第百三十四話【銀の翼・後】
フィーネ……に、瓜ふたつなフクロウを追い掛け始めて数分もすると、キルケーさんはその後に続いて着陸態勢に入った。
当然また……死————っ⁈ 上空でロクに身動きも取れないまま、ホールド感だけが失われて……もう、マジで心臓に悪い。
何回か意識を失いかけながら、僕は無事地上へと帰って…………じゃなくて。
「フィーネ——っ。やっぱり、間違いない。あの子は……」
降り立った……もとい、降ろされたのは、山の中腹——洞窟の目の前だった。
当然、フィーネがその奥へと入ってしまったから。
フクロウ……鳥目……などなど色々聞きたいこともあったが、フィーネもフィーネでよく分かんない特別なフクロウっぽかったし。
「……でも、本当になんでフィーネなんだろうな。マーリンさんから切り離された力……って意味では、ザックが出てくるのが当たり前だと思うんだけど……」
フィーネ? ザック? と、キルケーさんはなんだかわくわくした顔で僕達の話を聞いていた。どうやら動物は好きらしい。
けれど、そんな楽しそうな彼女には申し訳無いが、フィーネの出現はイマイチ腑に落ちない。
あの人から何かが失われているのなら——別離したのなら、やはりそれはザックって形で……
「……考えられる理由はいくつかあります。そもそも、ザックはあの方の魔女としての力でしたから。その……そういう話、アギトさんも聞いていらっしゃるんですね」
あ、うん。
そういえばこの話って、あの時あの山でされたっきりなのかな。オフレコだったかも。うん、多分言いふらしたりしないだろうな、あの人。
一応ね。と、それだけ伝えて、詳しい事情は知らないけど、なんとなくの経緯は把握してる人って雰囲気を出してみる。出せてるのかは知らない。
「……切り離したのが人格——つまり、マーリン様の人間的な部分であるとしたら、ザックの姿は逆に相応しくないものでもあります。或いは、魔女としての力の全てを残したままだから、ザックはまだあの方の中にいるのかも。
そして……元も子もない話ですが、私達の知るマーリン様と違う点があってもおかしくない……ですから」
「う……そっか、そうだよね」
ミラは、あの紅蓮の魔女はマーリンさんではないと、どうしてもそう割り切れずにあの人の死を悲しんだ。
けれど、頭では理解出来ているのだ。
理解出来ていることと受け入れられることが別というだけ。
そう、あのマーリンさんは僕達の知るマーリンさんではない。
となれば……そりゃ、ザックとフィーネにも差異があって然るべきだろう。そうなるとさ……
「……手掛かりかどうかも怪しくなっちゃうね。いや、そんなこと言い出したら……」
「そうですね。毎回のことですが、あまり穿った考え方をし過ぎると泥沼です。違うと判明してから考え直すくらいでちょうど良いのでしょう」
ミラはそう言ってフィーネの後を追い始める。
僕もそれに続き、キルケーさんも目をキラキラ輝かせながら付いて来てくれた。
あの……ごめんね。一応、安全と決まったわけじゃないのよ……?
まあ、その……紅蓮の魔女本人はもういないし、その分体であるフィーネには恐らく危険な力も無い……筈。
正直僕も気が緩んでるところあるし、十分に警戒して……ってのが難しいのは分かるけど。
「……ミラちゃん、匂いで何か分かったりしない? それと……うう、これだけ暗いと俺達には……」
我ながらなんて情けないことを言ってるんだろうか。けど、頼れるものは頼れるのだ。
いつだって頼りにして来た、それに本人も頼って欲しがってるし。
だから、ここは素直にその野生じみた能力に甘えてしまおう。
僕の問いに、ミラは小さく首を振って……そして、困った顔で首を傾げた。
「……匂い……は、するんです。けれど、それはフィーネのもの……だけでしょうか。それ以外の匂いがしません。いえ、ここにフィーネが初めて訪れたというだけの可能性もありますが……」
ここには何の生き物の匂いも染み付いていないのです。と、ミラは困り果てていた。
てことは……僕達の接近に気付いて逃げ込んだ……ってこと? そう尋ねると、可能性は十分に。と、ミラはしょんぼり肩を落とした。
「フィーネは賢い子でしたから。それに、危機が迫れば自力で逃げ延びるだけの能力もありました。それは、魔獣が跋扈する危険な世界においての話です。
うっかりしていましたが、かつて私はフィーネを探し出せなかったのです。いくつも痕跡があって、それに怪我もしていた様子だったのに……」
「……成る程。となると、完全に騙されてしまった可能性が高い……か」
はい。と、もう顔もロクに見えない中で、ミラはきっとすごくしょんぼりした顔をして答えたのだろう。
そういえばそんなこともあったな。結局、最後の最後——ユーリさんのところにフィーネは匿われていた。
囚われていた……って感じじゃなかったよな。うん……多分、ユーリさんと一緒にいたんだろう。
その存在を、マーリンさんもミラも全く見つけ出せなかったのだから、相応に外敵を振り切る能力を持っている……と。
「………………ってなるとさ。ここに入っちゃったのって……」
「…………マズイかもしれませんね」
ミラは大急ぎで火球を灯し、そして自分達の進む先を——進もうとしていた先を照らし出した。
そしてじーっと奥の方を睨み付けると、やはり……と、言わんばかりに首を横に振った。
「この先、どうやら吹き抜けになっているようです。けれど……その出口は狭い、私達では通れるかどうか。フィーネはこちらの姿形も把握して逃げていたみたいですね。まったく……」
「あはは……ま、マジか……そんなに頭良いのかよ、アイツ……」
戻りましょう。と、ミラは踵を返して走り出した。
なんだか話を理解出来てないよって顔でキルケーさんは説明を求めるが……うう、どう説明したものか。
「どうもこうもないわ。私達は騙されたの、フクロウに。ただの鳥に、罠に嵌められたのよ。どうなってるのよ、まったく」
「へー。そんなに賢いんだね、フクロウって」
おや、フクロウを見るのは初めて? いえ、初めてじゃなかったとしても、こんな知恵比べみたいなことするのは間違いなく初めてでしょう。
やっぱり……フィーネも何か特別な個体なんじゃないだろうか。
ザックが魔力——戦闘力を切り離した姿だとしたら、フィーネは……………………かしこさ……かな? ほら、マーリンさんっていつもポンコツだし。
あのポンコツさの原因は、そもそも持ってた聡明さをフィーネって形でいくらか切り離してしまったから……とか。
「アギトさん、ボーッとしないでください。危険な魔獣がいるわけではありませんが、注意はしておいて下さい。
ここまで見かけなかっただけで、魔女という概念が存在する以上は、魔術的な生命が他にいてもおかしくないのですから」
「ご、ごめ…………な、なんでそんな怖いこと言うの……?」
ミラは何も言ってくれなかった。
それは……それはつまり、あれか? ガチか?
ボサッとするなと戒める為にでっち上げた言葉ではなくて、本当にあり得る話として…………ぞぞぞっ。い、いかん……もう泣きそうになってきた。
「キルケー。外に出たら、全速力でさっきのフクロウを追って。もう気付かれないようになんて配慮はいらない。追い付いて捕まえるくらいの気持ちで」
「分かった。捕まえちゃうんだね」
こくんと頷いて、そしてミラは火球を萎ませる。外からの光で足元が照らされ始めたのだ。
もう照明は必要無い、ここからはただ全速力で————
「————嘘——だろ——っ⁉︎」
————バサッ————と、力強い羽ばたきが聞こえてきた。
それは、あの小さなフクロウのものではない。大きな大きな————それこそ、キルケーさんやマーリンさんのような魔女のそれよりも大きなものだった。
入り口から差し込んでいた光が、半分くらいその影に覆い隠されてしまう。
とても大きな——それこそ、僕達三人が並んでも敵わない程大きな翼を広げたシルエットが、僕達の行く手を阻むように————
「————ザック————っ!」
————ホロ————と、低くて短い鳴き声がして、そしてその姿は光に照らされて鮮明なものになる。
暗い洞窟の中から飛び出した僕達には眩し過ぎる程の銀色が——その細かな羽根が、キラキラと光を浴びて虹みたいに輝いている。
敵意や害意があるのかどうかも分からない、まるっとしたシルエットに相応しい大きな目が、僕達をじっと見つめていて…………
「————ッ! アイツ————アイツ、なんで————ッ!」
真っ先に大声をあげたのはキルケーさんだった。
いいや、或いは僕達には声なんて出す余裕が無かったのかもしれない。
それはゆっくりと姿を現した————その大きな翼の陰から現れた。
銀の髪、瑠璃色の瞳。
慈愛に満ちた優しい眼差し、女性的で小柄な体。
よく知る姿に——そして、銀色の双翼——
「————紅蓮の——魔女————っ」
ことその場において、彼女をその名で呼ぶことに戸惑いは無かった。
理由は多くない。
そういう世界であること。
その最後を、あくまでもあの人とは別のものであると考えて立ち直ろうとした経緯があったこと。
けれど……そんなのはあくまでも上っ面。
最も大きくて——そして、あまりにも決定的な理由は————
「————キルケーさん————っっ!」
僕はミラを抱き上げてキルケーさんの側に駆け寄った。
もう——どうしようもないのが来る——っ。
場所は……最悪、逃げ道は無い。
けれど……それしか縋るものが無いのだから…………っ。
「————マーリン——さま————」
————ゴウ——ッ! と、爆炎が僕達を襲う。
ミラも僕も、きちんとキルケーさんに掴まってる。
大丈夫、出来る。
そんな覚悟を決める暇も無く、僕は結界陣を起動した。
炎は飲み込まれ、そしてジェットエンジンの如く噴き出して推進力に変換される。
けれど——そうして向かう先は上空ではなく、唯一許された逃げ道————洞窟の奥底へと僕達は落ちていった。




