第百三十五話【そういうものだから】
轟音と熱を伴う推進力はやがて失われ、そして僕達はごつごつした地面に転げ回った。
いいや……僕だけが、ごろごろと不恰好に転げて受け身をとった。
キルケーさんはそう広くもない空間に翼を広げ、パラシュートのように急減速して着地した。
相変わらず身軽なミラは、何度も地面を蹴るようにくるんくるんと回転して、そして入口の方から目を切ることなく両足で地面を掴んだ。
うう……ちくしょう……この子達なんでこんなかっこいいの……
「……ボケてる場合じゃない……な。さてと……どれから整理しようか……」
しかし困り果てた。
どの程度困っているかと言うと、もうボケるくらいしか出来ることがない状況だ。
最悪も最悪、詰んでしまった可能性さえある。
僕達が今いる場所は、後方に小さな吹き抜けがあるだけの行き止まりの洞窟。
そしてその入り口には、どういうわけか復活した紅蓮の魔女がいる。
さてさて……そもそも、どうしてあの人がいるのかというところにも混乱と恐怖があるんだけど。
「……死んでなかった……って、そう考えるしかないよな。或いは生き返ったか、別の紅蓮の魔女が存在したのか。なんにしても……っ」
今度もまた、最大級に厄介な敵として立ちはだかるつもりのようだ。
はあ……い、意外と冷静……だよな? そう、意外と冷静に考えられている、気がする。
心臓はまだバクバクしてるし、冷や汗なんて通り越して全身凍り付いたみたいに冷たい。てかもはや痛い。
落ち着こうと深呼吸をしても、むしろ過呼吸になりかけて手足が痺れだしてしまう。
さあ……この最悪に等しい状況で生まれる冷静さって言ったら……それはつまり……っ。
「——っ。諦めんな……諦めんなバカアギト……っ。なんとか出来る、助かる。こっちにも凄いのはふたりいるじゃないか……っ」
つまり……僕の頭はとっくに諦めてしまっているということだ。
正直、どれだけ考えても苦しい。
根本的な話、紅蓮の魔女がまた僕達の前に現れたという問題。
それは……つまり、ミラの戦闘不能が長引いたという話だ。
勿論、最初からアテにはしてない。今回はもうダメだろうと、本物のマーリンさんに会ってケアして貰うまでは戦うなんて無理だろうと。
けど……九分九厘と言わず、九割九分無理だと思うってのと、百パーセント不可能とじゃ意味が違ってくる。
あの人じゃない、また別の脅威が現れたなら……と。
その時は、もしかしたらミラの中の勇者としてのプライドが底力を引き出してくれるかも……とか、考えて縋ってしまわなくもない。
けど……もう、それも望めない。
「……アイツ……っ。なんで……だって、死んでて…………っ」
動揺はキルケーさんにすら見られた。
僕達とは違う、純粋に死者の復活という異常への恐怖だろう。
けれど、それですらとてつもない不安を生んでいる筈だ。
もう……僕らには縋るものさえ無いのだ。そうなると、弱い人間は諦めてしまう。
期待や希望が持てない以上は、どんなに強い言葉を口にして鼓舞してみようとも…………心は…………っ。
「…………アギトさん、キルケー。奥に進みましょう。吹き抜けをぶち抜いて、そこから脱出します」
「……ミラちゃん……」
意外なことに、マトモに考えを口にしたのはミラだった。
奥へ進み、そして吹き抜けの穴を広げて逃げ出す。成る程当然、道理も道理だ。けれど……
「急いで、ふたりとも! 追い掛けて入ってくれば良いけど、このまま蒸し焼きにされたら抵抗のしようもない!」
ミラはそう言って僕達の手を引っ張って歩き出した。
真っ暗で何も見えない中を、何の躊躇も無く突き進む。
その手は……凄くあったかくて、力強いものだった。
「ミラ……ちゃん……? だ、大丈夫……なの……? だって……だってまた————」
「——はい! 流石、マーリン様です。どれだけ変わろうと……いいえ、世界さえ隔てようと、やっぱりあの方は無敵なんです!」
それはある意味当然の喜びだったのだ。
ミラは、またマーリンさんが敵として立ちはだかったことへのつらいよりも、死んでしまったと思っていたあの人がまた現れてくれたことへの喜びだけでいっぱいだったのだ。
純粋もここまで来ると……いや。
「あの方がマーリン様であること、そしてこれまでの傾向から……すぐに攻撃して来る可能性は低いですが、しかしゼロではありません。なので、今はとにかく急ぎましょう」
「わっ……とっ……とっ。ま、待って⁉︎ 俺達は足下見えてないから! って言うか……」
この先の吹き抜けをフィーネに知られている以上、そっちで待ち伏せされる可能性は無いの? そんな僕の問いに、マーリン様はそんなことわざわざしません。と、なんだか誇らしげにそう答えた。
そ、それの何がそんなにかっこいいのだ……
「マーリン様の作戦は、いつだって王道です。いえ、たまにセコイものもありますが…………ごほん。今回に限っては、全くその必要がありません。
マーリン様は、私達を追い掛けて殺そうというつもりは無いのです」
言い切ったね。結構怪しいラインの話をすっぱり言い切ったね、貴女。
その根拠はどこから……なんて尋ねる暇も無く、ミラはずんずんと奥へ……だ、だから! せめて明かり点けて!
「……そうするつもりなら、私達はとっくに殺されています。興味を持ったから追い掛ける。近くにいるから攻撃する。しかし……いいえ。やはり、このふたつよりも優先度の高い行動原理があるんです」
「優先度の高い……えっと、それは……」
確かにそれは考えた。
人格を——あの紅蓮の魔女から失われている、マーリンさんらしいポンコツさを取り戻そうとしているのではないか。探しているのではないか。
そう考えて、それらしいものを見つけてこの洞窟まで追い掛けて来たのだ。けれど……
「そ、そのフィーネなら……って言うかむしろ大本命のザックが一緒に……」
「いえ! そうではありません! もっともっと単純で、もっともっと崇高で。そして——」
最もマーリン様らしい行動原理です。と、ミラはそう言って、そして立ち止まった。
どうやら目的地に辿り着いたらしいことを、僕は頭上から射し込む細い光から察した。
そして同時に、この上に空いている吹き抜けがどれだけ狭く、そして長いものかということも、そのか細さから思い知った。
「……これじゃあ、上をぶち抜くなんて……」
「はい。私の力では……いいえ、キルケーの力を借りても不可能でしょう」
な、ならなんでそんなの余裕綽々なのよ⁉︎ うっすら光が差し込んでくれているおかげで、その勇者の浮かべる表情が目に見える。
ああ……あり得ないぞ、こいつ。このバカ……なんでこんな時に笑って……
「——マーリン様の考えること。この状況、これまでの経緯。あの方は必ずこの解に辿り着きます。だってあの方は——世界一の魔術師なのですから——っ!」
そう言うとミラは僕の手から陣の刻まれたスクロールを奪い取り、そして僕達の前に一歩踏み出した。
それがどういう意味かなんて考えるまでも無いし、そして同時に——それがミラの言うマーリンさんらしい行動原理というものを強く示していることなんて————
「————ッ————」
————グバ——ッ! と、輝きと、熱と、そして物凄い圧力が僕達を襲った。
今までにない威力の火炎魔術が——熱が————空気の膨張が、この逃げ場の無い洞窟内にぶち撒けられたのだ。
そう、この場においては凄く単純な話だったのだ。
あれはマーリンさんだ。そうだ、マーリンさん。
究極の“術師”のひとり。
極めた筈の術が通じない、それどころか逆用されてしまっている。
そうと分かれば、当然反発心よりも好奇心からそれを知ろうとする。
であれば————
「————キルケーっ!」
「——任せて——ふたりとも!」
僕達はまた、キルケーさんに抱き締められて宙を舞う。
飛び出す先は————たった今出来たばかりの噴火口。
結界陣を起動し、そしてミラはその吐き出し口を自らの頭上に向けたのだ。
不明に出会えばそれがなんであるのかを詳しく知ろうとする、その限界値を知ろうとするという術師の習性を利用して、この分厚い岩盤を一撃で貫いてみせた。
「うわ——うわわ————うわぁーっ⁉︎」
ふわりと宙に浮かび上がったと思ったら、キルケーさんはなんだか間抜けな声をあげながら、物凄い勢いで上昇を始めた。
ちょっ、まっ…………ひえっ。
さながら絶叫マシンのような急上昇に、僕の心臓は水をかけられた綿みたいに縮み上がった。
「気を付けて! 今の爆発と、それに無理矢理こじ開けた所為で圧力が上に抜けてるから! 上手く上昇気流に乗れれば、きっと大丈夫!」
「そ——そういうことはもっと早く——もおおっ! ミラちゃんのそういうとこ——」
——ヘカーテにそっくりだよ! と、なんだか分からないが、キルケーさんは憤慨しながらも僕達を落とさないように全力で舵をとってくれた。
み、ミラさん……どうして貴女は…………いえ。貴女達師弟はそうも一言足りないのですか。
僕にもやっぱり一言欲しかったよ、キルケーさんは当然としてもさ。だって……
「…………ひゅぃ——」
さっき火口と例えたのは、我ながらよく出来たシャレになっただろうか。
僕達は文字通り、焼けて砕けた岩と、そして炎とともに小さな穴から飛び上がった。
当然————飛び上がった溶岩は降り注ぐわけで————
「——ミラちゃんのバカ————っ! うわぁあん!」
「が——頑張って! 頑張ってキルケーっ!」
僕はもう、意識を保つので精一杯だった。精一杯だったけど……見届けたよ……っ。
降り注ぐ火山弾と噴き上げる熱風の中を、必死に飛行するキルケーさんの勇姿を。
そして……どうやら、本当にマーリンさんは待ち伏せしていなかったらしい。
石飛礫と炎と煙に紛れ、僕達はまたしても不格好な脱出に成功したみたいだ。




