだ————ッッッ‼︎
うふふ……いつも気丈に振る舞ってる、クールなヘカーテさんの方が、子供っぽいと思ってたキルケーさんにベッタリで……でゅふ。
そして、抱き締められて撫で回されて……好き勝手されるがまま、幸せそうにそれを受け入れているのもヘカーテさんで。
というわけで、キルケー×ヘカーテです。異論は認めない。
逆転…………も、無しじゃないかな。
たまには張り切って……みたいな、ね。うふ……ふふ…………デュフフ、コポォ。
「よーしよし。えへへ、やっぱりヘカーテもあったかいなぁ。そんなとこにいないで、アギトもおいでよー」
「————ッッッ⁉︎」
————ッッッ⁉︎ バレてた————ッッッ⁈
ば——バカな——っ⁉︎ 僕の潜入は完璧だった筈だ——っ!
事実、ヘカーテさんは全く気付かなかった…………のは、キルケーさんに夢中だったから……か。
でも、大慌てでキルケーさんから離れてキョロキョロしてる今も僕を見つけられてない。
だ、だとしたら……このままここに隠れてやり過ごせば、ヘカーテさんの自尊心を傷付けずに済む……?
この尊い百合ップルを刺激することなく…………
「……? おーい、アギトってばー? あ、話なら終わったよー。だからもう大丈夫だよー」
——違うでしょうが——ッッッ‼︎
キルケーさん……貴女……貴女って人は…………っ。
大声で呼ばれて、そして手まで振られて。流石にヘカーテさんも僕の存在に気付いてしまったらしく…………顔を真っ赤にして洞窟の奥へと逃げてしまった。
ああ…………ああぁ……っ。楽園が……百合の園が…………っ。
「あれ、ヘカーテ……? みんなで一緒の方があったかいのに。みんな一緒の方がきっと怖くないし、安心するよね……? うーん……」
「…………キルケーさん…………」
違うんだよ……っ。
ヘカーテさんはね…………ヘカーテさんは、キルケーさんとふたりっきりでイチャイチャしたかったんだよ(断言)——っ!
当然だろ! だって……だって…………っ。
しかし、覗き見がバレてしまっては致し方が無い。
ミラをおぶったままゆっくりと洞窟へと向かうと、両手を広げて満面の笑みを浮かべるキルケーさんに迎え入れられた。
違うんだ、違うんだよ。こう……アレだな、貴女。やっぱりあの人に……
「…………この…………このバカ——っ! おバカ! 鈍感!」
「へっ⁈ な、なんで怒られてるの……?」
百合がどうとかはこの際置いておいて(賢者タイム)————っ!
あんなべったべたに甘えてるとこ見られたら、恥ずかしがるに決まってるでしょうが——ッッ‼︎




