第百三十六話【最初から見えていた答え】
僕達が降り立ったのはこれまた辺鄙な場所で、山と山の合間……谷と呼ぶほど深くはないが、周りからは見つけづらい窪地の村跡にやって来ていた。
さて、まず真っ先に確認すべきことは……
「……ミラちゃん。その……つらいことを言わせるようだけど……さ。あの時、あの場所で。確かにあの人は……」
「……はい、間違いなく。間違いなく、亡くなってました」
だよ……な。
手は石みたいに冷たく、そして硬くなってしまっていた。それに、脈も無かった。
仮死状態……だった、のだろうか。もしそうならば、それはどうして?
そんなことがどうして出来るのか、と。
そして、そんなことをどうしてしたのか、という疑問が湧いてくる。
いや……そもそもとして……
「…………あのマーリンさんの目的はなんだ……っ。フィーネもザックも……あると思ってた目的らしいものは、全部あの人の側にあった。じゃあ……何かを探してるわけじゃなくて……?」
どうして……どうして、あの紅蓮の魔女は暴れているのだろうか。
虫の居所が悪くて、ただ八つ当たり気味に周りのものを壊しているだけ……ならまだ話は早い。
そうなら、引っ叩いてふん縛ってお説教するだけだ。
でも……そうじゃない気がする。本当に予感じみたというか、直感じみた…………ううん。これはもう、盲信じみた考えかもしれないけど……
「……あれがマーリンさんなら、意味の無いことはしない筈なんだ。闇雲に攻撃してるわけじゃない、必ず何かの意図が……」
頭を抱える僕とは対照的に、キルケーさんはちょっとだけつらそうな顔で翼を労っていた。
ああ、ごめんなさい……かなり負担を強いてしまいました。バカミラ、ちゃんと謝りなさい。
どうやら、受け身を取った時の急減速、そして高圧によって制御不能に近い状態で吹き上げられた時に痛めてしまったらしい。
それでも僕達をこんなとこまで運んで来てくれて……
「……キルケーさんにこれ以上は無理させられない。それに、ミラちゃんの言う通りなら……もう、結界も通用しないと考えないと。となると……」
「派手には動けないね、これじゃあ。うう……ヘカーテがいてくれれば……」
ヘカーテさんは治癒魔術か何かを使えるんですか? と、そんな僕の問いに、キルケーさんは目を伏せたまま首を振った。
ただ単に、この人にとってヘカーテさんがそれだけ頼りになる人物だというだけの話……みたいだ。
まあでも、それは咎められない。僕達にとってのマーリンさんに近いものがあるんだろうな。
「……状況は悪いですね。こちらはもう満足に戦えない……いえ、逃げることもままならない。唯一の対抗策も、まず間違いなくネタが割れていることでしょう。
それに、そういうものとして——面白い術を使う、興味を向ける価値のあるものとして認識されてしまったかも。
これならまだ、何も知らなかった頃の方がいくらかマシと言えます。ですが……」
悪くない点もいくつかあります。と、ミラは随分余裕な顔でそう言った。
正直、僕にはそれが——その反応が意外だった。
もっと凹んで、そして立ち直れないくらい塞ぎ込んでしまうかとさえ思っていたのだが。
僕と同じように、諦めてしまって吹っ切れている……ってこと、無いよな……?
「まずひとつ。あれだけの強大な力、そして絶望的な状況を迎えたにも関わらず、私達は誰ひとり欠けることなく逃げ延びられました。
誇る相手もいませんが、俯かずにいるには十分な成果でしょう。
そしてもうひとつ。この世界における終焉の形が、未だにまるで見えないことです」
終焉の形が……?
うん、えっと……ひとつ目は分かる。
文字通り、マーリンさんを敵に回している状況だ。こんな中で無事に生きていられている時点で、それはもうちょっとした奇跡に等しい所業だろう。
あのポンコツふわふわマーリンさんじゃない、本気も本気で僕達を殺しに掛かってる魔女のマーリンさん……ええっと、それならドロシーさん……のが良いのかな?
ともかく、それは分かる。けど……
「……あの……? 終焉の形がまるで見えない……は、とてもマズイ状況だと思うんだけど……」
「はい、マズイですね。でも、だからこそ前を向ける理由にもなります」
どこら辺が……?
ごめん、どう擁護してもそれはネガティブな意味しか持ってないと思う。
ゴールが見えない。それどころか、どっちに走ったら良いのかも分からない。
あれか? 今までもそうだったから、むしろこの方がスッキリする……とか。そんなボケたこと言いださないよな、お前……
「私達がすべきこと。それは、滅びを食い止めることではありません。
ひとつ目の世界。あの大雨と、そして冠水——島が水没する程の水量を、私達がどうにか出来る筈がありませんでした」
同様に、生物の在りようの変化に介入してしまうことも不可能でしょう。と、ミラはそう続けた。
それはこれまでの失敗の記録。すべきことではないとされた、食い止められなかった滅びの形だ。だけど……
「ちょ、ちょっとちょっとっ! それ諦めたら全部おしまいだよ⁉︎ そりゃ……無理難題だとは思うけど……」
それをしなくちゃならないんだ。
無謀なハードルだなんてのは最初から分かってた……つもりだった。
実感を得たのはひとつ目の失敗を受け入れた時だけど、それでもやらなくちゃならない理由もある。
ミラだってそれは分かってる。むしろ、個人的な理由でやってるわけじゃないミラの方が、その責任感は大きいと思っていたのに……っ。
やっぱり……やっぱりコイツ、もう折れて……
「いえ、諦めるわけではありません。少し……気を張り過ぎていたと言うべきでしょうか。いいえ、もっと……もっと単純な話。
私達は、まだまだ謙虚さが足りていませんでした。マーリン様にまた選んで頂いて、そしてその使命感に浮かれてさえいたのです。私達がすべきこと。それは、滅びを食い止めることではなく——」
——終焉を回避することだった筈です。と、ミラはそう言った。
えっと……? 一緒では……? と、僕の言いたいことをすぐに察知したらしく、ミラはどうにも気合い十分って顔で拳を握りしめた。
「あの洪水に対しての正しいアプローチは、それを防ぐのではなく、冠水後にも生存出来るようにすることでした。
では、人々がみんな獣になってしまうのならば、どうしたら良かったでしょう。答えは明白、どうしようもありません。
たとえ私達が一生をあの世界で過ごしたとして、その変化は私達の死後にもゆっくりゆっくりと進行するでしょう。
なので、あの世界ですべきことは——人の足跡をしっかりと刻み付けることだったんです」
「人の…………な、なんて?」
ちょっと何言ってるか分からない。
なんだか壮大な話っぽいが…………ご、ごめんね? あの……それってさ、結局…………結局、あの世界は救いようがなかった……って……
「長い時間を経て失われるものがあるのなら、同じだけの時間を掛けて積み上げることも出来た筈です。
そして——賭けるんです。いつかまた、今度は逆に獣の中に人が生まれ直す日に。そんな未来に、遺すべきものをしっかりと遺す。それが、あの世界でのすべきことだったんです。
いえ……それをするには、とても時間は足りませんでしたが」
「えーっと……あのさ、ミラちゃん。イマイチ話が見えてこないと言うか…………ごほん。端的に言うね?」
マーリンさんに毒され過ぎだよ。僕のそんな言葉に、ミラはなんだか一瞬だけ嬉しそうにして…………そして、やっとその意味が分かったらしくて、むうと膨れて僕の腕をペチペチと叩き始めた。
こらこら、拗ねない。キルケーさん置いてけぼり食らってるから。早いとこ説明して、分かりやすい言葉で。
「むぅ……アギトさん、風情が無いとか言われませんか? もう……ごほん。
そうですね、短く纏めるのならば…………この世界に訪れるであろう——いえ。既に訪れ、真っ只中にあるであろう脅威を、私達は上手くやり過ごせているのです」
「……えっと……それって、マーリンさんの……」
はい。と、ミラは胸を張って頷いた。
この世界には、もう既に滅びがやってきている……と。
それは、マーリンさん——紅蓮の魔女という形で目の前に現れていて、そして僕達はそれから上手に逃げられている……と。ええと……?
「……つまり…………このまま逃げ続けていると…………?」
「はい、その可能性は高いです。いえ、より正確に言うのならば……このままここにあの方を縛り付けにすることで、他の場所にその滅びを迎えさせずに済むのです」
キルケーの言うように、遠く離れた場所にまだ人々が生きているのなら……ですが。と、ミラはそう付け足したが、それについてはまるで疑っていないみたいだった。
うーんと……ちょっと腑に落ちないし、軽く屁理屈と言うか……こじつけも甚だしいけど……
「……確かに、そうすると……一応、滅んでないことにはなる……のかな? えっと……? でも、終焉の形が見えない……って言い方したのには、多分……意味が……あるよね? どうせその、マーリンさんの悪癖を……」
「あ、悪癖だなんて言わないで下さい! それも言葉の通りです。
今までと違い、アレコレと悩む必要が無いですから。可能性を探るまでもなく、間違いなくマーリン様の力が人々を滅ぼしています。ですが……」
こほん。と、小さく咳払いして、ミラはキルケーさんに気を払いながら、聞こえないように小さな声で僕に耳打ちした。ここら一帯に人がいないのですから、これ以上滅びようがありません。と…………お、お前……
「……そ、そんな形だけ枠に収まれば良しみたいな考え方…………っ」
「で、ですが事実ですっ! あの方はどうやら外に——遠くに行くつもりはないようですから。少なくとも……私達がここにいる限りは」
………………ん? なんだろう、寒気がした。なんでだろう、すっごく嫌な予感がするよ?
ぶるぶると体を震わせていると、ミラはどうやら僕の考えたことを察してくれたらしい。
物凄く苦い顔で、そしてやる気に満ちた目で。また、ずいと顔を寄せて、そして小さく小さく耳打ちをする。




